17 ≪紅葉が楓のお姉さんに会いに行く話≫
暑い暑い夏の日だった。
踏切の甲高い声に嫌気がさして、走り出してしまおうか、と少女達は目の前に広がる大きな海を日常の一つとし、ただ何事もなく、平穏を受け入れていた。
音が、鳴る。
ナニかが、崩れ壊れる音が、あの夏の日、あの駅のプラットフォームに響いた。
そこに敷かれた線路は未だに覚えている、あの夏、あの日、あの時、少女が一人、死んだ事を。
「お姉ちゃん、ただいまー元気してた?」
今や石の塊となったそれの下で眠る惨めな存在に変わり果ててしまった姉に、楓は優しく語り掛ける。
「って、元気な訳ないか」
ここに供えられる様なものは何もない。
「お姉ちゃん、私ね。一つ、約束事を守れた……かも、しれないの」
あの日の言葉に縛られる。
「楓は、私の分も私以上に幸せになってね。私よりも愛してもらうんだよ。約束だよ」
そんな言葉が脳に焼き付いてどうにも離れず、そんな言葉が楓を苦しめる。
「付き合い始めたの。私……この子と」
楓の後ろに隠れていた紅葉はそっと楓の側による。
そして楓と同じ様にかがみ、楓と同じ目線で目の前にあるそれを見る。
「女の子……だったよ、私が幸せになれるかもしれない相手」
そう言って紅葉の頭を撫でる。
その言葉の返事は、どこにもない。
「もうすぐ私も大学生なんだ……まさか、こんなに長生きしてるとは思わなかったでしょ? 私も思ってなかったよ」
あの夏の真実を知った日、私は言葉を失った。
自殺よりも、今自分自身が味わっている苦痛を屈辱を姉も、複数人から何度も、なんてそんなの、怖くて怖くて、仕方なかった。
「あぁ、えぇと……これ、自分でもびっくりした事なんだけどね」
夏を嫌って、男を嫌って、人間を嫌って、家族を嫌って、全てが嫌になって。
「紅葉とのキスはね、平気だった」
それでも私は生きていた。
「楓さん、そんな恥ずかしいことは……」
「ごめん、これだけは言わせて」
楓の顔がやけに真剣だった。
キスができた、なんてことを報告されるのが恥ずかしくて、紅葉はその顔から目を逸らしてしまいそうになる。
「平気だったんだよね……恥ずかしかったけど、でも嫌な感じじゃなかった」
でも、その目から目を逸らす事なんてできなかった。
「まだ、ちゃんとしたキスはしてませんよ?」
そう、紅葉は言う。
「あはは、だね」
でも、ほんとうに嫌な感じじゃなかった。
あの日の事を思いだしたりなんてしなかった。
それ以上に私は、幸せだった。
「あぁ、お母さんは元気だったよ……昔よりも良くはなってるし、どこかで退院できたらいいなって、思ってる」
次の言葉を、久しぶりにあった姉にかけられる何か言葉を。
楓は必死になって探す、そんな寒い寒い冬をアイツは汚す。
「お前……」
アイツの声がする。
遠くの方から、後ろの方から。
「ねぇ、紅葉」
「はい?」
「偶然とか奇跡って、どれくらいの頻度で起こると幸せかな」
「えーと、わたしと楓さんが出会えたことが偶然で奇跡ですから、そんな事が毎日あると幸せかもしれませんね」
「そう……じゃあ、これも幸せな事だろうな」
「楓さん?」
楓が静かに立ち上がり、後ろを振り返る。
するとそこには、徒花楓の兄、あの兄が立っていた。
「お姉ちゃんが恋しくなったの? それとも妹が恋しくなったの?」
前回の事もあってか、兄は少し楓と距離を作っていた。
「おれは……毎日、ここに来てるよ」
紅葉も同じように立ち上がり後ろを見る、するとそこにはゴボウみたいなみすぼらしい男性が一人、俯きながら立っていた。
「どの面下げてお姉ちゃんに会いにきてるの」
「俺はただ……ただ、罪滅ぼしがしたくて」
「自己満なんかで来るなよ。お姉ちゃんが化けて出てきて、お前を殺しても私は責任とれないからね?」
紅葉は楓の横に立ち、楓の手をぎゅっと握る。
楓はその事に安心と信頼を感じ、すぐに強く握り返す。
「紅葉、覚えといて。ああいうのを社会のロクデナシ、社会のゴミって言うんだよ」
「あの、楓さんあの方は」
「私の人生滅茶苦茶にしたクズ」
「はぁ……なるほど」
