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第六章 終息    第二部 罪の意識

 悪七は入院した。俺の興奮は虚しくも、事件は発覚を免れた。だが、行方不明者として善見ひいらをはじめ、全員が順次ニュースに取り上げられた。事件の関連性を示すものは何もなかったが、直に分かるのではないかと気が気じゃない。


 でも、学校は休まなかった。かえって、怪しまれそうだったから。俺を苛々させた原因は悪七にもある。全く連絡がつかないのだ。きっと俺達が友達だということを隠しておきたいのかもしれない。いや、何かまた秘密か。指なんて手術が上手く行けば一日でくっつくはずだ。


 母さんが夜食をドアの前にそっと置いていく音がしたっていつもは気にならなかったのに、今日はずっと母に見られている気がする。神経が過敏になっているせいかもしれない。

 母はひょっとするといつも俺のことを盗み見ているんじゃないかとそんな気になった。コントローラーを投げ出し、俺は怒鳴った。ドアにへばりついてんじゃねーぞクソババァ。


 返事はなかったし、俺の思いすごしだったとすぐに分かった。今の怒鳴り声が聞こえてたらよかったのに。ドアを勢いよく開けて母がいないことに腹が立った。乱暴におぼんを引き入れてドアを蹴って閉める。


 携帯で見慣れない電話番号が鳴った。数ヶ月ぶりに鳴った。着信音はゲームのオープニングテーマ曲だったっけ。電話の相手なんて見当もつかないが、とりあえず用件だけは聞くことにした。甲高い女の声でびっくりした。悪七の母親だという。


「何でこの番号知ってるんですか」

「やだー。ライの友達の番号ぐらい知ってるわよ。それより早く来て。お見舞い。ライったらあたしとじゃ話にならないとか言い出すのよ」


 悪七の機嫌が悪い様子が容易に想像できた。こういうお袋を持つと大変なんだろうな。


 俺が病院に着くと、悪七の母は、文字通り飛んできた。ハイヒールをづかづか鳴らして両手を振り回しながら大げさに叫び出す。ロビーにいた患者達が、好奇な目でこちらを見やる。ギャルだった。


「ライがいないのよ。病室を抜け出したみたいなのよ」


 悪七なら脱走の一つや二つやりかねないが、今こうして言われるまでその可能性を考えなかった俺は本当馬鹿だ。ゲームなんてしている場合じゃなかった。いや、案外この場合近くにいると思う。悪七も今、振り切りたいのは警察じゃなくて、このお袋さんだ。たぶん。


 何てことはない、屋上にいた。お袋さんは泣くわ、喚くわ、一通り終えたかと思ったら、今から銀座に出かけるとか言い出した。さっきまでのどたばた喜劇は何だったのか、ブランド鞄をぶんぶん振りながらリムジンで去っていった。


 悪七はもうすっかり指を動かすリハビリに入っていて、縫い痕こそあれど、もう今日にでも退院できるという。近くの公園まで出て、俺達は木立で立ち止まった。俺はお見舞いの品を用意するのを忘れて、ガムを噛んで、気まぐれに膨らました。悪七も望んでいないだろうし。


 悪七はベンチに腰を下ろすとそっと視線をレンガ造りの地面に落とす。アリが雑草を分け入って、誰かの落としたポテトチップスの欠片を運んでいるのを目で追っている。そんなつまらないことをするんだ。俺も同類だけどなと思って、夕方には降るだろう入道雲を見送った。


「あそこにいても何もはじまらないから」

「そうかよ。また何か考えついて黙ってどっか行くつもりだったのか?」


「俺には最高の自己統率力があるから」

 また意味の分からないことを言っている。


「自意識と身体のコントロールは自分でできるからね。それに身体の隅々にまで俺が俺である必要がある。リョウも狩りのときはそうでしょ?」

「全神経が狩りに集中してるってことか?」


「それを狩り以外のときも発揮しないとね。俺は気まぐれに動いているように見えるけど、それも有利に運ぶためにそう振舞ってるんだよ」


 つまり抜け出したのにも意味があると。それに答えるつもりはないらしいが。真昼の太陽が目に痛いぐらい刺さるので、俺は木陰に入った。


「指だけでよかったよな」

 悪七が珍しく唇を噛んで悔しそうに俯いた。

「全身麻酔だったのが、計算外だよ。指の一本だったら腕に麻酔ぐらいですんだのに。見られたかな」

「何を?」


「腕だけだよね。きっと」

 悪七が見られたくないのは傷痕のことだ。悪七にもやはりミカエリに傷つけられた経験があるのだ。でも、悪七の腕には何も傷がないのは知っている。

「どこにあるんだ?」


 俺は悪七が嫌がると思った。悪七にとって傷とはきっと醜悪なものに違いないと思ったからだ。悪七は青ざめながら呟いた。

「背中」


 悪七の背中には細い糸のみみず腫れがのたうっているのではないか。鞭で叩かれたような傷痕が、何十本とあるのではないかと。それでなくとも丹精な顔と、きゃしゃな身体に傷があるとは想像し難いのだが、そのギャップこそがミカエリの与えた代償か。


 だから悪七は返り血を浴びても人前では着替えないのか。


「俺の嫌いなことをするんだよ。ミカエリは俺が思ってる以上に俺のことを理解していてね。そんな悲しそうな顔しないでよ。


 確かにこれは汚点だけど。だからこそこれからいいように使役するんだよ。輪千の裏切りには驚いたけど、俺達はこれからも続けないといけない。何故なら、醜悪さでもって俺達は生きるしかないから」


