30 ≪キイロスイセンの願いは、叶わないと知って≫
海岸線を二人は歩く。
楓は澄んだ目と心で、荒んだこの世界を見ていた。
「今日、アイツにあったよ」
「え? 大丈夫だったの?」
「大丈夫か大丈夫じゃないかで言えば大丈夫じゃなくて吐いたけど。結構昔とは変わってたね」
「吐いたの? 大丈夫ほんとに?」
「大丈夫だよ」
「そう……てか、そうだよね。昔と変わってるよねだいぶ」
「え、会った事あるの? ゆかりも」
「まぁ……うん。会ってる。ていうか、ほぼ毎日会ってる」
「え? ほんと?」
「私の事覚えてるみたいでさ、会う度に聞かれるよ。楓を知らないか、って」
「ゆかりにも迷惑かけて……」
「後悔してる、反省してる。だから会って謝りたいって……第三者の私ですら許せないけどね。あの人の事は」
「ゆかりは大丈夫? 何もされてない?」
「私は何も……お兄さん、結構変わったよ。分かりやすい所で言うと、凄く痩せたよ。反省の一環として、お肉とかそういうのを食べない様にしてるんだって」
「なんで?」
「私も分からないよ……ただ、みんなに会って謝るまでは、お肉を食べたりするのは止める。ってそれだけ……」
バカみたい。
私がしてた事と同じ様な事してるの、あいつ。
「ほんと気持ち悪い……」
「え?」
「私、今日からお肉も野菜もちゃんと食べよう。なんか馬鹿らしくなってきた」
どこまでも自己中心的で自意識過剰で、反省という言葉は知らない人間。
そんな子供のままあいつは大人になって、何も変わっていない。
最後に私に言った言葉が「金がほしい」そんな言葉。
呆れてしまう。
怖がっていた私が、ほんとうに馬鹿みたいだ。
「ねえ、あの子はどうしたの? 置いてきたの?」
「置いてきたって言うか、もういないの」
「出て行ったの?」
「一旦。ね」
「嬉しくないの? 一人の時間ができて」
「嬉しくは……ない、かな」
楓は……楓は、どうしてそんな寂しそうな顔をするの。
どうしてそんな、憂鬱そうな冷たい瞳で、この世界を見るの、私を見るの。
「私、あの子に結構救われてたのかな」
「え?」
「あの子がいない日常が退屈で、ほんとうに面白くなくて。そういうことに、最近……結構今更、気づいたんだ」
そんな似合わない事言うんだ、楓って。
「そんなにあの子が大切?」
「大切……なんだろうな、あの子の事は、だって素直に私に言ってくれたから『大切な存在』だって、そう言ってくれたから。だからそれに応えないのは、やっぱり失礼じゃない?」
素直に伝えるのが、正解だったの。
「ていうか、それ以上に大事だったんだと思う。あの子が、私にとって」
好きですって、最初に言っておけば私は楓の側にいられたの。
楓は私のものだったの?
楓は私の為に生きてくれたの?
「全部、今更気づいた話、なんだけどね……全部」
私は何をすればよかったの。
どうすれば、ずっとずっと、永遠に楓の側にいられたの。
なんでこんな事に、今更気づかないといけないの。私。
「ねぇ、ゆかり」
先ほどまで青空だったあの空は、まるでゆかりの心を見透かしたように曇天に堕ちる。
楓はゆかりの数歩先をスキップでもするように進み、振り返る。
「髪切ってよ。私の」
「え」
「ちょっと長くて邪魔だなぁって思ってたからさ」
「いいけど……私が切っても変になって終わりだよ?」
「そこはゆかりを信じてる」
「もう……」
恋、なんてしなきゃよかった。
恋をしてしまうなら、その相手は楓じゃない誰かにしておけばよかった。
だって楓、全然気づいてくれないし、全然私の気持ち分かってくれないんだもん。
そのくせして、あの子の気持ちは受け入れるし、納得しちゃうし。
ほんと、最悪。
海岸線を歩き続けると、自然と調和した鉄筋コンクリートの土台とその上に立つ二階建ての一軒家が見えて来る。
二人は信号のない横断歩道を渡り、階段を使ってその建物の玄関へと歩いていく。
階段の途中にある踊り場で立ち止まると、目の前には広く青々とした海が、そしてその階段の続きを上っていった先にはゆかりの自宅兼ゆかりの両親が経営している美容室がある。
「ただいま」
そこに二人は帰ってくる。
「お邪魔します」
ドアが開くと同時にベルが鳴る。
「あら、楓ちゃん? 楓ちゃんよね! 久しぶりねぇ」
