36 ≪アイビーの誓い≫
大勢の人、笑う人々、紛れて、混ざって、足が思う様に前に進まない。
この一分一秒の間に楓さんが遠くにいってしまうんじゃないかって怖くなる。
でも、そんな事を考えて立ち止まる訳にはいかない。
楓さんに会いたい。
会って、一度でいいから、会って、それで。
会って、話がしたい。
たくさんあった辛い事、たくさんあった寂しい思い出。
楓さんの為に使えなかった時間の全てを、取り返したい。
楓さんの、側にいたい。
楓さんが、大切で、必要だから。
だから、一秒でも早く、楓さんの元へ行きたい。
辿り着きたい。
その顔を見せて、その声を聞かせて、その笑顔を見せて、その涙を見せて、その全てを、楓さんの全てをわたしに見せて。
二人で重ね合った「またね」を、叶えて。
どうか、お願い。
暗くなり始めた空の下、街中を賑やかすネオンと、色々な施設や木々につけられたイルミネーションの数々、それらが暗い世界でより一層輝いて見える。
ここにいる人はみんな笑っている。
ここにいる人はみんな何かの希望を持っている。
そんな海を、彼女は走る。
どこにいるの、と必死になって探す。
横を通り過ぎる人、すぐ目の前にいる人、その全てと楓さんは明らかに違う。
なのにどうして、見つからないの。
大きなクリスマスツリーが、一つ見えた。
きっと楓さんはこのクリスマスツリーを見ていないんだろうな、知らないんだろうな、とそんな事を思いながら、彼女は走る。
近くにあったドリンクのメニューを見ながら、自分の番がまわってきたので楓はタッチパネルを操作してチケットを買う。
高校生一枚、ドリンク付き。
出てきたチケットをなくさない様に財布の中にいれ、今度はドリンク受け取りの列に並ぼうかと、そう考えながらもう一度ドリンクメニューを見ている時、だった。
「楓さん!」
優しく温かい声。
どこか遠慮がちで、ちゃんと力の入っていない手。
どこかから走ってきたのか、息切れしながら、感じられるのは甘いラベンダーの香り。
手をぎゅっと握られる。
冷たい、冷たい、小さな手に握られて、優しい温もりに包まれる。
「やっと……会えました……やっと……わたし……楓さんを、見つけました」
楓が振り返った次の瞬間、楓は勢いよく抱きしめられる。
バランスを崩してしまいそうになりながら、でも彼女に怪我をさせる訳にはいかないと、必死になって踏みとどまる。
楓の事を抱きしめて離さない彼女を、公衆の面前で抱き着かれて若干涙を漏らす彼女を、そんな全てを恥ずかしいと感じながらも、楓は彼女の頭を撫でていた。
「おかえり。紅葉」
楓の口から咄嗟に出たその言葉は、紅葉の心に灯りをともす。
「ただいま……です。楓さん」
紅葉の中にあった不安も恐怖も、憂鬱もその全てが消えていく。
「また会えたね」
「ええ、また……会えましたね」
そう言ってモミジはより強く、楓を抱きしめる。
楓はそれに応える様に、紅葉を抱きしめた。
「わたし、お母さんにスマートフォンと取り上げられて、それから……その、だから楓さんに連絡できなくて……」
「分かった。分かったから、一回落ち着こう、ね?」
「はい……」
楓から離れた紅葉にハンカチを貸す。
紅葉がそれで涙を拭き終わると、ただ楓は一言。
「一緒に、観覧車乗ろうよ」
と、そんな言葉で紅葉に追い打ちをかける。
ただこうして会えただけでも嬉しいのに、これ以上なんて、と紅葉はそう思いながら。
「はい!」
そう返事をするのが紅葉だった。
ドリンク付きのチケットがもう一つ、それは紅葉の財布の中にしまわれた。
二人は観覧車に乗るために作られた列に並び、自分達が乗れる番を、今か今かと待ち続ける。
「帰ってくるなら一言言ってくれたらよかったのに」
「すみません……その、急に予定が空いて今すぐにでも楓さんに会いたいなと思った時にゆかりさんから連絡が来て」
「ゆかりから?」
「ええ、楓はここにいる。会いたいなら早めにどうぞ、って。たくさんの写真と一緒に」
「じゃあ、髪切ってるのも、色入れてるのも知ってたんだ?」
「はい。知っていましたし、イメージを聞いた時も、カッコいいなぁとそう思っていました」
「実際見てどう?」
「とてもカッコいいです……えへへ」
「そう……紅葉にそう言ってもらえて、嬉しいよ。私は」
ショートヘアと隠れた青色、黒い帽子にいつもの洋服。
見慣れはずの楓さんが別人みたいに見えて。
「紅葉も可愛くなったよね」