 これからのことだけど、俺達はまだまだ殺人ゲームを続けるのだろうか。俺には悪七の言う醜悪さが分かる。俺が一途に人を憎む気持ちは消せやしないから。


 だけど、俺の家にある日警察が突然やってくるのを想像したら何だか滑稽だった。だって、俺みたいな奴が世の中には実はいっぱいいる。なのに、警察は俺一人にだけ目をつけるんだから。


 悪七の手元に本でもあれば読書でもして人の話なんて聞かないだろう。幸いそよ風に目を細めて少しばかり浮かべた笑みはとても自然だった。


「おい、今の」

「うん。尾行がいるね」


 弾んだ小声が木立に陰る。足元の雑草をにじり倒して悪七は立ち上がる。それから何も話さず、鼻歌が似合う笑みを浮かべて歩き出した。病院に大人しく戻るつもりらしい。


 途中で、赤信号を軽く無視したので、危うく急ブレーキをかけた車が、同じく対向車線でハンドルを切った車とぶつかりそうになる。置いていかれた俺は次の信号が青になると走って追いついた。


「今ので、俺達がこれまでのゲームの犯人だって確信してくれたらいいけど」

「警察か?」

 自信ありげに闊歩して悪七は振り向かないが、視界の隅にその人物を捕らえる。


「さぁ。きっと俺達が憎いんだね」

「いいのかほっといて?」


「いいよ別に」

 俺はさすがに何人も殺したことにまいっていることを告げられなかった。カムのよだれみたいなどろどろの口を眺めると、俺はどこまで自分の手を汚したのかとか、このまま悪七について行くのかと考えて不安になる。


「あんなの夢でやったから、全然新鮮じゃないんだ。もっと生きてるって実感できるような刺激的なことがしたい」


 花もとうに終わった、葉が青々と茂る桜並木を闊歩して、雨に濡れたアスファルトが、曇り空の滲んだ太陽を映す。あれだけのことをしでかして、悪七は夢の中に立っているのと同じだと言うのか。


 悪七はふと周囲を見回して、早足にファーストフード店から離れたところへ俺をつれていった。たまには場所を変えるべきだと、ファミリーレストランのチェーン店につれていかれた。周りがやたらと騒々しい。俺の行くタイプの店だ。


「そんなに心配してるんならやめたらいいじゃねぇか。これからも隠れ続けるんだからな」


 俺の言葉に悪七は苦笑して、口元をほころばせたかと思ったら、すぐに爽やかに笑ってみせようとして、喉をクツクツ鳴らした。自分でも意外らしく、おどけた表情で俺に問いかける。


「嘘ばっかり。リョウだって隠れないといけないようなことをしたんだ。学校だって普通に通ってる場合じゃないよね。でも、学校に毎日通ってる。ある日突然、逮捕されるかもしれないのに」

「それは」


「それはね。あれだけのことをしたのに、罪の意識を感じてないからでしょ」


 俺はそこまで考えたことがないことにはじめて気づかされた。だけど、俺はまだ破滅なんて意識できない段階にあった。だから、俺の苛立ちは悪七に向う。

「まだ実感できないだけだ。お前はまだ続けようとしてる」


「リョウも狩りは続けるよね」

「あれから一回もやってねぇよ」

「今日にもやるよ」


 答えにつまる。俺にはれっきとした動機がある。それを寧ろ誇りとは言わないまでも糧にしていた。それが全てで、俺には腹黒い怒りだけが必要で、それが全神経を司って突き動かすから、今日にもやるかもしれないのは間違いじゃない。


「分かってるよ。でもリョウのやり方だって結局行き着く先は、相手を滅ぼすってことだよね。それって、責任転嫁だよ。全部相手が悪いってことにしてるんだから。それに殺意もなしに殺すってのは命令で動く兵士といっしょだよ。俺はそれよりもっと醜悪だから」


「自分でも分かってんのかよ」

 俺はむかっときてつかみかかった。


「俺は俺という人間を外からでしか見られないんだ。まるで自分の身体なのに、意識っていうのが外にあって、身体っていう器を動かしていく。


 今こうしてリョウを怒らせてみるとよく分かるんだ。俺は自分の身に起こってることなのに、外から眺めてこの面白い窮地をどう脱出するのか傍観してるんだ」


 悪七の薄い唇がまくれ上がって歪む笑み。俺を怒らせて楽しんでいるのがひしひしと伝わって来て悪寒が走った。悪七に何を教えることができるだろう。この俺が。


「本当に何も感じないのかよ。あれから喉にはほとんど何も通らないし。お前は食べてるみたいだけどな」


「リョウは狩りのとき食べてるよ」

 俺ははっと全身の毛が逆立つ思いがしたが、そこで思考を折られたくなかった。俺だって自覚はあったんだから。俺達が罪の意識を持たずにいられるのはミカエリのおかげだ。


 俺は何より悪七と共犯になるのが嫌なわけじゃない。悪七を救ってやりたかった。何でそこまで思ったのか分からないが、どこまでも深淵にはまり込んでいくのを見るのが忍びない。


「お前の中には何かがいる。ミカエリとかじゃない。何かある。教えてくれよ」


 一分ほどだろうか、ずっとつかんだ手を緩めることなく睨んでいると、悪七がとうとう穏やかに微笑んだ。

「そうだね。そのうち分かるけど。『虚無』ってとこかな」


 あの狐のミカエリか。悪七にあるのは『ない』ってことだ。一体何を失っているのだろう。全てだろうか。感情? いや、悪七だって人だ。人である以上、心だってわずかでもあるはずだ。


 サイコと呼ばれる人達は良心がないという症状もあるらしいが、悪七がサイコだったとしても、失っているのはそれだけじゃないだろう。物事を全て見通すことができる悪七だから、全て重く見えるから、少しでも軽くしたいと薄ら笑いを浮かべて傍観者を気取っているんだろう。


次回更新 2020年10月16日深夜1時

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