第9話 清算と評価
「……肩が凝るわね」
王城、『白亜の間』。
大理石の床に整列させられながら、私は小さなため息をついた。
周囲には煌びやかな正装に身を包んだ貴族たち。
正面には、国王陛下とエドワード殿下。
そして私の隣には、真新しい制服を着たアレクが、緊張した面持ちで立っている。
「クロエ、私語は慎め。不敬罪になるぞ」
アレクが小声で忠告してくる。
彼はまだ病み上がりだ。
あの「花火」で魔力を使い果たし、丸二日寝込んでいたのだから、もっと安静にしているべきだ。
「だって、長いんですもの。非効率です。さっさと請求書を渡してくれればいいのに」
私はドレスの袖口をいじった。
今日は久しぶりに貴族らしい格好をさせられている。
動きにくいし、ポケットがないから手帳も持てない。
ストレス係数が上昇中だ。
「静粛に!」
宰相の声が響く。
重い扉が開き、薄汚れた囚人服の男が引きずり出されてきた。
ガレイン元学院長だ。
かつての威厳は見る影もなく、白髪はボサボサで、目はうつろに泳いでいる。
「ひっ……わ、わしは……」
「ガレイン・フォスター。そなたには、学院運営における重大な過失、および公金横領の容疑がかかっている」
エドワード殿下が冷徹な声で告げた。
手元の資料を読み上げる。
「安全管理予算の九割を私的流用。設備の老朽化を示すデータを隠蔽。さらに、クロエ・フォン・ベルシュタイン嬢の研究成果を『危険思想』として弾圧し、あまつさえ彼女に濡れ衣を着せて追放した」
殿下は資料を床に叩きつけた。
「申し開きはあるか?」
「ち、違います殿下! あれは必要な経費で……それにクロエは異端で……!」
「黙れ。貴様の裏帳簿は、すでに解析済みだ」
殿下が私の方を一瞥した。
そう、私が提出したデータには、学院の金の流れ(異常な使途不明金)も添付しておいたのだ。
数字は嘘をつかない。
「連れて行け。……二度とその顔を見せるな」
「殿下ぁぁぁッ! お慈悲をぉぉぉッ!」
衛兵に引きずられ、元学院長の絶叫が遠ざかっていく。
貴族たちがヒソヒソと囁き合う。
かつての権力者の、あまりにもあっけない幕切れ。
(……ふん、当然の帰結ね)
私は興味を失った。
バグの原因が排除されたなら、それでいい。
「さて」
殿下が居住まいを正し、こちらに向き直った。
空気が変わる。
柔らかく、そして熱っぽいものへ。
「クロエ・フォン・ベルシュタイン。前へ」
私は一歩踏み出し、形式通りのカーテシーを行った。
「今回の『聖祭』における貴女の働き、見事であった。貴女がいなければ、王都は地図から消えていただろう」
「恐縮です。私はただ、失敗を処理しただけです」
「謙遜は不要だ。……クロエ。余は、貴女に謝罪せねばならない」
殿下が玉座の前まで降りてきた。
そして、あろうことか、私の前で深く頭を下げたのだ。
会場がどよめく。
「余は無能だった。貴女の真価を見抜けず、一方的に婚約を破棄し、傷つけた。……本当にすまなかった」
「殿下、頭をお上げください。謝罪ならデータ(補償金)でいただければ結構ですので」
「いや、言葉にさせてくれ」
殿下は顔を上げ、私の手を取った。
その碧眼が、真剣な光を帯びて私を射抜く。
嫌な予感がした。
このパターンは、面倒なイベントが発生する兆候だ。
「クロエ。余は貴女が必要だ。……婚約破棄を撤回する」
会場から「おおっ」という歓声が上がる。
アレクが隣で息を呑む気配がした。
「ベルシュタイン家の籍を戻し、改めて余の婚約者として迎え入れたい。そして、ガレインの後任として『学院長』の地位も用意しよう」
破格の条件だ。
名誉の回復どころか、王妃候補への復帰、さらに国内最高峰の教育機関のトップ。
普通の令嬢なら、嬉し泣きして気絶する場面だろう。
殿下は自信満々に微笑んでいる。
これが最高のハッピーエンドだと信じて疑っていない顔だ。
私は、彼に握られた手をそっと引き抜いた。
「――お断りします」
「……は?」
殿下の笑顔が凍りついた。
会場の時が止まる。
シン……と静まり返った広間で、私の声だけが明瞭に響く。
「い、今、なんと言った? 断る……?」
「はい。お断りします」
私は指を折りながら理由を列挙した。
「第一に、王妃教育は非効率です。お茶会や刺繍に費やす時間は、私の研究時間を一日平均六時間も奪います。