「お久しぶりです」
出迎えてくれたのは、ゆかりの母親だった。
「それで? どうするの?」
「あぁ、ばっさり切ってショートにして」
「昔の楓みたいな感じ?」
「ううん。今の私にあった奴」
「難しいオーダーで……」
「あと、色つけたい。最後に」
「りょーかい。何色つけるの?」
「ゆかりの好みで」
「私の好みって……まぁ、いいけど、座って」
ゆかりは母親が手伝おうとするのを止めながら、楓を鏡の前に座らせる。
そして準備が終わったら、さっそくゆかりは母親に見守られながら、楓の髪を切り始める。
「言っとくけど、私は下手だからね。なんとなく切ったらお母さんに変わってもらうからね」
「うん。大丈夫だよ」
楓にそんな返事をもらっても、やっぱり怖くて、ゆかりは恐る恐るハサミを楓の髪に通す。
その手は震えて、どうしようもない。
「ゆかり、手震えてる」
そんなゆかりの様子を見て楓は笑っていた。
「うるさい。あんまり変な事言うなら変な髪形にするから」
「ごめんごめん」
そんな風に言い合いながら、ゆかりは恐る恐る慎重に、楓の髪を切る。
ショートヘアというオーダー、他はゆかりのお好みで。
との事だったので、ゆかりは楓の髪をショートボブを目指して切ていく。
「楓の髪、長くて綺麗だよね……昔はちょっと暗い感じっていうか、前髪が目にかかってたり、今より短かったりし、ほんと今とは違ったよね」
「髪型とか服装もあんまり気にしてなかったから。でもアルバイト始めて、お金が稼げるようになって、少し余裕ができたからかな」
「可愛くなったよね」
「そう?」
「あぁ、昔と比べてって意味じゃないよ? 昔には昔の良さがあるけど、それ以上に今の楓も可愛いなって話」
少し髪を切ると、ゆかりはため息をついて一言。
「やっぱ無理、私美容師じゃないし」
「そっか、残念」
「私に切ってほしいなら十年後とかに切ってあげるから……お母さん? 後お願い。ショートボブで、インナーカラーに青入れて」
母親にそうオーダーすると、ゆかりは店の奥にある階段を上って、二階にある自室へとそそくさと向かっていった。
「ごめんなさいね。うちの子が失礼な事して」
「いえ、切ってほしいと頼んだのは私ですから」
「ええと、ショートボブでしたっけ? あの子のお友達ですし、とびっきり可愛く仕上げますね」
髪を切るのは昔からいつもここだった。
母親も、お姉ちゃんも、お兄ちゃんも、私も、みんなここで髪を切っていた。
でも、今は私だけ。
「でも、楓ちゃんは変わったのにうちの子ときたらねぇ……」
「そうですか? ゆかりもたくさん変わっていると思いますけど」
「全然よ? あの子。まだ女の子が好きとか言っててね? ちょっとでも普通に戻ってほしいから男子生徒が多い高校に入学させたのに……それでも意地になって、女の子が好きなんだぁって、ほんと困ったものよ」
「あはは……」
「まったく、いつになったら普通に戻るのかしらねぇ 楓ちゃんもそう思わない?」
「私は……どうでしょうね……あはは……」
髪を切る、というそれだけの事は簡単に終わったが、その髪に色を入れるという行程にとてつもない時間が必要だった。
真っ黒な髪から色を抜いて、塗り直して。
幸い髪が短くなっていた事もあり、三時間ほどで楓の髪の中に青色が綺麗についた。
髪全体は黒色のままだが、インナーカラーだけはしっかりと青色に変わっていた。
「いいじゃん。かわいいしかっこいい」
髪を切り、色を入れ終わるとゆかりはそっと階段を降り、楓の前に現れてそんな事を言う。
「そう?」
「次色入れるなら、紫か赤かな」
「ゆかり一押し?」
「そう、私一押しの色」
お会計を済ませ、ゆかりの母親に数度お礼をするとゆかりに見守られながら二人は店を出る。
「駅まで送るよ。どうせ帰るんでしょ?」
「だね。あいつがいるところにずっといるのも怖いし」
そして二人はまた、海岸線を歩く。
ついさっきまでは長かったはずの楓の髪が短くて、それが風で揺れているのが、ゆかりにとってはとても不思議な気分だった。
「その髪型は、あの子の好み?」
ゆかりはつい、そう聞いてしまう・
「え?」
「いや、てっきり楓は長いほうが好きなのかって」
「長いのも好きだけど……やっぱり短い方が楽だよ」
「それだけ?」
