第一章 54 春乃との対話2
「……てっきり七海くんはわたしと付き合っていること、みんなに知られるのが嫌なのかなって思ってた」
俺の柔らかい態度に驚いているようで目を丸くしている。
「なんで?」
「それは…………なんとなく、そんな気がしてたから」
「杞憂だよ。ぜんぜん嫌じゃないしね」
何なら知れ渡った方が面白い。
「そっか……嫌では……ないんだ」
「むしろ何でそんな風に思ったんだ?」
「だって……」
俺の目と自分の手を交互に見ながら言い澱む春乃。
ジグゾーパズルを作る人が最初のピースを持ってしばし固まるように、自分が抱いていた俺の虚像を実像に昇華させる為の言葉を探しているようだった。
「だって……七海くんはわたしよりも大切なことがあるんでしょう……」
自分自身が発した言葉に傷ついたのか、顔を顰め、語尾は弱々しく萎んでいった。
「ハハ。大切なこと?そんなものないよ」
自分が思っていた以上に渇いた笑いが溢れる。
「あぁ」
春乃は憑き物が落ちたような爽やかな表情を浮かべた。
「やっぱりそうなんだね」
確信に満ちた歯切れの良さに俺の優越感が吹き飛び、不可解な晴れやかさを訝しむ。
やっぱりそうなんだね?
俺はその言葉を反芻した。
「……春乃は大切だよ」
苦し紛れの言葉は想像以上に空々しく響いた。
普段の俺であれば、仮にその空間でそぐわない事象言説であろうと、気にはしないはずなのに。
録音機を通して己の地声を初めて知ったがごとき不快感を催したのだった。
「わたし、何回も、何回も、自分で確認したんだー」
新雪に足跡を残す少女の興奮。
言葉を紡ぎ、俺の手を握る。
「七海くんはわたしのことが好きなのかな?七海くんはわたしのことを愛しているのかな?って」
異様な目つきだった。
熱を孕み、陶酔と自己懲罰を含んだコケティッシュな瞳。
「わたしの親はわたしに愛情をくれなかった」
吐息が混ざり合うほどに顔が近付く。
「わたしは愛してくれる人を求めていると思ってた。親の代わりに、溺れて、その沼から這い上がれないくらいに深く愛してくれる人を」
「それが叶わないから諦めたのか?」
春乃は俺の腰に手を回して抱き着いた。
「ううん。わたしは勘違いしていたんだよー」
「……」
「わたしは人を愛さない親を憎んでいたの。愛という喜びを教えてくれなかった親を。だからわたしは、愛されたいんじゃない。心の底から誰かを〝愛してあげたい〟それがわたしの本当の願望。だから……」
春乃は俺の唇に自分の唇を重ねた。
「七海くんがどう思おうと、わたしは七海くんを愛し続けて、逃げる気が起きないほど、目移りしないようになるほど、わたし以外夢中になれなくなるほど、あらゆる他のことが考えられなくなるほど、深く、深く、深く、どこまでもいつまでも愛し続けるんだ」
俺の膝に乗って、腰に手を回し、首すじを甘噛みしている。
俺は思った。
このお子様は愛というものを過信している。
きっと、ある時、この子供は、生々しい現実に直面した時、驚くことだろう。
きっと、単純明快な肉体的恐怖を覚えて飛び退くのだろう。
確信に満ちたその場面を想像して笑いが込み上げてくる。
「へっへっへ」
「……どういった笑いなのー?」
決意を込めた告白に下卑た笑いを受けた春乃は、不満げに俺をジト目で見やる。
「いや、ちょっとね。しかし、そうか。春乃は俺を愛してくれるのか」
「何があっても」
「フフ、その決意は嫌いじゃないな。やっぱり春乃はいい奴だよ」
俺は初めて春乃に本音を伝えた。
「それは喜んだ方がいいの……かな?」
「さぁ?ご自由に」
俺は風邪がうつるぞと今更なことを言ってくっつく春乃を引き剥がす。
「感染ってもいいよ。七海くんの風邪を引き受けて、次はわたしが看病してもらうもん」
「俺が看病しに行くかわからないぞ?」
「そしたら七海くんのベッドで寝るから」
「何その無駄な行動力。家で安静にしてろよ」
春乃はころころと笑った。
「ん。そうだね、七海くんもまだ体調が悪いだろうし、今日はもう帰るねー」
「そうしてくれ。会話で熱が上がった気がするし」
「それはわたしに熱を上げたってことかなー?」
「んなわけあるかい。親父ギャク飛ばしてないで、さっさと帰り!」
「ざんねん」
食器洗っとくねと言い、帰り支度を済まし、お盆を持って部屋を出ていった。
春乃は一皮剥けたのか、少し気安くなったようだ
。
しばらくして、玄関の閉まる音がする。
俺は大きく息を吐いて、ベッドに横たわった。
ふと、紗希が近くにいるような気がした。
「紗希、いるんだろう」
「……気配を消していたはずなのによくわかったわね」
「忍びかお前は」
バトル漫画で出てきそうな言葉と共に扉を開けた紗希に思わずツッコむ。
「ずっと聞いてたのか」
「ええ、まぁ。思った以上に春乃さんと仲良くなれるような気がしてきたわ」
「ふーん。お前に気に入られるとか春乃もやべぇ奴に一歩近づいたってことか」
「その発言、自分のことを棚に上げすぎよ」
紗希はクツクツと笑いながら椅子に座った。
「愛。いい言葉ね。どこぞの豚よりよっぽど説得力があったわ」
「どうだか。丸とそんな変わらない気もするけどな」
俺は布団を深く被って目をつむる。
「悪いんだけどさ」
「何かしら?」
「朝飯、軽いやつを適当に作っといてくんね?」
「えぇ、元からそのつもりよ」
「そうか。ありがとう」
「……今日は随分素直なこと。風邪のせいかしら?」
眠気が頭痛と共に襲ってきた。
体が休息を求めているのだろう、段々と薄れゆく意識の中、紗希のヒンヤリした手が俺の額を慈しむように撫でるのを感じた。
人の手もたまには音楽の代わりになるものだなぁと感慨に耽っていると、いつの間にか寝入っていたようで、気付けば朝になっていた。
風邪は全快していた。




