俺の復讐は、法で裁けるか? 〜異世界からの帰還者が魔法で人を殺した場合〜
法廷の静寂は、いつもながらの重苦しさを伴っていたが、この日ばかりは異質だった。
被告人席に座るのは、和人、三十歳。一見すれば、ごく普通の青年だが、彼の経歴は普通ではありえなかった。
彼は三年前に失踪し、二年後に突然、自宅の玄関に現れたという。その間の空白を、彼は異世界で過ごしていたと語った。
検察官が第一声を発する。
「被告人、和人。あなたは、一年前、東京都世田谷区で発生した、佐藤一也氏の殺人事件、および田中誠氏の重傷事件、さらには複数の暴行事件について、否認するわけですね?」
和人は静かに答えた。
「否認する。私は罪を犯していない。私をいじめていた者たちへの、正当な復讐を行っただけだ。あの時、誰ひとりとして私を守ってはくれなかった。その裁きを行っただけだ」
検察官は嘲笑を隠そうともしなかった。
「正当な復讐に裁き、ですか。しかし、あなたが行った行為は、日本の刑法に照らし合わせれば、れっきとした犯罪です。あなたは、異世界で習得したと称する魔法を使い、佐藤氏を爆死させ、田中氏を脳に異常をきたす重体に陥れた。これは、常識では考えられないことですが、あなたはこれらの行為を認めましたね?」
和人はさらに静かに答える。
「爆発させたのは、彼らが私に対して過去に行った暴力と嫌がらせ、罵詈雑言に対する、精神的苦痛への報復。私が使ったのは魔法。異世界で習得した、この世界にはない魔法。でも、日本の法律で、魔法を使うことは犯罪とされていない。」
弁護人は立ち上がり、検察官に向かって強く語り始めた。
「検察官、あなたの主張には、重大な瑕疵があります。我々は、被告人が行ったとされる行為と、被害者たちの死の間の因果関係が立証できないという点で、徹底的に争います。物証もなければ、証言も曖昧。そもそも本当に被告人の犯行なのでしょうか?」
弁護人は、さらに畳みかけるように続けた。
「加えて、我々は、被告人の精神状態に焦点を当てた弁護も行います。長年にわたる過酷なイジメ、そして三年間の失踪という極度のストレスが、彼の精神に大きな影響を与えた。その結果、彼は『魔法で復讐した』という妄想を抱くようになった。被害者がたまたま亡くなったことを知り、それを自分がやったと思い込んでいるに過ぎない。つまり、被告人の自白は妄想ですし、仮に何らかの罪に問われる行為を行っていたとしても、心神喪失による無罪を主張します」
その言葉に、検察官は嘲笑を浮かべる。
検察は、次の証人を呼び出した。被害者の一人、田中誠の友人だった。彼は顔に恐怖を滲ませながら語り始める。
「和人が突然、窓から現れたんです。そして、田中の座っていた椅子に手をかざした。すると、椅子の周りの空気がゆがんで……いや、空気が溶けた、と言うのが正しいでしょうか。田中は、悲鳴をあげて倒れました」
その時だった。
証人は突然、顔を蒼白にさせ、口から泡を吹き、全身を激しく痙攣させ始めた。
書記官が駆け寄るが、彼はそのまま事切れてしまった。法廷は騒然となり、裁判は休廷となった。
休廷中、弁護人は検察官ににじり寄った。
「検察官、まさかこれも被告人がやったなんて言いませんよね? 『魔法』で証人を殺したとでも言うつもりですか?」
検察官は、その問いに答えられなかった。
そして、判決の言い渡しの日が来た。
法廷は、異様な緊張感に包まれていた。裁判長は、判決文の読み上げを開始した。
「…よって、被告人、和人が行ったとされる一連の行為は、刑法第百九十九条に定める『殺人罪』に該当するものと認められる。その行為は、被害者の生命を奪い…」
その時だった。裁判長は、突然言葉を詰まらせた。彼の顔は、まるで血の気が引いたかのように真っ青になり、口から微かに泡を吹き、ガクリと体を震わせたかと思うと、そのまま崩れ落ちるように椅子から滑り落ちた。
法廷は再び地獄と化し、判決の言い渡しは中断された。
数日後、同じ法廷で再び判決の言い渡しが行われることになった。しかし、裁判長は変わっていた。
前任者の死に恐怖を覚えたのだろう、後任の裁判官は、その重責を担うことを拒否したのだという。
別の地方裁判所から急遽、ベテランの裁判官が呼ばれた。彼は毅然とした態度で法廷に臨んだ。
「…改めて、判決を言い渡す。被告人、和人。あなたは、その犯行を否認しているが…」
彼の言葉は、そこで途切れた。彼の顔に、前任者と同じ恐怖の表情が浮かび上がる。口から泡を吹き、痙攣を起こし、そして、同じように椅子から崩れ落ちた。
この異常事態は、日本の司法界を震撼させた。判決の読み上げ中に、裁判官が二人も死亡する。
後任の裁判官は、誰もがこの裁判から逃げ出した。判決を読み上げることが、死の宣告のように感じられたからだ。
そして、再び判決の言い渡しの日が来た。
法廷は、異様な緊張感に包まれていた。新たな裁判官は、前任者二人の死に怯えながらも、判決文を読み上げようとしていた。
しかし、彼の口から発せられる言葉は、すでに和人の有罪を前提としたものだった。
「…よって、被告人、和人が行ったとされる一連の行為は、刑法第百九十九条に定める『殺人罪』に該当するものと認められる。その行為は、被害者の生命を奪い…」
その瞬間、和人の体に、淡い光が灯った。彼の存在が、まるで蜃気楼のように揺らぐ。
裁判官は、その異様な光景に目を丸くするが、言葉は続かなかった。
和人の姿が、法廷から消えた。
場所は永田町の中心部にある、政府の重鎮が執務室として使う部屋。男は、裁判の報告を受けながら、高笑いをしていた。
「検察が無能なせいで、有罪にするまでの手間が面倒だった。だが、構わん。我々が、『危険人物』として収監する。彼の能力を、この国の未来のために役立てるのだ」
その時、男の背後の空間が歪んだ。そして、和人が、そこに立っていた。
男は、驚きに顔を硬直させる。
「お前みたいなやつがいるから、弱者が救われない」
和人はそう呟くと、男に向かって右手をかざした。男は悲鳴を上げることすらできず、彼の体はまるで燃え盛る蝋燭のように、溶けていった。
和人の瞳は再び虚ろな光を宿していた。彼はこの国の法と正義を嘲笑うかのように、再び、その姿を消した。
彼の居場所を知る者は、もう誰もいない。
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