25 ≪アダバナモミジと名乗りましょう≫
昨日の夜にできなかった話は今晩しよう。
お互いにそう思いながらも、中々話を切り出せないまま、八時は終わり九時になった。
お風呂から上がったばかりの楓の隣に、ユリも座る。
いつも楓が寝ているソファーが少し大きめのソファーでよかったなと、ユリはつくづく思う。
「楓さん……その、昨日の事で、その……」
ユリが昨日見ていたのは、あの思い出だけではなく、あの卒業アルバムを見ていた事を楓は知っている。
だから、きっと、たくさん聞きたい事があるんだろうな、と思いながら。
「コーヒー淹れてきていい?」
「あっ、はい」
「ユリは?」
「えと、同じで……」
「ん。分かった」
その話は楓から切り出すべきだろうなと思いながら、けれどそうできずにいた。
話してしまえばユリに嫌われそうで、それが楓にとっては少し怖かった。
二つのマグカップにコーヒーがはいって、並ぶ。
そのマグカップを最初に持って飲んだのは、ユリだった。
「わたし、聞きたい事が色々あって……きっと楓さんは聞いてほしくないんだろうなと、そうも思って……だから」
必死になって言葉を探す、どんな言葉なら楓を傷つけないで済むだろうと考える。
「その、色々聞いたんです。ゆかりさんから……だから、なんとなくは知っていて」
ユリがそういうと、楓は小さなため息をつく。
「なんだ、知ってたんだ。ユリ」
そして、楓はそんな言葉を吐き捨てる。
「ゆかりさんも善意だったんだと思います……色々な話をわたしにしてくれて」
「じゃあ、全部知ってるんだ……私がされたことも、私がしたことも」
「全てでは……ないと思いますが」
「子供の教育上よくないんだけどなぁ、そういう話を聞かせるの」
楓さんは平気そうな顔をして笑う。
なんでもないみたいに、それが当たり前であるかの様に。
「私は確かに酷い事されたよ。父からも兄からも暴力を受けた、姉は死んだし。母もう死んだ様なものだし……だから、私しかいないんだよ、生きてる人間が」
きっとどこかで間違えた。
きっとどこかで間違った。
間違って、歪んで、それが治らないままで。
「でも、別にいいかなって今は思うよ……だって、ユリがいてくれる訳だし」
あぁでも、そういう考え方じゃダメなのかな。
「ゆかりさんは……」
「ゆかり?」
「ゆかりさんの事は……あの人は、楓さんの事をとても心配しています」
「ゆかりは……ゆかりには、頼りすぎたかなって反省してる。すごい迷惑かけたな、って。だから同じ事をユリにしないようにしなって、今更思ってるよ」
楓はコーヒーを飲んでうやむやにしようとする。
結局大事な事は何も分からない。
何も、楓の口からきけないままで。
「芽吹さん……というのは」
「あぁ……それは……」
「芽吹楓さんというのは、誰なんですか」
だから、ユリはあえてそんな聞き方をする。
楓の感情を知りたくて、楓の言葉で全てを知りたくて。
「それは私だよ。私の本名」
「じゃあ、徒花というのは?」
「偽名。通称名? まぁ、今でも戸籍上の名前は芽吹だし、何かするときは芽吹じゃないといけない。けど、芽吹なんて私には似合わないから、徒花って名乗ってるの」
淡々と、楓は語る。
まるで何も思っていないかの様に、そこになんの感情もないかの様に楓は語る。
「卒業アルバムに書いてあった言葉は」
「私がしてしまったことを書いてるだけ、私がイジメられて、感情的になって学校で暴れた結果、誰がどんな風になったのかを、ちゃんと書いてるだけ。忘れないようにって」
淡々と、淡々と。
遠い過去を思い出し、言葉に変える。
「私の話なんてこんなものだよ。面白い話なんて全くないし、それにゆかりから色々聞いたなら、それで全部だから」
「でも……いえ、楓さんがそう言うなら、わたしはもうこれ以上何も聞きません」
「うん。それでいいよ。知らぬが仏ってやつ」
「でも……楓さん?」