「そんな! この数ヶ月で特別な変化なんて……」
「でも、その服。見た事ない服だけど」
紅葉が着ていたのは、白色ニットと黒色ロングスカート。
肩で持っていたのは、無地の白色トートバッグ。
「あぁ、これは……撮影で着たものをそのまま頂いたんです。楓さんが買ってくれた服は、その一時的にですけど、母親にとりあげられていたので……あっでも、ちゃんと取り返してますからね?」
「別にそこの心配はしてないけど……でも、いいね。その服も似合ってるよ」
「ありがとうございます……その、嬉しいです」
「ていうか、紅葉ってどんな服でも可愛く着こなすよね」
「そうですかね……あんまり、自信はないんですけど」
「自信もっていいよ思うよ。だって可愛いもん、紅葉」
「そう……ですか……ありがとうございます。えへへ……」
それから少しして、二人は観覧車に乗る。
手に持っていたドリンク二つは観覧車の中にあるテーブルの上に置いて、二人は向かい合う様にして座る。
透明の密室となったその場所で、最初に言葉を溢したのは紅葉だった。
「その、嬉しいお知らせがいくつかあるんです」
「嬉しくないお知らせは?」
「何もありません」
「それはよかった」
紅葉はトートバッグの中から、クリアファイルに挟まった封筒を取り出し。楓に渡す。
「開けていいの?」
「大丈夫です」
「じゃあ、その。拝見します……」
しっかりと封がされたその封筒を楓は開けていく。
すると中に入っていたのは、クリアファイルに入った紙と入っていない紙の二種。
とりあえず楓は大事そうな、クリアファイルに入った紙から見る事にした。
クリアファイルから紙を出して、しっかりと目を通す。
その紙にはとても硬い文章で色々な事が書かれており、また多数の人に対して書かれた物というよりは、楓に読んでもらう為だけに書いた内容だった。
そして、そこに書かれている事の中で、とても大事なのは恐らくこの一つだろう。
「徒花楓様を、弊社所属タレントである徒花紅葉のマネージャーのサポート役としての採用を前向きに検討したいので、一度本社の方に起こしください。また、主な業務は徒花紅葉のマネージャーが一人ではできない様な事、雑用が中心になると思います。詳しい業務内容は面接時にお知らせします」
との事だった。
「えっと……これって」
「わたしには新しいマネージャーがつきます。けれど、その方はわたしの専属にできる程暇な方ではないので、どうしてもその方の時間がなくてできない業務を代わりにしてもらう様な、そんな感じです。書いている通り、後日詳しい連絡もあると思います、それに一度本社に出向かなければいけませんが」
「それはいいんだけど……ねぇ、ここに徒花紅葉って」
楓の息が落ち着かない、思考が上手くまとまらない。
「あぁ、えっと。そこには書かれていませんが、もう一つ私からご報告があります」
と紅葉が言うので、楓は紅葉の方を見る。
「なんとなく察しはついているでしょうけど……これを機に姫メ乃猫いう名前から、正式に『徒花紅葉』として活動を再開することが決まりました」
「許可、下りたんだ……」
「もっと喜んでくださいよ」
そう言いながら紅葉は少し不貞腐れる。
「ごめんごめん。何も書いてないから、てっきり無理だったのかなって」
楓は自分が紅葉の側にいられる事よりも「徒花紅葉」としての活動、そして復帰。
この全てを、どう表現し、どう喜べばいいのか、それが楓には分からなかった。
しかし今楓の中にしっかりと存在感情は、喜びだった。
それが、自然と笑みになって零れる。
「もぉ……この数ヶ月は活動名義の為、そして楓さんの為の数ヶ月と呼んでもいいくらいだったんですから」
回っていた観覧車も、ついに頂上に近くなってくる。
紅葉の後ろにゆっくりと沈み始めた夕陽がうつる。
「それで……その、一つ忘れていたなぁという事を思い出しまして」
「忘れてた事?」
「ええ、本来なら楓さんの元を離れる前に渡すべきだったんでしょうけど」
と、紅葉はカバンの中から小さな黒い箱を取り出した。
「楓さん。言ってくれましたよね。わたしのアイドルとしての人生を背負わせてほしいって、ハッキリと、そう。言いましたよね」
「うん、言ったね。私」
心臓が今にも張り裂けてしまいそうで、わたしは恥ずかしくなって、じっと楓さんの目を見ているのも辛くて、苦しくて。
なのに楓さんはずっと平気そうな顔で。
