第一章 37 ストッパー
俺は部屋で待っているのも暇な為、料理姿でも見ようと後に続いた。
春乃は冷蔵庫から食材を取り出してカウンターに並べている。
「何作るの?」
そう聞きながらカウンターを見ると、乾麺が置かれているのを見つけた。
「カルボナーラを作ってみようかなって」
水を入れた鍋に火をかけながら、玉ねぎとベーコンをスライスする春乃。
黒のチノパンに白Tシャツとラフな格好で食材を切っている立ち姿は颯爽としていた。
「…… ベースもそうだけど、料理も初心者とは思えない手際のよさだな」
「ありがとー。でも、そんなにジロジロ見られると少し恥ずかしいかも」
「可愛い女の子の料理姿を目に焼き付けているから我慢して」
春乃はリラックスしているのか、軽やかにはにかむ。
「またそんなこといってー」
「あ、その表情も満点だよ」
俺は春乃にグットサインを送ると、ぷいっと顔を背けて料理に集中した。
口元は少しにやけている。
カルボナーラが完成すると、食卓に運んで食べ始めた。
「白いテーブルクロスの上だと緊張するな」
食卓は白地の布に覆われ、燭台が置いてある。
「んー……そういえば、ここでご飯食べるの初めてかも」
「え?食卓なのに?」
「うん。普段は自分の部屋で食べるか外食してたから」
「もしかして家族で飯食べたことないの?」
「……外で家族以外の人を含めてなら、あるかなー」
「春乃の家族いかつすぎんか?」
俺は会ったことのない春乃の両親に感嘆した。
「お父さんもお母さんも外にそれぞれ家族みたいな人がいるから」
「え?」
「詳しいことは分からないんだけど、二人とも結婚したくてしたわけじゃないから家族じゃないんだって。昔聞いた時にそー言ってた」
「あーそういう」
なんとなく春乃に対する冷淡さの原因を窺い知れた気がする。
「だからわたし、楽しいって気持ちを感じることができて、すごく嬉しい」
春乃は幸せそうに微笑んだ。
ーーー女が憎い。
それは俺自身自覚していなかった感情。
目の前の女を不幸のどん底に叩き落としてやりたいような自虐心が形を成す。
……しかしこの子のいじらしさが、それを邪魔した。
「七海くん?」
俺はフォークを置いて、春乃に近づいた。
春乃は動揺したのか、椅子から立ち上がって後ずさる。
徐々に近付いて、壁際まで春乃を追い詰めると腰が抜けたようで、ペタリと座り込んだ。
「春乃、俺を見て」
恐怖と期待が入り混じった瞳。
「な、ななみくん……パスタ冷めちゃうよ……」
「あの時の続き、しようか」
俺の言葉に顔を紅潮させる春乃。
左右をキョロキョロしていたが、しばらくすると濡れた目でこちらをじっと見返してきた。
「ねぇ、ななみくん」
「ん?」
「ななみくんはわたしとずっと一緒にいてくれる?わたしを置いて行ったりしない……?」
はぐれた親を泣きながら探している、迷子の女の子。
それは理性なのか、道徳心なのか……それとも弱い心なのか、俺は何もせず春乃から離れた。
春乃は虚をつかれたように放心していたが、しばらくすると焦った様子で立ち上がった。
「ご、ごめんね。いきなりだったから緊張しちゃって……」
「いや俺こそ」
春乃は今まで見たことのない必死な形相で俺の手を取った。
「ね、ねぇ七海くん。わたし達友達だよね?」
「ああ、友達だよ」
「そう……だよね、友達、だよね」
「うん」
俺は春乃の手を振り解き、残ったカルボナーラを食べ切った。
「ご馳走様。美味しかったよ」
春乃は真っ青な顔をしている。
「ほんじゃ、今日はこのくらいでお暇するわ」
「……だめ」
俺は手を上げて玄関に向かうと、背中から柔らかい感触が伝わってきた。
「だめ、行かないで」
春乃は涙を流しながら俺を抱きしめていた。
「離してよ」
「やだ……やだよ……七海くんまでわたしを置いて行かないで!!」
拘束を振り解いて、春乃を正面から見る。
「春乃」
「…………あ…………っう……」
「別に今までと変わりないから安心して。今日は用事を思い出したから帰るだけ」
「………っ……で、でもそんな急に……」
「物忘れ、激しいからさ」
春乃の頭を撫でながら泣き止むまで待った。
しばらくすると嗚咽が収まり、目を真っ赤にして俺を見上げる。
じゃあな、と声をかけて踵を返そうとした瞬間、唇に何かが触れた。
止まったはずの涙が頬を伝い、口元に手をあてて、春乃が俺を見つめていた。




