26 ≪ブルースターが咲いた未来≫
夏休みが終わり、一週間が経った。
九月になり、だんだんと涼しくなり始める最初の週末。
紅葉は気合を入れて、服を着替える。
「どうです? 似合ってますか?」
楓の部屋にある姿見で何度も何度も自身の姿を確認したというのに、紅葉はまだあの服に自信がなかった。
「似合ってるって、自信もって。ていうか、このセリフもう五十回は言ったよ?」
「何度言われても落ち着きません……だってその、これを着て出かけるのは初めてですから……それに今日はお母さんと会う訳ですし……」
紅葉はあの時買った、少し大きなサイズの紺色のパーカーと、その下に隠れるダメージデニムの短パン。
首から下げるのは、楓にもらった白いエゾギクがついたネックレス。
「私とお揃いって感じだし大丈夫じゃない?」
「どういう理屈ですか……でも、そうですね。もう少し自信を持った方がいいですよね。せっかく楓さんが似合うと言ってくれているんですし」
楓は、ユリにとってはすっかり見慣れた余所行きの格好をしていた。
何でもない日なんかは制服をアレンジして着るのに、こういう日は必ず、白色ブラウスと黒色短パンデニムのお気に入りセット。
更にその上から、黒色のライダースジャケットを羽織るのだって、いつも通り。
お財布などを入れているのは、最近買った黒色のショルダーバッグ。
「楓さん、今日はタイツ履かないんですね」
「んー別にいいかなぁって」
楓の耳で揺れるのは黒猫のイヤリング。
ピアスを開けたいと思った事をもあるらしいけど、痛いのは嫌いだし穴を空けるという行為自体も、楓は嫌いらしい。
「その……黒猫さんのイヤリング。似合ってますよ」
「そう? ありがとう」
靴を履くと、やっぱり紅葉は少し心配になってしまう。
「ちゃんと履けてますか?」
楓と紅葉はデザインにあまり違いのない、黒色ブーツを履いている。
違いがあるとすれば、楓はロングブーツで紅葉はそうではないという事だろうか。
「履けてるし、似合ってるから。早く行こ? お母さん待ってるでしょ?」
「ですね……あの人を待たせると面倒ですし」
そうして二人は家を出る。
二人揃って家を出るのは、一緒にでかけたあの時以来だった。
だというのに、紅葉のテンションはだんだんと下がっていく。
それは仕方のない事だけれど、やっぱり紅葉には笑っていてほしいと楓は思いながら、紅葉の背中を見て歩く。
待ち合わせ場所は駅近くにあるファミリーレストラン。
二人はそこへ行く前に、駅から少し離れた所にあるあまり知られていない和菓子屋で和菓子を買い。その後、ファミリーレストランへと向かっていった。
先に店についた二人は、店の奥の方にある四人掛けのソファー席へ案内される。
二人がそこに座ってドリンクバーを三人分注文すると、紅葉に「わたしはお母さんを待っているので、楓さんが先に行ってきてください」と言われ、楓は少し心配になりながらも、紅葉が欲しい物を聞いて、それを取りに行く為に席を立った。
親切な事におぼんが置いてあった。
そこに、楓のグラスと紅葉のグラス。
お母さんが何を飲みたいか分からないけれど、紅葉と同じ趣味ならばコーヒー系だろうと、楓はアイスコーヒーをつくり、それらをお盆の上にのせた、
それを紅葉の元に持っていこうと、そう思っておぼん持ち上げた時だった。
「あんた今まで何してたの!」
そんな怒号と共に頬を強く叩く音が響き、それは楓のいる場所まで聞こえた。
それと同時に店内が騒然とする。
つい数十秒前まで平和だった店内に怒号が響いたせいだ。仕方ない。
マズい、と楓はおぼんをその場に置いて紅葉が座っている席の方へと速足で向かうと。
案の定、紅葉がスーツを着た年上の女性に叩かれ、今にも泣きそうになっている所だった。