わたしだけ、なのかな。この感情は、って不安になるけど。
でも、わたし。
「でも、わたし。楓さんにはアイドル以外のわたしの人生も……背負ってほしいって言うと重くなっちゃうかもしれませんけど、まぁ、その、アイドルじゃないこれからのわたしの人生も……一緒に歩んでいけたらいいなってそう……だから」
「それって……」
楓の心拍数が一気に跳ね上がる。
たったそれだけの言葉で全てを察し、感情が置いて行かれる。
嬉しいよりも、恥ずかしいよりも、ありがとうよりも、喜怒哀楽のどれを優先すればいいのか分からなくなって。
だからただ、少し顔を赤くして、それを隠すみたいに顔を逸らしたくなるけれど、そんな失礼な事をするわけにはいかないと、必死になって楓は平然を装う。
「あぁ、だからこれ! 楓さんにプレゼントです……どっ、どうぞ」
紅葉は手に持ったその小さな黒い箱を楓に渡す。
「ありがと……これ、今開けていい感じのモノ?」
「あっ……どうぞ」
「うん……」
丸い透明な箱の中から見える夕焼けと夜景が混ざり合って調和した景色がとても綺麗だった。
ネオンで彩られはじめた街が宝石の様だった、人の動きは鮮明に、世界を彩るカタチになる。
こんなに特別な日はあるだろうか、こんなに嬉しい日はあるだろうかと、楓はそんな風に心の中で思う。
「なにこれ……すごい……」
それを開けると中には、一つの指輪が入っていた。
それは、黒い小さな箱ではなく、黒いリングケースだった。
「綺麗な指輪……」
リングケースの中に収められた指輪を、楓は見つめる。
「楓さん……遅くなりましたけど、お誕生日おめでとうございます」
「知ってたの……? 紅葉」
「楓さん自分でカレンダーに丸を付けてたじゃないですか」
「ごめん。ほんとすっかり忘れた」
「もぉ、楓さんらしいというかなんというか……まぁ、ともかくそれはわたしからの誕生日プレゼントです。ほんとうに、その、遅くなりましたけど」
それはとても綺麗な銀色の指輪だった。
しかしそれは子供が一人で買える物だとは思えないほどの物で、とてもおもちゃの様には見えなかった。
「楓さん。イヤングやネックレスはよくつけていますけど、指輪をしている様子はなかったので……その、つけてほしいなぁと」
「つけてみたいけど、このまま大切にしたいって思っちゃうね」
「無理につけてなんて言いませんから、楓さんの好きな様にしてください」
「んーどうしよ……つけてみようかな、折角だし」
楓は慎重にリングケースの中から指輪を取り出す。
改めて楓がそれを見ると、本当に子供一人で買える物には見えなかった。
しかし楓の頭はそんな事よりも、ただただその指輪の美しさと紅葉の気持ちに酔うばかりになっていた。
指輪の外側は銀色で、内側は赤というスタイル、さらに指輪の中心にはアイビーの花が堂々とあり、それがとても美しく輝いていた。
「どこにつけようかな……」
「左手の小指には、チャンスを引き寄せるとか、魅力を高めるとか、そんな意味があったはずです。ですからそこにでもどうです?」
その指輪と共に伝えたい言葉が、紅葉にはあった。
あった、はずなのに。
声に、言葉にならない。
喉の奥に引っかかって、その言葉は微動だにしない。
それは全部、心臓の鼓動がいつも以上に早いせい。
楓さんに断られるのが怖いんじゃない、その言葉のせいで、せっかく築いてきた全てが、全ての記憶が、過去が、思い出が、壊れてしまうのがただわたしは怖いだけ。
それをただ、恐れて震えているだけ。
「じゃあ、ここかな」
まるで、紅葉の心中を何も知らないかのように、まるで無邪気な子供の様に、そんな事を言いながら、楓は迷わずその指輪を左手の薬指につけようとしていた。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
と、思わず紅葉も言ってしまう。
「あの、そこは結婚指輪のですよね?」
「えぇ? ダメ?」
「ダメというか……その……」
「せっかくの指輪だし、いっそここがいいかなって」
「恥ずかしいですよ……」
「いいじゃん。せっかくだからさ」
そんな紅葉の言葉を聞く事はなく、楓はその指輪を左手の薬指につけた。
「あぁ……」
「サイズピッタリじゃん。凄いね」
「やっぱり恥ずかしいです……」
「なんで、紅葉が恥ずかしがるの」
紅葉は赤面する。
赤面して、手で顔を覆い隠す。
「だって……だってぇ……」
