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第四章 メイズ

 歩きながらヤマが他にも手紙がないかとせがんだので、全ての手紙を読み返した。朝月も興味を示した。

「ふーん、手紙は何通かあるんだ」


「これがルールブックやな。っていっても、この文、ほとんど煽りやん。内輪もめさせる気満々やん」

 ヤマが小声で言って、最後尾をぶっきらぼうに歩く執行に目をやった。


 廊下の突き当たりには開けた空間があった。極彩色の部屋だ。天井は赤と黒のチェック柄、壁は原色。ピンクや白、緑。それが複雑に入り組んで迷路になっている。


「そろそろや思たわ。ゲームってのは単調じゃ飽きるねん。一本道ってのはRPGでもアクションでも嫌われんねん。FPSみたいな感じやったらええのに。いや、冗談や。うちはオープンワールドの方が好きやねんよ」


 ヤマは少し興奮気味に言った。

「でもあれやな。世界観はええけど、不思議の国のアリスっぽいな。どうせやるなら殺伐としたまんまでもよかってんけど。ホラーテイストで、さびた廊下、古びた洋館とか。某ゲームやな」

「主にオンライン?」


 朝月レンが目の下のくまにしわを寄せて微笑む。

「今はそやな。でも、うちは何でもすんで。駄作と言われたやつも、ほかのシリーズと比べて改善点あるやろ!


 ってつっこみ入れたりできるし。宣伝されてなくても、隠れた名作もあるしやなぁ。レースゲームでもオープンワールドでフリーランできるのがあるやん。あんなんもええな」


「ゲーマーなんだね」

ふたばが朝月に寄り添った。

「ねえ、あんたって誰かに似てるって言われない? ほら、モデルの誰だっけな」


「ちょっと、そんな話してる場合じゃないでしょ」

「何よ、焼いてんの?」


 確かに朝月はよく見るとイケメンだった。ふたばが朝月に猛アタックをかけはじめた。朝月も別に気を悪くすることもなく話を聞いている。傍目から見ればもう立派なカップルの成立だ。


 迷路は形だけだった。極彩色のおかげで色の位置を覚えておけば一度通った道も分かる。ただこの空間が悪趣味なポップな部屋だと分かったのはもう少し後だ。ここも墓場に成り得るからだ。


「あ、スマホが動いた」

 先頭を突き進んでいたふたばと朝月の二人が分かれ道で立ち止まる。前かがみに覆いかぶさってスマホは見せてくれない。それでいて、ちらりとこちらを盗み見るて、ちょっと口元をほころばせる。


「危険だから何人かで分かれた方がいいんじゃないかな」

 朝月が振り返ったので目が合う。ふたばは私の顔を見るなり目を細めて口を捻じ曲げる。それから気取った顔で微笑む。

「リーダーはあたしだから」


「別に俺は構わないけど。でもこれは信じていいのかな」

「何があったの?」

 ふたばはそっぽを向くが、朝月は画面に右に曲がれと矢印が出たと説明した。明らかに罠の臭いがする。


「おかしいよね。犯人は俺達を逃がしたいのかな。そんなことないよね」

 そのとき、ふたばの様子が変わった。またスマホにかじりついている。新たな指示だろうか。

「ごめん。ちょっと待ってて」

「離れたら危ないよ」


「一分だけ。ごめん」

 朝月の制止も聞かずそそくさと左に曲がる。嫌な予感がする。朝月は追おうとしない。呆れたというより、スマホに面白いものでもあるんだろうかという顔で見送っている。


「止めないと」

「ほっときなよ。彼女、依存症でしょ」


「え?」

 腕を組んだ朝月は、もう見えなくなったふたばの残像に語るように言う。


「今ちょっと覗いたけど、スマホに指示があったんじゃないよ。今のはメールだった。男の名前だったから彼氏じゃないかな」


「それはそれで大問題よ。メールが届くのなら。助けを呼べるかも」

「そうだけど。どうかな。これだけの規模で誘拐しておいて、スマホが使えるっていうのも不自然だよ。きっと手は打ってあると思うんだけど」


「いいの? もうあの人、角を曲がったみたいだけど」

 川口がぼそっと呟く。

「仲良しごっこかよ。くだらねぇ」

 執行が勝手に右に曲がる。みんなばらばらに動いたら危険なのに。


 風の吸い込む音が聞こえた。掃除機で何かが詰まったような音で、それもすごく大きな音だ。左の方からだ。ひいらは左に駆け出した。緑の壁、オレンジの壁。曲がる。いない。また二手に分かれている。音を頼りに走る。音が変わった。吸引力を上げたような音だ。


