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灰かぶりの妖精姫

作者: ゼン

 世の中は不公平で、理不尽なことだらけだ。


 エマは愛馬のエレオノールの背を何度も撫でた。これが今生の別れかも知れないと思うと胸が苦しくなる。

 次の主人には大事にしてもらえる人を選んだつもりだ。金額だけなら二倍出してもいいと言う者もいたがエレオノールが懐かなかったからやめたのだ。


 気難しい姫のような風格のエレオノール、一番の親友のエレオノール……そんな大事な宝物をエマは今日手放す。

 泣かないと決めていたはずなのに失敗だ。

 エマの瞳に涙が盛り上がり、そして頬を伝った。


 大事にしていたドレスや宝石、靴にリボンは全て義母と義妹に奪われ、それでも母の形見の手鏡とエレオノールだけは渡さないと決めていたのに。

 手鏡は二ヶ月も前にお金に変わっているし、今日、エレオノールを売り飛ばす。


 人生はままならない。


「ごめんね、エレ……ずっと、ずっと大好きよ」

 エマにそっと寄り添うエレオノールの瞳は今日も澄んでいた。その目にエマを非難する色はない。親友を心配しているように切なく鳴くものだから、エマの涙腺はまた壊れた。

 救いはエレオノールの新しい飼い主が善良だったことだ。

 いつでも会いに来ていいんだよ、と言う彼の言葉は社交辞令には感じられない。

 しかし、おいそれと簡単に行けやしない。距離の話ではない。エマにはやらなきゃいけないことが沢山ある。


 現在、モリニエール子爵家の家事雑用全ては、エマが担っている。

 使用人は年老いたクレマン夫妻──ドミニクとソフィだけだ。しかもドミニクは二ヶ月前に病に倒れて男手がない。ソフィは看護をしなければならないのに義母の嫌味に大変弱っていた。


 義母がドミニクとソフィを違法の奴隷商に売る算段を付けているということを知った時、エマは怒り狂った。

「なんて恥知らずな人なの! そんなこと私が絶対許さないから!」


 安い賃金でも文句を言わない二人に対して、なんて酷い仕打ちだろう。義母は人の形をした悪魔だと思った。

 普段は大人しく従順なエマの怒りに、義妹は「化けの皮が剥がれた」と大袈裟に怖がって見せたが、その顔はいつもの見慣れた意地悪そうな笑顔だった。

 義母は躾と称し、エマを鞭で()った。顔に傷を付けないのは、いつかエマを売り物にする為らしい。物好きは何処にでもいるから、と。


 ドミニクが自分を奴隷として売るようにエマに申し出た時、エマは目が溶けてしまうのではないかと思うほど泣いた。

「今度そんなことを言うなら、嫌いになるんだからね!」と言い嫌がるドミニクとソフィを脅し念書を書かせた。

 そしてエレオノールを売ることを決めたのだ。

 そのお金はすべてクレマン夫妻に渡し、(いとま)を出した。


 このことが義母に知られればヒステリーを起こされるのは分かっていたが、二人をこれ以上巻き込む方が辛かった。エマの大事な人達だから。


 体の弱い母が儚くなったのは十三歳の冬の日だ。

 父は仕事で忙しく、家を空けることが多かった。そこで「エマの為に」と再婚した。


 義母は優しかった。義妹もエマによく懐いた──父が外国で行方不明になるまでは。

 父の生存は絶望的だった。船が挫傷し、投げ出された姿が最後の目撃証言だ。遺体もないままに葬式をし、悲しいという感情だけがエマを支配した。使用人達はそんなエマを優しく労った。

 しばらくすると義母はその使用人達全てを解雇し、エマに代わりを命じた。庇おうとするクレマン夫妻を止めたのはエマだ。二人がいなくなってしまえば、エマは完全に一人ぼっちになってしまう。

