第7話 クライシス・プロトコル
「……始まったわね」
王都を見下ろす丘の上で、私は双眼鏡を下ろした。
正午の鐘が鳴る。
それと同時に、王立魔導学院の中心部から、天を突くような光の柱が立ち昇った。
「聖祭」のメインイベント、全校生徒による魔力奉納の儀式だ。
本来なら、それは美しく揺らめく七色の光になるはずだった。
だが、今の私に見えているのは、血管のようにドス黒く脈打つ、赤紫色の奔流だ。
「色が汚い。ノイズが混じりすぎているわ」
隣に立つアレクが、剣の柄を握りしめて呻く。
「……ここからでも肌がピリピリするぞ。あの量は異常だ」
「ええ。排水管が詰まっているのに、蛇口を全開にしたようなものです。行き場を失った魔力は、最も脆い部分――つまり『術者たち』へと逆流します」
その時だった。
キィィィィィン!!
耳をつんざくような高周波音が響き渡る。
光の柱が歪み、ドーム状に広がって学院全体を覆い尽くした。
半透明の、分厚い光の壁。
美しいが、致命的な檻だ。
「結界のモードが変わった。……『絶対防衛』から『完全封鎖』へ移行しました」
私は懐中時計を見た。
予測誤差、わずか三〇秒。
私の計算式は完璧だったが、現実は最悪だ。
「行くわよ、アレク。仕事の時間です」
私たちは丘を駆け下りた。
***
学院の正門前は、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。
「開かない! 中に入れないぞ!」
「殿下が! 殿下がまだ中に!」
駆けつけた騎士団や、逃げ遅れた生徒の親たちが、半透明の結界を叩いている。
魔導師部隊が解呪の呪文を唱え、炎や雷をぶつけるが、壁は傷一つ付かない。
それどころか、攻撃を受ければ受けるほど、壁は輝きを増していく。
「無駄です! 攻撃をやめて!」
私は叫びながら人混みをかき分けた。
「その結界は『衝撃吸収型』です。叩けば叩くほど硬くなります!」
「なっ……誰だ貴様は!」
指揮官らしき騎士が振り返る。
私の顔を見て、誰かが息を呑んだ。
「あ、あれは……『失敗魔法』のクロエ嬢?」
「爆発騒ぎの専門家か!?」
悪評も役に立つ時がある。
彼らは道を開けた。
私は結界の目の前まで進み、その表面にそっと触れた。
バチッ!
静電気が指先を弾く。
ゴーグルの奥で、魔力視が高速で解析を始める。
(……酷いスパゲッティコードね)
内部の術式が絡まり合い、論理が破綻している。
「守る」という命令と「閉じ込める」というエラーが無限ループを起こしていた。
正規の解呪コードを受け付けるポート(入り口)は、全て塞がっている。
「どうだ、クロエ。開けられるか?」
アレクが背後から尋ねる。
私は首を横に振った。
「正規の手順では無理です。解析と解除に三日はかかります」
「三日だと!? 中の空気はそんなに保たないぞ!」
「ええ。あと二十分で、内部のマナ濃度は致死量を超え、最後は大爆発を起こして消滅します」
周囲から絶望の悲鳴が上がる。
泣き崩れる婦人もいた。
「ですが」
私は振り返り、ニヤリと笑った。
「鍵がないなら、ドアごと壊せばいいだけのことです」
私はチョークを取り出し、アスファルトの地面に数式を書き始めた。
アレクを立たせる位置を指定する。
「アレク。あなたの『失敗』が必要不可欠です」
「俺の?」
「この結界は、均一で整った魔力を吸収します。だから、宮廷魔導師の攻撃は効かない。……でも、あなたの魔力はどうですか?」
私は彼の手を取り、結界に向けさせた。
「あなたの魔力は、密度が高すぎて、しかもノイズだらけで暴れている。結界からすれば『消化不良』を起こす異物です」
「……俺の魔力が、不味いってことか?」
「ええ、激マズです。だからこそ、吸収されずに突き刺さる」
私はアレクの剣を引き抜き、その刀身に直接、術式を書き込んだ。
これまでで一番複雑な、螺旋状の回路図。
「術式構築。出力全開、指向性は一点集中。ただし今回は『爆発』させません」
私はゴーグルを下げ、魔力を込めた。
「イメージしてください、アレク。あなたの剣は、全てを噛み砕く回転体。巨大なドリルです」
「ドリル……?」
「そう。爆発のエネルギーを、回転運動に変換します。結界の表面を削り、食い破り、こじ開ける!」
アレクは一度深く息を吐き、そして剣を構えた。
その瞳に、迷いはもうない。
「分かった。……俺の全てを、君に預ける」
「制御は私がやります。あなたはただ、吼えなさい!」
「おおおおおおッ!!」
アレクの咆哮と共に、彼の全身から赤いオーラが噴き出した。
それは剣に吸い込まれ、私が描いた回路を通って変換される。
ギュイイイイイイイイン!!
剣が唸る。
爆発音ではない。
空気を切り裂く、凶悪な回転音だ。
剣の周囲に発生した魔力の渦が、ドリルのように高速で旋回を始める。
「行けぇッ!!」
アレクが突進する。
私も彼の背中にしがみつき、魔力供給のラインを維持する。
ズガガガガガガガッ!!
剣先が結界に触れた瞬間、凄まじい火花と衝撃が走った。
結界が悲鳴を上げ、波打つ。
「異物」の侵入を拒もうと、結界が抵抗する圧力が私を押し潰そうとする。
「ぐっ、……重いッ!」
アレクの足が地面にめり込む。
押し返されそうだ。
「負けるなアレク! 回転数を上げて! もっと汚く、もっと乱暴に!」
私は叫んだ。
優等生のような魔法はいらない。
理不尽な現実をねじ伏せるのは、いつだって規格外のエネルギーだ。
「うらぁぁぁぁぁッ!!」
アレクがさらに魔力を注ぎ込む。
私の計算を超えた、桁外れの出力。
剣の回転音が甲高くなり、ついに――
パァァァァン!
ガラスが割れるような音と共に、結界の一部が粉砕された。
人が一人通れるだけの風穴。
「開いた!」
「うおぉぉっ!?」
勢い余って、私たちは穴の中へと転がり込んだ。
背後で、自己修復機能が働き、穴がすぐに塞がっていく。
ドンッ、と地面に転がる。
土の匂い。焦げた匂い。
そして、喉が焼けるような高濃度のマナの味。
「……はぁ、はぁ……入れたか?」
アレクが私を庇うようにして起き上がる。
私たちは結界の内側、学院の敷地内にいた。
「成功です。……でも」
私は立ち上がり、周囲を見渡した。
空は紫色に染まり、建物は歪んで見える。
重力が狂っているのか、小石がふわふわと浮いていた。
まさに、爆発五秒前の世界。
「ここからが本番です。爆心地へ急ぎましょう」
私はアレクの手を引いて走り出した。
目指すは中央広場。
そこには、元凶である儀式場と、逃げ遅れた人たちがいるはずだ。
「クロエ、足元! 空間が歪んでる!」
「計算通りです! 左に三歩ズレて!」
私たちは崩壊しつつある校庭を駆ける。
これが、私が望んだ「失敗魔法専門職」の仕事。
誰にもできない、私たちだけのステージだ。
恐怖はない。
あるのは、難解なパズルを解く時のような、高揚感だけだった。