 くぐもった苦しげな声が聞こえる。突然、絶叫に変わる。また角を曲がった。いた。彼女は壁に張りついている。のけ反ったまま、突然、血が壁に散る。ぼっこりと彼女の背中が陥没する。背骨が折れた鈍い音が反響した。彼女の手からスマホが零れ落ちる。


 駆けつけた川口とヤマがそれぞれ立ち尽くす。遅れながら朝月がゆっくりとした足取りでことの顛末に、はっと息を飲む。


 怖くて近づけなかった。まるで壁に口があって、内臓を排水溝で吸われたようだった。がっぼりと身体に穴が空く寸前だ。ふたばの口からほとばしったどす黒い血の量は異常で、顔もほとんど壁に圧迫されて鼻の骨が折れ、目もくぼんでいた。


 突然吸引が収まったせいで、流れるべき血がどっと噴出したのか、スマホも血しぶきがかかっている。


「彼氏のふりをしたどこかのゲームマスターさんからだよ」

 朝月がスマホを拾って画面のメールを見せた。



《ここで立ち止まれ。死にたくなかったらメールを全部削除しろ》



「ここっていうのが、罠のあった場所みたいだね」

「何でメールを消させようとしたんだろう」


「二人のメールが残ってるのを見てみたらいいよ。ほら、別れたけど、彼女の方から復縁を迫ってるね。勘だけど、彼女が本当に依存してたのはスマホじゃなくて彼氏だったのかも」


「全件削除押せばええのに。何でせーへんかったんや?」

「押せなかったんでしょ。メールに一件ずつ保護かけてるし。ほら。ほんと、つまらない世間話とか挨拶まで保護してるよ」

「それで何で殺されたの」


 さっきまでふたばがあまり好きになれなかったけど、いざこうして沈黙が訪れると虚しくなった。

 ヤマが身震いして走り去った。

「ちょっとどうしたの?」

「何か知ってるみたいだね」


 朝月が追いかける。

「俺やない! 俺やないで!」

「じゃあ止まって話そうよ」

 やっと追いついた。みんな息が上がっていた。特にヤマは煩わしいと言わんばかりに、目尻を吊りあげた。


「信じてくれんやったら話すけどな。俺やないからな」

「分かったから落ち着いてよ」

 ヤマはまくし立てる。


「最初は誰が言い出したんか覚えてへんけどな。だから俺やないで。デスゲームを考えとったんや。もちろんゲームとしてやで。プログラミングできる友達がおるから。そいつに頼もう思うて。俺はシナリオをな、考えとったんや」


 息を整えるのをみんな待っていた。唾を飛ばしながらヤマは続けた。

「それでや、俺は最初シーソー見たときぞっとしたんや。最初ボツにしたけどそんなネタあったんや。偶然や思うことにしてんけど、今度はこれや。俺の考えたシナリオや」


「それってどんな?」あまり刺激しないようにそっとひいらも尋ねた。


「だから言うとるやん。デスゲームや。みんなの嫌がることを無理やり克服させるみたいなテーマで殺すんや。でも、まだプログラミンングもしてへん。俺の中でまだ形にもなってへんシナリオや」


 ヤマがこんなグロテスクなゲームを考えたなんて。でも、考えるのと実行に移すのは違う。

「そのゲームだけど、どこかに内容が漏れたのかな。ヤマ君はこんなゲームしないよね」


 ひいらが念を押すように問うと、ヤマは縦に激しく頷く。水を差すように朝月が冷ややかに言い放つ。


「分からないよ。最初の手紙の最後の文面には裏切り者には気をつけろと書いてあった。あれがルールブックだとしたら、あまり信じたくないけど、裏切り者がいるってことになるよ」