第二に、学院長という職は管理業務が多すぎます。私は現場で爆発と戯れていたいのであって、ハンコを押す機械にはなりたくありません。
第三に――」
私は息継ぎをして、きっぱりと言った。
「私は今の『失敗魔法専門職』という仕事が、死ぬほど気に入っているんです。それを捨てるなんて、ありえません」
貴族たちが口をあんぐりと開けている。
国王陛下まで、目を丸くして私を見ている。
王太子の求婚を「研究の邪魔」という理由で蹴った女など、前代未聞だろう。
「く、クロエ……貴女は、地位も名誉も欲しくないのか?」
「欲しいのは『未知の失敗データ』と『安眠できるベッド』だけです」
私が即答すると、殿下は肩を震わせ……そして、吹き出した。
「ふ、ふふっ……ははははっ!」
殿下が大声で笑い出した。
腹を抱えて、涙目になるほど笑っている。
「そうか……そうだったな。貴女は、そういう女だった。余が型にはめようとしたこと自体が、間違いだったか」
殿下はひとしきり笑うと、憑き物が落ちたような顔をした。
そこにはもう、未練がましい湿っぽさはない。
「分かった。婚約の話は忘れよう。だが、国として貴女を放っておくわけにはいかない」
殿下は懐から、新しい羊皮紙を取り出した。
最初から、断られた時のためのプランBを用意していたらしい。
……少しは学習したようだ。
「新組織を作る。『王立安全管理室』。国内のあらゆる魔法事故の調査権限と、独立した予算を持つ特務機関だ」
「ほう?」
私の眉がピクリと動く。
悪くない響きだ。
「貴女には、そこの室長に就任してもらう。身分は外部顧問扱いだ。城への出仕義務はない。服装も自由。……これでどうだ?」
「予算の上限は?」
「青天井だ。今回の『花火』で浮いた復興予算を全部回してやる」
私はニヤリと笑った。
眼鏡の奥の瞳孔が開く。
最高の条件だ。
公費で堂々と失敗の研究ができる上に、面倒な社交は免除。
「契約成立です、殿下。そのお仕事、謹んでお受けします」
私は優雅に、しかし今度は心からの敬意を込めてカーテシーをした。
「良かった。……これでまた、爆発が見られるな」
殿下が冗談めかして言う。
そして、視線を私の隣に移した。
「さて。ではアレク・グレイヴ特務騎士」
「は、はいっ!」
アレクが直立不動になる。
「貴公の働きも見事であった。あの『花火』は、貴公の規格外の魔力がなければ実現しなかった。……何か望む褒美はあるか?」
アレクは一瞬、私を見た。
そして、迷いのない瞳で殿下を見据えた。
「一つだけ、願いがございます」
「申してみよ」
アレクは片膝をつき、騎士の礼をとった。
「私を、新設される『安全管理室』への出向……いえ、専属護衛として任命していただきたい」
「……騎士団のエリートコースを捨てて、か?」
「はい。私は不器用な男です。綺麗な剣技も、宮廷の作法も覚えられません。ですが……」
アレクは顔を上げ、私を見つめた。
その瞳には、熱い炎が宿っていた。
「彼女の『失敗』を守ることだけは、誰よりも上手くやれる自信があります。……彼女の隣が、私の居場所なのです」
ドキン、と心臓が跳ねた。
これは計算外だ。
ただの護衛契約のはずなのに、なぜこんなに脈拍が乱れるのか。
データがない。参照エラーだ。
殿下は満足げに頷いた。
「許可する。……クロエ、いいな?」
「……ええ、まあ。彼なら、私の実験台(被験者)として優秀ですので」
私はそっぽを向いて答えた。
顔が熱い。
きっと、会場の室温設定が高すぎるせいだ。
「決まりだ。これより、王立安全管理室を発足する!」
高らかな宣言と共に、拍手が巻き起こる。
それは、私たちが「厄介者」から「英雄」へと生まれ変わった瞬間だった。
帰り道、王城の廊下を歩きながら、アレクが隣で笑った。
「やっぱり断ったな、婚約」
「当然でしょう。あんな非効率な契約」
「ははっ、君らしいよ」
アレクは嬉しそうだ。
本当に、単純な男だ。
「……これから忙しくなるぞ、アレク。予算が下りたら、まずは事務所の地下を拡張して、大型の実験場を作るわ」
「ああ、手伝うさ。……爆発だけは勘弁してくれよ?」
「約束はできません。失敗は成功の母ですから」
「やれやれ」
アレクが肩をすくめる。
でも、その手は自然と私の腰に回され、エスコートしてくれている。
その体温が、心地よかった。
これからの日常は、きっと騒がしくて、危険で、最高に楽しいものになる。
私の予測アルゴリズムが、そう告げていた。




