22 ≪ノジギクに触れる≫
夏休みの終わりがだんだんと目に見えて分かる様になってきた頃、楓は相も変わらず、忙しなくバイトに励んでいる。
学業はというと、そちらもそれなりにこなしている様だった。
具体的な目標は大学合格、しかし楓の中に特別目標としている大学というのはなく、もっというなら楓に目指したい未来なんてなかった。
ある日の夕暮れ時、今日は綺麗なオレンジ色の夕焼け空が見えるなと、そう思いながら楓の洗濯物とユリ自身の洗濯物を、ユリは楓の部屋で畳んでいた。
「下着はここ……タオル類はここ……」
まだカゴの中にある畳めていない洗濯物を手に取りながら、綺麗になった洗濯物をテーブルの上に綺麗に並べていく。
楓の衣類は基本的にはクローゼットの中に仕舞ってある。
綺麗になったお洋服はハンガーをかけて、クローゼットの中や、楓の部屋にある白いハンガーラックにかける。
下着や靴下、ハンカチなどはクローゼットの中にある小さな三つの収納ケースの中に仕舞う。
収納ケースはクローゼットに合わせた落ち着いた茶色の木箱の様な見た目になっている。
収納ケースは縦三つに積まれ、一番上はアクセサリー類や腕時計などの小物が入っていて、スペースにはまだまだ余裕があった。
二段目には下着や靴下、あまり着る事のない服などが入っており、ユリはよくここを開ける。
「あぁ、楓さんまたわたしの下着をここに入れて……」
ユリの着替えや下着類は、基本的にはユリが引いてきたキャリーバックの中に片づけているのに、時々楓が間違えて自分のと混ぜてしまう。
「もう……全部私がするって言ってるのに……」
今日片づけなければいけない洗濯物は全て片付いた。
あとは洗濯カゴと余ったハンガーを洗面所に持っていくだけ。
「そういえば……この下、って」
三段になる様に積まれた収納ケース。
その一番下。
かがまないと開ける事のできない一番不便な場所。
そこをまだ、ユリは一度として開けた事がなかった。
何が入っているのか、それは知らないし聞いてもいない。
とは言え、今まで一度も興味を持たなかったのに、どうしてか今はそこが気になって仕方がない。
あの日ゆかりから聞いた楓の昔話が、ユリにとってはあまりにも衝撃的過ぎた。
そんな事が、の連続で立派に成長したはずの感情が、何一つ追い付かない。
早くなって止まらない心臓は、あの日聞いた言葉の真相を知りたいという欲求にかき消されていた。
誰に、どんな形で、どんな方法で、楓が救われたのか、それがどうしても気がかりで。
そっと、ユリはかがみ一番下の、その開けた事のない場所を開ける、
中を見て、最初に目に飛び込んできたのは、小学校、中学校の卒業アルバムだった。
「アルバム……昔の楓さん!」
すぐにユリは小学校時代の楓に出会う為、アルバムを開く。
するとそこには行事ごとの写真や、六年生時点での集合写真。
後ろの方のページには、今後の目標が作文という形になって載せられていた。
「あっ、昔の楓さんだ……可愛い、髪短い……それに、笑ってる」
小学校一年生、二年生頃の楓の写真は、今では考えられないほどの子供らしい、あまりにも自然な笑顔で笑う。
しかし、小学校六年生の時の楓は、あまり笑っていなかった。
「楓さんの将来の夢は……」
題名、氏名、本文。
たったこの三つの中に、楓はたくさんの「楓」を、詰め込めるだけ詰め込んでいた。
それはもう、息が詰まりそうなほどに窮屈で。
「題名は『しょう来の夢』名前は……」
そこにあったのは「徒花楓」という、ユリが知る名前ではなく。
「名前は…え? 『芽吹』楓……え?」
知らない名前に驚いて、ユリはページを遡る。
すると、確かに卒業写真に写っているのは「徒花楓」の顔で一人一人、個別の写真の下に書かれた名前は。
「芽吹だ……めぶいてる……あだばなじゃなくて……」
もう一度、ユリは楓が書いた作文を見る。
