18 ≪赤いパンジーを君に語る≫
十分もしないうちに、楓は二人のいるリビングに戻ってくる。
そして楓はなんでもない様に笑いながら、誰がどこで、寝るのかを考え始める。
「私がソファーでいいとして、ユリとゆかりはどうしよっか」
楓が何でもない様に振舞うのならと、ゆかりはそれに合わせる。
「私、楓と一緒が良い!」
ユリは状況をいまいち理解できていないけれど、何でもないならそれでいいと、特別追求する事はなかった。
「でしたら、わたしがソファーで寝ますよ」
「えっ、でも……」
「楓さんはゆかりさんの事を大切にしてあげてください」
「ベッド使お! あれ結構大きかったから!」
「あれ二人も寝れないよ……まぁいいや、じゃその間に、歯磨きとかしといて。あっ、ゆかりは歯ブラシ持ってたっけ?」
「大丈夫。買ってきてるから」
二人が寝る支度をしている間に、楓はユリが床に落ちても痛くない様にと、ふわふわのモーフを探す。
しかし、この家のどこを探してもそんなものはどこにもなかった。
楓は元々この家に誰かを泊める予定なんてなかったし、友達が遊びに来る事も想定していなかった。
だから、何もかも楓一人分しかない。
だから、何もかもが足りない。
「出かけた時に布団を買っておくべきだったね」
「気にしないでください、それに楓さんがいつも寝ているソファーで寝るというのは、中々不思議な気分で楽しいです」
結局、ユリには一日か二日だけ我慢してもらう事になる。
それに対する申し訳なさは確かにあるが、楓の部屋にあるベッドで三人並んで寝る事ができないは紛れもない事実だった。
「楓っていつもソファーなの?」
「わたしが時々意地になって、ベッドで寝る様に言わない限りはずっとソファーですよ? 身体を悪くしないか心配です」
「だって、ユリの方が大事だもん。もし芸能界に戻るってなった時、私のせいでユリが変になったーって言われても私責任とれないし」
「ねぇ楓って、ユリの為にお金使ってるの? バイトで貰ったお金、全部」
「そんな感じの勢いだけど……ほら、ぶっちゃけバイトで貰ったお金の使い道なんてないし。強いて言うなら、将来の為の貯金だけど」
「ふーんそっか……まぁ、あれだよね。推しに貢いでるオタクみたいな感じだよね」
「ごめんその例えはよく分かんない」
楓も寝る支度を終え、時間も時間。
カーテンの向こう側にあるネオンがより一層輝き始めた頃。
「ゆかり、明日何時に起きたいとかある?」
「べつにー?」
「ていうか、いつまでいるかとか決めてるの?」
「全く? まぁ、三日くらい?」
「じゃ、それを頭の片隅に置いといて、色々と予定を立てないとだね」
「うん! そうだねー」
ゆかりはそう言って、楓の腕をしっかり掴んだ。
「楓、いこ」
ユリを置き去りにするみたいに、ゆかりは楓を引っ張って、楓の自室へと入っていく。
「おやすみなさい……」
そんなユリの声は、二人の耳に入らない。
いや、ゆかりがその声を楓の耳に入れさせようとしない。
ずっと抱き着いていたゆかりがやっと離れたのは、二人が布団に入って電気を消した時。
もう部屋は真っ暗で月明りだけがただただ眩しい部屋の中で、布団に入っていた楓が同じく布団に入ってもう寝ようとしていたゆかりに背を向けて言う。
「ゆかり、なんだか今日意地悪だよね」
その言葉は、ゆかりの元へ真っすぐ届いた。
「何か嫌な事でもあった?」
真っすぐ届いて、ゆかりをチクチクと攻撃する。
「なんにもない……だけど、ちょっと意地悪したくなっちゃった」
「それ、ゆかりの悪い癖だよ。嫌いな子に意地悪するの」
「私の癖じゃないよ、人類みんなの共通点」
「ユリの事、嫌い?」
「嫌いじゃないって言えば嘘になる」
「そっか……ちょっと、残念」
「私も楓も、人類皆とお友達になりたいなんて思ってないでしょ?」
