第一章「価値観が違う」
はじめまして。
戦隊ヒーローものですが、
戦うのはヒーローで、
悩むのは戦えない側の少年です。
「価値観が違う」という言葉について、
少しだけ立ち止まって考える話を書いてみました。
ゆっくりした展開ですが、
お付き合いいただけると嬉しいです。
「私たち、価値観が違うと思うの」
その言葉を聞いたとき、僕は何も言えなかった。
僕の名前は木村裕太。高校二年生だ。
そして今、半年間付き合った彼女にフラれた。
放課後の教室には、もう僕たちしか残っていない。
窓の外は夕焼けで、部活帰りの生徒たちの声が遠くに聞こえる。
いつもと同じ光景のはずなのに、その日だけは教室が妙に広く感じた。
「……価値観って、なに?」
思わず聞き返すと、彼女は少し困ったように笑った。
「考え方とか、大事にしてるものとか。
そういうの、合わない気がするんだよね」
それ以上は、何も言ってくれなかった。
僕が何か間違えたのか。
傷つけるようなことを言ったのか。
それとも、知らないうちに嫌われていたのか。
どれも思い当たらないまま、彼女は去っていった。
「嫌いになったわけじゃないから」
最後にそう付け足されたのが、余計にわからなかった。
――じゃあ、なんなんだよ。
家に帰ってからも、その言葉が頭から離れなかった。
価値観が違う。
便利な言葉だと思った。理由を言わなくても、全部終わらせられる。
――僕は、どこがダメだったんだろう。
翌日、教室の隅の席で、僕はぼんやりと窓の外を見ていた。
メガネ越しの景色はいつも通りで、世界は何も変わっていないように見える。
でも、胸の奥だけが、うまく息をしていない感じがした。
そのとき、前の方で少しだけざわめきが起きた。
「……あれ、また来てないの?」
「桃子、今日も遅刻?」
声の先を見ると、ちょうど教室のドアが開いたところだった。
入ってきたのは、黒髪の女の子だった。
肩より少し下まで伸びた髪を揺らしながら、
悪びれた様子もなく「おはようございまーす」と言う。
声は明るく、やけに場違いなくらい元気だ。
彼女の名前は佐伯桃子。家が忙しいらしく、よく遅刻してくる。
特別な存在だと思ったことはない。
クラスに溶け込もうとする気配がないのに、孤立しているわけでもない。
誰かと騒ぐわけでもなく、かといって一人で俯いているわけでもない。
必要なときだけ普通に会話をして、あとはどこか遠くを見ている。
担任がため息をつきながら何か言っていたけど、
彼女――桃子は気にした様子もなく、
自分の席に向かって歩いていった。
昼休み。席で弁当を食べていると、周りではいつも通りの雑談が飛び交っていた。
テストがどうだとか、部活がきついとか、そんな話だ。
そんな中、誰かが言った。
「ねぇ、あの子さ、ちょっと価値観ズレてない?」
それを聞いた瞬間、僕の胸が小さく跳ねた。
昨日までなら、何も気にせず聞き流していたと思う。
集まってお昼ご飯を食べている女子グループの、何気ない一言だった。
言った本人は悪気なく笑っている。
しかしその言葉は、昨日の僕を切り捨てた刃と、同じ形をしていた。
「分かる。なんかさ、ノリ合わないっていうか」
「誘っても来ないし、興味なさそうだし」
それは桃子たちのグループの会話だった。
桃子は黒髪を後ろでまとめ、パンを片手に、いつも通りの明るい表情をしている。
パンの袋をくしゃっと畳みながら、首を傾げた。
「ズレてるっていうか、
違うだけじゃない?」
「でもさ、違うとさ、やりにくくない?」
「うーん……別に、合わせる必要なくない?」
少し考える間があって、桃子は言った。
「やりにくいのは分かるけど、
だからって、無理って決めるの早くない?」
「えー、でも合わない人と一緒にいるの、しんどくない?」
「しんどいなら、距離置けばいいじゃん」
「それと、切るのは別じゃない?」
誰かが「あー……」と曖昧に声を出す。
「でも恋愛だとさ、
価値観合わないのって、結構致命的じゃん?」
桃子は少しだけ眉を上げた。
「致命的かどうかは、その人次第じゃない?」
「合わないところがある=終わり、って決め方が、
ちょっと雑な気がするだけ」
「雑って……」
「便利すぎるでしょ、価値観って言葉」
パンを一口かじって、桃子は続けた。
「なんかこう……
ちゃんと話す前に使うと、
それ以上、何も言わなくてよくなる感じ」
会話が、一拍だけ止まった。
「まぁ、分かるけどさー」
「面倒な話、したくない時もあるじゃん?」
「それはそうだけど」
桃子は笑って、肩をすくめた。
「だからって、
相手が悪かったみたいになるの、ちょっと嫌じゃない?」
誰かが「重いなー」と冗談めかして言って、
空気はまた軽くなった。