紅葉の胸ぐらをつかみ、今にも殴りかかりそうな、その女性の場所まで走っていき、その女性を制しする。
「お母さん。落ち着いてください」
そう、肩を叩いて声をかけても、楓は睨まれるだけだった。
「あんた誰」
「ご挨拶が遅くなって申し訳ありません……この数ヶ月、娘さんをお預かりしていました徒花楓と言います」
そう言って頭を下げて、それで母親が納得してくれる訳がないと、楓は分かっていたけれど。
「あんたね! あんたのせいで、猫がこんな下品な服を!」
それでも楓は、頭を下げるしかなかった。
「一旦、座ってくれませんか? それで、落ち着いて話をしましょう」
「お母さんお願い……一度、ちゃんと話がしたいの」
楓の言葉には耳を傾けず、母親は紅葉の言葉に従って、席に座る。
楓はすぐにドリンクバーへと戻り、置いていったおぼんを、と思ったがそれは既に片づけられてしまっていた。
なので、楓は新しいドリンクをもって、席へ帰る。
「この数ヶ月間は、私が責任をもって娘さんの面倒を見ていましたが、それでもこの子の親としては心配だった部分もあると思います……気持ち、と言ってはなんですが。これをどうぞ」
そう言って、中に和菓子と封筒が入った大きな紙袋を母親に手渡す。
「それで? 怪我や病気はしてないんでしょうね」
「ええ、健康そのもので」
「そう……で? どう責任をとるつもりなのよ」
「責任ですか」
「当たり前でしょう? この子が勝手な事をして、貴方が家にあげなければ、今頃普通に仕事をして、お金を稼いで、家族の為になるいい子のままだったのに、その挙句変な子供に捕まって……」
「楓さんは変じゃないです」
そんな風に小さな声で反論できても、紅葉は大きな声では何も言えなかった。
「とりあえず、ドラマの撮影すぐに始められる様にするわよ。撮影開始はもう少し先だけど、ちゃんと体重管理しないと……」
そんな言葉の数々を親が自ら言うかと、楓は思ってしまう。
「お言葉ですが、この件に関してこれ以上私が何かしなければいけないとは思っていません……それに、もみ……あぁええと……猫さんからも、お話があるようなので」
俯いていた紅葉は楓に促され顔を上げ、母親の目をじっと見る。
「何が言いたいのよ。謝罪? 今更?」
「もちろんちゃんとごめんなさいをしなきゃとは思ってる、けど……あのね、お母さん」
唾をのみ、慎重に息をする。
それでも紅葉の鼓動は冷静にならない。
「私、アイドルは好きなの。だから、アイドルには戻りたいの」
「じゃあ、こんな事しなければよかったじゃない」
「そうじゃなくて……アイドルに戻りたいから。でも、今のままじゃ嫌だから……だから、まずは活動していくための名前を、徒花紅葉に変えられないかな」
力強く、母親は机を叩く。
そして、大きな声で一言。
「何馬鹿な事言ってんのよ!」
と、周りの迷惑も考えずそう叫ぶ。
「あんたのせいで、どれだけの人に迷惑をかけていると思っているのよ! どれだけの仕事がなくなって、私が色々な人から白い目で見られたと思っているのよ!」
そんな言葉で紅葉を責め立てる。
「だいたいその名前は二人で活動するための」
「だから、その子にあった事もないし、見た事もないし。あるかもわからない話の為に、こんな恥ずかしい名前は嫌だよ……」
「恥ずかしいって何よ、私がわざわざお前の為に考えてやったのよ? それにね、お前と活動するはずだった人になら会ったことあるでしょう? 今何をしているのか知らないけれど」
母親は紅葉と違ってコーヒーは苦手なようで、それを飲むと少し嫌そうな顔をした。
「会ったことがある? それって……誰?」
そう紅葉が聞くと、母親は呆れた様な態度で答える。
「お前のお姉ちゃんだよ」