「思ってないよ。だから、残念で終わり……じゃ、おやすみ」
ゆかりは楓の事を抱きしめて、何度か頭を撫でた。
しかし楓がそれに反応をすることもなく、ゆかりは諦め、そして一言。
「おやすみ」
と、たったそれだけの言葉を吐く。
ベッドで寝るのが相当久しぶりだったのか、楓はゆかりの予想よりも早く眠った。
可愛い寝息をたてる楓をしばらくゆかりは眺めながら、自分が眠れるのを待つ。
しかし布団が変わったせいか、近くに楓がいるせいか、ゆかりは中々寝付く事ができなかった。
「もう少し……起きてようかな」
足音を立てない様にしながら、ゆかりはベッドから降りて部屋を出る。
そしてユリが寝ているソファーの後ろを通って、冷たい夜風の吹くバルコニーへ出ていく。
もうほとんどの家は電気を消して眠りについた。
だというのに、遠くに見える街はまだ明るく。
こんな幻想的でうるさいネオンの世界は滅多に見られないだろうと、ゆかりはその景色を目に焼き付ける。
「なんでもないフリするのが上手だよね……楓って」
まだ外は暖かい、若干秋を感じられる様な冷たさもあったけれど、それはほんの一瞬、肌をかすめて通り過ぎていくだけ。
しばらくじっと遠くの方を見ていると、後ろの方で誰かがサッシを開ける。
「ゆかりさん? 眠れませんでした?」
「あぁ、ユリ」
普段よりも若干低い声でゆかりはユリの名前を呼ぶ。
それは別に不機嫌だからとか、ユリの事が嫌いだからとか、そういう理由で出た声ではなく。
それはただ、ゆかりが今抱えている憂鬱感が声になっただけのもの。
「ごめんなさい、急に声をかけて……何か、飲みます?」
「あぁ、じゃあ……ココア、もらえる? 温かいの」
「はい」
少しすると、温かいココアを二つ持ってユリはバルコニーの方に帰ってくる。
そして、ココアを一つゆかりに渡すと、ユリはそのままバルコニーに出て来る。
「ねぇ、ユリはさ。楓の事、信用してる?」
バルコニーに出たユリに最初に向けられた言葉はそれだった。
「信用していますし、信頼もしています」
「これから先も、ずっと一緒に居たい?」
「楓さんが望むなら……ですが、ただでさえ迷惑をかけているのにこれ以上は……とも思ってしまいます。それにわたしは芸能界復帰も考えなければいけませんし」
「迷惑かけてる自覚あったんだ」
「ええ、それくらいは」
遠くの方で光るネオンを目に映す。
「じゃあ、もし楓がとんでもない奴だ、って言ったらどうする?」
映して、どこか遠くに行ってしまわないかと願う。
「どうにもしません。あぁ、そうなんだなと、私はそれを知るだけです」
願ったところで、特別何もない。
「ふーん。そっか」
そういうと、何を思ったのかゆかりは遠くを見ながら、ただ声を一つ。
大きな息を吸った後に、吐く。
「楓はさ」
私だけが知っている秘密が、言葉が、自然を溢れ出す。
特別が、零れていく。
特別が、壊れていく。
「楓はとうの昔に壊れて、麻痺してどうにもならなくなって、きっと愛とか恋とか、そんな事で治る様な人間じゃ、もうなくなってるんだよ」
ずっと楓の側にいたい、離れたくないと願う、丁香花ゆかり。
彼女の手によって、彼女が抱えていた特別がするりするりと砂の様に落ちていく。
この手の平から、特別が流れていく。
「そんな楓の側にいたい。って、貴方は思えるの?」
夜乃月です。
カクヨムに投稿していた作品を、こちらにも投稿しはじめました。
こちらは時系列整理版、としてカクヨムの方で閑話扱いとなっていたエピソードも本編中に含めて投稿いたします。(カクヨム版は完結済)
【カクヨム版URL↓】
https://kakuyomu.jp/works/16817330650740228152/episodes/16817330650785415433




