23 ≪ミヤコワスレを心に咲かせた日≫
「ただいまー」
玄関の方から楓の声が聞こえてくる。
ユリはその声に反応できず、ただただ涙をこらえて、その手に持つ写真を眺めている事しかできなかった。
「あれ、ユリいない? あっ、でも靴はあるし……」
ユリに何かあったのかもしれないと心配になって、楓は急いで靴を脱ぐ。
廊下を走り、ドアを開け、リビングに辿り着いた時。
ユリの可愛らしい背中が、楓の部屋にあるのを見てすぐに安堵する。
「おかりなさい……楓さん」
ユリは必死に涙をこらえながら、いつも通りの言葉を楓の目を見ずに吐いて、正常を保とうとする。
「ただいまーで、なに? もしかしてお宝でも見つけた?」
「ええ……わたしにとってのお宝がありました……」
「何かあったかな、ユリが喜びそうなもの……」
「ありましたよ……わたしが、喜ぶものが」
楓が自室に入ると、ユリの側へ近づいていく。
ユリの周りには、缶バッチが二つとCDが一つ、置かれていた。
「あぁ、懐かしい! この子だよ、私が昔見たアイドルって」
楓はそう言って、ユリの涙の意味も考えずCDを拾い上げる。
「あー懐かしい。埃被ってなかった?」
そ楓はそのCDを手に取って、押し入れの中を探す。
「これこれ。ユリ見て」
押し入れの中には段ボールに入ったままのCDラジカセがあった。
「確か、これ聞く為だけに買ったやつなんだよね」
そう言いながら、楓は近くのコンセントとCDラジカセを繋ぎ、ユリが見つけたCDを読み込ませ、再生する。
夕暮れの、寂しい茜色の空。
そんな景色が照らす部屋に響いた歌は、つたないものだった。
とても歌唱力があるだとか、特別力強い歌声だとか、そんな事はなく。
とても子供っぽい甘く優しい声。
ただただ特徴的なのは、複数人で歌う様にパート訳された歌を、必死に一人で歌う幼い女の子の声だった。
「確かね。この子はね……」
そう言って、楓がCDの表紙をまじまじと見ようとした時だった。
それを止める様に、ユリは言う。
「楓さん……この写真、覚えていますか?」
楓に手渡されたのは、一枚のチェキ写真。
背の小さい女の子と、その子よりも背が高い女子中学生が並んでいる写真。
その女子中学生は。
「私と、その時見たアイドルとの写真だね」
「隣にいるのが、誰だかわかります?」
「え? だって……」
「わかりますよね」
「……え?」
見覚えがあるとかないとかそんなのじゃない。
覚えているとか覚えていないとかそんなのじゃない。
覚えてなければおかしかった。
ずっと、この記憶の中にいるが当然だった。
だって、今の私をつくったのは、今の私に変えたのは。
それは……紛れもなく。
彼女、だったから。
「楓さん……それは」
イジメの件も、家庭内の事も、結局何一つ解決しなくて、何も良い方向に進まなくて。
だけど時間だけが過ぎていく。
そんな時に、ゆかりが連れて行ってくれたショッピング。
ちょっとでも特別なものにしたいと、ゆかりは遠くにあるショッピングセンターに連れて行ってくれた。
そこに、彼女はいた。
また、怒られるんじゃないかって、ずっと怖かった。
踊るのも、歌うのも、わたしは全部好きで。
ずっと続けていたくて。
でも、どうしてもお母さんが怖くて。
一人でステージに立つと、今日はいつもと違ってご年配の方が少なかった。
その代わり、時々立ち止まって聞いてくれる人がいつもより多かった。
そんな気がした。
だけど、誰もずっとは見ていてくれなくて。
そもそも複数人で踊って歌う様な曲を一人で踊って歌っているのがおかしな話。
ライブの終わりが近づく頃、二人の高校生くらいの女の子が立ち止まってくれた。
その子は立ち止まって、じっとわたしをみてくれていた。
もう一人の女の子は、あんまりわたしには興味がなさそうで、ずっと友達の手を握っていた。
何か歌が聞こえると、私はゆかりの手を引いて音のする方へと速足で向かっていった。
するとそこにはステージがあって、その上にはアイドルがいた。
小さな、可愛らしい、アイドルが、今にも泣いてしまいそうになりながら、それでも必死に笑顔を作って、歌って踊っていた。
