君に出会えて良かった
私を押し倒したりしたハーニバルの目的は、迷い家の我が家に行く事でも、彼を仲間外れにした冬弦達に復讐する事でもなく、私とキスする事だった。
「ファーストキスだから駄目なんだ。魔法が発動する。ではどうするか?初めてでも何でもなくしてしまえば、やりたい放題だ。良い案だろ?」
「ぜんぜん」
ハーニバルはにやっと笑い、私を押さえつける手を外し、私に覆いかぶさるその身も引いた。ハーニバルという拘束が消えた私は、ゆっくりと上半身を起こす。
パシッ。
ハーニバルの顔目掛け、私は拳を繰り出したのだ。
もちろん、私の拳が当たるどころか、ハーニバルの手の平に包まれるように掴まれる。ハーニバルは私の拳を砕いてやるぞという風に指先に力を込めたが、誰が痛がってやるものか。
「ふふふ」
「ふふふ。君の鈍い拳が僕に当たると思ってるのかな?」
「思ってないけど、虫けらにだって意地があんだよ。私のファーストキスは私のものだ。誰にやるかは私が決める」
「そのエゴの為にアダムは人間にされるのか」
「一生誰ともしない。そんな選択だって私にはあるの。知ってた?」
「知ってたから僕は行動したんだよ。自己陶酔ばかりの誰も幸せにならない選択だ。たかだかキス一つ。そんなのは好きでもない相手と好奇心だけでいくらでもできるものだ。守ることでマーリンの呪いをさらに強化してるってわかってる?」
「だけど、私は好きな人じゃないと嫌なの」
「だけど、それじゃあ手に入るはずのものを失っちゃうよ」
「そうだな。だがそれはお前には関係ないだろ?」
ハーニバルは私から手を外し、すくと立ち上がる。
彼が睨むように見つめる相手は、足音を立てながら私の真後ろに向かってくる。
「アダム。あなたも聞いたのね」
「ああ。舳宇がフェアじゃないからと教えてくれた。混乱した君が家から逃げちゃったこともね。つかみどころ無い君こそ妖精だな」
アダムは私は後ろから抱くと、そのまま私を持ち上げて私を地面に立たせる。
ハーニバルには狸扱いされ、アダムには犬か猫みたいに抱き上げられてしまったが、アダムにはムカつき一つ起こらないのはなぜだろう。
ムカつくどころか抱き上げられて嬉しいくらいだ。
「アダム。君はそれで選択したのか。君の生い立ちを知れば納得だが、そんなものに影響されての選択については考えるべきだと思うよ」
「ハーニバル。俺は愛して愛されて、そんな相手と一緒に年を取って一緒に死んじまいたいって思ってるいるんだ」
「アダム?あなたは妖精じゃ無くなってもいいの?」
「君は嫌か?確かにな。俺は海宇の全部を手に入れられるが、海宇が手に入れる俺は半分ぐらいの俺かもしれないんだよな」
アダムはしみじみという風に語り、私にその長く太い腕を回して抱き寄せる。
背中に当たる硬いアダムの胸。
エンキアメルが司る大地の生命そのものの、力強いアダムの鼓動が私の背中を通して感じられる。
この力を捨ててしまっていいの?
「海宇、聞いてる?」
私を抱き締めている相手を見上げれば、彼はなんだか難しい顔をしている。
やっぱりアダムも悩んでいるんだ。
「ちゃんと聞いてる」
「――聞いてて、何も無い?」
「え?何か私が言わなきゃいけないことあった?」
「いや。俺が人間になったら今の俺とは違う俺しか君に与えられないって話なんだけど。君からそれについて、いいとか、悪いとか、俺に何か言う事は無いのかなってね」
「人間になったら変わっちゃうの?見かけも?シックスパックが無くなったりしちゃうの?あ、そうか。外見が変わっちゃうことを心配してた?き、鍛えたら元通りとか、なんないもの?」
ぽすっと頭が叩かれた。
叩いたのはアダムではなく、ハーニバルの方である。
「人間になるって、能力が一切なくなるってことだ。何もできない単なる哺乳類になっちゃうってことなんだよ」
「でも、妖精王国になってる今でも、水道もガスも電気もあるし。あ、そか。アダムは家を追い出されるって事?でも、新婚家庭に親が入るのは嫌だし。あ、お金の問題?アダムは家のお金が使えなくなっちゃったら、困る?貧乏は嫌?」
ぽす。
ハーニバルにまた叩かれたが、彼が私の頭から手を引く瞬間、私の頭を撫でなかったか?
