能渡井家秘術を使いたくなる、それ
妖精の血を引く人間は足が速い。
冬弦の後姿は一瞬で厨房と食堂を区切るドアの前だ。
春桃は私よりも足が遅かったから、種族によるのだろうか。
「アダム!!」
冬弦は厨房のドアを大きく開け放った。
しかし、そこで時間が止まったようになった。
冬弦は外開きのドアを開けたそこで時間が止まったようになり、冬弦はそのままドアを開けたその位置のそこで私に後ろ姿を見せつけている。
どうして中に駆けこまない?
何が起きたの!!
冬弦こそトラップに嵌ってしまった?
そうだ、映画やドラマでは、ドアを開けた瞬間に胸を撃たれるってよくある話。
「冬弦さん!!」
私が冬弦のもとに辿り着いたそこで、冬弦はがくっと膝を落とした。
ぽたっと血の雫も床に落ちる。
やはり。
能渡井家相伝、異界流しは使えるか?
あれは上位妖精にしか使えない技であるが、チィアートにも有効だろうか。
学習能力があって会話ができるのならば、もしかしたら?
「ええい、ままよ!!」
冬弦が膝を付いた姿に慄きを抱きながらそれを起こした敵へと視界を動かし、敵の姿と被害者が目に入ったそこで、私はそのまま固まるしかなかった。
呪を始動するどころではない。
固まったポーズのまま視線を動かして冬弦を改めて見れば、冬弦の右手が押さえているのは彼の胸ではなく鼻であった。
「敵を倒せよ。何を鼻血出してるかな」
「それはアダムにこそ言ってやってくれないか?」
私は再び視界を敵と被害者に戻す。
アダムは金属扉の冷蔵庫を後ろに床に伏せており、銀色の金属扉には弾丸を穿たれたようなへこみが出来ていた。
それだけではない。
アダムを追い詰めているその敵は、虫の塊どころか女の後姿なのだ。
それも、全裸の後ろ姿である。
女の裸の後姿を見ただけで鼻血を出しての戦意喪失とは、冬弦は実は純情か。
いやいや、後ろ姿だけでも良くわかる、と私は訂正する。
細い腰の下にある尻は丸く、無駄な肉のない背中からはみ出て見える胸のふくらみはかなり大きいという、ネットをすれば必ずお目にかかるエロゲー広告のキャラの体つきであるのだ。
つまり、お年頃な青年の夢がそこにいる。
そこで、私は化け物への恐怖など消えた。
私にあるのは怒りばかりで、心の赴くままに怒鳴っていた。
「アダム!!女だったら何でもいいのか!!」
「誤解だ!!」
アダムの声を合図にしたようにして、女は私に振り返った。
振り返ったのではない。
首の骨など無い人形がするみたいに、頭だけを動かして顔を私達に向けたのだ。
その顔は、私の顔そのものだった。
「ふざっけんなよ!てめえ!!」
私は大きく柏手を打つ。
それから、この世界の大体の人が知っている印をこれ見よがしに両手で結び、右足で異界流しの呪であることを示す記号を描く。
描くのは、三の漢字に似ているが線の長さが全部同じ記号だ。
描き終わるや、足でそれをパンッと踏む。
三の漢字に似ている記号のそれは、後天八卦方位では北西である乾である。
乾が輝くや、私を囲むようにして足もとに八角形の輪がふわっと浮き出た。
私の向く方角が北西では無いが、まず序列一番のこの文字を現わす八卦の記号を描くことで八卦を用いた呪が始まるのだ。
この八角形は私がこれから唱える呪言によってグルグル回り、本当の方角の位置に収まったそこで全ての八卦の文字が浮き出て、魔物を束縛して艮、すなわちうしとらの方角に開いた門へと放り込むのである。
私は最初となる呪言の声をあげた。
じっさまが教えてくれたのだから正しいはず!!
「おん」
「舳宇黙れ!!それはするな!!アダム!!」
アダムは立ち上がり、金属扉に手をかけ、それを一気に開いた。
ゴオオオオオオ。
自動殺戮兵器だったものと、チィアートに呪をかけようとしていた私は、冷蔵庫の秘密を目の当たりにして完全に動きを止めた。
止めるしか無かった。
冬弦達が作り上げていた罠が発動しているのだ。
「兵庫は使えるな。属性が足りないならば現存する物質で補えば良いと彼は証明してくれたんだ。このように液体窒素を用いて、我らのエレメンタルでは使用不能な氷結魔法を作り上げてしまった。もちろん、この仕掛けはレイの風と私の雷があってこそのものだがね」
「すごいっすね」
確かにハーニバルも冬弦も凄い能力者だが、今の私は無害としか思っていなかった友人にこそ恐れを抱いてた。
宗近が提案したというトラップは、生きとし生けるもの全て凍らせて命を奪ってしまうだろう、そんな血も涙も無いものなのである。
化け物を退治する目的だろうがそんなものを平気で作り出してしまえるとは、さすがロキの子孫と褒めるべきか。
宗近の一面を知ったと私の背筋が凍るように、目の前の私の顔をした全裸の化け物はみるみる凍って行く。
そしてそれは逃げようと最期のあがきを試みたのか、アダムに向いていた胴体までも戸口の私達に向けようと大きく動いた。
パキン。
無機質な音が厨房に響いた。
それは自らの動きによって、己に止めを刺したのだ。
私に擬態したそれは、おもちゃ箱に入れっぱなしだった人形の末路のようにして、粉々に砕け散って息絶えたのである。




