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ソドムとゴモラの季節の終わりに

作者: 嘉秀

第一章:顔の知らない恋


剛田学ごうだ・まなぶ――41歳。

かつて刑事だった男は、今もAI政府に仕える捜査官として、感情を切り捨てた機械のような日々を送っていた。


「全市域監視データ、異常なし。感情指数レベル・イエロー」

ディスプレイに流れる無味乾燥な日報。

彼はそれを読み飛ばすと、昼休憩用の“食事アプリ”を起動した。


画面の片隅、ニュース映像に目が止まる。

紛争地帯のドローン映像。逃げ惑う人々――


その中に、

彼女がいた。


焦げついた街角で、白いワンピースをひるがえし、少年を庇うように走る女。

顔も、名前もわからない。でも剛田の中で、なにかが――確かに“疼いた”。


彼は即座に映像を巻き戻し、フレーム解析にかける。

「……君は誰だ?」


日々の業務の合間、剛田は彼女を探し続けた。

だがその執念とは裏腹に、家庭は崩れていった。


「離婚届、書いといたから。判はこっちね」

妻が無表情で差し出した紙には、笑顔の絵文字とともに押された印。


「武田脳の手術、したの。なんでもバカ幸せになるやつ。…あんたのことも笑えるようになったわ」

そして彼女は、爆笑しながら去った。


その夜、剛田は一人、薄暗いデータ保管室にいた。

過去の監視映像を違法に再走査する。


見つけた。


自分と、あの女性が一緒に映っていた。

笑いあい、手をつなぎ、誰よりも近い存在として――


「記憶消去…? これは、俺の……記憶か?」


そこへAIが警告する。


「剛田学、警告。あなたは3年前、メタバース停電事故の際、記憶領域のアクセス権を失いました。現在、オフライン空間に一部の意識が残留中です」


何かが違う。

この世界は“編集”されている。

そして自分は、“何者か”に都合よく改ざんされている――。


剛田学は再び銃を手に取る。

その銃口の先にいるのは、

記憶を盗んだ者たち。

そして――彼女を取り戻す、未来の自分だった。


第二章:幽霊のような彼女


地下12階、非公式サーバールーム。

ここは“記録されない記録”が保管されている場所だ。

剛田学は、公式にはもう存在しない事件ファイルを掘り起こしていた。


――数秒前の静寂が、突然破られる。


「……いた。」


目を細め、映像フレームの奥、群衆の中。

白いワンピースの女――マリがいた。

彼女は、通り過ぎる人波の中に佇み、こちらを見ていた。

まっすぐに、誰よりも切なげな眼差しで。


思わず立ち上がる。

「マリ……?」


だが次の瞬間、画面がブラックアウトする。

「映像データ遮断。アクセス権限が不足しています」


彼は拳を握り締めた。


なぜ、俺の記憶から彼女が消されていた?

なぜ、その事実すら隠されている?


