27 ≪ダイヤモンドリリーの冬≫
キャリーバッグ重たい荷物と思い出を詰め。
約束はちゃんと守りたいけれど、心のどこかでは名残惜しくて。
「楓さん。最後にぎゅってしてください」
だから紅葉は、最後のハグをせがんでいた。
楓の家の玄関で、両手を伸ばして楓の目を見つめながら。
「いいけど……紅葉って、こういう事してほしいタイプの子だっけ?」
「わたし、楓さんが思ってる以上に楓さんの事を大事にしてますし、別れるのがとても辛いんですよ?」
「はいはい。どうせまた会えるんだから、別にいいでしょ、そんなに悲しまなくて」
「楓さんって、結構冷たいですよね」
「ここまでしといてそれ言う?」
「あぁ、すみません。そういう意味ではなくて、あんまり深くかかわってくれないというか」
「紅葉とは結構深くかかわったでしょ? それより早くしないと電車来ちゃうよ」
「あぁ、そうですね」
結局うやむやにされてしまい、ハグの一つもないまま紅葉はキャリーケースを引かなければいけなくなった。
「次、いつ頃会えるかな」
紅葉が家を出る前に、そんなセリフを吐いたのは意外にも楓だった。
「お母さんの気分次第……でしょうけど、なるべく早くとは、わたしも思っていますから」
「まぁ、来る前に連絡してね。掃除とかしときたいし」
「掃除をするなら本の部屋からですね」
「あの部屋は……まぁね」
「わたしも一緒にしますから、嫌がらないでください」
まだ朝の十時を過ぎていない頃。
いつもなら朝ごはんを食べ、片付け、楓は楓の事を、紅葉は紅葉の事をしようとしている時間、だというのに。
「気を付けてね」
「楓さんも。元気でいてくださいね、わたしがいないからって変になっちゃ嫌ですよ」
お互い別れを惜しんでいたが、そんな事を知らない時間は、自分勝手に過ぎていく。
紅葉は小さく手を振ると、楓に背中を向けドアを開ける。
そのドアを通り、一度外に出ると紅葉は楓の方をみて深々と頭を下げる。
「お世話になりました……また、会いましょう」
「うん、また……どこかで」
「次にあった時は、わたしのマネージャーさん。ですかね」
「だといいね」
一度上げた頭を紅葉はもう一度下げ、深々とお辞儀をすると。
「じゃあ、またね。楓さん」
「あぁ、またね。紅葉」
そう言って紅葉はドアを手でそっと押す。
楓はだんだんとしまっていくドアを眺めながら、その隙間から見える紅葉の影を、ただじっと見つめていた。
楓一人の靴しかない玄関を眺めて、キャリーケースの音ももう聞こえなくて。
「あっさり帰っちゃったな。あの子……」
楓の日常が返ってきた。
何もない、可もなく不可もない。
ただ、当たり前にあるはずもない明日と昨日が、当たり前にある奇跡に嘆く日々が、返ってきた。
いつもは紅葉が淹れてくれるコーヒーを、楓は自分で淹れる。
そのコーヒーが入ったマグカップをテーブルの上に置いて、そっと口をつける。
「あれ……」
コーヒーを飲んだ瞬間、楓は小さな違和感を心で知る。
「こんなに静かだったっけ」
それはきっと、紅葉がいなければ気づくことのなかった些細な違和感。
「私の日常って」
音があまりにも少なく、鮮明で、澄んだ世界。
ただそれらが冷たく、楓の肌を刺す様に押し寄せる。
「ちょっと、外出ようかな」
紅葉がいなくなった後の部屋はなんだか広く思えて。
一人で食べる昼も夜も、つまらなく思えて。
眠る前に紅葉の顔が見られないのが、寂しく思えて。
昔に戻っただけ。
と、そう思えば思う程。
楓の中にある虚しさは増すばかりだった。
時間の流れは速いもので、秋はすぐに過ぎていく。
九月の終わり、大きな段ボールが楓の家に届く、それはゆかりからのプレゼント。
中を開けてみると、美味しそうなジャムがいくつか入っていたのと、可愛い便箋に書かれた手書きのお手紙が入っていた。
「さてはあの子、ジャムにハマってるな?」
多種多様なジャムの山に押しつぶされそうになりながら、十月の朝食は食パンとジャムが主なメニューになった。
もうすぐ冬休み、それと同時に大学受験も迫っていた。
未だ楓の志望校は定まらず、今通っている高校から大学へ行けたらいいかな、くらいの軽い気持ちでいた。
そもそも大学に行く必要はあるのか、と考える事もあった。
「志望校は決まりました?」