「そ、そや、掲示板にちょっと書き込んだんやったわ」


 たった今死んだばかりのふたばの、また掲示板。という声が聞こえたような気がした。ふたばはずっと血だまりを広げている。気分が悪くなってきた。

「ちょっと場所変えよう。ごめん」

 吐き気がしていた。


「あんまり動き回るのは危険だけど、ちょっとだけ進もうか」

 元来た道を戻ってさっきの分岐点、スマホの指示のあった右の通路に入る。

「執行の死体がないから彼は無事に先に進んだみたいだね」

 誰も笑えない。


「掲示板に書き込んで叩かれなかった?」

 川口がヤマの後ろから声をかける。

「え? お、覚えてへんわ。うちは遊びやってんから。アドバイスとかもらったかもしれんけど。でも、そんなんみんなするやろ。ちょっとぐらい叩かれたかて、慣れてもうてて。それに腹立ったら別のID作って別人のふりすればええやろ」


 川口の意気消沈した顔は惨めに見えた。ヤマに何か期待していた様子だった。

「ほんま、人のアイデア盗みよるとか終わってるわ」

「何で君のゲームを盗んだんだろうね。言ったら悪いけど、そこまで独創的ってわけでもないよね」朝月が鋭いナイフのように言葉を放つ。


「ほんま、悪く言ってくれるわ。まあ自覚してんねんけど。完成度は我ながら七十パーセントしかあらへんわ。ほら、知っとるか? 


 あの、名前なんやったかな、あのゲームの機械仕掛けと、あの映画の仕掛けがそっくりや言うてたやんか。このゲームかて、先例と似てまうのはしゃーないやん」


 言い訳めいた言葉を並べてから、ふと思い出したように朝月にこのゲーム知ってるか? と色々聞き始めた。朝月がある程度知っていることに気をよくしたヤマの興奮を少しでも抑えるため、朝月は現実に起こっているゲームの話に戻した。


「もしかしたらここに閉じ込めた犯人はゲーム内容なんてどうでもいいのかもしれないね」


 ヤマは一瞬考えたような顔をしてどっと笑い出した。

「あほか。そんなんやったらゲームやあらへんわ。とにかくや、うちのゲームを盗むなんて犯罪やわ」


「殺す方がもっと犯罪だよ」


 こう言ったひいら本人も驚くほど怒りで震えた。親戚の葬式にも行ったことがないから、人の死がこんなに悲しくなるとは思わなかった。


 ふたばとは今日会っただけだけど、それでもさっきまで動いていて、声も耳に残っているのに、もう動かなくなっている。それも単純な悲しみではなく、理不尽さに対する怒りと、恐怖から、こんなことをした犯人が許せない。


 涙ぐんで、誰かに共感してもらいたいほどの怒りに駆られていたが、こちらを哀れむように見つめてくる川口に気づいた。立ち止まって、何か言おうとして口をすぼめる。どうしたんだろう。


「この世界で生き延びるためには自分を殺し続けるか、他人を殺し続けるかしかないよ」

 重く開いた口からは、憎悪の響きさえあった。ヤマが唖然とする。恨めしそうに睨んでいる川口に歩み寄る。


「あほなこと言いなや。このゲームを容認すんのか。こういうのはな、テレビでやるからええんや。自分らは安全なとこで茶でも飲みながら、おれるからええんや」

「そ、そうじゃないけど」


 全身の毛が逆立つ気がした。川口の悲しげに歪んだ唇がわなわなと震える。ヤマに責められながらも、ずっとこっちを見つめている。そうか。改めて実感した。川口は生と死についてこのゲームがはじまる前から考えていたんだ。


 それは自分の殺し方も含め、他人の殺し方も一度や二度は考えたことがあるに違いなかった。何が川口を追い詰めたのかは分からない。でも、さっき吐いた「殺す方が犯罪」という言葉が川口を傷つけてしまった。


 世間一般論の見方で話してしまったけれど、それが正しい見方だけど、それが人を否定してしまうこともあるんだ。


 だけど、ごめんって簡単な言葉が出なかった。圧倒されて声が出なかった。悲痛に潤んだ瞳がずっとこちらを見据えている。だが、もし川口が裏切り者だとしたらという醜い考えが浮かんだ。


