31 ≪ムラサキハシドイ、枯れ散る冬≫
電車が一つ、通り過ぎる。
次の電車が来るまでにはまだ少し時間があった。
その時間をもったいないと感じる事も、待つ事が苦痛だと思う事もなく、楓はただじっと夕焼け空と広い海を背中に向けて、ゆかりの目を見ていた。
ゆかりの、その今にも泣きそうな目を、見つめていた。
「中学の時、好きな人がいるって話したよね」
「してたね……その子とはまだ連絡とってるんでしょ?」
「うん……私が何気なく『おはよう』って言ったら『おはよう』って、返してくれる子」
「いい子じゃん」
「うん。とってもいい子なの……で、その子にね? 告白して。フラれようと思うんだ。私」
「なんでフラれる事前提なの」
「その子、自分で気づいてないだけで、好きな人いるから」
「まぁ、浮気はダメだよね?」
きっと楓は考えてもないんだろうな、自分が好かれてるなんて。
自分の事好きになってくれる人なんていないって、昔から言ってたもん。
「そう! 浮気はダメ! だから私は、その子のお友達でいようと思うんだ」
私みたいな人を好きになる奴は信用ならないって、そんな事も言ってたっけ。
「それでいいの? ゆかりは」
ズルいよ、楓がそんな事言わないでよ。
「うん! いいの!」
気づいてよ。
分かってよ。
なんで……こんなに、好きなのは「私だけ」なの。
なんで、泣きそうになってるのは「私だけ」なの。
「私はね、やっと気づいたんだ……私の幸せより、その子の幸せを願うのが、きっと私の人生なんだって」
バカ。
バカ。
ほんと、バカ。
「だから……だから、私……私は、ね」
今にも溢れ出しそうな涙を必死に抱え込んで、数十年間抱え込んだ恋心を、飼いならしたはずの恋心にナイフを突き刺して。
私はただ、大好きな彼女の幸せを願って。
彼女の初恋には相応しくないと、彼女の初恋は最初から私ではなかったと諦めて。
そう、想って。
そう、言い聞かせ続け。
今にも泣き崩れそうだったゆかりを楓は咄嗟に抱きしめた。
「かえ……で……」
体から力が抜け、ぺたんと床に座りこんでしまったゆかりを、楓はただただ抱きしめて。
頭を撫でて、鼓動を聞いて。
「なんで……楓は……」
ゆかりの心に溜まった感情は、繊細な乙女心は涙に変わり、勢いよく零れ流れる。
「バカ! バカ! 楓のバカ!」
何度も何度も強く叩かれる楓の背中、その優しい痛みは、数十年間愚か者だった楓への罰だ。
「なんで……なんで、私じゃないの……ずっと一緒にいたのに! ずっと側にいたのに!」
君の感情に今更全部に気づいて、気づかされて、強く訴えられて、それと同時にどうしようもない自分自身の感情に気づかされた、私への罰だ。
「楓の腕にあった傷を舐めたのだって、楓の苦しみを受け止め続けたのだって、全部私なのに!」
だから今は、強く抱きしめる。
「私が全部! 楓の初めて全部、私のものにしたかったのに!」
言葉がない。
君にかけられる言葉が何一つ、見つからない。
「楓の初恋は、私がよかったのに!」
制服を着た、まだまだ子供っぽい君をぎゅっと強く抱きしめて、私はただ君の感情を受け止める。
それ以上にできる事が何も思いつかない。
相応しい言葉の一つすら、見つからない。
「ごめん、ゆかり」
「ごめんなんかで済むもんか! そんな言葉で済んだら……そんな言葉で済むなら……だったら私は最初から恋なんてして……恋なんて!」
心に溜まった感情を吐き出し、強く強く楓を責めながら、それでもそこにある言葉は優しいものばかりだった。
「ごめん……ゆかり……ごめんなさい……」
まだ涙は収まらない、荒くなった息は荒いまま。
ゆかりは一度、楓を離す。
手を握って、じっと楓の顔を見ていると思わずゆかりは笑ってしまう。
「ここは笑う所じゃないでしょ……」
「ごめん……でも、やっぱり笑っていたくて」
