第6話 王太子の困惑と再会
「……目立ちすぎです」
私はブラインドの隙間から外を覗き、深いため息をついた。
魔導廃棄区の薄汚れた路地に、一台の馬車が停まっている。
紋章は塗りつぶされているが、車輪に使われているサスペンション魔道具が最上級品だ。
あんなものを乗り回していたら、「ここに金持ちがいます、襲ってください」と宣伝しているようなものだ。
「アレク、来客対応をお願いします。私はお茶を淹れますから」
「……いや、もう入ってくるぞ」
アレクが剣の柄に手をかけたのと同時に、事務所のドアが開かれた。
入ってきたのは、灰色のマントを目深に被った青年。
フードを下ろすと、そこには見覚えのある金髪と、宝石のような碧眼があった。
王太子エドワード殿下だ。
「……汚い場所だな。空気が澱んでいる」
第一声がそれだった。
彼はハンカチで口元を覆い、部屋の中を見回した。
机の上に散乱する魔道具の部品、壁に貼られた怪しげな図面。
王城の整然とした執務室とは正反対のカオスだ。
「いらっしゃいませ、殿下。お忍びですか? 変装のつもりなら、その靴を履き替えるべきでしたね。泥汚れ一つない革靴は、ここでは浮きます」
私は皮肉を混ぜて挨拶した。
アレクが私の前に立ち、殿下を睨みつける。
「何のご用でしょうか。ここは追放された罪人の住処ですが」
「下がれ、アレク。……今日は公務ではない。私的な確認に来た」
殿下はアレクの威圧に怯むことなく、まっすぐに私を見た。
その瞳には、以前のような感情的な怒りはない。
あるのは、冷徹な探究心と、隠しきれない焦燥。
「クロエ。先日の『ゴミ山事件』……余はずっと考えていた。なぜ、我が国の精鋭である魔導師団が敗北し、貴様たちが勝利したのか」
彼は近くの椅子(比較的きれいなもの)に座った。
「彼らは『成功』するための教育を受けてきた。だが、貴様は『失敗』を使った。……余には理解できない。なぜ失敗が力になる?」
「簡単なことです」
私は彼に、湯気の立つマグカップを差し出した。
中身は高級茶葉ではなく、薬草茶だ。
「殿下。この世界に『完璧な魔法』など存在しません。どんな術式にも必ずバグ(構造的欠陥)があります。宮廷魔導師たちは、それを『ないもの』として無視するように教わっている。だから、想定外の事態に弱い」
私は壁の黒板を指差した。
そこには、学院の魔力循環グラフが描かれている。
「私は逆です。バグを愛し、バグを管理する。失敗のパターンを知り尽くしているから、相手の失敗(暴走)も誘導できる。それだけのことです」
「……管理、だと?」
「ええ。これをご覧ください」
私は机の引き出しから、分厚いファイルを一冊取り出した。
表紙には『王立学院危機管理レポート・最終警告版』とある。
殿下はそれを手に取り、ページを捲った。
最初は怪訝そうだった彼の表情が、次第に青ざめていく。
「……なんだ、この数値は。防壁の劣化率が八十パーセントを超えている? 魔力パイプの閉塞率に至っては……」
「限界突破しています。私が在学中に掃除していたのが嘘のように、今はゴミが詰まっているでしょうね」
私は淡々と事実を告げた。
「殿下。あなたが誇る『神聖な学院』は、今や火薬庫です。小さなボヤ騒ぎで済んでいたのは、安全装置がギリギリ機能していたから。でも、それももう限界です」
殿下はファイルを閉じ、強く拳を握りしめた。
「……ガレイン学院長は、こう言った。『設備は万全だ。クロエの報告書は、自分を追放した腹いせの捏造データだ』と」
「そう言うでしょうね。自分の管理責任になりますから」
「だが! 余は……」
殿下は言葉を詰まらせた。
私のデータを信じたい。
先日の事件で、私の実力は証明されているからだ。