とにかく紅葉を近づかせない様に、楓はだんだんと近づいてくる兄からゆっくりと距離を取る。
逆に兄は、楓に近づこうと少し早いペースで歩いてくる。
「それで? 何してるの?」
「これ……あいつチョコ好きだったろ? だから」
「捨てろ、死んでまでお前のモン食わなきゃならない、お姉ちゃんの気持ちを考えろ」
「でも俺は許してほしくて」
「お姉ちゃんは死んだ。お前を許すとかそういう事の前に死んだ、それが答えだ、納得しろ」
兄は立ち止まる。
ほんとうに許してもらえると思っていたのか、そんな楓の言葉で簡単に足を止める。
「楓、その後ろにいる子は?」
「私の彼女だけど」
楓は迷う事もためらう事もなくそう答える。
今、自分が手を握っている人間は、自分が命に変えてでも、守らなければいけない人間だと脳に訴える。
「え? 男じゃないのか?」
「男じゃねぇよ。私は女の子と……紅葉と幸せになる事にしたの」
「あぁ、そうなんだ……俺のせいだな……ごめん」
楓さん、さっきからすごくイライラしてる。
仕方ないけど、ちょっと怖い。
でもそれ以上にあの男の人が、嫌い。
「楓さん」
「ん?」
「お兄さん、なんですよね……楓さんが言っていたあの、お兄さん」
「あぁ、そうだよ……会わせたくななったのにな」
紅葉は楓ではなく、その男の人を見る。
そして紅葉は大きく息を吸う。
冷たい冬の凍った空気、知らないあの夏が漂う、淀んだ空気を、目一杯吸って肺に刻み付ける。
「なんのごめんなさいか知りませんけど、わたしは楓さんに愛されてますから」
紅葉から出た言葉は、そんな些細な日常から始まった。
「わたしは楓さんの大好きを世界で唯一独り占めできる人で、楓さんの幸せを世界で唯一共に共有できる人ですから」
ハッキリとした意思、ハッキリとしている紅葉の心中。
「わたしは、まだまだ幼いですし……至らないトコもたくさんあって……でも、それでも、選ばれたのはわたしなんです」
それを堂々と、でも少し怖いので楓の手を握りながら。
「貴方が何をしなくても、わたしだけが楓さんの側にいられるという未来は決まっていた事なんです。それをさも自分の手柄の様に言うのはやめてください!」
そう、ハッキリという。
「紅葉……」
「わたしが言っておきたかったんです。楓さんのお兄さんに会える機会なんてそうそうないでしょうから、この際にと」
「決意表明?」
「そうです。楓さんとお付き合いしていく上での障害と早めに戦ってこうと思いまして」
その場に漂う空気は、すっかりいつもの二人だけの空気に変わっていた。
「紅葉は気にしなくていいのに、アイツの事なんて」
「だって、楓さんに関する大切な事ですから」
普段通りのどこか甘くて、どこか苦い様な、メリハリのハッキリとしない空気に世界は変わっていた。
「てことで、もう帰るから。私達は」
「あぁ……そうか」
「お姉ちゃんに会いたいならそれでもいいけど、死んだ姉に縋る惨めな奴だって、親戚中に言うから、もっと立場悪くなるけどいいの?」
「俺は……罪滅ぼしがしたくて」
「滅ぼせるのは己の身だけだよ、それ以上のものは何もない」
「俺は……いや、もういいよ。俺の辛さなんて、誰も分かってくれないんだろうな」
「ええそうね。私の辛さや苦しみを理解せず、自分勝手な事ばかりしていたあなたの味方なんてこの世に誰もいないでしょうし、誰も貴方の事なんて理解しないでしょうね」
楓は紅葉の手を握り、目の前にいるヤツに背を向ける。
そして楓は紅葉を隠すみたいにしながら、もう二度と会いたくないという気持ちと、久しぶりにあった姉に失礼なことをしたままだ、という二つの気持ちを抱えたままその場を後にした。
夜乃月です。
カクヨムに投稿していた作品を、こちらにも投稿しはじめました。
こちらは時系列整理版、としてカクヨムの方で閑話扱いとなっていたエピソードも本編中に含めて投稿いたします。(カクヨム版は完結済)
【カクヨム版URL↓】
https://kakuyomu.jp/works/16817330650740228152/episodes/16817330651384294895