 誰かを疑うべきじゃないけど、もし裏切り者がいたら私達は生きてここを出ることができるだろうか。

 遠くで悲鳴が聞こえた。ほかに誰かいるんだ。てっきり私達だけかと思った。男の怒鳴る声もする。今まさに誰かが襲われている。


「今のは執行君の声だよ」

 川口が呟いた。

「分かんのか?」

「だって怒ってるから。また何かあったらどうするの?」やんわりと早足に駆け出した私達を制止する。


「そんなもん行ってみな分からんわ」

「君が考えたゲームなんじゃないの?」


「なんや、疑ってんのか。じゃあどんな内容やったか教えたる。最初にシーソーで人が死ぬ。その後、針の部屋や。あれは何故か氷の剣山の部屋になってたけどな。その後、壁の穴や。

 

 罠だらけなんや。次に来る炎の部屋は実際問題、実現不可能や。水攻めの部屋もな。コストとか技術的な面でも苦労すんで作る側はな」


「ま、困ったときは最終的に君に頼ってもいいってことにしとくよ」朝月が皮肉たっぷりに笑った。

 悲鳴が近づいて来た。血相変えて顔を真っ赤にした執行がナイフを振りかざして少女を追って、こっちに走って来る。


「携帯よこせって言ってんだろうが。早くここから出たいんだよ」

 逃げて来た少女は息もかすれ背中をかすめたナイフに動転し、見事に転んだ。執行が少女の髪をわしづかみにする。朝月レンが駆け出した。馬乗りになろうとする執行に身体で体当たりする。


 二人とも共倒れになるが、執行は更に怒りを爆発させ、朝月の肩にナイフを押し込んだ。剣山が刺さった傷口を狙ったのだ。


「あんさん、最低やな」

 ナイフに腰が引けたヤマが注意を引こうと靴を投げるが、執行には及ばない。逃げる少女。こっちに来た。私には目もくれている暇がない。間をすり抜けていった。

「危ないからここにおりや」


 ヤマが靴を履きながら二人を追おうとする。突然、執行との間を鮮血が遮った。床から鋭い氷の針が出たのだ。執行のかかとをかすめ、ヤマの腕を深くえぐった。悲鳴を上げたヤマだが、数秒後には、息を切らしながら感動の表情さえ見せた。


「さっきまで何もなかった場所やのに。不可能や。こんな通路に氷の針やなんて仕掛けるのは不可能やで」自分の滴る血には気にも留めず興奮気味にヤマは誰に語るでもなくまくし立てた。「動きに反応する仕掛けやったら最初通った時点で反応しとるはずや」


 いや、不可能ではないかもしれない。冷気を感じた。たった一本の氷でこれほど通路が冷えるはずがない。きっと近くにミカエリがいる。このゲームはミカエリが仕掛けている。


 さっきの女性の姿のミカエリを探して目をこらした。どこにも見当たらない。朝月レンと目があった。不思議そうにこちらを見ている。真剣な顔をして何を探してるのと尋ねられそうだ。


 気まずくなって、何か言いかけたとき、さっきの少女が逃げた先にミカエリの姿が見えた。白い狐のような人の姿をしている別のミカエリだ。ここはミカエリの館なんだ。ああ、まずい、少女の後を追うようにしなやかに滑って歩いていく。


「気つけや。こいつ、まだピンピンしてんで」

 取り押さえようとしたヤマから逃れるように執行は足を引きずりながら脇道へそれた。曲がり角を利用してあっという間に視界から消えた。


 自分で応急処置をはじめた朝月。川口が手伝うと朝月は苦笑いして自嘲気味に言う。


「本日二回目の親切だね。俺なんか誰かのために何かしたことなんてないのに」


 照れるわけでもなく、ただ単に感想といった感じだった。川口は何も言わないでどこか物憂げに手だけ動かす。その沈黙を打ち消すように怒りをぶちまけるのはヤマだ。


「ここらであのアホが暴れる思うたわ。デスゲームにはああいう引っかき回すキャラがおるもんやねんよ、ストーリー上。そしたら思うんわ、うちの考えたゲームをパクった犯人はんは、ほんまにうちらを選んでるんやろかって」

