第1話 バグだらけの断罪劇
「クロエ・フォン・ベルシュタイン! 貴様との婚約を、この場をもって破棄する!」
王立ライオネル魔導学院、卒業記念パーティー。
シャンデリアの輝きを切り裂くような大声が、ホールに響き渡った。
声の主は、壇上に立つ金髪の青年。
私の婚約者であり、このレインワード王国の王太子、エドワード殿下だ。
周囲のざわめきが波のように広がる。
令嬢たちの扇子が一斉に開き、私への視線を遮るように動いた。
私は手元のグラスを、近くの給仕のトレイにそっと置く。
水滴がドレスに落ちないよう、慎重に。
(……予測通りね)
驚きはない。
私の脳内では、すでにこの事態の発生確率は九八・七パーセントと算出されていた。
殿下の眉間のシワの角度、声の周波数、そして隣に侍らせている男爵令嬢との距離感。
先月から収集していたデータが、この結末を指し示していたからだ。
私はドレスの裾をつまみ、優雅にカーテシーを行う。
「承知いたしました、殿下。その理由をお伺いしても?」
形式上の確認だ。
ログを残すためには、エラーの原因を明確にする必要がある。
殿下は青い瞳を怒りに燃え上がらせ、私を指差した。
「理由だと? よくもぬけぬけと! 貴様が学院で繰り返した、数々のボヤ騒ぎを知らぬとは言わせないぞ!」
「ボヤ、ですか」
「そうだ! 先週も実験棟を半壊させたばかりではないか! あれが王族へのテロ行為でなくてなんだと言うのだ!」
私は首をかしげる。
認識に齟齬がある。重大なバグだ。
「殿下、訂正させていただきます。あれは『半壊』ではなく『構造強度の限界値テスト』です。指定された防壁魔法が、規定の圧力で崩壊することを確認しました」
「それを爆発と言うんだ!」
「いいえ、データ収集です」
私は懐から、分厚い羊皮紙の束を取り出した。
徹夜でまとめた『学院内防壁における魔力耐性の脆弱性と改善案』だ。
この日のために用意していた。
「こちらをご覧ください。私が起こしたとされる事故は、すべて再現性のある現象です。つまり、条件さえ整えば誰にでも起こりうる。これを未然に防ぐためのマニュアルも添付して――」
「黙れ!」
殿下の手が乱暴に振られ、私が差し出した書類が宙を舞った。
バサバサと音を立てて、床に散らばる。
『改善案』の文字が、誰かの革靴に踏みつけられた。
会場が静まり返る。
殿下は肩で息をしながら、軽蔑の眼差しを私に向けた。
「貴様のような、魔法を爆発させることしか能のない無能は、我が国の恥だ。これ以上、神聖な学院を汚すことは許さん。……出て行け」
冷たい宣告。
それは、私の貴族としての社会的な死刑宣告に等しい。
周囲からは、クスクスという嘲笑が漏れ聞こえる。
「失敗魔法のクロエ」「爆発令嬢」
そんなあだ名がささやかれているのが鼓膜を揺らす。
けれど。
私は床に散らばった書類を見つめ、一つだけ息を吐いた。
(……ああ、やっぱり)
受け入れられなかった。
この国の中枢は、まだ「失敗」を許容するフェーズにない。
安全管理よりも、表面的な成功と体面を重んじる。
それはつまり。
(もう、誰に遠慮することなく研究ができるということね?)
口元が緩むのを、必死にこらえる。
婚約破棄。
それは、未来の王妃という重苦しい枷からの解放だ。
「爆発させるな」「地味な服を着るな」「品位を守れ」という、非合理な命令に従わなくて済む。
私は顔を上げ、殿下をまっすぐに見つめ返した。
「謹んで、その命令に従います」
声が弾まないようにするのが大変だった。
「今までご迷惑をおかけしました。どうぞ、素晴らしい『成功』だけの王国をお築きください」
私は踵を返す。
背後で殿下が何か言っていたが、もうノイズでしかない。
散らばった書類はそのままにした。
理解できない人間にデータを渡しても、資源の無駄だからだ。
ホールの扉を開ける。
夜風が熱った頬を撫でる。
自由だ。
私は馬車止めに向かわず、そのまま校門を出て歩き出した。
実家の公爵家からも、今朝の時点で荷物を運び出してある。
父には「婚約破棄されたら縁を切る」と言われていたが、私からすれば好都合だった。
手切れ金代わりに、私名義の研究予算口座だけは確保してある。
向かう先は、王都の北区画。
貴族たちが眉をひそめて近寄らない場所。
旧市街、『魔導廃棄区』。
***
一時間ほど歩くと、街並みが変わった。
綺麗に舗装された石畳はひび割れ、街灯の明かりが紫色に明滅し始める。
空気が重い。
肌にピリピリとした刺激を感じる。
「うっ……」
すれ違った野良犬が、ふらふらと逃げていく。
普通の人間なら、この場にいるだけで頭痛と吐き気に襲われるレベルだろう。
ここには、過去の大戦や実験で排出された「魔導廃棄物」が不法投棄されている。
空気中には処理しきれない残留魔力――通称「魔毒」が充満していた。
けれど、私には違って見える。
「……素晴らしい濃度」
私は眼鏡の位置を直し、指先で空中のホコリをなぞるように動かした。
私には見えるのだ。
紫色の霧の中に、複雑に絡み合った数式と幾何学模様が。
あれは毒じゃない。
行き場を失ってエラーを起こしているだけの、純粋なエネルギーだ。
「成分は火属性の残滓が四割、風の循環不全が二割……。中和式を反転させれば、これ全部、暖房と照明のエネルギーに転用できるわね」
私は懐からチョークのような魔道具を取り出し、地面にサラサラと円を描いた。
前世の記憶にある「論理回路」を応用した、独自のフィルタリング結界。
『展開』
指を鳴らす。
淡い光が私の周囲に広がり、紫色の霧を押し出した。
半径五メートルだけ、空気が澄み渡る。
目の前には、古びたレンガ造りの二階建てアパート。
窓ガラスは割れ、ツタが絡まっている。
幽霊屋敷と呼ぶにふさわしい。
けれど、家賃は王都の相場の十分の一。
しかも、周囲に人はいないから、どれだけ爆発させても苦情が来ない。
「最高の物件だわ」
私は荷物袋から、あらかじめ用意していた木製の看板を取り出した。
釘を打つ音だけが、静寂な廃墟に響く。
打ち付けられた看板には、こう書かれている。
『クロエ魔導安全相談所』
――失敗魔法、買い取ります。
私は看板を満足げに眺め、埃っぽいドアノブに手をかけた。
「さて、始めましょうか。私の本当の研究を」
誰にも邪魔されない夜が、始まろうとしていた。
その時だ。
ドォォォォォン!!
遠くの路地裏から、腹に響くような爆発音が轟いた。
私の結界がビリビリと震えるほどの衝撃波。
「……おや?」
普通のボヤじゃない。
火薬の匂いもしない。
あれは――魔力回路のショートによる、純粋な熱膨張。
「珍しい波形……。あの爆発、燃焼効率が悪すぎるわ」
私はドアノブから手を離した。
思考するより先に、足が音のした方角へ向かっている。
引っ越し初日に、まさかこんな貴重なデータが落ちているなんて。
「やっぱり私、ついてる!」
私はドレスの裾をまくり上げ、紫色の霧が漂う闇夜へと駆け出した。