 義母や義妹は命じられるがまま受け入れるエマに、味を占め全てを奪った。


 あれから五年。十八歳のエマはもう成人だ。

 儚くなった母から受け継いだ美しい容姿をソフィが灰を塗って隠したおかげで、エマは今の今まで売り飛ばされずにいる。


 屋根裏部屋で、自分一人だけになったエマは長く息を吐いた。

 今まではドミニクとソフィに甘えていたけれど、ようやく解放してあげられた。

 エレオノールも優しい飼い主に渡すことができた。

 これでもう思い残すことはない。ヒステリーを爆発させた義母に打たれて死んでもいい。

 ──むしろ死んでしまいたい。


 エマは父と母に会いたかった。

 よく頑張ったね、と頭を撫でてほしい。頬にキスをして抱きしめてほしい。おはようとおやすみを言いたい、言われたい。家族と話をしながら食事をしたい。


 窓を開けると満天の星空がエマの視界いっぱいに広がる。

 屋根裏部屋で良かったことと言えば天国にいる父と母に近いことだ。


「お父様、お母様、今日も大好きよ」

 エマが呟いたと同時に、金切り声の罵声が階下から聞こえてきた。


「大丈夫、大丈夫よ……怖くなんかないわ」

 震える手を握りしめて、エマは義母の元へ向かった。




 あれから、エマは鞭で打たれたが、以降それはなくなった。

 クレマン夫妻がいなくなり、鞭で打てば三日も寝込むエマしか自分達の面倒を見る者がいないと、エマが寝込んだことでやっと気付いたからだ。


 病み上がりのふらつくエマに、義母と義妹が出した最初の命令は朝食作りである。

 スープとパンという質素なメニューに文句を言いながらエマの分まで平らげた義母は、滞っている掃除、洗濯、雑用を命じた。

 そしてそれに加えて、今日はもう一つ、いつもと違う命令があった。


「……『仮面舞踏祭』のドレス作り、ですか」

 首を傾げるエマに、義母の横にいた義妹の口角がにんまりと上がる。嫌な予感しかしない。


「そのお祭りの別名、聞きたぁい?」

 いいえ、聞きたくありません。エマは首を横に振る。


「いいわぁ、教えてあげる! 『王子様の花嫁探し祭』よ」

 笑顔を貼り付けたエマに義妹は話を続ける。

 どうせエマには関係ない話だ。聞き流しながら今日一日の家事の予定を頭の中で組み、適当に頷く。


「お祭りに着ていくドレスは赤色がいいわ! 目立たなきゃね! あとは、うーんと、仮面は蝶のモチーフにして。妖艶でミステリアスな令嬢がテーマよ。素敵でしょ? あ、でも待って! やっぱり、仮面は猫がいいわ! 王子様は猫がお好きという噂を聞いたことがあるのよ。コケティッシュでキュートな子猫をモチーフにドレスを作りなさい」