どうしてか、私は彼女に惹かれてしまった。
健気に頑張って、でもどこか自信がなさそうで、だけど、それでも楽しそうに笑って、踊って、歌っている彼女に。
「私は……惹かれたんだ……」
ライブ終わりのグッズ販売。
その日はわたし以外にも同じ事務所の子がライブをしたりグッズ販売をしていて、結構な大所帯だった。
売れ残りばかりが今日も積まれて、楽しいライブの思い出も全部全部消えていく。
お客さんはまばらだったけど、やっぱりわたしはアイドルが好き。
それに今日は二人高校生くらいの女の子が、最後まで見てくれてたから、ちょっと嬉しかったな。
「あの」
並べられたCDや缶バッチを眺めていると、秋風の様な、どこか冷たくどこか温かい、そんな声が聞こえてくる。
顔を上げると、凛とした女性が立っていた。
その人は、ずっとわたしを見てくれていたあの人だった。
「CD一枚と缶バッチが二つと……あと、チェキ。撮ってもらってもいいですか?」
「はい!」
嬉しくなって、わたしはすぐに黒いビニール袋の中に缶バッチとCDを入れる。
袋に入れ終わると、お母さんを呼んでチェキを撮ってもらう。
「ポーズ、どうします?」
「ええと……じゃあ、普通にピースで」
「分かりました」
そう言われて、ピースをしながら写真を撮ったけれど、どうにもその人の笑顔が着心地なくて、愛らしかったのを覚えている。
「写真、スリーブに入れてますけど。どうしますか? 袋の中で大丈夫ですか?」
お客さんと会うことなんて滅多にないから、どう対応するのが正解なのか分からなかった。
ただ、わたしは戸惑いながら、買ってもらった物を袋の中にいれていく事しかできなくて。
「その……ありがとうございます」
「え?」
でも、そんなわたしの考えは彼女の言葉で簡単に吹き飛ばされる。
「私、結構色々あって落ち込んでいたんですけど……でも、貴方のおかげでもうちょっとだけ頑張ろう。って思えました……あと、ダンスも歌も、可愛かったです」
なによりその言葉が嬉しくて。
「わたしもです!」
だからわたしは、勢いのまま彼女の手を握った。
「わたしも……お姉さんのおかげで、凄く楽しくて……今日はすごく、嬉しかったです!」
今抱えている感情を言葉にして出すなんて、そんな事簡単にはできなくて。
「「でも、ただ言える事は、このテーブルを超えた先にいる彼女が、初めて会った時よりも少しだけ笑顔になって、その笑顔がとても綺麗で可愛らしかったという事。その笑顔を見て、また明日も頑張ろうって、少しだけでも思えたという事実が、きっとワタシの中から、消えてしまう事は一生ないという事」」
黒いビニール袋を手渡す。
その直後、彼女にわたしは言ってしまう。
「また……来てくださいね」
「また」があると信じて、わたしはそんな言葉を口にした。
「うん。また……会えたらいいね」
「はい! またいつか……待ってますから! またお姉さんに会えるのを」
「また」があるかどうかも分からないのに、そんな事を私は言ってしまった。
最後に手を振って、「また会える日」を信じて。
「またね。お姉さん」
なんて、わたしは言ってしまう。
「あぁ、またね」
これが正しい対応の仕方だったのかも、正しいファンとのかかわり方なのかも、当時のわたしにとっては分からなかった。
ただ、わたしは彼女のおかげで「もう少し頑張ろう」って、そう思えていた。
「髪も伸びていますし……雰囲気も変わっていますし……普通、気づけませんよ……こんなの……」
「私も……ごめん。勝手に元気づけられて……そのことにも、気づけないままで」
楓が振り返りユリの方を見た瞬間、ユリに抱き着かれる感覚が楓を襲う。
かと思えば、楓の耳元ではユリが子供の様に泣き始める。
浅く、優しく、深く、ゆったりと、包むように、楓はユリに抱きしめられた。
「なんで……忘れてたんだろう」
「いいんです……わたしも、あの頃よりは少し大きくなりましたから」
ユリは楓を強く強く抱きしめて離さない。
楓はそんなユリに戸惑いながら、頭を撫でてユリの声を聞く。
「私の事、覚えてたんだね。ユリ」
