一応魔女ではないつもり
「きゃ…っ!?」
すっかり慣れたヒールでさくさくと歩く途中、何かに躓いた。
そんな足が引っかかるような障害物は絶対になかったし、床は塵一つない程に磨き上げられているとはいえ、滑るようなものではない。
本当に突然何かが現れ、私は身体のバランスを崩した。
頭を打ちたくはない、出来たら蹲る程度で済まないかな──来るべき衝撃を待って、思わず目を閉じる。
だけど衝撃はいつまでも訪れず、私が感じるのはただひたすらに優しく頼りがいのある温もりだけだ。
フリックとはまた違う腕の太さと厚さ。
視界の端に映る黒。
「…ジョイスさん?」
「ご無事ですか、アン様」
「どうして…」
「申したはずです。私はアン様の護衛だと」
酷く簡素な説明だった。だけど、それだけで十分だった。倒れかけた私を彼が助けてくれた、その事実があれば。
騎士という職業柄か、受け止められたその身体つきは逞しく、背も高いので私はすっぽりと埋もれてしまう。
更に大人の男性の低く落ち着いた声が頭上から落ちて、心地良く、不安を感じる間もない圧倒的な安心感に満ちていた。
お腹から腰にかけて回されていた手はすぐに解かれ、私は無事真っ直ぐな体勢で着地する。
物静かな彼の言葉の陰で、何よこければ良かったのに、だとか、今度はジョイス様!?なんて、全然潜んでいない内緒話が聞こえてきて腹が立つ。
もしかしなくても私が転んだ理由は、まず間違いなくどこかの令嬢に足を引っ掛けられたからのようだった。
「…呪いを祓えるなら、操ることは出来ないかしら…あいつらに飛ばすとか…」
「お気持ちお察し致しますが、アン様それでは聖女ではなく魔女です」
「チッ」
小さく鳴らした舌打ちも、どうやら彼には完全に聞こえていたらしい。
冷静ではあるけど多少戸惑いも窺える目で見つめられ、私は慌てて誤魔化した。
「やだ、声に出てた?今のはここだけの秘密にしておいて下さいね」
「承知しました」
「あ、そうだ!ジョイスさんがいるなら安心だわ。私、お腹が空いたから何か食べたいんです。付いてきてもらえませんか?」
「ええ、勿論です。お任せを」
彼はフリックは勿論、レノやニルのように軽口を叩かず、必要最低限しか喋らない。
聖女という名のただの小娘の護衛なんて、面倒だとか命令されたから嫌々こなしているのではと一瞬心配になるけれど、そういった雰囲気もない。きっとこれが彼の通常運転なのだろう。
そしてそんな彼だからこそ、多少愚痴を零しても他の誰かに告げ口をされたりすることもないはずだという信頼感も、既に芽生え始めていた。
「…あんなこと本当にあるんですね。流石に驚きました」
「正直に申し上げますと、貴族のご令嬢でなければ叩き出しているところです。いえ、自分は例えご令嬢であろうと、聖女様に乱暴を働く者など退出させても構わないのですが、流石に命令もなくそんな勝手は出来ません。申し訳ないです」
「騎士の辛いところですねえ」
一瞬魔女になりかけた私には、当然ジョイスの気持ちはとてもよく分かる。
どうやら彼は、すべての女性に優しいニルとはまた反対の平等さを持つ人のようだ。つまり、相手が女性であろうと男性であろうと、王家に仇なす人に厳しい。騎士としてこんなに信頼出来る人もいないだろう。
「でも、どうして私に…確かにフリックといたけど、ただ王子と聖女の関係だってことは皆知ったはずでしょう?」
「それは恐らく、お2人がとてもお似合いだったせいかと。会場に入られた際は、王子が婚約者を連れて来たのかと客がざわついていたくらいですから」
「ああー…このドレスが勘違いさせてしまったのね、きっと。私も花嫁姿みたいだと思ったんです」
「お美しいですよ」
「え…」
さらりと告げられた言葉に動揺する。お世辞だろうけれど、相変わらず表情が変わらないので読めない。