そこには確かに「しょう来の夢」と「芽吹楓」と、そしてたった十五文字の本文があった。
「愛してもらう事。愛す事」
原稿用紙一枚にも、一行にすら満たないその言葉に、楓の全てが詰まっていた。
楓の複雑な想いが、感情が、たったそれだけの言葉に押し込められて、ユリの元へ伝わってくる。
小学校が終われば、中学校。
しかし、中学生の頃の写真はあまり見ていて気分のいいものではなかった。
どちらかと言えば気分が悪くなる様な、もっというなら目を逸らしたくなってしまう様な、そんな写真ばかりだった。
確かに楓は笑っていた。
笑っている様に見えた、見えたけど。
「虚ろな目……」
笑顔が痛々しく、女の子の友達に囲まれて写っているその写真にすら「楽しそうな写真」だと、ユリは思えない。
三年生の時に撮る集合写真に楓の姿はなく。
一年生や二年生の思い出として使われている写真にも、楓の姿はほとんどなかった。
そして数少ない写真の中に、楓のほんとうの笑顔は一つとして存在しなかった。
そのままページをめくり、楓の苗字を確認しようと読み進める。
そしてみつけたのは中学三年生の時の写真、中学最後の姿を映した、一人一人の顔写真が載ったページ。
「みんな笑って楽しそう……」
でも、この中に楓に酷い事をした奴がいるのかと思うと、ユリは心中穏やかではいられない。
別に楓に酷い事をした人間が分かったとて何ができる訳でもないのに、楓がされたあの行いの数々を、当事者でもないユリは許す事ができずにいた。
一枚、二枚、三枚、とページをめくってもまだ楓の写真は出てこない。
次かもしれない、次かもしれない、と覚悟を決めながらページをめくり続け。
そして、ユリの目に映ったのは。
「なに……これ……」
他のクラスに比べ、女子生徒が多く。
男性教師がとても若く見えた。
だけど、それ以上に見るべきだったのは、見てしまうのは。
一人の少女の顔写真に大きなバツ印がつけられ、その下に書かれていた名前の欄に小さく、可愛いい楓の文字で「精神を病んだ」と、一言。
横を見れば同じ様に、少女の顔写真に大きなバツ印、名前の横には「転校」と。
そんな言葉が、そんなバツ印が、十五名ほど続く。
楓含めて二十八名のクラスで、だ。
他にも「別のイジメの標的に」「私のせいで病んだ」「被害者のフリして死にかけたやつ」など、楓の当時の心境がありありと書きだされていた。
「楓さん……」
そして、そのバツ印は楓自身の顔の上にもつけられていた。
それは誰よりも大きい、バツ印。
そして他の子と同じ様に、楓は楓自身にコメントをつける。
「愛されないクズ」と、自分自身の心にナイフを刺し。
「愛せないクズ」と、もう一度自分自身の心にナイフを刺す。
当時の楓が、自分自身の事をどう評価していたのかを、それをユリは知らされる。
そして、ゆかりの言っていた話に何一つ間違いはない、と知る。
「こんなの……こんなのを見たら……」
こんなのを見てしまったら、余計に楓さんが笑えている理由が分からない。
どうして笑えているのか、こうしてわたしの事を考えて、思ってくれるのかが分からない。
自分の事で手一杯なはずなのに、どうしていいのかもわからないはずなのに。
「どうして……楓さんは……」
ユリはアルバムを一度置いて奥の方までしっかりと、何か手がかりがないかを探し出す。
しかし見つかるのは、まだ一度も使われていない貰い物のバスタオルや夏祭りでもらえる様な小さなぬいぐるばかりだった。
そんな中、ユリは一番奥に置いてあった夏祭りでもらえる様なエアガンの箱を見つける。
「この箱は……」
ゆかりが言っていた、楓が学校にエアガンを持って行ったという話。
そのエアガンはこれだったのかと思いながら、卒業アルバム以外に目立ったものは何もないこの場所で、最後の頼みの綱となるのはこれだけだった。