「それだけ……ていうか、何心配してるの?」
「ん? 別にー」
もう、私の居場所なんてない。
もう、私の思いの先なんてどこにもない。
「でも、あの子は気に入ってくれるかな。この髪型と髪の色」
だって楓が笑ってるんだもん、あの子を想って、あの子の事を考えて、笑ってるんだもん。
おかしいじゃん、なんであの子なの。
「気に入ってくれるんじゃない? あの子楓の事だったらなんでもいいって言ってくれるでしょ」
「それはゆかりだけだよ、あの子ダメな事はダメって言うし、嫌な事は嫌って言うし。あんまり肯定ばっかりって感じじゃないよ」
「私ってそんなに肯定してる?」
「してくれてるよ。私の事を否定したのは、私が死のうとした時と、クラスメイトに暴力をふるった時だけ。まぁ、あの子だって理不尽にダメって言ってる訳じゃないけどね? 一緒に考えよう、ってスタンスの子だから」
一緒に考えよう、か。
そんな事、私達はしたことあったかな。
私の事を受け入れて、受け止めて、愛して、貴方の事もそんな風にするから、って一方的に傷を舐め合いたがってただけじゃん、私達なんて。
「一緒に考えたかったんだ。楓は」
「まぁ、一緒に暮らしていく訳だし」
「そっちの方がいいか……一緒に生きていくなら」
私とは全然違うタイプの子じゃん、そんなの。
そんなの、どうしろって言うの……どうすればよかったの。
なにが、正解だったの。
「私さ、初めて思えたんだよね」
楓は言う。
自分の言葉で、伝え方で。
「誰かの……あの子の側にいたいって」
本音をただただ呟いた。
「ラブなの?」
「違う。単純に心配なだけ」
「心配なだけで、側にいたいってそんなの……」
あぁ、でも私も同じようなものか。
楓の事が心配で、側にいたくて。
「楓は心配なんだ」
ただ私は、楓よりも自分が可愛くて。
きっとそんな最低な人間で、きっとそれが楓があの子に抱く想いとの違い。
「ねぇ」
楓の声を冷たい冬の波の音でかき消してほしい。
「いつか、ゆかりみたいにラブになるかな。これって」
今すぐ過去に戻って、好きだって伝えたい。
「なりたいの? ラブに」
でも、そんなの。
「んーよく分かんない」
私のわがまま、だよね。
「分かんないか」
わがまま……だけど、諦められるの。
私。
「恋とか愛とか、そんなの知らないし。どうでもいいやって、私は思ってるから」
諦めたくないって、思ってしまうのはどうして?
「結局みんな、ああいう事がしたいだけなんだろうなぁって思うと、尚更気持ち悪くて」
男の人を見ると、父親や兄を思い出す。
あいつらにされた事を思い出す。
かといって女の子が好きになれるかって聞かれると、そんな事もない。
世間一般の認める普通は受け入れられず。
世間一般の認めない普通も受け入れられず。
「私も、ゆかりみたいに最初から女の子が好きだったらよかったのにな」
青空は夕焼け空に変わりゆく。
波の音は穏やかで、小さな無人駅の前で二人は足を止める。
「なんてね」
今日は少し、雲が遠く、早く遠くへいってしまう気がする。
「楓!」
私に背中を向けて海を眺める。
そんな楓にゆかりがかける言葉はただ。
「なに?」
ただ、それは全部、私のわがままかもしれない。
「いつでも会えるから、そんな泣きそうな顔しないでよ、ゆかり」
でも、でも、ずっと抱えていられないの。
こんな想い、全部。
もう、限界なの、私。
「楓……私ね……私は……ね」
最後に私のわがままを聞いてよ。
楓。
最後に、一度でいいから。
「私……失恋、することのしたの」
ゆかりは、あの日。
あのアイドルの正体がユリだと知った日、失恋を悟った。
そして今、ゆかりは失恋を覚悟し、それを受け入れようと、そう出来る限り前向きになって。
楓をただじっと、優しく、その目で見る。
夜乃月です。
カクヨムに投稿していた作品を、こちらにも投稿しはじめました。
こちらは時系列整理版、としてカクヨムの方で閑話扱いとなっていたエピソードも本編中に含めて投稿いたします。(カクヨム版は完結済)
【カクヨム版URL↓】
https://kakuyomu.jp/works/16817330650740228152/episodes/16817330650813510480