と、そう答える。
「え? わたしの、お姉ちゃん?」
え、紅葉ってお姉ちゃんいたの。
「花菱姫。って知ってるでしょ? 私はね、二人で活動してもらおうと思っていたのに、あの子アイドルなんてしたくないって、家を出て行ってそれっきり」
「え? 行方が分かっていないんですか?」
思わず楓は口を挟んでしまう。
「知らないわよそんなの……だいたいね、私の言う事も聞かずに逃げ出したやつなんて、もうどうでもいいわよ」
「失礼ですけど、お父様って何されてます? お父様はその事についてなんと?」
「旦那とは離婚しているわよ。二人をアイドルにしたいって言ったら出て行ったわ」
「ああ、そうなんですね……」
怒涛の勢いで降りかかる新情報に、楓も紅葉も呆然としていた。
なにより紅葉は、もう顔も覚えていない姉と、まさかアイドルをする予定があったなんてと、とても驚いていた。
「とにかく、この子にはアイドルをしてもらわなきゃ、表舞台に立つ人間でいてもらわないと困るんです。そのためにも、今まで散々私が売ってきた名前を捨てるなんてそんなの許すわけないでしょう?」
「それは……」
しゅんとして落ち込んでしまった紅葉の頭を撫でようかと、一瞬楓は手を差し伸べそうになったけれど、今は母親の前だとすぐに自重した。
「全く……猫も、もう高校生なのに……そろそろグラビアの初仕事だって言うのに」
その言葉を聞いた瞬間、紅葉は衝動的に、強く大きな声で言う。
「それは嫌っ!」
そして、涙を必死に抑えて、震えながら、ゆっくりと椅子に座る。
そしてまた猫は言う。
「それだけは嫌……」
「何が嫌なの? こうなったら、そうでもしないと売れないでしょ? 全部、貴方のせいなんだからね? 貴方が私の言うとおりにしていれば、もっと仕事も増えて安定したのに、こんな事をするから信用がなくなったのよ?」
「信用がなくなったから体を売れって? なんで! もういいじゃん! そこまでしなくてもさ!」
紅葉がこんなに声を荒げてる所、はじめてみた。
「貴方言ってくれたわよね? お母さんの夢を叶えるって言ったわよね? なら、叶えてよ? ねぇ、お母さんの言う事をちゃんと聞いてよ!」
そう言って、母親は強くテーブルを叩く。
今にもコップが倒れそうだ。
「紅葉? 大丈夫?」
「大丈夫ですよ……」
芸能界復帰。
それは確かにわたしが今一番望んでいる事です。
でも、このまま続けても何の意味もない事は、わたしが一番知っています。
「昔はそうでした……何も知らなくて、お父さんやお母さんが言う事が全てで……でも、今のわたしは違います」
冷静になって、ちゃんと話せば分かってくれるでしょうか。
「わたしはお母さんの夢を叶えたいんじゃない……わたしは、一番見ていてほしい人の隣で、その人にわたしの輝く姿をみてほしいんです」
「は?」
母親は何も理解していない様だった。
理解できそうにもなかった。
「今回の件は、花菱猫が仲のいい女の子と駆け落ちをして、失敗をしたという事にでもしておいてください。それから、復帰する時は徒花紅葉としてのデビューそれから……」
「なにさっきから自分勝手な事ばかり言ってるのよ!」
自分勝手、なんだろうな、きっと。
これはわがまま、なんだろうな、多分。
好きな事は続けて居たくて、楓さんの側にも居たくて、でもその為に母親の言う事は聞けなくて。
わがままだし、自分勝手だし、母親の気持ちなんてきっとわたしは何も分かってないんだろうな。
でも……わたしは、楓さんの為のアイドルでいたいな。
俯いて、涙をこらえて黙ってしまった紅葉の代わりに楓は言う。
「徒花紅葉では、嫌ですか」
感情を押し殺して、淡々と楓は言う。
「ダメよ」
「お母様の為のアイドルでなければいけませんか」