 何を言ってるのかよく分からない。

 それより王子様の目が腐っていないことを祈るばかりだ。

 義妹が未来の国母? 冗談が過ぎる。全然笑えない。明るくない未来しか見えない。


「ねーえ、お母様ぁ、エマもお祭りに参加するの?」


 義妹の一言にエマはぎょっとする。今までそんなこと言ったことない義妹の言葉の意味が分からない。


「御触れには、十六歳から二十三歳の独身女性は必ず(・・)参加するようにあるのよねぇ」

 嫌だわ、と眉を顰める義母と、唇を突き出し如何にも不機嫌な義妹にエマの言う台詞は決まっている。


「お仕事が終わって、時間が空いたらお祭りを覗かせてもらうということで宜しいでしょうか」

 いつもなら生意気だと鞭が打たれる言葉だが、御触れのことがあり義母は少し考えた後「宜しくてよ」と頷いた。

 熱がようやく下がったエマは内心冷や冷やしていた。鞭はもう嫌だ。じくじく痛む傷はまだ治っていない。




 街に食材の買い出しに出るついでに、ドミニクの差し入れに林檎を買った。

 エマの刺繍入りハンカチはなかなかの人気で義母に内緒の収入源だ。


 クレマン夫妻の家は小さいが、居心地が良かった。

 出迎えてくれたソフィに林檎を渡すと、やや強引に席に着くよう促され、具沢山のシチューと渡したばかりの林檎が振る舞われた。

 ソフィのシチューは美味しいし、ドミニクの経過は良い。久しぶりにエマは笑顔になった。


 ソフィは帰り際、深刻そうな顔でエマの手を握って言った。

「エマお嬢様、仮面舞踏祭の日ここへ来てもらえませんか?」


 ドミニクも揉み手をして落ち着かない様子だ。

 ドレス作りと家事は寝ないでやれば何とかなる。ドミニクとソフィの願いはできるだけ叶えてやりたい。

 何か大変なことがあり、今は言えないのでは? と思ったエマは、ソフィと同様に深刻な顔で頷いた。




 仮面舞踏祭の朝。

 エマはいつにも増して疲れていた。家事雑用の他に義妹のドレス作りでヘトヘトだった。


 結局、義妹のドレスのモチーフは花の妖精になった。義母の命令である。

 清楚さを全面にだした淡いピンクのドレスを着た義妹は、悔しいことに、性格が良さそうな可愛くて優しい女の子に見える。本当は正反対だと言うのに。騙される男は皆馬鹿だ。


 日が暮れ、義妹は義母と一緒に出かけていった。見栄を張って良い馬車を呼んだことが腹立たしい。そのお金は何処から出したのだろう。どうしようもない義母だ。


「はあ……」

 目眩がして座り込みたくなるが堪える。一度座ってしまえばきっと立ち上がれない。

 それに今日はソフィとドミニクに会う約束がある。


 あの二人と話をして元気を貰いたい、というささやかなエマの願いは裏切られた。


 良い意味で。


「エマお嬢様っ!」

 クレマン夫妻の家で待っていたのは、ドミニク、ソフィだけではなかった。

 昔、義母に辞めさせられた三歳年上の使用人、オデットだ。エマはオデットを姉のように慕っていた。

「まあ、あなたオデットなの?」


 オデットだと言われなければ気付かないほど美しくなっていた。町娘風の仮装だというのに生地が上質なものを身に付けている。

「私事ですが、来年公爵夫人になります」

 オデットは公爵様の婚約者で、現在は公爵家で暮らしているそうだ。

 物語のような玉の輿の話にエマは驚いた。


「おめでとう! オデット! ……いえ、あの、おめでとうございます?」

「や、やめてください! お嬢様!」

 敬語を使うならギャン泣きしてやりますよ、と脅されたのはクレマン夫妻もだったようだ。オデットのギャン泣きはちょっと──いや、かなり酷い。


 お忍びで街に遊びに来ていたオデットとソフィがばったり出会い、今日のことを計画したそうだ。


「エマお嬢様、今日はお祭りです。私と一緒に遊びに行きましょう! 服はもう用意したのですよ」

 準備周到なオデットにエマは驚きながらも頷いた。


 三人はエマが喜ぶことを望んでいる。ここで遠慮しては三人が悲しむ。少し大袈裟に喜んで見せた。

「嬉しいわ。オデット、ドミニク、ソフィ、ありがとう!」


 衣装のモチーフは、なんと義妹と同じ花の妖精だった。しかし、オデットの用意した衣装はエマの作った衣装の何倍も素敵だった。

 透け感のあるキラキラ光る布が幾重にも重ねられたドレスを身に纏い、白い羽の仮面を付けたエマはくるんとその場で回って見せた。ふんわりしたドレスはエマによく似合い、彼女の可憐さを引き立てている。