「楓さんこそ……捨てないでいてくれたんですね。わたしの事」
一番大事にしなければいけないものがあった。
母親に何を言われても、父親に何を言われても、どんな事務所に入ったとしても、絶対に忘れてはいけない、心の中で枯れてはいけない記憶があったのに。
「ごめんなさい……楓さん……」
「えっ? なんで、なんでユリが謝るの?」
「だって、気づけなくて……」
「気づけなかったのはお互い様だし……だから、謝ったりなんてしないでよ」
綺麗な夕焼け空が、体に沁みる。
過去の傷をえぐって、それを癒すのは過去にあった思い出だった。
あの頃の事は、お互いあまり思い出したくないもので。
それでも、こうして思い出すと案外悪い事ばかりじゃなかった。
と、今ならそう思えるかもしれない。
「楓さん……わたし、やっぱりアイドルをしていたいです……誰かの笑顔を見て、笑顔になりたいですし。笑顔がない人に笑顔を見せて、笑顔になってほしいんです……」
そういうと、ユリは楓の制服をギっと掴み、今以上に抱きしめる。
「何よりわたし」
「また会える日」を叶える為に。
ユリは感情を、素直に言葉に変えて、ただ一人、大切な楓の元へ。
「もう一度、楓さんの前でライブをしたいです……楓さんの、アイドルになりたいです」
その言葉に感化され、楓は昔の事を思い出す。
あの頃の憂鬱さを、健気に話しかけてくれていたゆかりの事を。
憂鬱だった昨日を、来ないでと何度願ったか分からない明日を、初めて、それがあってよかったと思えたあの日の事を、ユリの事を、強く強く思い出し、強く強く想う。
地獄にいるみたいだった私に、彼女は勇気をくれた。
今にも泣いてしまいそうな目で必死に笑う、歌に、ダンスに、しがみついて。
それでも彼女はアイドルだった。
それでも彼女はアイドルだ。
なにより彼女は、私に勇気という名前の不確かな物をくれた。
明日が来る事を、もう少しだけならいいかとそう思えるようになれたそんな勇気。
それは、確かに私の中にあって、私の背中を押してくれた。
「わたし、ちゃんとお母さんと話をして、全部全部にケリをつけて……ちゃんとまた、楓さんに笑ってもらえるように……わたし、頑張りたいんです」
楓は何も言う事ができず、ただぎゅっと、ユリに負けないくらいの力と愛を込めて、ユリを抱き返した。
そして、何度も何度も頭を撫でて。
複雑に絡み合って、どうにも言葉になってくれないその感情たちを、たった一つの言葉にまとめて、ユリの耳元で囁く。
「ありがとう」
と、ただそれを。
ユリに。
「はい!」
年相応な可愛らしい返事に、楓は忘れていた涙を、思い出す。
心に灯る温もりと愛を感じ、涙を流す。
冷たかった体が少し火照って、なんだか恥ずかしい。
そして楓は、今ここにユリがいる幸せを噛みしめる。
たった一度の「またね」が、ずっと楓の中にあった。
消える事はなく、辛い日も苦しい日も悲しい日も、それがずっと楓の支えとなって生きていた事を、心で感じ、感情で知る。
涙を、拭いあう。
「あの、楓さん……もう、止めましょう? ずっと聞いていると恥ずかしいです」
と言って、ユリは停止ボタンを押そうとするけれど、楓はそのユリの手を握る。
「楓さん?」
「もうちょっとだけ、聞いてたい」
そんな風に言われると、ユリはもう何も言えない。
「もぅ……少しだけ、なんですからね。恥ずかしいんですから」
寂しい夕焼けが沈む事も、流れる雲が少し遅くなる事も、近くで遊ぶ子供達の声も、何もかもが消えていった。
そんな二人だけの世界を、誰も、邪魔なんてしない。
茜色の夕焼け空が星空に変わるまで、楓の部屋にはユリの歌声が響いていた。
夜乃月です。
カクヨムに投稿していた作品を、こちらにも投稿しはじめました。
こちらは時系列整理版、としてカクヨムの方で閑話扱いとなっていたエピソードも本編中に含めて投稿いたします。(カクヨム版は完結済)
【カクヨム版URL↓】
https://kakuyomu.jp/works/16817330650740228152/episodes/16817330650791661502