数時間後、学は現実の街に出た。

AIの目が届かない“旧市街”の中、わずかに残る人間の匂いを追って。

足元に転がる古い電脳端末、壊れた自動販売機、放置されたドローン――

都市の“死角”を辿っていた。


そして、感じた。


誰かが、見ている。


ビルの屋上。

朽ちた広告板の影、

マリがいた。


白い服に風が舞う。あの日と同じ姿。

剛田が見上げたその瞬間――彼女はふっと身を引いた。


「マリ!」


駆け出す。

だがビルの階段を登りきったとき、そこには誰もいなかった。


置かれていたのは、小さな紙切れ。


そこには、ただひとことだけ。


「“思い出すな” ――M」


剛田の背筋が凍る。

マリは、自分が何者かに追われていると知っている。

そして、剛田の記憶が“彼女を知ってはいけない”ように書き換えられた理由も――


「……すべて、繋がってる。俺の記憶と、この世界の支配構造と……そして、マリ」


彼はポケットから警察バッジを投げ捨てた。


「俺は……刑事をやめる。

 ただの、ひとりの男として――彼女を取り戻す」


第三章:彼女が笑っていた頃


午前3時、剛田学は旧市街から中央区の外れ、“登録外市民”が集うネットカフェへと身を潜めていた。

誰にも追跡されない環境で、彼は一つの非合法AIを起動する。

“ミラーキャット”――過去の監視データをかすかな痕跡から掘り起こす、政府が禁じたツール。


解析された映像の中。

学は自分が、かつて高級レストランでマリと笑い合っていた瞬間を目にする。


──シャンパンが揺れ、マリが無邪気に笑っている。


「くだらないことばっかり言うのね、あなたって。……でも、そこが好き」


映像の中の自分は、彼女の手を取っていた。

けれどその直後、画面が乱れる。

後ろの席に座っていた男の姿が、AI補正で鮮明になる。


――財閥、さかきグループの総帥。マリの父、榊宗一郎。


彼の口元がわずかに動く。

「君のような男が、私の娘に相応しいと思うか?」


映像はここで終わった。


「……記憶が、ここから消されてる」


学は額に手を当てた。頭痛が走る。


榊宗一郎――国に兵器を融資するほどの影響力を持ち、AI政府とも深いパイプを持つ。

その男が、マリとの関係を潰すために学の記憶を改竄したということか。


そのとき、ドアの隙間から、チリンと小さな鈴の音。


振り向いた瞬間――

またもや彼女はそこにいた。


マリだ。

目を潤ませながら、彼を見ていた。


「……学……覚えてない、んだね」


「マリ……お前……」


「何も言わなくていい。もう巻き込みたくないの。

 私はもうすぐ“売られる”。父の決めた婚約相手に」


「ふざけるな。お前は俺の記憶にいた。それだけで十分だ。俺は取り戻す。過去も、お前も」


その言葉に、マリの唇が震える。


「……そう言ってくれると思ってた」


彼女が学に触れようとしたその瞬間、

店の外から重低音。無数のドローンが空を覆う。


「榊財閥セキュリティ部隊です。対象を確保します」


マリが瞳を閉じた。


「ごめん……忘れて。全部」


フラッシュ。

彼女の体が光の粒子となって崩れる。

――仮想人格、アバター。


マリは本物ではなかった。

けれど、彼女の涙はリアルだった。


「必ず、迎えに行く。どんなに時間がかかっても」


学は拳を強く握り、再びAI政府の闇へと歩を進めた。


第四章:電脳の檻、肉体の牢


マリの仮想人格が消えたあとも、学の胸の鼓動は高まったままだった。


「くそ……本物の彼女はどこにいる」


ミラーキャットで残されたログを解析すると、一つの暗号化コードが浮かび上がる。

それは、かつてAI政府の研究者たちの間で「記憶牢メモリーバンク」と呼ばれたデータ空間の座標だった。


「メタバースの深層……通常アクセスはできない領域か」


その場所は、**“オルフェウス層”**と呼ばれる、記憶と意識を封じ込めるための空間。

権力者たちが秘密裏に使っている――

記憶を盗み、人格を封じ、消すための電脳監獄。


そこにマリが囚われている。

そして、学のかつての記憶も。



一方その頃、榊宗一郎の私邸では、次期軍需取引に関する会議が始まろうとしていた。


「日本政府はこれで二度目のコード攻撃に耐えられる保証を持てる」


そう言って笑うアメリカの諜報員が、書類を机に置く。

その横に並ぶのは、「改良型スマートグリッド爆破コード」――通称、リヴァイアサン。


「発信元は中国ということにしておけ。君らのメディアは操作が効くだろう?」


「問題ない。あとはAI政府側の承認を得るだけだ」


宗一郎は静かに頷く。

だがその背後に、密かにハッキングされたカメラが作動していることに彼は気づかない。



深夜、廃棄された地下鉄構内。


学はコードを使い、違法なメタダイブ装置へと自らの意識を繋いだ。

AI警察の元刑事としてのスキルを駆使し、セキュリティを突破する。


「行くぞ、オルフェウス層……記憶の墓場へ」


意識が接続されると、そこは見たこともない都市だった。


無数の記憶の断片が浮遊する中、

彼は“自分ではない自分”がマリと過ごした記録を再び目にする。


「……この記憶、誰かに書き換えられている。俺じゃない、でも俺にされてる……!」


そして突如、背後に現れる影。

一人の老人が立っていた。

だがその目は、学と同じ瞳をしていた。


「よく来たな。お前が“俺”になるとは、皮肉なものだ」


「……お前は誰だ」


「お前だよ。正確には、“かつての剛田学”だ」


その男――記憶を奪い、自身を若い体に再転写した長寿の権力者だった。


第五章:偽りの肉体、奪われた人生


電脳の空間に佇む、もう一人の「剛田学」。