 クレマン夫妻に盛大に褒められた後見送られ、オデットと共に外に出た。


「……オデット、ありがとう」

「お礼などいりません。お嬢様と遊びに行くことが私の夢でした」

「ふふ、小さな夢ね」

「エマお嬢様は、私の夢を叶えてくれますか?」

「もちろんよ」

「行きましょう!」


 オデットに手を引かれ、通りへ出るとそこには仮面をした若者で溢れていた。

 お触れでは『十六歳から二十三歳の独身女性』の参加は義務だが、それ以外の人間は来てはいけないとはない。

 つまりはこの祭りは盛大な婚活祭りだった。


 音楽がなり、オデットと手を繋ぎくるくる回って、初めてお酒を飲んだ。甘いお酒はするすると喉を通り、エマは身体がふわふわする感覚を楽しんだ。

 途中、参加者の女性達や、道化の仮装をした男、悪魔の仮装の男なんかとも踊った。オデットは終始、吸血鬼の男の手しか取らなかったので、エマは彼が公爵様なのだと思った。


 踊り疲れ、休もうとしたエマは同じく休憩中の──いや酒に酔い嘔吐している男を見つけた。綺麗に着飾った女の子達は顔を顰めその場から避けるように逃げていく。


「大丈夫ですか?」

 げえげえ吐いている男は返事ができないようだ。


「どうぞ」

 酔い覚ましに飲もうと思っていたレモン水と一緒に濡らしたハンカチを男に渡して背中を摩った。


 可哀想に。婚活パーティーで我を忘れて、はしゃいでしまったのだろう。踊った男達は皆そんな感じだった。いつか黒歴史として思い出すに違いない。ボサボサの黒髪に吐瀉物が付いている。


「すまない……うぐっ、こんな……ぅおえ、ドレスを、うっ、汚して、しまった」

 弁償すると言う男の申し出にエマは断った。もう今日しか着ることのないドレスだ。オデットも汚して構わないと言っていた。


「今日はとても楽しかったからいいの」

 離れた場所から聞こえる音楽と、楽しげな笑い声。祭りの雰囲気に酔いしれる。


 ようやく落ち着いた男は仮面のみで、仮装はしていなかった。

 男はエマに突然、質問をした。

「……君も王子様と結婚したいの?」


「ええ、当然よ!」

 迷いなく言うエマに、男は「あっそう」と苛立ちを見せた。


 聞いておきながら失礼な態度の男を、エマはくすくす笑う。男はますます不機嫌になった。


「ああ、お城に住んでいる王子様とじゃないの」

「……え?」

「私を好きだと言って、大事にしてくれる人がいるなら、その人が私の王子様になるのよ」

「え?」

 この男、さっきから「え?」しか言っていない。


「あのね、女の子は皆お姫様になりたいものなの。だから自分だけの王子様になってくれる人を待っていて……あ、ごめんなさい。子供っぽいことを言ってしまったわね、恥ずかしい。お酒のせいかしら、許してください」

「……ああ、うん」


 エマは反省した。

 きっと彼はドン引いている。口数が少なくなり気まずい雰囲気に居た堪れない。エマこそ黒歴史決定だ。

 そんな時、「おじょーさまあー!」

 半べそのオデットの声が聞こえてきた。


「あら、オデット。どうしたの?」

「うわぁん、おじょーさまぁ。おでっとをおいてどこにいってたんでしゅかー」

 泣き上戸とは、未来の公爵夫人が台無しである。べしょべしょ泣きながらエマに抱きつくオデット。少し離れた場所に吸血鬼の男が見える。


「ごめんね、少し休んでいたのよ」

「ぷう、もうかえりましゅよー」

 どうやらお祭りは終わりのようだ。

 夢が醒めるのはなんて早いのだろう。お祭りが終わる切なさはきっといつまでも慣れない。

 でもとても良い思い出になった。


「──名前を! ……レディの名前を教えてくれないだろうか」

 帰ろうとした時、男に引き留められた。

 嘔吐して蹲っていた時は思わなかったが、立ち上がった彼は上背があり、均整の取れた身体付きをしている。


 急に彼の話し方が変わったのはなぜだろう。

 仮面の下の瞳に見つめられると胸がざわざわする。


 ──綺麗な宝石みたいな紫の瞳に吸い込まれてしまいそう。


「エマよ。エマ・レ・モリニエール。あなたの名前は?」

「……ルベルトだ。モリニエール嬢……君に恋人や婚約者はいるのだろうか」

「え」

 嘔吐男──もといルベルトの真剣な声にエマは驚いて固まった。ドキドキする。


「こりゃー! よっぱらいめー! えまおじょーさまにちかじゅくなー! ぼけなしゅっ!!」

 完全に酔いが回ったオデットがエマを引っ張る。凄い力でずるずる引き摺られる。


「あ、え、オデット待って! あ、あの連れがごめんなさい!」

「いい。それより返事を」

「いない、いないわ!」



「モリニエール嬢! 僕が、君の──」



 手を伸ばしたルベルトに仮面に付いていた羽根を握らせると同時にエマは人混みに飲まれた。









「……頭が痛いわ」


 いやはや、酒とは恐ろしいものである。もう飲まない。絶対飲まない。飲まないったら飲まない。

 エマは痛む頭を押さえて床を磨いていた。


 ──僕が、君の王子様になってもいい?