「私はこの子の母親よ? この子をお腹を痛めて産んだのは私なのよ?」
「たとえ貴方がお腹を痛めて産んだとしても、紅葉はもう自分の道を自分で歩んでいます。きっとそれは貴方の望むものばかりじゃないでしょう……でもね、お母さん。彼女彼女であって、貴方ではないんです……貴方から産まれた、貴方とは違う人生を歩む権利のある子なんです……ですから、お母さん。紅葉の望むようには、してもらえないでしょうか」
「この子が何を望んでいるって言うのよ」
「あぁ、そうですか……」
こういうタイプの親は嫌いだと、楓は強く想う。
子供の事を何も考えず、意思を奪い、意見を奪い、ねじ伏せる。
一番嫌いで、一番許せなくて、そでもどうにか付き合っていくしか子供には方法がない存在。
すっかりしゅんとして、泣きそうになってしまいながらも必死にそれをこらえている紅葉を見ると、どうしても楓は我慢していられない。
「紅葉は、名前を変えるだけで、よかったんだよね」
「はい……それだけで、いいです……」
「お母様は、名前を変えることも許せないし、子供は自分の商売道具だし、やだやだと、そういう事でいいですか」
「ええ、言い方は気に入らないけれど」
「そうですか……」
「だから早く娘を返して頂戴。こんなくだらないことで時間を使っていたくないのよ」
なぜか、私が話し合いの中心にいるみたいだった。
仕方ないか、どう頑張っても紅葉にとっては嫌な母親だろうし。私が父親や兄と顔を合わせたらきっと今の紅葉みたいになってしまうだろうし。
そこも、お互い様。かな。
「紅葉、ごめんね」
「え……楓さん?」
せっかく綺麗になっていた紅葉の髪を、楓は少しだけ雑に撫でた。
その髪を、頭を撫でて、楓は覚悟を決めて言う。
「お母さん。私は貴方の事を信用できません」
「は?」
「ここは、素直に紅葉さんを返すのが大人のする事なんでしょうけど。私はやっぱりお母さんを信用できませんし、貴方に紅葉さんは預けられません」
そう言いながら、楓は冷たいコーヒーを飲む。
そのアイスコーヒーはどこまでも冷たくて、少し苦い。
多少の甘さが欲しい、苦いのは、やっぱり好きじゃない。
そんなのはきっと、私のわがまま。
紅葉にもっと、甘く優しくいてほしい。
そんなの全部、わがままで。
でも、それはきっと私にしかできない事、のはずだから。
「だから……お母さん」
大きく息を吸い、その息を吐いた数秒後。
「私をこの子のマネージャーにしてください」
楓の口から飛び出したのは、そんな突拍子もない言葉だった。
「何言って……それに、この子にはグラビアの仕事が……」
「それも、私と紅葉さんで話し合って決めます」
「なによ勝手に、急に出てきてごちゃごちゃと」
「急でもなんでもいいじゃないですか。紅葉は私の事を信頼して、信用して、この数ヶ月間を私に預けてくれたんです。私はそれだけの事をしてくれた紅葉を、蔑ろにしたりしませんよ。貴方の様に年単位で付き合って、その上で蔑ろにしてたりなんて、絶対にしませんよ」
単純に腹が立った。
ただそれだけ。
感情が、刺激された。
ただそれだけ。
「私は、貴方よりも紅葉さんの事を大切に思っていますし、大切にします……だから」
ユリの目には、いいえ紅葉の目には楓さんが輝いて見えました。
立派な大人、誰よりもわたしの前を行く人。
いつでもわたしの前にいて、どんな苦しい事も乗り越えていく人。
でも、そのためにはわたしがどこかに必要な人。
「お母さん。大切な娘さんを、私に預けてはくれませんか」
紅葉は泣いてしまいそうです。
今にも、涙が溢れて、どうにかなってしまいそうです。
「楓……さん」
紅葉のその気持ちは、小さな涙声に変わっていた。
「はぁ……」