と何度も何度も担任や進路担当の先生に言われ、少し嫌になってきた楓は芸能関係の専門学校、マネージャーやプロデューサーになるにはどうすればいいのか、などと言う事を勉強しながら、それらができそうな大学や専門学校を探していた。
刻一刻と時間は過ぎていく。
どうやら初雪が降ったらしい、どうやら秋は終わり冬になったらしい。
そんな事すら実感できないまま、楓の時間は過ぎていく。
冬休みが始まる数日前、楓は図書室で彼女と話をする。
それは今日が最後の日だから。
「謎ですよねぇ、三年生の部活は冬休みが始まる一週間前まで、って」
「受験に集中してほしいからって話だから、理にかなってるのかな、一応」
「さぁ、どうなんでしょうねぇ……でも、私は寂しいですよ? 先輩がいなくなっちゃうと」
「そう? でも、来年は入ってくれるといいね。新入部員」
「私は……一人でも大丈夫ですけどね」
「大丈夫そうには見えないけど」
楓のお昼ご飯は、お弁当ではなく自作のおにぎり二つになった。
「先輩は独り身になって、寂しくないんですか?」
「独り身って言い方やめて。なんか私とあの子がそういう関係だったみたいじゃん」
「あぁごめんなさい……でも、気になって。先輩は一人でも寂しくないのかなぁて」
「寂しくはないよ。ただ、一人暮らしってこんなに大変だったっけ、って。今すごく実感してる」
「それを昔は当たり前の様にしてたんですよぉ、先輩は」
「現実味ないなぁ、ほんと」
お昼休みが終わる五分前、学校中にチャイムが響き渡る。
楓は席を立ち、ドアの方へと近づいていく。
彼女は椅子に座ってその様子を眺めながら、ただじっとしていた。
「今日でさよなら、ですかね」
「どうだろ。また、来るかもしれないけどね」
「その時私はここにいるのでしょうか?」
「いないとおかしいでしょ」
「はは、ですね」
結局私は、先輩にとってどんな人だったんだろ。
来年になったら忘れられているんだろうなぁ、私なんて。
先輩は、やっぱりどこか浮世離れしていて、不思議な人で。
でも、そんな先輩が「姫メ乃猫」の事を未練がましく覚えているなんて。
「先輩は、一度恋してみたらいいと思います」
「は? 急になに」
「それで、ちょっとは人間らしくなってください」
「だから何? 私ちゃんと人間だよ?」
「まぁ、そうなんですけど……色々浮世離れし過ぎているというか」
「そんな事ないと思うけど、地に足ついて生きてると思うけど」
「んーとにかく! 恋とかすれば先輩は変わると思いますよ!」
「わかったわかった。いつか恋はするから」
そう言って椅子に座る彼女の頭を楓は撫でる。
撫でながら、少し寂しそうな顔をする彼女を見て、心が痛む。
「それに私、どんな酷い事をされても、どんな言葉をかけられても、男の人しか好きになれないんだろうしさ。だから、いつか男の人と恋するよ」
そう言って、楓は笑っていた。
その笑顔は、今まで私に一度も見せたことのない、どこか陰りのある笑顔だった。
「じゃあね」
楓はまた彼女に背中を見せ去っていく。
「さよなら」
と、そう言って。
「あぁ、先輩……」
結局彼女は楓にとって、当たり障りのない。
益にも害にもならない存在のまま、楓の記憶の中で留まっていた。
「先輩!」
でも、それじゃ嫌だと彼女は声を出す。
「また。会いましょうね……いつか……また」
楓では振り返って、彼女の目を見る。
今にも泣きだしてしまいそうな、そんな寂し気な目は、ゆかりから去ったあの日、ゆかりがしていた目にとてもよく似ていた。
「君こそ、恋しなよ。今度はちゃんと、好きな人に告白するんだよ」
そう言って、楓は図書室から去る。
彼女の「またね」に応える事はなく、楓はそれから一度も図書室に訪れる事はなく、図書館にいる彼女に会う事もなかった。
夜乃月です。
カクヨムに投稿していた作品を、こちらにも投稿しはじめました。
こちらは時系列整理版、としてカクヨムの方で閑話扱いとなっていたエピソードも本編中に含めて投稿いたします。(カクヨム版は完結済)
【カクヨム版URL↓】
https://kakuyomu.jp/works/16817330650740228152/episodes/16817330650811515873