しかし、それを認めることは、国の権威である学院長を断罪することになる。
政治的なリスクが大きすぎるのだ。
迷い、苦悩する王太子。
真面目な人だ。
完璧であろうとするあまり、身動きが取れなくなっている。
「殿下。信じるか信じないかは、あなたの自由です」
私は彼の手からファイルを取り返した。
「ですが、物理法則は忖度してくれません。権威があろうとなかろうと、壊れる時は壊れます」
「……いつだ」
低い声。
「いつ、壊れる」
「私の予測アルゴリズムによれば」
私は黒板のグラフの、一番端を指で叩いた。
「明日です」
「明日だと!?」
殿下が立ち上がる。
アレクも息を呑んだ。
「明日は学院で『聖祭』が行われる日だ。全校生徒が集まって、大規模な儀式魔法を……」
「最悪のタイミングですね。高密度の魔力が集中すれば、老朽化した回路が一気に焼き切れます。……ボヤでは済みません。王都の三分の一が吹き飛ぶ規模の大爆発になります」
室内が静まり返る。
聞こえるのは、壁掛け時計の秒針の音だけ。
殿下は額に汗を浮かべ、私を見つめた。
その目には、決意の光が宿り始めていた。
「……クロエ。貴様の予言、預からせてもらう」
「どうするおつもりで?」
「学院長に中止を命じる。……だが、証拠が足りんと言われるだろう。それでも、余の権限で強引に縮小させることはできるはずだ」
彼はマントを翻した。
「それと。貴様には『監視』をつける」
「監視? まだ私を疑うのですか?」
「違う! ……護衛だ」
殿下は少し顔を赤らめ、そっぽを向いた。
「もし貴様の予測が正しければ、事態収拾には貴様の力が必要になる。その時までに死なれては困る。……アレク」
「はっ」
「貴様は引き続き、この『危険人物』を見張れ。騎士団への報告は余が握りつぶしてやる」
アレクが目を見開き、そして深く頭を下げた。
「感謝いたします、殿下」
「勘違いするな。国のためだ」
殿下は最後に一度だけ、私を振り返った。
「……クロエ。もしこの危機を乗り越えられたら、その時は……」
言いかけて、彼は首を振った。
「いや、今はよそう。生き残ることが先決だ」
殿下は足早に出て行った。
嵐のような訪問者だった。
ドアが閉まると、アレクが深いため息をついた。
彼は不機嫌そうに腕を組んでいる。
「……気に入らないな」
「何がです? 逮捕されなくて良かったじゃないですか」
「そうじゃない。殿下の、あの目だ」
アレクは私の近くに寄り、上から覗き込んできた。
琥珀色の瞳が、妙に熱っぽい。
「クロエ。君は気づいていないかもしれないが……殿下は君を『再評価』し始めている。ただの元婚約者としてじゃなく、もっと……重要な存在として」
「当然です。私は唯一無二の専門家ですから」
「そういう意味じゃないんだがな……」
アレクはガシガシと頭を掻いた。
なぜ彼がイライラしているのか分からない。
お茶菓子を出さなかったのが、そんなに不満だったのだろうか。
「アレク。そんなことより準備です」
私は黒板に向き直り、チョークを走らせた。
明日の『聖祭』。
止められるとは思えない。
学院長は自分の権威を示すために、警告を無視して強行するだろう。
「爆発は止められません。だとしたら、私たちの仕事は一つ」
私は振り返り、アレクを見た。
彼は不貞腐れた顔をしながらも、剣のベルトを締め直している。
「爆発を『デザイン』することです。被害ゼロの、美しい失敗にするわよ」
「……ああ。君の指揮なら、地獄の底でも付き合うさ」
アレクがニカっと笑う。
その笑顔を見ると、胸の奥が少しだけ温かくなる。
これはデータにはない反応だ。
バグかもしれない。
けれど、悪くないバグだ。
明日は決戦だ。
私は震える手を隠すように、白衣のポケットに突っ込んだ。