ユリはマグカップを置いて、楓の方を見て微笑む。
「辛くなったら、それはお互いに分け合いましょうね」
優しい言葉に、温かさと目一杯の感情を注ぐために、ユリは微笑んだ。
「ユリは優しいよね。ずっと誰かの事ばかり考えてる」
「それはお互い様じゃないですか、楓さんだって男性と話をしたり顔を見たりするのが怖いのに、わたしの為に男性と話をしてくれたじゃないですか」
「まぁ、あれは……頑張ったけど」
「だからお互い様です。お互い自分の事が疎かかになりがちだから、お互いに支え合うんです。それじゃあ、ダメですか?」
「そういうものかな、私達って」
「そういうものなんです。わたし達は……さあ、楓さん? 未来の話です。未来の話をしましょうよ」
楓は一息つくためにコーヒー飲む。
少し心に余裕ができたのか、楓はそれが苦いものだったと、なんとなく感じられた。
「わたしはまたアイドルに戻ります。また、アイドルがしたいです」
「でも、母親と話できる?」
「します……頑張ります」
「不安だなぁ……そうだ、その席には同席しよっか。流石に私も謝らないとだから」
「楓さんが謝る必要なんて」
「あるよ。一応、未成年の子を半年ちょっと親元から引き離してた訳だから」
「それは……そうなんですけど……」
ユリはなんとなく納得できない。
別に何がどうとかじゃなくて、感情的に納得いかない。
悪いのはお母さんなのに、なのに楓さんが謝る必要なんてと、ユリは思ってしまう。
「それで、ですね。楓さん」
ユリはもう一度考える。
考えて、やっぱりそれがいいと覚悟を決めたら、それを言葉にする。
言葉に変えて、吐き出す。
「わたし、名前を変えたいと思います」
「名前……芸名?」
「はい、今のままの名前ではなく……その、わたしらしいものにしようかな、と」
温かいコーヒー、真っ黒なそれはユリにはまだ少し早かったかもしれない。
「それで……その、少し考えてみたんですけどね? 聞いてくれます?」
「もちろん。どんな名前?」
ユリはマグカップに口をつけ、コーヒーを軽く飲んだら。
「徒花紅葉……なんてどうですか」
少し恥ずかしくなって、そのマグカップで顔を隠しながらそう言った。
「可愛いとは思うけど……私が言うのもなんだけど、いいの? 徒花で」
「いいんです。楓さんとお揃いにしていたいというか、その方が頑張れそうな気がするんです」
「まぁ、ユリがいいなら。いいけど」
姫メ乃猫という芸名、花菱猫という本名、鬼灯ユリという咄嗟に出て馴染んだ嘘、そして徒花紅葉という本人が納得した名前、と普通じゃ考えられないほどの名前が、彼女にはあった。
そしてその中で、彼女自身が愛せる名前は「徒花紅葉」ただ一つだった。
「じゃあ、今日から紅葉って呼べばいい?」
「そうですね……その、慣れたいので。紅葉って、呼んでください」
「じゃあ……ええと、紅葉?」
「はい!」
「紅葉のお母さんといつ話をするか、決めよっか」
「ですね」
少しぎこちない。
呼び慣れていない名前だからか、呼ばれ慣れていない名前だからか、それとも「紅葉」というのが普段から発する事のない言葉だからか。
なんにせよ、呼べば呼ぶほど楓はその名前に馴染む。
紅葉も、呼ばれていて全く嫌な気がしない名前、というのはこれが初めてかもしれないと、嬉しく思う。
そしてその名前が、二人が望む未来の第一歩になる。
「楓さん。改めてよろしくお願いします」
「うん、紅葉、よろしくね」
夜乃月です。
カクヨムに投稿していた作品を、こちらにも投稿しはじめました。
こちらは時系列整理版、としてカクヨムの方で閑話扱いとなっていたエピソードも本編中に含めて投稿いたします。(カクヨム版は完結済)
【カクヨム版URL↓】
https://kakuyomu.jp/works/16817330650740228152/episodes/16817330650804623652