「え、何を選ぶの?」


 朝月は一人で歩き出した。その後をヤマが早足で歩きながら、ときどきぐるっと回って戻ってきて私に説明する。


「うちのシナリオやねんけど、ゲーム自体はSFやねん。全宇宙に対する戦争にそなえて、日本ではもう一度、帝国主義にしようという政治運動が起きんねんけど、宇宙の惑星を植民地にするってことやねん。ちょっと古いかな。


 でもな、それに乗り出すまでには国内から変えていかなあかんってことで、選民思想を国民に植えつけるために全国民にデスゲームをやらすんよ。あー、これも古いネタかもしれんな。今思えば」


「いいから続けて」


「つまりやで、生き残りゲームで生き残ったっていうプライドがうちらの意識を変える。選ばれたってことになるんよ。選ばれたイコール、植民地を巡る戦争に駆り出される兵隊になるんがうちのゲームやけど。


 犯人はん、うちらを選んでもメリットがないはずなんよ。だって生き残ったところで俺らは何になる? っちゅー話やんか。そりゃハッピーエンドやけど。犯人からしたらどうだってええやん。


 こりゃ、朝月はんの話、一理あるかもしれへんな。うちらのこと生き残ろうが死のうがどっちゃでもええ感じやん」


 ひいらにはシナリオはさっぱり分からないが、このゲームはどこか混沌としている。更に、不思議なのはミカエリを使って罠を仕掛けるにしても、私もミカエリを持っていて、ミカエリを使うことは禁止されていない。それってどうなんだろう。


 フェアにやるとかそういう問題でもなさそうだし。ピアノ線で執行を締めつけていたのだって、ミカエリがいなかったらそれほど衝撃的な図にはならなかったのではないだろうか。


 ミカエリがいなかったら、機械でピアノ線を巻き取るとかして執行をやはり締め上げるのか。どちらにしても残忍だが、ミカエリを見せつけてきているような態度、ほかの人には見えないという事実すら、仕組まれているようにも思える。


 突き当たりを左に曲がると袋小路になっていて、少女が一人怯えていた。黄色い床には携帯が投げ捨てられていた。拾って返そうとしたが、少女は首を振る。


「壊れてるって言っても聞いてくれなくて」

「いつから壊れてるの?」

「ここに来てから」


 少女は輪千(わち)真奈美というらしい。大人しい印象で、メガネのせいで一回りも大人びて見える。今にも泣き出しそうな寂しい表情をして、ときどき、ほっと息を吐き出すように静かに話す。


「今日は疲れてたから晩御飯食べてからすぐ寝ちゃったんだ。だから起きたら朝だと思ったのに、こんな明るい場所に連れ出されちゃって。蛍光灯が眩しいの」

「え?」

「なんでもない。空気も重いし。背中に何か乗ってるみたいに重いの」


 さっきの狐のミカエリはどこに消えたんだろう。そうだ、壁をすり抜けたらいいんだ。フーならできる。迷路だって上から見ればどこが出口か分かるはずだ。フーに目で合図する。


 フーはにこにこ微笑んで天井に舞い上がった。しかし、感電したような音がした。のけ反ってあっけなく降りてきた。今の音は誰も聞こえなかったのだろうか。ずっと見上げていると不思議に思われてどうかしたのか尋ねられた。


 結局聞こえたのは私だけだ。結界と呼ぶのが近い。フーにも行動範囲が限られている。さっきのミカエリは壁を通り抜けることができるんだろう。やっぱりフェアじゃない。罠ですらない。罠はあちこち移動したりしない。

「フー大丈夫?」


 フーは平気な顔をしているが、ひりひり痛むように顔を振るわせた。

「ここは冷えるね。さっきから横に何かいるみたい」

 フーの方向を見て言われたのでどきっとした。輪千には霊感のようにミカエリを感じることができるのだろうか。


 袋小路から抜け出した。単調な道が続く。執行の行方は分からない。しばらく平和が続いたというか、常に緊張している状況で、ヤマはずっとあれこれ考えを述べたくて仕方がない様子だった。