「ゲロ男のくせにぃ……」

 何が王子様だ。うっかりときめいてしまったじゃないか。思わずキュンとしてしまったじゃないか。


 オデットやソフィは言っていた。

 酔った男の言葉を信じることほど、愚かなことはない──エマは愚か者だ。

 仮面の下の顔も知らない嘔吐男。そんな奴にときめくチョロい自分に涙が出そうだ。

 もやもやを吹っ飛ばす為に掃除に集中しようにも、頭の中に彼の言葉がリフレインして邪魔をする。


「ああ、もうっ嫌」

 二日酔いで頭が回らない。義母と義妹はお貴族様らしくまだ夢の中だ。


 頭痛を堪えて、雑巾を絞っているとチャイムが鳴った。頭に響く嫌な音だ。

 まさか、まさか。

 義母がまた何か買ったのでは?

 恐る恐るドアを開けると、何やら仰々しい格好の男がいた。

「昨夜の祭りで妖精の仮装をしていたのが、こちらの御令嬢だと聞いたのだが」


「……はい」

 義妹のことだ。

 エマは力なく頷いた。そして同時に最悪だと神を呪った。よく見れば男は王宮からの使者だったからだ。


「良かった! 殿下がお嬢様との面会を希望しておられるのだ!」


 良いもんか。義妹が、王子様に見染められてしまった。

 エマは目の前が真っ暗になる心地がした。


 最悪だ、この国の王子様は目が腐ってる。




「お前みたいなのが縁者にいると、あの子の結婚に支障が出るわ! 出ておいき!」

 義妹を送り出した後、義母はエマを追い出した。


 穴が空いている鞄の中身は、昨夜着たドレスと仮面。ハンカチとその刺繍道具。

 お金は貯めると義母に取られるから、ほんの少ししかない。街でパン一つ買えるか買えないかの額だ。

 エマは途方に暮れた。クレマン夫妻のところへは行けない。どう考えてもあの家にエマが居座るスペースはない。

 オデットはきっと力になってくれるだろうが、彼女が嫁入りする公爵家の家名を知らない。


「……はあ」

 昨夜の祭りがまるで信じられないくらい街はいつも通りだ。


「どうしようかしら」

 どうせなら賄いが出るところで働きたい。住み込みはどうだろう?


 エマはふんっと気合を入れ仕事探しを始める。

 ちょっとやそっとの不幸でエマはめげなくなっていた。むしろ寝る間を惜しんだ無報酬労働から離れられることは幸せと思っていた。







「いらっしゃいませー!」


 働いてお金が貰える喜びをエマは噛み締めていた。

 あの後、仕事はすぐに見つからず……結局、クレマン夫妻の元へ行った。少しだけ泣いてソフィに慰められ、ドミニクと甘いお菓子を食べながら話をしたら、エマは元気になった。