ユリはそれを床に置き、ゆっくりと蓋を開ける。
すると、中に入っていたのはたくさんの手紙と黒いビニール袋。
しかも、その全てがゆかりから楓への手紙だった。
わざわざ中を開けて一つ一つ確認しようなんて気はない、ただ裏側に書かれてある名前がゆかりであれば問題ない。
手紙を確認し終えて、ユリはやっとその黒い袋に手を伸ばす。
ビニール袋は可愛らしいマスキングテープで封がされていた。
人のモノを勝手に開けてはいけません、それくらいの事はユリにもわかる。
ただ、楓の事を知りたい、楓がたとえ望んでいなくてもても、知りたいとそう思うユリの心が体を動かす。
ここにもし、アイドルなんてものが関係なければユリはきっとこうはなっていなかっただろう。
ユリはゆっくりとマスキングテープはがす。
そしてユリは袋の中にそっと手を入れる。すると大きいものが一つ、小さなものが一つ二つ、三つ、くらいある事が確認できた。
まずは一つ、小さな物をユリは取り出す。。
「これは……缶バッチ? ですね」
黒猫が中央に描かれた小さな缶バッチ。
何処にでもあるようなもので、変わった事は何もない。
もう一つある小さな物を、ユリは同じように取り出す。
「これも……」
それもまた、小さな缶バッチだった。
デザインはさっきとは違い、中央に描かれた猫が白色だった。
あとはもう、大きい物ともう一つの小さいものしかなかった。
「どうせまた、楓さんの事が分かる様なものじゃ……」
と、特別期待もせずに、ユリは一番大きなものをなんのためらいもなく取り出した。
「え……」
しかしそれは、ユリにとって見覚えのある物だった。
ユリが忘れるはずのない、物だった。
「これ……え?」
表には小さな女の子が、制服を着て黒板の前に椅子を置いて座っているだけの写真。
「ヒメ様の猫……か」
ヒメ様の猫、という言葉が可愛らしい文字として黒板に堂々と書かれてあった。
「懐かしい……な」
それは一枚のCDケースだった。
ずっと眠っていたせいか、傷一つ、埃一つついていない、綺麗なCDケースが、ここにはあった。
最初は二人で活動をする予定だった。
姫様とその猫であるわたし、二人で活動するはずだったアイドルユニット。
でもヒメ様とライブをした事は一度もなくて、顔を見た事もなくて、結局その設定はどこかで消え去って、あれよあれよといううちにわたしもご当地アイドルをやめてしまって……。
「え? でもなんで……なんで楓さんが、このCDを……え?」
ユリはすぐに袋の中にある最後の一つに手を伸ばす。
それは……。
「わたし……だ、わたしと……楓さん……だ」
それは、スリーブの中に入って大切にされているたった一枚のチェキ写真。
まだ楓の髪は短く、笑顔はどこか憂鬱そうで。
「でも…楓さんだ……」
あの卒業アルバムで見た楓さん。
わたしが確かに覚えている、一人の女子高生は。
「中学生の子だったんだ……」
その写真には、わたしもいた。
アイドルらしい、と母親が思って事務所と相談し、買った服。
着慣れない可愛らしいスカートが少し恥ずかしかったのを、未だに覚えている。
「楓さんとわたしが……ここにいる」
ユリはしばらくその写真を、そのCDケースを眺め、唖然としていた。
楓だったのかと、思いを巡らせ、それと同時にあの日の事を思い出す。
あの日、ユリの前に現れた一人の女子中学生の事を、思い出す。
夜乃月です。
カクヨムに投稿していた作品を、こちらにも投稿しはじめました。
こちらは時系列整理版、としてカクヨムの方で閑話扱いとなっていたエピソードも本編中に含めて投稿いたします。(カクヨム版は完結済)
【カクヨム版URL↓】
https://kakuyomu.jp/works/16817330650740228152/episodes/16817330650791583478