と、母親はため息をつく。
「徒花さん……だっけ? どうしてこんな子にそんな……」
母親の言葉を遮る様に、楓は言う。
「こんな子。なんて言わないでください。それは母親が娘に対して言っていい言葉ではないですよ?」
後は、攻めて、攻めて、攻めさえすればなんとかなるかもしれない。
なんとかならなければ、もう罵詈雑言の繰り返しで黙らせてやる。
「本人が嫌がる事を無理にさせて、お金を稼ぐ。それが親のすることですか?」
私は、知っている。
親とは、子を愛すべきものだったと。
そうでない親子関係なんて、壊れてしまっても仕方がないんだと。
「一度でもいいから、娘さんの言葉に耳を傾けてくださいよ。お願いですから、この一度だけでも構いませんから……ですからどうか、どうか、娘さんの望む未来を許してはくれませんか」
母親はずっと黙ったまま、ただ楓の目を見る事はなく、じっと紅葉の目を見て話を聞いていた。
しかし楓は、それでも楓は、じっと、まっすぐ紅葉の母のその顔を、その目を見続けていた。
「楓さん? 貴方はマネージャーの経験なんてないでしょう? それに、この子をここまで育ててきたのは母親である私なんです。ですから、赤の他人がそんなに口を出さなくても」
母親にそれ以上喋らせまいと、楓は少し食い気味になって、母親の言葉を遮る様に強く言う。
「たしかに私は」
と、強く訴え、一度冷静になる。
「たしかに私は……芸能関係でのお仕事の経験はありませんし、マネージメントなんてした事も見た事もありません。それでも私は、あの頃からの一ファンとして、紅葉の事を誰よりも近くで見ていたいだけなんです」
あの時、必死な笑顔で優しい声で紡がれた歌を歌っていた。
あの、アイドルを、私は知っている。
あの、アイドルを、もう一度見たいと私は思っている。
だから、もう一度、どうか。
「もう一度言います」
これは私のエゴかもしれない。
紅葉の優しさに甘えて、紅葉の望みに甘えたエゴ。
でも、私はそれを頼りに生きていきたい。
どうせ全部、私のエゴから始まった全てなんだ。
だったらもう、今更。
怖がる事なんて、エゴを否定する理由なんて何もない。
「お母さん、娘さんを私に預けて……いえ、そうですね」
私は心から誰かの幸せを、人生で初めて願う様になってしまっていた。
気づけば私は、紅葉の幸せを願う様になっていた。
「私に、娘さんのアイドルとしての人生を私に背負わせてはくれませんか」
私自身驚いている。
こんなにスラスラ言葉が出てくるなんて、ああなんだ。私こんな事思ってたんだって。
できるのかな、失敗したらどうしよう、そんな不安も勿論ある。
けれど、それ以上に「徒花紅葉」の輝く姿をもう一度私は見たいと、そう思っていたんだ。
心のどこかで、そう願っていたんだ。
「ほんと、めんどくさいのに拾われたわね」
「ええ、私はめんどくさいですよ。向けられた悪意は一生忘れませんし、向けられた好意は一瞬で忘れてしまう様な、そんな人間ですから……で、いいよね? 紅葉。私の側にいてくれる?」
「えっ、はい……その、嬉しいです……」
楓の言葉に紅葉は顔を赤くして、少し視線を逸らす。
「だそうです。どうします? お母さん。娘さんはこう言っていますけど」
しばらくの間母親は考える。
空っぽになったグラスを見て、ドリンクバーに新しいものを取りに行って、帰ってきてもまだ考えていた。
「はぁ……分かったわよ。でも、条件があるわ」
「なんですか」
「猫は、三日以内にうちに帰ってくる事。いい?」
はいと素直に返事をしたくないのだろう。
紅葉は少し言葉を渋りながら。
「はい……」
と、楓に頭を撫で荒れた後少し不貞腐れた様に答えた。
「気持ち悪い」
そんな様子に、母親は小さな独り言を漏らす。