 居候して二日でソフィはエマに仕事を見つけ、紹介してくれた。


「うちにいてもいいですが、狭くてお嬢様に申し訳なくて……追い出すみたいですみません」

 ソフィはそう言うが、申し訳ないのはエマの方だ。


 住み込みで働くことになった食堂でエマは重宝された。料理もできるし掃除もできる。しかもとびきり可愛い若い女の子だ。

 賄いはびっくりするほど美味しいし、女将さんも、おやじさん(女将さんの旦那さん)も、お客さんも皆優しい。


 そういえば。義妹は王子様に見染められていなかったらしい。

 王子様の目は腐ってなかった。

 良かった! この国の未来は明るい。


 義妹は家に戻され、義母と一緒にエマを探しているそうだが……もう家には戻りたくない。


 さて、王子様の探しているのは『花の妖精の仮装をしていた十代』の女の子らしい。

 花の妖精の仮装は人気の仮装で、祭りでは何人もいた。エマだって花の妖精の仮装をしていた。


「はあ〜見つからねえよ〜エマちゃん」

 くたびれた様子の騎士がエマに今日も愚痴る。王子様の妖精姫の捜索に難航しているらしい。


「あらあら。今日の日替わりでも食べて元気出してくださいな」

 昼の忙しい時に、じっくり話なぞ聞いていられない。適当に流しながらエマは料理をさばいていく。


「ああああ!!! 君は!? もしや!!」


 こんなこと言われたって、もう慣れたものだ。


「お客様、困ります。ナンパはやめてくださ〜い」


 にっこり笑えば皆諦める──のだが、今日は違った。


「君、『オデットのお嬢様』!?」


「あら。もしかしてあなたは吸血鬼の公爵様でしょうか?」

 エマがそう言った瞬間、がやがやとしていた騎士達の会話がぴたりと止まった。


「ふ、副団長、エマちゃんが?」

「ああ、そうだ。この方だ」

「え? え?」


「「「妖精姫、見つけたー!!」」」


「きゃあぁぁ!」

 体格の良い騎士達に囲まれエマは悲鳴を上げた。

「え、何、何?」

 何がなんだか分からず、キョロキョロしているとガシっと吸血鬼の公爵様に担がれた。


「いやあぁぁ! 何ぃ? 何ぃ!?」

「見つけましたよ、妖精姫!」

 意味が分からないままエマは拉致された。


 そして、えぐえぐと泣き腫らしたエマの前に現れたのはこの国の王子様だった。

 キラキラオーラすごい。眩しい。


 王族の証の金髪に、宝石みたいな──

 

 ()のような──


「──紫の瞳……」


「レディ」

 エマの前に、彼が跪く。


「無理矢理連れて来てしまい申し訳ない……もう泣かないで」

「あ、はい……え?」

 涙は止まった。

 しかし、キラキラしい彼は一体何者だろうか。


「僕の名前は、アレクサンドル・ルベルト・ティエルスラー。ティエルスラー王国の王太子です、姫」

 待て待て待て、エマは姫ではない。ぶんぶん首を横に振る。


「僕に、あなたの『王子様』になる栄誉をいただけませんか?」

「う──」


 ──そ!


 嘘でしょ!?

 エマはその言葉を言い切る前にぶっ倒れた。


「モリニエール嬢!? おい、医者! 医者だ! 医者を呼べー!!」







 まさか、あの嘔吐男がティエルスラー王国の王子様だったなんて誰が思うだろう。


 いや、普通思わない。


 あの日、王子様──アレクサンドルは花嫁を探す為、変装し忍んで街に降りた。

 アレクサンドルがダサくしょぼい装いだからか、女の子達は皆、辛辣だった。

 中身を見てほしい、と望んだ二十歳になりたての男は打ちひしがれて強くもないくせに安酒をがぶ飲みした。

 道の端で「結婚なんかするもんか!」と、げえげえしていたら、ふと背中をさすられレモン水と濡れたハンカチを手渡された。


「大丈夫ですか? ……どうぞ」


 リーンゴーン。


 頭の中で鐘が鳴った瞬間である──と、アレクサンドルは後に語る。実際には十二時の鐘の音だったのだが、それはまあ置いておこう。

 綺麗なドレスが汚れるのも構わず、嫌な顔もせず、優しい言葉をかけて背中をさする彼女はアレクサンドルが思う理想のお姫様だった。


「妖精に会ったんだ、花の。……確かモリニエールと言っていた……」

 祭りの翌日、ぽんやりしているアレクサンドルの一言に、王様も王妃様も喜んだ。

 モテるくせに女っ気が無さすぎて男色を疑っていた息子が、女の子に恋をしている!!


