第一章 36 集中力?センス?
春乃は椅子に座ってベースのチューニングをする。
「うちに来た時にチューナーもあげればよかったな」
紗希のせいで渡すのをすっかり忘れていた。
「あの後、そのまま買いに行ったんだー」
弦を弾きながらペグを回し、真剣な面持ちでチューナーを見ている。
「おー!そしたらそっからずっと練習してたの?」
「うん。なんか一つのことに集中するのが楽しくって。学校以外はずっとベースを触ってたんだー」
よしと気合いを入れながら、スマートフォンをテーブルに置く春乃。
「一応Stand By Meを弾けるようになったんだけど、おかしくないか確認してほしいなーって」
「……マジ?早くね?」
スケールの練習をみて、どれくらい指が動くようになったか確認しようと思っていた俺の考えを軽く超えてきた。
「そうなのかなー?」
春乃はキョトンとした顔で俺を見る。
普段ぽけっとしている春乃だが、自分が興味を持ったものに対してはとことんのめり込むタイプなのかもしれない。
「初心者がやりやすい曲とはいえ、完コピできてたらかなり凄いと思うで」
「完コピかぁどうだろ……」
春乃はとりあえず弾くねーといい、スマホを操作して練習用に編集されたスタンドバイミーを流す。
そういえば、この曲はそばにいてほしいという歌詞を繰り返していたが、あれは何に対する祈りなのだろうかと思った。
ベースの入りは完璧で、リズムも狂わず正確にビートを刻んでいる。
音も途切れ途切れではなくちゃんと伸びていて、なんならミュートも完璧にやってのけていた。
俺は唖然として演奏を終えた春乃に拍手を送った。
「え?本当に楽器触ったことなかったの?」
「う、うん……」
「才能の塊やんけ!!!」
春乃は俺の大声にビクリとした。
「そ、そんな……大げさだよー」
「大げさなわけあるかい!!ビクリって何!!こっちがビックリしたわ!!!」
春乃はもじもじしながら顔を赤くした。
「想像以上だったわ…‥.音を追うだけかと思ったら細かい部分もしっかり出来てるし」
「そー言ってもらえて安心したよー」
「しかもTAB譜を見ないでってことは暗記もしてたのね……」
「ずっと練習してたら覚えちゃって」
こりゃ龍くんは大喜びだろう。
「ちょっと早いかなと思ってたんだけど…….」
「?」
「俺の先輩でベースを探している人がいてさ、よかったら会ってみない?」
春乃は目を見開いて沈黙する。
「バイト先のオーナーなんだけどめっちゃ面倒見のいい人だから心配しなくて大丈夫だよ」
「…………七海くんのバイト先のオーナーさん」
「そうそう。とは言っても二つ年上の同世代だから安心して。ボーカルはその先輩の彼女さんだし」
「……ちょっと興味はあるけど、まだ始めたばかりだから少し考えさせて」
「おっけー!別にバンドを組んでって話じゃないからさ。俺のバイト先に遊びに来るついでに会ってくれればいいよ」
表情が固くなっていた春乃は、それを聞いて少し安心した様子で頷いた。
「うん。七海くんのバイト先、すごく気になってたから行ってみたい。BARで働いているんだもんね?」
「そそ。バーテンダーの卵の卵として絶賛修行中!俺の奢りでノンアルカクテルご馳走するぜ〜」
「卵の卵……ふふ、わかったよー」
春乃はベースをスタンドに戻した。
「七海くん、お昼まだだよね?」
「そうだぜ。なんなら朝飯も食べてないぜ」
俺は春乃の言葉に空腹を思い出し、呼応するかのように腹が鳴った。
春乃と俺は顔を見合わせて笑う。
「もしよかったらわたしがお昼ごはん作ってもいいかなー?」
この前作ってもらった唐揚げを思い出し、俺はありがてぇ!と感謝を述べた。
「てか、この前の唐揚げが初料理って言ってたけど、夜飯とか自炊してなかったんだな」
「……だって」
部屋の扉を開けて、恥ずかしそうに
「作りたいと思ったことがなかったんだもん」
と言い残し、階段を小走りで降りていった。