でも、僕の箸は止まっていた。
意識してそうしたわけじゃない。
口に運ぶはずだったご飯が、そのまま宙に止まっていた。
――違うだけ。
その言葉が、妙に引っかかった。
価値観が違う、という言葉を、
こんなふうに嫌がる人がいるんだと思った。
それだけで、
胸の奥に引っかかっていたものが、
少しだけ形を持った気がした。
昨晩、ずっと考えていた。
価値観って、なんなんだろう。
僕はそれで昨日、付き合っていた女の子から拒絶された。
桃子は、僕に向かって言ったわけじゃない。
僕の失恋なんて、知っているはずもない。
それなのに、その一言だけが、やけに近くに聞こえた。
それからしばらく、僕は無意識に、
桃子たちの会話を目で追っていた。
何かを期待していたわけでもない。
聞きたい答えがあったわけでもない。
ただ、その場で一番自然にそこにいたのが、
彼女だった気がした。
「よお、なにシケた面してんだよ?」
突然、前の席に後ろ向きに座ったのは、友人の菅沼太一だった。
「聞いたぜ。あゆみちゃんにフラれたんだってな」
どこから聞きつけたのか、昨日のことがもう広まっていた。
太一は僕の机に寄ってきて、何でもない調子で言った。
「まだ引きずってんの?」
「そんなんじゃねえよ……」
「いや、どう見ても引きずってるだろ。
顔に書いてある」
太一はそう言って、僕の弁当を勝手に覗き込んだ。
「でもさ、半年も付き合ってたら普通じゃね?
俺だったら一週間は何もする気しねえわ」
「……一週間で済むのかよ」
「済む済む。
向こうももう次考えてるって」
その言い方が、少しだけ引っかかった。
「なんで、そう思うんだよ」
「だってさ、価値観がどうとか言われたんだろ?
そういうの言う時って、
だいたいもう決めてるじゃん」
胸の奥が、きしんだ。
「でさ」
太一は、あっさり話題を変える。
「次、どうすんの?」
「どうするって……」
「いや、だから次だよ、次。
このままずっと考えてても、
何も変わんないだろ」
僕は返事をしなかった。
「ま、無理にとは言わねえけどさ。
でも、声かけるだけならタダだぞ?」
「……声?」
「告白とかじゃなくてさ。
話すとか、聞くとか。
別に付き合わなくてもいいじゃん」
その言葉が、妙に現実的だった。
次、という言葉に実感はなかった。
でも、なぜか昼休みの桃子の声が頭に浮かんだ。
みんな、こんなふうに、
切り替えていくものなのかもしれない。
だったら、
僕だけ立ち止まっている理由は、
どこにあるんだろう。
チャイムが鳴って、昼休みが終わる。
みんなが一斉に席に戻り始める中で、
桃子も立ち上がり、
何事もなかったみたいに前の方の席へ戻っていった。
僕は、その後ろ姿を、ほんの少しだけ長く見ていた。
――別に、合わせる必要なくない?
その日の帰り際、僕は気がついたら、
桃子の席の前に立っていた。
自分でも驚いた。
計画なんて、何もなかった。
でも動かなければ、
このまま全部、
「仕方なかった」で終わってしまう気がした。
それだけは、
なぜか嫌だった。
「……桃子さん、ちょっといいかな?」
声をかけると、桃子は顔を上げた。
「なに?」
警戒も、期待もない目だった。
「あっ、えと、なんていうか……」
少し首を傾げて、こっちを見ている。
「よかったらさ……
僕と付き合ってみない?」
言ってから、心臓がうるさくなった。
好きだとか、そういう感情じゃない。
さっきの会話を聞いて、
価値観というよくわからない理由で、
断られたりしないかなと思った。
ただ、それを確かめたかった。
桃子は少しだけ考えてから、首を横に振った。
「今はちょっと忙しいから」
その言い方は、とても普通だった。
でも、価値観の話は出なかった。
「でも、どうしてもって言うなら……」
僕は、ほとんど反射で頷いていた。
「どうしても、です」
「……じゃあ、いいよ」
軽く笑って、そう言われた。
その夜、テレビのニュースで、
街の外れで起きた原因不明の爆発事故が流れていた。
怪我人なし、詳細不明。
専門家が難しい言葉を並べている。
僕はリモコンを握ったまま、
画面をぼんやりと見ていた。
昼休みの、桃子の声が頭をよぎる。
――違うだけ。
それが、ただの言葉じゃないことを、
僕はまだ知らなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
第1章は、
主人公が「恋をする話」ではなく、
「声をかけてしまうまでの話」でした。
この先、
桃子の“忙しさ”の意味や、
価値観を合わせることの重さが、
少しずつ明らかになっていきます。
次章からはデート編です。
引き続き、お付き合いいただければ幸いです。




