愛称と先輩
逃げ遅れた私の為に堂上が大怪我をした。
それなのに堂上は私をさらに守ろうなんてするから、私の方が切れてしまった。
切れてよかった。
冷静だったら虫なんか鷲掴みできないし。
そして堂上は私に対して、借りばかり、という気持ちなのか、私を抱き締めながら校舎のエントランスまで駆け抜けてくれたのである。
大怪我なのに元気すぎるのはなぜか。
私の使った呪で体を抉っていた虫は消え、堂上の親族のパワーが彼の中に流れて体力回復したらしいからである。
能渡井家に伝わる呪法の結果としてそうなるとは聞いているし何度も使っている術だけれど、私が実際にその呪法の恩恵を受ける妖精の立場ではないので、現在の堂上の怪我の状態にただただ心配だ。
交通事故に遭った鹿が平気で動き回っていたくせに、数時間後に突然思い出したみたいに昏倒して死んでしまうみたいなことになったら怖い。
「堂上さん、降ろしてください」
「黙って」
「だって、どうがみ――」
「アダムと」
宗近は二年のハーニバルをハーさんなんて呼んでいるし、なんてフランクな学校なんだ、ここは。
そして今はこんなことを言い合っている場面じゃ無く無いですか?
「堂上は二年と一年で五人もいるんだ」
「三年は一人だけなら堂上でいいじゃ無いですか」
「騎士だったらアダムの方がそれっぽいでしょ」
「失言でした。勘弁してください。アダム先輩」
「――先輩が付くの?」
「僕は一年ですからって、わあ!」
落とされかけた。
意外と堂上は酷い先輩かもしれない。
「な~にを舳宇は甘えちゃってんの?足ひねった?」
宗近が私に向けて両手を差し出していることで、私が堂上にしがみ付いていた事に気が付いた。
「甘えてじゃない!落ちそうだったから」
「落とさないから安心して」
「いや、ひゃっ」
抱き直してくるとは!
堂上はニヤニヤしていて、彼は私を揶揄っているのだとはわかるけれど、ここはもう校舎のエントランス内じゃないの!!
下駄箱の見えるどこにでもある学校の昇降口にいる事に私はホッとしているが、現在の状態にホッとできるどころではない。
「兵庫。俺達は医務室に行く。冬弦を頼んでいいか?」
「俺が舳宇をって、アダモっちゃんこそ大怪我ですか」
「――その呼び方、殺されたいか?」
「ええ!舳宇には名前呼びでいいって言っておいて!酷く無いですか?」
「宗近。アダモっちゃんは、誰でもムカつくと思う。君だってムーちゃん呼びは嫌じゃない?」
「俺は構わないよ。舳宇のママにはムーちゃんって呼ばれてるし、パパには宗君って呼ばれてる。愛称っていいよね」
「うちの両親シメなきゃな。なんで息子と娘が愛称無しなんだよ。トモ君もミーちゃんもないぞ、あの夫婦」
「だろ?愛称良いだろ?というわけで、アダモっちゃん先輩?」
「堂上と呼べ。くそ、能渡井も堂上だ。いいな」
宗近はにやっと笑った。
彼は単に堂上をやり込めたかっただけらしい。
「僕を助けに来てくれたのは堂上先輩だけだった。僕の命の恩人である堂上先輩にコナかけんなよ」
「俺は動きたくとも動けなかったの。やばいよ、狛犬先輩。虫対処用の結界という名のトラップだった。それを仕掛ける手伝いをさせられてたの。逃げ込んだ先がセーフティである方が舳宇の安全に繋がるだろ?」
「だね。ありがとう。宗近。それで、せんぱいって、あら」
堂上は勝手に動き出していた。
私を抱いたままで。
「先輩?俺のツレ、どこに連れてくの?」
「医務室だ。最初から言っているだろ?」
物凄くぶっきらぼうな声を出した堂上は、もう誰にも止められないという風にずんずんと廊下を歩く。
私は何かあれば宗近が助けてくれる気もするし、堂上の怪我の状態も知りたいからと、堂上の好きにさせる事にした。
彼が怪我しているのは事実だし、本当に、怪我の具合を知りたいのだ。
病院に行かねばならないぐらいの傷だったらどうしよう。
それよりも、突然死しちゃう鹿だったら、どうしよう。
がちゃり。
「え?」
保健室のドアに鍵をかけた?
頭にクエッションマークだけとなった私は、実は何も考えたくなくなっていたのかもしれない。
信じた人に裏切られる。
今はそれを体験中らしいのだ。
堂上は保険室内を迷いなく突っ切り、ベッドへと私を運んでいる。
ええと?
「って、うわあ!」
ベッドに私は放り込まれた。
驚いたが急いで逃げねばと身を起こす。
シャッ。
シャッ?
ベッド周りのカーテンはしっかりと閉め切られ、私はベッドに一人きり?
「え?」
「俺が手当をしている間そこから動くな」
え?