第5話 失敗作たちの反撃
「……揺れているわね」
コーヒーカップの水面が、細かく波紋を描いていた。
振動は地面の下から突き上げてくる。
同時に、窓ガラスがビリビリと共鳴音を立て始めた。
私は読みかけの『魔導事故年鑑』を閉じた。
事務所の空気清浄結界が、警告色である赤色に点滅している。
「所長! やべえぞ! 商業区の方でゴミ山が歩き出した!」
駆け込んできたのは、近所のパン屋の親父さんだ。
顔面蒼白で、エプロンが粉まみれになっている。
「ゴミ山が歩く? 正確な描写をお願いします」
「だから、捨ててあった魔道具が勝手にくっついて、デカい化け物になって暴れてるんだよ! 騎士様たちが魔法を撃っても全然効かねえんだ!」
私は眼鏡を指で押し上げた。
脳内でパズルが組み上がる。
魔導廃棄物の自然発火ならよくある。
だが、融合して自律行動(歩行)?
自然現象ではありえない。
誰かが大量の「活性化した失敗作」を一箇所にまとめた結果、魔力的な連鎖反応が起きたのだ。
「……アレク」
名前を呼ぶと同時に、奥の部屋から赤髪の騎士が飛び出してきた。
彼はすでに剣を帯び、準備万端の表情だ。
「聞こえていた。出動か?」
「ええ。大規模な『掃除』になりそうです。……学院のロゴが入ったゴミが散乱するのは、美観によろしくない」
私はゴーグルを装着し、白衣を翻した。
***
商業区の大通りは、パニックに陥っていた。
逃げ惑う人々。
悲鳴と怒号。
そして、その中心に「それ」はいた。
全長五メートルほどの、歪な巨人。
壊れた杖、ひび割れた水晶、破れた魔導書。
無数のガラクタが、赤黒い雷のような魔力で無理やり繋ぎ合わされている。
「放てェェッ!!」
号令と共に、整列した宮廷魔導師団が一斉に杖を振るう。
美しい火球や氷の槍が、巨人に吸い込まれていく。
ドォォン!
着弾。
しかし、巨人は倒れない。
それどころか、炎を取り込んでさらに膨張した。
「馬鹿な……上級魔法が効かないだと!?」
指揮官の声が震えている。
その中心に、見覚えのある金髪の背中があった。
王太子エドワードだ。
彼もまた、豪華な剣を抜いて前線に立っている。
私は溜息をついた。
「学習能力がないわね。燃料を投下してどうするの」
私はアレクと共に、規制線をくぐり抜けた。
警備の兵士が止めようとするが、アレクが「特務だ、通せ!」と一喝して道をこじ開ける。
私たちは最前線、エドワード殿下のすぐ隣まで進み出た。
「殿下、攻撃中止を。その魔法は逆効果です」
私が声をかけると、殿下は弾かれたように振り返った。
「クロエ……!? なぜ貴様がここにいる!」
彼の表情が憤怒に歪む。
「やはり貴様の仕業か! この『失敗作の怪物』を使って、王都を襲撃しに来たのか!」
「発想が貧困です。私がやるなら、もっと効率的に王城の地下を爆破します」
私は淡々と否定し、怪物を見上げた。
近くで見ると、その構造がよく分かる。
あれは、異なる術式同士が喧嘩しながら、互いの崩壊エネルギーで動いている状態だ。
「あれは『魔力喰らい(マナ・イーター)』の一種に変異しています。綺麗に整えられた魔法は、彼らにとって最高のご馳走なんです」
「魔力喰らいだと……? では、どうすればいい! 物理攻撃も再生されるのだぞ!」
殿下の焦りは本物だ。
市民を守ろうとする責任感はある。
ただ、知識が「成功例」に偏りすぎているだけだ。
「毒には毒を。失敗には失敗をぶつけるんです」
私はアレクの背中を叩いた。
「アレク、出番です。いつもの『あれ』をお願いします」
「……ここでやるのか? 王太子の目の前だぞ」
アレクが躊躇する。
彼の魔力制御の拙さは、騎士団内でも笑い種だ。
公衆の面前で見せるのは恥だろう。
「構いません。あなたのその『乱れた魔力』こそが、今の特効薬なんです」
私は彼を見上げた。
「私を信じて。あなたの失敗は、最強の武器です」
アレクは一瞬目を閉じ、深く息を吸った。
そして、琥珀色の瞳を開く。
そこには迷いはなかった。
「……了解だ。責任は取ってくれよ、所長」
アレクが剣を構える。
洗練された構えではない。
ただ、全身の魔力を無理やり剣に押し込む、暴力的なチャージ。
バチバチバチッ!
剣から不快なノイズのような火花が散る。
周囲の魔導師たちが「なんだあれは」「汚い魔力だ」と眉をひそめる。
だが、怪物だけは反応した。
体を構成するガラクタが、嫌がるように震え始める。
「今です! その『ノイズ』を核に叩き込みなさい!」
「おおおおッ!!」
アレクが駆け出す。
炎でも氷でもない、赤黒く濁った魔力の奔流を纏って。
怪物が迎撃しようと腕を振るうが、アレクの周囲に渦巻く乱気流がそれを弾き飛ばす。
「くらいやがれぇぇッ!」
一閃。
アレクの剣が、怪物の胸部にあるコア(古びた大釜)を叩き割った。
ギャァァァァァン!
金属が擦れるような断末魔。
次の瞬間、怪物の体が内側から崩れ落ちた。
アレクが流し込んだ「制御されていない魔力」が、怪物の内部バランスを撹乱し、結合を解いたのだ。
ドガラガッシャン!
巨人はただのゴミの山へと戻った。
砂煙が舞う中、アレクが剣を振って残心を解く。
静寂。
誰も言葉を発せない。
宮廷魔導師たちが束になっても倒せなかった怪物を、たった一人の「落ちこぼれ騎士」が一撃で沈めたのだから。
私はパチパチと拍手をした。
「素晴らしい。計算通りの『相殺』です。解体費用も浮きましたね」
私は呆然としている殿下に向き直った。
「ご覧になりましたか、殿下。これが『失敗魔法』の使い道です。綺麗な魔法だけが、世界を救うわけではありません」
殿下は、ゴミの山と私を交互に見つめていた。
その瞳には、混乱と、そして初めて見る種類の光――疑念が宿っていた。
「……なぜだ」
殿下がポツリと漏らす。
「なぜ、余の宮廷魔導師にできず……追放された貴様にできた?」
「彼らは教科書通りのことしか教わっていないからです。想定外のトラブルに対処するには、教科書を破り捨てる勇気が必要なんですよ」
私はカーテシーをして、踵を返した。
「片付けはお願いしますね。これらは元々、学院から出たゴミのようですから」
私はあえて、その事実を告げた。
殿下が本当に国を思うなら、この意味を調べるはずだ。
アレクが戻ってくる。
少し照れくさそうだ。
「……派手にやりすぎたか?」
「いいえ。最高のデモンストレーションでした。これで依頼が増えますよ」
私は彼の腕を引いて歩き出す。
背後で、エドワード殿下が何かを叫ぼうとして、言葉を飲み込む気配がした。
私たちに向けられる視線が変わっていくのを感じる。
それはもう、嘲笑ではなかった。




