せっかくの二人きりなのだから
フードコートを飛び出した私達が一息付けた場所は、ベンチもあってひと休みも出来るが人気の全くない階段の踊り場であった。
階層ごとに踊り場の左右どちらかの端にトイレが設置されているのであるが、普通にどのフロアにも客用トイレがある。
だからか少々薄暗い階段にあるトイレにわざわざ訪れる客はいないようで、そのため、私とアダムしかいない、という状況となっている。
私はこの状況に、アダムに相談するなら今しかない、と自分を奮い立たせた。
奮い立たせなきゃだよ。
契約解除は、キスすること、なんだもの。
「あの!!」
「君の趣味ってどんな?」
私達は同時に気になっていることを言ってしまったようである。
私は、あの、しか言えなかったけど。
でも、キスよ。
段階踏まなきゃ言えるわけ無いでしょ。
「忘れて。今のなしでいいから」
「え?」
アダムは私からひょいと顔を背けた。
彼の耳も頬骨の辺りも真っ赤である。
「何をそんなに恥ずかしが……あ!!」
私は気が付いたも
アダムが放った言葉の意味は、私が彼を殴った時の言葉のお返しだった。
「えと、私は普段から女の子の格好をしないからであって、あの可愛い舳宇は私を全否定しているような、別の存在であって……」
全く意味を成さない言い訳とは、私は一体どこの政治家だ?
しかし、くぐもった笑い声が頭上から聞こえた。
口元に手を当てて笑うアダムは、……私を温かい目で見ている?
まるで幼児の失態に目を細める大人みたいな?
アダムの柔らかな視線に気持ちを宥められるどころか、私はカチンときた。
だからか、私の口は私の負けず嫌いの感情のまま、余計な事を口走ってた。
「私を女の子にしてみませんか?」
あ、咽た。
ハーニバルや宗近にアダムが遊び人だって言われていたけれど、アダムは真面目で素敵な男性なのだから、モテているだけで遊んではいない人なんじゃない?
女性服を私に選んで欲しいという私の提案に、アダムはこんなにも動揺しているのだ。
両手で顔を覆ってしまっている大男を見つめていると、彼はあからさまにがっかりしたような声でしゃべり始めた。
「わかっているけど、君は分かってないよね。君の言葉の意味」
「わかってますよ。私に似合う服を選んで、私を女の子にして、して……あ」
前半部分を省いて後半しか言っていないのであれば、意味は、意味は!!
私はいたたまれない気持ちのまま、アダムの背中を叩いていた。
「わ、忘れて、いま、今の無し」
「そう?俺はいつでもオッケーだけどな」
遊び人だ。
やっぱり遊び人だった。
大きな体を屈ませて私の顔を覗き込んでいるアダムに、私は動揺させられるどころじゃない。
ニヤニヤしてるアダムは、なんと悪党顔であることか。
まず、まず、この近すぎる顔を遠ざけなきゃ。
私はアダムの顔を両手で挟み、気が付いた。
「ああそうだった!髪の毛がびしゃびしゃだった。どうしてあなたは髪の毛を乾かして来なかったの?」
「は、はは。ガミガミ母さん再びだな」
アダムはTシャツを脱いだ。
そして脱いだばかりのTシャツで頭を拭き始めた。
日焼けした健康そうな肌は光り輝き、彼の鍛えられた肉体を際立たせてる。
私の為に怪我をしたあの日の傷は、彼の体のどこにもない。
「君は本当に筋肉が好きだな」
「し、シックスパック。生で初めて見たから驚いたの」
「触ってみる?」
私はかなり卑しい眼つきをしたかもしれない。
アダムは吹き出しただけでなく、私の右手首を掴み、なんと自分の鳩尾あたりに私の手を押しつけたのだ。
弾力があってさらっとした滑らかな肌。
だけどそこは鳩尾だ。
「誤解で殴ってすいませんでした」
お詫びもかねて撫でた。
アダムは変な声を上げて身をよじり、バランスを崩した。
「危ない」
私は手を伸ばして彼を自分へと引っ張り、落ちるよりはと踊り場の床に後ろから倒れ込んだ。
だが、私は床に体を打っていない。
すんでのところでアダムこそ私の体に左腕を回して受けとめ、右手を床について私の背中が床に触れることから守ったのである。
「あ、ありがとう」
「お姫様をお守りするのが騎士の役目です」
「もう!揶揄ってばっかりですね。ほら、立って」
「はいはい。君はあと二階分階段を上がれるかな?五階に懇意にしてる店があるからね。そこで着替えを調達する」
「行けますよ。充分体力あります」
「良かった」
アダムは私を抱えたまま立ち上がった。
体勢的に不可能な立ち上がり方だが、私は彼がエンキアメル神族だったことを忘れていた。
ふわっと宙に浮いた感覚の次には、私とアダムは普通に床に立っていたのだ。
「この技は内緒にね。レイに知られると面倒だ。あいつは君並みに負けず嫌いなんだよ」
アダムは抱いていた私を手放すと、その代わりのようにして私の目の前に左手を差し出した。
「行こう」
私は彼の手に自分の右手を乗せて、彼の大きな手を握る。
彼も私の手を握り返す。
手を繋ぎ合った私達は、そのまま前を向いて階段を上がり出す。
彼の手に自分の手が包まれた感触は安心感ばかりで、だからか私は彼に言うべきことを言わなければ、という気持ちに追い立てられた。
「アダム」
アダムは私に振り返った。
まるで太陽みたいな温かな微笑を彼は私に向けている。
どうして彼の笑顔がこんなに切なく感じるんだろうか。
それは、この笑顔が、私との契約ありきだと私が知っているからであろうか。
「海宇?」
「あなたに話さなければいけない話があるの」
「歩きながら話したいかな」
「二人きりになったあとで」
「ここも二人きりと言えるけれど、そうだね、吹き抜け状態は声が響く」
私はアダムの手をさらに握りしめた。
私はアダムの言った事は考えてもいなかった。
この二人の時間を壊しそうな打ち明け話が出来なかっただけである。