「さあさあ、早く! そのモリニエールの妖精姫をここに連れてまいれ!」

 孫の顔が見れるんるん! と小躍りしだした王様と王妃様をよそにアレクサンドルはまだぽやぽやしていた。


 二十歳にして、初めての恋──初恋である。


 しかし、アレクサンドルの前に現れたのはエマの義妹だった。


「え、待って。君誰?」

「モリニエール子爵家の姫こと、あなたのお姫様ですわ!」

「違う。チェンジ」


 義妹はすぐに返された。


 モリニエールの不遇な御令嬢、エマ・レ・モリニエール嬢。彼女は義妹を送り返した時、城に連れてくるはずだった──が、エマはもういなかった。

 後に義母に追い出されたのだと知るのだがこの時は義母が「駆け落ちをした」と嘘を吐き、アレクサンドルを地の底まで落ち込ませる。


 しかし。


 それでもアレクサンドルは諦めなかった。だってあの子は恋人も婚約者もいないと言っていた!

 それに、鐘が鳴ったのだ──あの子以外と結婚はしたくない。いや、絶対しない。しないったらしない!


 エマの捜索に当たり、騎士団総出の妖精姫探しに至った。しかし、見つからない。

 そんな時、騎士団の副団長は思い出した。

「オデットのお嬢様ってもしかして」と。


「君から貰った羽根とハンカチだけが、君の手掛かりだったんだ」

 明るいところで見ると、アレクサンドルは物凄かった。

 何がって、何度も言うが、キラキラが凄い。目が痛い。チカチカする。


「釣り合わないですぅ、無理ですぅ〜!!!!」


 そんな断りを入れるガン泣きのエマに、アレクサンドルはめげなかった。


「君の愛馬のエレオノールを買い取ったんだ。城の厩にいるけど会いに行かないかい?」

「母君の形見という手鏡はこれで間違いないかな?」

「ドミニクさんに良い医者を寄越したよ。すぐに良くなるからね」

「気晴らしにオデット嬢とお茶会でもしたらどう? 珍しい茶葉を手に入れたよ。君の好きな焼き菓子も用意させよう」


「君が好きなんだ。エマ、愛してる」


 この王子様、ことあるごとにエマに愛を囁いた。


 他の女の子には見向きもしないし、クレマン夫妻のことも大事する彼には、酒が弱いこと以外に弱点がなかった。


 美青年(イケメン)に、押しに押しまくられ、囁かれ、見つめられ、微笑まれ、物語の姫のように傅かれたエマは崩落した。

 チョロいとでも何でも言えばいい。エマの子供の頃からの夢は『王子様との結婚』なのだ。


 エマはその夢を叶えることにした。


「……私に、おはようとおやすみを毎日言ってくれますか?」

 本当はキスして抱き締めて欲しいと言いたいが恥ずかしくて言えなかった。

 この台詞も深読みすると大変恥ずかしいものなのだが、エマには分かってない。


「もちろんだ!」

 浮かれたアレクサンドルはエマを持ち上げてくるくる回った。


 王子様の初恋と、エマの夢が叶った瞬間である。




 結婚式は、それはもうド派手だった。

 歴代一と言っても過言ではない程に派手だった。宴は三週間続いた。


 その後、義母と義妹は手のひらを返したかのように擦り寄って来たので、エマは『虐められたせいでトラウマがある』みたいな態度をアレクサンドルの前でしてやった。

 義母が近寄れば、「やめて、お義母様ぁ!」と言って泣いて見せたり、気絶したふりをしたり、義妹を見れば過呼吸を起こす演技をしたりしてやった。

 ソフィには少し叱られたがドミニクには「もっとやれ!」と言われた。

 もっとやってやった。

 ソフィに隠れてドミニクとあれこれ考えるのは超楽しかった。


 エマのトラウマ現場(偽)を目撃したアレクサンドルは、エマがちょっと引くくらい怒った。義母と義妹が凄い顔で泣いていたけれど笑えなかった。

 ……あの時の彼は怖かった。もうやらない。


 ほら言わんこっちゃない、とエマとドミニクはソフィに怒られた。

 でも、アレクサンドルの怒りを止めることで優しい自分を演出できて大満足である。


 エマは自分を虐げた義母と義妹にも優しい天使みたいなお姫様なのだ!


 その後のその後、ドミニクの病が完治したり、生死不明の父が見つかったり、エマに子供がぽこぽこ生まれたり、なんやかんや色々ありつつ、二人は末長く幸せに暮しましたとさ。おしまい。




【完】

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