「じゃあ……はい。徒花さん」
母親は楓に一枚の名刺を渡す。
「猫が帰ってきたら話をすすめるから、早く返しなさいね」
不気味にも見える笑顔でそう言った。
「はい」
「それと、猫の経歴に傷がつくような事をすればその責任は、全部貴方にあるから」
「紅葉楓の為に死ねるなら、私は本望ですよ」
その不気味な笑顔に、楓はそんな言葉と笑顔で返事をする。
「あぁ、そう……じゃあいいわ、徒花さんの電話番号かメールアドレス。教えてもらえる? そこに連絡をしたいから」
「あぁ、えっとですね……あっ、ペンと紙。あります?」
母親から借りたメモ用紙に、借りたペンで名前と電話番号をしっかりと書く。
そこに書く名前は「芽吹楓」と「徒花楓」の二つだった。
「本名は芽吹です。通名が徒花です」
「あぁ、そう」
「でも、基本的には徒花を使ってくださいね。あんまり芽吹きは好きじゃないので」
「はいはい」
それだけ言って母親は荷物をまとめはじめる。
帰ろうとしているのだなと分かった瞬間、楓の口から言葉が飛び出す。
「いいんですか? 久しぶりにあった娘さんと交わした言葉が嫌味の言い合いだけでしたけど」
そんな楓の言葉でさえ、母親には響く事はなく。
「別にいいわよ。この子が私の言う通りにならないのは昔からだもの……ほんとうに、手間のかかる子を産んでしまったと思ってるわ」
返ってくるのは冷たい言葉。
「うるさい……お母さんなんか嫌い……」
と、紅葉は小さく呟く。
母親は席を立ち、そのまま紅葉と目を合わせることなく店を出た。
「冷たいね」
そんな姿に思わず楓も言ってしまう。
「昔からああですよ……今日も、こっちのほうにいるお友達とご飯を食べに行くみたいですし」
「え? 今から?」
「今からです」
「えぇ……てっきり娘を私から奪い取るぐらいの勢いなのかと……」
「そんな気概があれば、きっとわたしの人生も違ったものになっていたでしょうね」
嵐が去って、二人は一旦落ち着こうと、息を整えようとコーヒーを飲む。
それからはしばらくの沈黙が続いた後、紅葉がお腹を鳴らした。
「わたし、お腹が空きました」
「だね……なんか食べよっか」
そう言ってしばらくしてテーブルの上に並んだのは、大盛りのポテトと、二人分のボロネーゼ。
「いただきます」
「いただきまーす」
それと、楓が飲むジャスミン茶と紅葉が飲むリンゴジュースだった。
「やっぱりわたし、お母さんの事が嫌いです」
そう切り出したのは紅葉だった。
「私も苦手なタイプだわ。子供の事を自分のアクセサリーとか思ってないタイプの人」
「わたしは……絶対、楓さんに側にいてほしいと思ってますから。楓さんは、大切な人……ですから」
「あぁ、その事なんだけど」
「え、どうかしました?」
一瞬否定されてしまうのでは、怯えてしまった紅葉に楓は自分自身の身勝手さを謝罪する。
「ごめんね。紅葉の迷惑も考えずに言って、ほんとに迷惑じゃなかった?」
「迷惑なんかじゃないですよ……むしろ楓さんにそう言ってもらえて嬉しいくらいです」
そう言って笑う紅葉の顔は、少しだけ赤くなって、紅葉の可愛らしい瞳は時々楓の事を正確に捉えられないでいた。
「楓さんにとっても、わたしは大切な存在なんだ。って知る事ができて、わたしはう嬉しかった……です」
夜乃月です。
カクヨムに投稿していた作品を、こちらにも投稿しはじめました。
こちらは時系列整理版、としてカクヨムの方で閑話扱いとなっていたエピソードも本編中に含めて投稿いたします。(カクヨム版は完結済)
【カクヨム版URL↓】
https://kakuyomu.jp/works/16817330650740228152/episodes/16817330650804985156




