ただいま停滞中
空はぶ厚い雨雲に覆われてどんよりとして、校庭に集められたエトマネキ男子高等学校の生徒、三百三十三人に暗い影を落としている。
多くの生徒は恐怖で身も心も震えているはずだ。
それでも季節的に温度が高いため、私の体はじわっと汗ばんでいる。
夏服はベージュ色のボタンダウンの半そでシャツに灰色のスラックスという組み合わせだが、シャツが無駄に厚い生地で良かったと私は思った。
汗でシャツが体に貼り付いても、これならば女の子の体を露わにする事は無い。
いいえ、私が女の子だとバレた方が私の生存確率が上がるんじゃない?
だってほら、私の周囲で鼻をすする音や唾を飲む音が聞こえる。
これは、校庭に集められた生徒全員が、この先の人生が消えたと嘆くしか無い状況だからであろう。
「聞こえたか。妖精王の息子、十三番目の王位継承権者にして王子トーゲンよ。誇りを持って我が手にかかるか、このままお前の仲間三百三十二名を道連れにこの世から蒸発してしまうか、好きな方を選べ!!」
再び頭上から非情なお達しが流れた。
二度目ともなると、必死だな、と少々冷めている自分がいた。
脅しで無いことは分かっているが、命令する彼らこそ動けなくなってしまったのも分かっているからだ。
「妖精って、変なとこで律義だよね?お返事があるまで動けませ~んって」
私に囁いて来たのは、兄の親友にして私をこんな状況に巻き込んだ戦犯の一人、兵庫宗近である。
宗近はお調子者の性格がよくわかる笑みを私に向けた。
宗近はこの国に多い、黒髪と黒目ではない。
運動部らしく短く刈った髪は明るい薄茶色で、そこに緑と金のメッシュも入っている。また殆ど黄色の瞳だが、印象的に緑色が散っているという煌びやかさだ。
しかし、彼の整った顔の彫りの深さは、アングロサクソン系のそれではない。
身長だって百七十五あるかどうかぐらいの中背だ。
彼の外見を形容するならば、人形のように繊細、あるいはダンサーのようにしなやかな、だろう。
宗近のこの外見は、妖精の血が混じっているからである。
そして妖精とのハーフやクウォーターは、今の世では珍しいものではない。
発端は今から百年くらい前、妖精界と人間界が衝突したことだ。
当たり前だけど、混乱した人間と妖精は大戦争を引き起こしてしまった。けれど、戦争中に妖精は人間の物理世界の贅沢を知ってしまった。
人間は人間で、人間が求めていた不老を妖精から得られると考えた。
そこで妖精と人間は和解したのだ。
互いに融和し合える道を選んだのである。
その結果、人間界は妖精の血が混じった人間と妖精達で溢れかえることになり、能力の差によって階級までできる有様だ。
世界は純粋なる人間を殆ど失って半妖精ばかりとなり、再び王様を抱えて封建制を始めてしまった。それなのに、失われた国の名称や国境線を使用しているのは、人間であった人類の人間であろうとする最後のあがきなのだろうか。
若さや魔法を使える能力を手に入れたのに、なぜ人間でいようとするのか。
それはきっと辛いからかもしれない。
人間は妖精のように若く長く生きられるようになった代りとして、妖精独特の感情衝動に縛られ振り回される苦しみという呪いも手に入れた、と聞くから。
宗近にはそんな苦しみなど一切見えないが、こんな殺されそうな状況なのにニコニコ笑っていられるのだから、やっぱり彼にも問題があるのだろう。
妖精に支配される人間だけの世界の頃では、痛みを知らない、それが悩みだったり重篤な病気だったりしたでは無いか。
「むねちか、あのさ」
「我慢大会はどっちが勝つかな?返事が無ければ次の行動が移せないなんて、妖精って無駄な生き物だよね」
確かに。
今のこの膠着状態は、王位継承第六番目の妖精王子が私達を殺すと脅してはいるが、ターゲットにしている十三番目の王子の返事がないために動けなくなってしまっているからである。
妖精は人間よりもルールに縛られる。
校庭に集められた生徒の誰もが素直に集められたままなのは、高次からの命令には従わねばならない、そんなルールに支配されているからだ。
私は空を見上げて溜息を吐いた。
支配されなくとも逃げられない。
円盤みたいな飛行機から、人間と妖精が作り出した大きな武器の銃口が私達を睨んでいるじゃないか。