ゆかりは呼吸を慎重に行い、一つ一つの言葉を大切に零す。
「私は楓の一番でいたかった」
ゆかりは楓の目を見て言う。
「私は楓の大好きでいたかった」
真剣に、これが恋の終わりだと知っていても。
「私は楓の大切でいたかった。」
手を握って、その優しい顔を見つめて。
「私は楓の明日を支えて居たかった」
そして、ゆかりは言う。
「私は楓の人生に寄り添いたかった」
大きく息を吸って、ただずっと心にあった言葉を。
「楓、好きだよ」
たじろいで、言葉にならなくて、そんな楓を見ていると、やっぱり面白い。
「返事は?」
「返事って……普通、催促するものじゃないでしょ……」
言いたくない、私の言葉でゆかりを否定したくない。
「いいから、言ってよ」
ちゃんと、楓の言葉で否定してほしい。
ちゃんと、楓の言葉で終わりにしたい。
それが私の、最後の望み。
「ごめん……ゆかり、私は……」
どうしてもその先の言葉が引っかかる。
ゆかりを否定したくない、ゆかりを受け止めたいのに。
「私……は」
なのにそれ以上に私はなんで。
あの子事を、思い出すの。
笑っているのは、隣に立って歩いているのは、同じ物を食べ、違う事を感じ、時々同じ事を感じて笑いあって、一度もした事のない喧嘩をして、すれ違って、それでも私の側にいてくれるんじゃないか、って自分勝手に期待してしまうのはどうしても。
「あの子の側に……いたいんだ」
徒花紅葉、だった。
「うん」
ハッキリとした、楓の言葉。
楓の向かう、未来への言葉。
その言葉だけは、私宛。
私しか聞くことのできない、特別な言葉。
この失恋だけは、私の物。
「ありがとう……ちゃんと言ってくれて」
「ごめん……今まで言えなくて」
「ううん。いいの……その代わりあの子の事、大切にしてあげてね」
花が散る。
楓の愛は、私のものじゃない。
「ほら、立とう? 次の電車来ちゃう」
楓の苦しい過去を、何度も何度も否定した明日も未来も、その全部が私の為にはない。
「ちょっと、いつまで抱きしめてるの」
全てがあの子の為にある。
楓は私じゃなくて、あの子を選んだ。
その選択を恨んだりなんてしない、妬んだりなんてもうしない。
いいのそれで、それで楓が笑っていてくれるのなら。
楓が、これからの人生で「幸せ」を、感じられるのなら。
私はそれで、十分なの。
「また、会えるよね?」
夕焼け空が、綺麗だ。
漣の音が、心臓の鼓動の様だ。
線路は錆びて、そこにはまだ少し赤黒い跡がある。
「そう……よかった。あーでも、変に気を使って、今後連絡してこないとかやめてね? 旅行の続きはちゃんと私に連絡すること。いい?」
四両編成の電車が向かってくる。
それを知らせるために、踏切は音を鳴らす。
「またね、楓」
笑って、恋を終わらせる。
初恋は。
私の初恋は、こうして終わる。
華々しく、凛々しく、可愛らしく、私らしく。
この恋は、終わる。
「ゆかり……また、ね」
「うん! またね!」
丁香花ゆかりの恋は、こうして終わる。
夕焼け空がうざいほどに綺麗だった。
楓は遠くに行ってしまうその時まで、ずっと私を見ていた。
その時間だけが、私が楓を独り占めるできる最後の時間。
だったんだろうな。
「またね。楓」
そんな言葉は楓の元には届かない。
残酷に、電車は駅を出て遠くの町へと楓を連れて行ってしまった。
楓を、私から引き離して返してはくれなかった。
夜乃月です。
カクヨムに投稿していた作品を、こちらにも投稿しはじめました。
こちらは時系列整理版、としてカクヨムの方で閑話扱いとなっていたエピソードも本編中に含めて投稿いたします。(カクヨム版は完結済)
【カクヨム版URL↓】
https://kakuyomu.jp/works/16817330650740228152/episodes/16817330650825843452