「アダム。君におめでとうと言うべきかな。僕こそ先走っちゃって悪いね」
「いいよ。君のお陰で俺は確かに、おめでとう、だ」
「お目出度い男の間違いだろ。それはまだ何も知らない子供だからの返答だぞ。子供に欲情するすけべえめ。ただし、人間になるのはトーゲンを王様にしてからにしてくれないか?」
「いいよ。だけど君は良いのかな?他国の勢力の片一方に肩入れするのは問題があるのでは無いのか?」
「肩入れ?トーゲンの兄弟は個性豊かだから遊び友達に良いかなってだけなのに?虫のせいか脆くて長く遊べないのが悲しいけれど、僕にはそれだけだよ?」
ハーニバルは私が彼に本気で脅えたのがわかったのだろうか。
今度は微妙どころか、わしわしと犬にするみたいに私の頭を撫でた。
「僕は退屈が嫌いなだけなんだ。時々仲間に入れてあげるから、いい子にしてるんだよ。まかり間違っても、トーゲンの戦力を削ぐなんてことはしないように」
「な、仲間に入れてくれなくてもいいし!」
「海宇は俺だけいればいいんだもんな」
アダムは私をさらに持ち上げ、私の頭に頬ずりをする。
私こそ彼を感じたくて顔の向きを変えた。
私の頬にアダムの頬が当たる。
アダムが流していた雫のせいで、彼の頬は少し冷たかった。
「アダム?」
「金も妖精の力もいらない。俺だけを求めてくれる子に出会えて、そして、その子と同じ時間を歩ける未来が開けたんだ。俺は幸せいっぱいだ」
「アダム。私もしあわ――」
「キスも出来ないのに?トーゲンを王様にするまで何年かかるかな?最後までできなくとも色々出来る未来はいずこ?ってやつだぞ。これからすごーい修行僧なアダムさんを拝めるんですね。あ、もしかして、海宇以外でやっちゃえばいいってお考えでした?」
「レイ、いい加減にしろよ。お前が言った冬弦のごたごたが終わるまでぐらい、俺も海宇も待てるからいいんだよ。大体、そいつをさっさと終わらせりゃ先に進めるって話だろ。終れば色々出来るんだから。浮気なんかするかよ。ははは、明日から積極的に潰してやらあ」
ハーニバルは、おわかりいただけましたでしょうか?という笑顔を私に向けた。
わかりましたよ、アダムさんが血気盛んすぎる方でいらっしゃるのは。
私はアダムの抱擁から抜け出すと、ハーニバルに頭を下げた。
「本日は遊びに来て下さりありがとうございます。家までご案内します」
「君は調教しがいがあって好きだな」
「え、海宇?どうして?」
私はようやく恋愛に目覚めたばかりの人間だ。
キスの先の生々しい行為をしっかり期待している人にはちょっと引く。
ちょっと怖い、それだけだ。
そう、ちょっとアダムが怖くなっただけだから、私はアダムの手を握った。
「海宇?」
「一緒に歩こ。だけど、足が遅い私に合わせてくれると嬉しい」
「望むところですよ。愛する人」
アダムは私の手を握り返し、私に最高の笑顔を向ける。
私も出来る限りの笑顔を返した。
簡単だ。
だって、とっても嬉しい気持ちなのだから。
アダムは私の為になら何でも捨ててもいいって考えていて、そして、そんな彼が望むのが私と同じ時間を歩むという未来なのだ。
私の恋人は最高の人だ。