と、紅葉はとてもではないけれど楓の顔を見られるような状態にはなかった。
「ねぇ、紅葉」
そんな紅葉に追い打ちをかけるみたいに楓は言う。
「なんですか……わたしは今恥ずかしさで死にそうなんです……」
「でも、聞いて」
いつも以上に真剣な楓の声のトーン。
それに思わず紅葉は目を合わせる。
「楓さん……」
空はすっかり、暗くなっていた。
「紅葉」
やっと、出会えたんだ。
ここに、いたんだ。
ここから、また、私達は始めるんだ。
新しい未来を、自分自身で選んだ未来を、望んだ未来を、行く為に。
どんな困難も、苦痛も、きっと私達なら乗り越えていける。
私達ならそんな困難、笑ってどこかに消してしまえる。
そう、今なら胸を張って言える。
――わたしは、楓さんに出会うために。
――私は、紅葉に出会うために。
今日、この日までの全てを生きてきたんだ。
「私と、付き合ってほしい」
――その言葉を、言う為に。
――その言葉を、聞くために。
息をして、いたんだ。
「もぅ……楓さんはズルいです。わたしが言いたい言葉も、聞きたい言葉も、全部言っちゃうんですから……
そして、私達は知った。
心の奥にある、生活を脅かす様な不安定で不安な感情。
ハッキリとしない、曖昧な、甘い感情。
「誰か」じゃなくて「君に」だけ伝えておきたいこの感情は。
それは「恋」の感情だったんだ、と。
「永遠に一緒、ですか?」
若干涙の混じった紅葉のその目と声を、ただ楓は真っすぐ見つめ、ただ聞き入れ、楓は言う。
「死んでも離さないし、離れないから」
何度でも言おう。
私は紅葉を好きでいて、愛していると。
世界で一番、紅葉を愛しているんだと。
「絶対、ですよ」
何度でも言います。
わたしは楓さんの事が好きで、愛しているんだと。
世界で一番、楓さんを愛しているんだと。
「楓さん」
「はい」
「不束者ですが、よろしくお願いします」
もう少しで終わってしまう。
この透明なハコの中から出なければならない、だと言うのに楓は紅葉の隣に座り、ぎゅっと手を握る。
紅葉にもらったあの指輪が輝くその手で、紅葉の手を優しく握りしめる。
「楓さん……わたしも、好き……ですよ」
「なんか慣れない」
「ずっと新鮮な気持ちのままでいてください……きっと、わたしもそうですから」
二人で、選んだ未来。
二人が、待ち焦がれていた未来。
二人が、手に入れた未来。
二人が、永遠を誓った未来。
全てがここに、ただ愛のある幸せとして、舞い落ちる。
秋は終わり、とても寒い冬になり。また、少し暖かい春が訪れ、暑い暑い夏を超え、また秋へと変わる。そんな日々の困難が、これから二人に降り注ぐかもしれない。
けれどそれは二人の愛を、幸せを、未来を、ただ強固にするだけでなんの意味もなく。
ただ二人に芽生えた感情が、永遠を超えた誓に変わるだけ。
世界は二人の為には存在しない、世界は思っているよりも二人に優しくない。
消したい過去も、見たくない過去も、確かにある。
でも、それ以上に見たい未来が二人にはある。
まだ、叶えていない夢も。
まだ、叶えたいと思う夢も。
まだ、芽生えていない夢も。
たくさん、たくさん、あって。
それらはきっと、優しくない世界の代わりに二人を前へ前へと進めてくれる。
「これからどうしましょうか」
まずは一つ、夢を知ろう。
二人で叶えたい、最初の夢だ。
「二人で住めるような場所でも探す?」
「わたしは、楓さんがいるのならどこでもついてきますよ?」
「そう言われてもなぁ」
「じゃあ、そうですね……」
誰よりも深く、愛を知ろう。
誰よりも深く、永遠を誓おう。
「わたし達の夢は、ですね」
そして、二人だけの愛をつくろう。
まだ知らない、知ることができていない愛でさえ、二人で知って。
その甘い蜜を、余すことなく吸い尽くし。
その葉が枯れ落ちるまで。
永遠を、誓い合おう。
二人だけの永遠の愛を、このアイビーの指輪と共に徒花楓と徒花紅葉は誓い合おう。
夜乃月です。
カクヨムに投稿していた作品を、こちらにも投稿しはじめました。
こちらは時系列整理版、としてカクヨムの方で閑話扱いとなっていたエピソードも本編中に含めて投稿いたします。(カクヨム版は完結済)
【カクヨム版URL↓】
https://kakuyomu.jp/works/16817330650740228152/episodes/16817330650828381634




