31≪楓と紅葉がもう一度、愛を知る話≫
お風呂上り、アイスクリームを食べ終わってからしばらくの間、二人は広い和室に居た。
そこは今日二人が寝る普段と雰囲気の違う部屋。そんな部屋で静かな風の音と、冬の冷たい空気を感じながら二人はしばらくぼーっとしていた。
この旅館では、部屋着としてシンプルな浴衣が、広い館内を歩く為に下駄が用意されている。
それを着て、下駄は部屋の前に置いて。
「ねぇ、紅葉。ちょっと外いかない?」
そんな楓の言葉に誘われて、その下駄を履いて二人は部屋を出た。
あまり知られていない温泉宿、しかしそれでも知っている人はいるもので、旅館のあちこちに人がいた。
小さな子供を連れた家族から、カップルまで。
そしてそのカップルの一つが、楓と紅葉だった。
二人は旅館から一度外に出る。
向かうのは星空が綺麗に見える場所として旅館が設置している展望スペース。
旅館からも離れており、人の灯りはほとんど届かない。
更には今が冬、ということもあってかそこへ向かおうとしている人は二人以外誰もいなかった。
「星空、綺麗ですね」
「だね。こんなに綺麗な星、中々見れないよ」
きちんと整備された道を使って山を歩き、階段を上り、二人はその上にある展望スペースに置かれたベンチに座って、どこまでも続きそうなほど広い空と、そこに輝く星を見る。
「ありがとうございます。ここを見つけてくれて……おかげで、とても有意義なお休みが過ごせています」
「それならよかったよ」
聞こえる音は、自然が奏でる虫の音と風の音だけ。
街のネオンや雑踏の音は、こんな場所には届かない。
ただこんなに静かだと、どうしても心臓の音が響いてしまう。
普段なら聞こえない様な、微細な鼓動さえ、互いの耳に届いてしまう。
その音を聞いて思いだすのはあの日々の事。
逃げたくて、辞めたくて、怖くて、怖くて、それでもそうするしかないと信じていた少女と。
全てがどうでもよくて、でもほんとうはそんな事なんてなくて、何も感じていないふりをして、見て見ぬふりをして、ただ愛を欲していた少女の事を。
そしてその二人の一度目の結末を、思いだす。
「楓があの日同情してくれなかったら、今頃わたしはどうなっていたのでしょうか」
「考えたくないな、そんなの」
「わたしも、考えたくないです。楓の事以外、考えたくありません」
「今でも好きだ、って言える?」
「どうしたんですか? 急に」
突然、楓が珍しい事を言うもので。
顔を伏せて、顔を見せない様にして、紅葉にそういうから。
「好きだって、私の事が……好きだって、今でも言える?」
少し紅葉は心配になって、不安になって。
「だから、急に……」
でも、もうこれがいつも通りの楓の姿なんだって、紅葉は思いだす。
「言えない?」
顔を赤くして、その顔を隠しながら、たった一言、その言葉を欲しがるのが。
「いいえ、ただ少し心配になってしまって」
「心配って何が?」
「昔の事考えていたら、昔の楓を思い出してしまって……あーでも今の楓は」
そう、今の楓は。
「好き」
この言葉を、ずっと欲しがっている。
「ですよ。楓」
この言葉を永遠にわたしに求める。
「楓さん?」
少し黙って、楓は持ってきていた小さなカバンを開ける。
「紅葉、ちょっと星見ててくれる?」
「……? はい」
言われた通り、紅葉は空にある星を見る。
見て、眺めて、それで。
「紅葉」
そう言いながら、楓は紅葉の肩を優しく叩く。
「楓さん、それ……」
楓は小さなリングケースを、紅葉に見せる。
それはあの日と同じ、あの観覧車の中で紅葉が手渡したのと同じ、黒いリングケース。
そして、紅葉がそれをゆっくりと開けるとそこには……あの日と同じ。
「これ……は……」
アイビーの指輪があった。
「辛いこともあるだろうし、嫌なこともあるだろうし、逃げたくなることもあるだろうし、多分上手くいかない事もこれからたくさんあって」
楓はゆっくりと、そんな言葉をいつも通りの少しツンとした冷たい澄んだ声で紅葉に渡す。
「だけど、それでも、そういう全部を二人で幸せに変えていきたい」