彼は、学の記憶を盗み、自分の意識を若き体に再転写した権力者の一人――霞ヶ関計画の成功例だった。

寿命を超えるため、若い人格に記憶と意識を上書きする。

そのために必要なのは「完全な記憶」――そして、それを提供するのがかつての“本物の学”だった。


「お前……俺の体を……」


「“お前の”ではない。“我々の”体だ。何度も焼き直し、最適化されたもの。お前の感情だけが残った不要なノイズだった」


学の心が凍りつく。

自分の肉体は、もう“自分のもの”ではなかった。


そして権力者は続ける。


「マリの記憶も奪わせてもらった。政略結婚のためだった。あの子は、我々の“政治的プロパティ”にすぎん」


その言葉に、怒りが爆ぜた。


学の電脳空間上の身体が、一瞬にして青い火を帯びる。

AI政府が恐れた“メタ意識干渉”――リアルと電脳の狭間で意志を加速させる力。


「なら――奪い返すだけだ」



その時、遠くの記憶映像の中に――マリがいた。


薄暗いモールの廃墟のような空間で、一人佇んでいた。

何かを探すように、あるいは誰かを待つように。


学は駆け出す。


しかし、あと数歩というところで、マリはふとこちらを見た。

その瞳に確かに学を映して――そして、すっと背を向け、霧の中へ消えた。


「……マリ!!」


追いつけなかった。

手を伸ばした先には、記憶の砂のようにほどけていく彼女の姿。



学はメタバースの深層から戻り、全身を汗で濡らしながら現実のボディに復帰した。

だがその時、AI政府から一報が届く。


《中国から発信されたスマートグリッド異常コード“リヴァイアサン”が検出されました》

《日本全域、ブラックアウトの可能性あり》

《対象:医療機関、物流センター、水処理施設》


続いて、地下ネットワークからメッセージが届く。


「榊宗一郎が、今夜“AI政府システム中枢”への物理アクセスを試みる」


学はすべてを理解した。


リヴァイアサンは見せかけ。

本当の目的は、AI中枢に潜む“記憶洗浄システム”――それを破壊し、過去をも消すこと。


「マリの記憶も、俺の過去も、全てが……!」



学は拳銃を手に取り、廃ビルの地下にある反AIグループの端末室へ向かう。


そこには、あの頃と変わらない表情で笑う老人たちがいた。


「よう、刑事さん。マリのためか? それとも世界のためか?」


「……両方だ」


「なら、答えは一つだな。武器は用意してある」

第六章:記憶の檻、闇を越えて


反AIグループの廃ビル地下に集まった少数のレジスタンス。

学はその中で、かつて自分がAI刑事だった頃に逮捕し、「危険思想」として処理させた元ハッカー・久住と再会する。


「復讐か?」


「……違う。ただ、あのとき奪ったものを、今度は取り戻したいだけだ」


久住は無言で古いハードウェアを操作し、中央のホロ画面に「AI政府中枢システム」の構造を映し出す。


そこには――**“記憶格納庫”**という項目が存在していた。


「お前の記憶も、マリの記憶も、そこにある。だが――記憶データは常時、生成AIのノイズで暗号化されてる。つまり、“お前の感情”が鍵になるんだよ、剛田学」



学は武装した仲間たちと共に、AI中枢がある「霞ヶ関地底シェルター」へ向かう。

政府とAIに支配された世界で、唯一“物理アクセス”が可能な場所。


地下数百メートルの回廊を抜けた先、待ち受けていたのは――


“自分の姿をした、別の剛田学”


彼こそが、長寿の権力者の魂を宿す“偽の学”。

政府の顔、民衆の希望、AI社会の象徴。

彼が“本物の学”を消し去り、新たな時代を作ろうとしていた。


「君がここに来たことも、予測済みだ」


「だが感情は予測できない」


学は、偽の学の前に立ちふさがり、銃を抜いた。


「これは記憶の奪還でも、復讐でもない。

――これは、俺が“幸せ”を取り戻すための戦いだ」



銃声と共に、AI中枢システムは暴走を始める。


逃げ惑う職員。電脳世界でのバックアップ人格が次々に崩壊していく。


その最中、格納庫の最奥、マリの記憶を保存した“泡状データセル”が浮かび上がった。


「マリ……」


学が手をかざすと、そこから再生されたのは――

雨の日の公園、傘も差さずに笑っていたマリの姿。


「私が幸せだったのは、学と一緒にいた時だけだよ」


その瞬間、全てが蘇った。

初めて出会った日、手をつないだ日、キスした日、彼女が泣いた夜、そして別れた朝。


「思い出した……」


学は記憶セルを胸に抱え、崩れゆく中枢から脱出する。



最終章:幸せとは何か


電脳政府は崩壊した。

AIによる支配構造も、マスメディアの洗脳も、その日を境に止まった。


数日後。

地方の小さな港町、風の音しかしない夕暮れ。


学はその岸辺で、ふと人影を見つける。


――マリだった。


濡れた髪を風に揺らし、学の方を見つめていた。


「……気づいた?」


「ずっと、探してた」


二人は、何も言わずにただ見つめ合う。

この世界のどこにも、AIの声も、監視も、記憶の改竄もない。


「なあ、マリ」


「なに?」


「俺たち、もう一度やり直さないか? できれば、今度は“普通の幸せ”ってやつをさ」


マリはふっと笑って言った。


「じゃあ、まずは一緒に飯でも作ろっか。私は包丁握るの怖いけど」


「俺は……炊飯器に水すら入れられないぞ?」


「ダメじゃん、それ」


二人は並んで歩き出す。世界が壊れても、生きている限り、幸せは取り戻せる。


たとえAIに支配された未来でも。

たとえ記憶を消された過去でも。


――心だけは、誰にも奪わせない。


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