あの日のお返し、なんて言わない。
もう一度、私が言いたくなっただけ。
お揃いの指輪が、ほしくなってしまっただけ。
恋をして、いたから。
だからそう、私は思う。
あの日観覧車で誓った永遠を、ここで、もう一度。
今度は私から。
「だから。紅葉」
この愛を、確かめたい。
この愛を、もう一度。
この愛を、私から紅葉に。
「結婚してほしい」
この愛を、確かな言葉に変えてもう一度、伝える。
「楓……」
ここまで来て、まだ少し自信がないのか、楓はリングケースの中にはあるアイビーの指輪をわたしに見せて、そんな言葉を言ったらまた目を逸らしてしまった。
「楓、まさか断られる。なんて思ってないよね?」
「思いたくは……ないね」
「ふふ。相変わらずだなぁ、ここまで来て。断る人なんていないでしょ?」
でも、怖いんだろうな。
その気持ちは、あの日の観覧車でわたしも十分知ったよ。
「楓、こっち向いて」
紅葉がそう言うと、楓は黙って紅葉の方を見る。
その、次の瞬間にはもう。
「んっ」
そっと、キスをする。
「はい」とか「好き」とか「不束者ですが」とか、そんなセリフよりも、確かなカタチで紅葉は返事をする。
もう二度と、楓が不安になる事のない様に、もう二度と、楓が怖がる事のないように。
紅葉はそっと、キスをする。
それは、二人のファーストキスだった。
今まで誤魔化して誤魔化して、恥ずかしがってしていた手や頬にするキスとは違う、確かな愛と体温のある、キスをした。
「答えは、なんだと思います?」
紅葉は、楓の唇から離れた自分自身の唇を少し触る。
そこに残る、微かな楓の体温を指に伝えて、紅葉は微笑む。
「紅葉……」
「なんで泣きそうな顔になってるんですか」
「だって……キス、なんて……びっくりしかたら」
「もぅ。わたしだって勇気いっぱいで頑張ったんですからね? わたしだって、恥ずかしかったんですからね?」
ロマンチックな告白なんて、夢だと思っていた。
私に恋愛なんて似合わないって、君に出会うまではそう思っていた。
だけど。
「楓」
「なっ、何……」
「指輪。つけてほしいです」
でも、そうじゃなかったんだ。
「私がしていいの?」
「楓さんにしてほしいんです」
そう言いながら、紅葉は左手を楓の前に差し出す。
楓はその細い指に、あの日もらった指輪と同じ、アイビーの指輪を。
「楓、わたしは幸せにしてなんて、そんなおこがましい事は言いません……わたしは、二人で幸せになりたいんです。こんな風にして」
その指に。
「今は、幸せなの?」
「ええ、これ以上ないほどに」
あの日と同じ、アイビーの指輪が、二人の左手薬指に揃う。
残念ながら左手同士で手を繋ぐのは少し難しいので、仕方なく紅葉が左手を、楓が右手を差し出した。
そしてその手を握り普段よりも少し熱いお互いの体温を、互いの体に巡らせながら、キスをしてたい、もっと先へ、と焦る気持ちを必死に抑えながら、手を握り続け、星を見上げる
「でも、よく見つかりましたね。同じものが」
「メーカーとかからなんとか探して」
「じゃあ、婚約指輪も結婚指輪もお揃いになりますね」
「そう……なるね」
「ふふ、嬉しいです」
「よかった……」
「楓。反応薄くないですか?」
「いや、ごめん。キスの事が忘れられなくて」
「もう一回します?」
「したら私が死んじゃうね」
「じゃあ、お部屋に帰ってゆっくりしましょうね?」
「う、うん?」
二人はその後もしばらく星空を眺めていた。
少し寒くなるまで、温かい部屋が恋しくなるまで。
互いの手を握り、肩を寄せ合って、二人だけの星空を、眺める。
そんな幸せと愛しかない夜を過ごした。
夜乃月です。
カクヨムに投稿していた作品を、こちらにも投稿しはじめました。
こちらは時系列整理版、としてカクヨムの方で閑話扱いとなっていたエピソードも本編中に含めて投稿いたします。(カクヨム版は完結済)
【カクヨム版URL↓】
https://kakuyomu.jp/works/16817330650740228152/episodes/16817330651588458473