「今時ピアノ線とか古典ホラーやわ。今やったらレーザーで切断やわ。まあ実際やったら酷い臭いしそうやけど。評価できんのは迷路のデザインぐらいやわ。


 見た目ばっか凝って内容薄いゲームみたいやけど。グラばっか綺麗なゲームと同じやな。ま、シナリオをパクってこの程度じゃ高が知れてるわ。もしかして犯人、コアゲーマーとちゃうんちゃうか」


 饒舌なヤマを嫌がるでもなく朝月がずっと話し相手になっている。といっても朝月にはときどきヤマが例を挙げたゲームソフトの名前程度しか知識はないらしかったが、ヤマはその面白さを必死に伝えた。


 挙げたタイトルは全てプレイ済みだという。行き詰った積みゲーだけをプレイする月を自分で決めて、その月は消化月間と呼ぶのだとか。ゲームに関してはとことん几帳面で、ゲーム専用の手帳を持っているらしい。


「最悪のパターンやけど犯人がゲーマーじゃないとしたらまずいで。うちの理論通用せえへんから。もっとやばいんわ、ゲームってクリアできてなんぼやん? 


 最近はクリアなんてない気ままなゲームライフを謳歌するオープンワールドが流行っとるけど。今やってんは脱出するのが目的やからクリアできなあかんやろ。犯人がゲーマーやなかったら無視するかもしれへんで。誰もクリアできひんゲーム。


 もしそんなことしてみ、うちは許さんからなゲーマーとして。パクったからには最後までエンディングを見せてもらおやないか」


 意気込みはすごいけど、ひいらには理解できない部分もあった。ゲーム好きな友達でも、ここまで自分がゲーマーゲーマーと名乗る人は初めて見た。


 ヤマは決して悪気があるわけではないが、このゲームの不吉さをヤマ自身が証明している気がする。思うにこういうゲームにハッピーなエンディングはないのではないだろうか。脱出後も、終わってなかったとか。生き残りはたった一人だとか。


 ミカエリが現われた。さっきの、人型の狐だ。顔には仮面をつけている。まるで招くようにこちらを見据えている。私が足を止めたことに気づいたのは朝月と、川口。朝月は川口にも増して何か言いたげだが、目線の先を追ってミカエリの方を振り返るが何もないと分かると少し怒った。


「さっきから何。君って何か知ってるの?」

「そ、それは」

「違うよ。気配みたいなものだから」

 輪千がすっと歩み出た。助け舟を出してくれたのかと思ったらそうでもない。

「この先にはきっとあのときに近いものが待ってると思う」


 まるで何かを悟ったような口ぶりで、目を凝らすが、そこには極彩色が広がるばかり。


「二年も経ったのにね」

 完全な独り言なのに、どこか引き寄せられる情緒豊かな声は、その場にノスタルジックな光景を皆に思い起こさせた。ヤマが興奮していなければ、この場に長く留まってしまいそうだ。


 集団で何かの幻覚を見ることがあるというが、輪千には先導師的なものがあるのかもしれない。


 輪千越しにミカエリに目をやったときだった、箱が開くような軽い音。川口が落ちる。一瞬の出来事でマジックのようだった。悲鳴も上がらない。落ちる川口の襟首をつかんだ。ひきずられる。ヤマが落ちそうになる私の手首を引っ張る。指一本で繋がっている状態だ。とても重いなんてレベルじゃない。人ってこんなに重いんだ。川口は声を上げなかった。


 足下にウニのような黒い針が無数に広がっているのに。うろたえているのはヤマの方だ。鋭利な瞳で睨まれたように、下を見ることができず汗だくになる。


「アカン。頼むわ。うち、ウニ嫌いやねん。昔刺されたから」

 目も背けるようにしてまともに力が入っていない。

「お願い。絶対離さないで」


 私一人では到底無理だった。後ろから朝月が片手で引く。針がぞわぞわと動く。まるで生き物のように棘が上にせり上がってくる。棘と棘の間で二つの目が瞬きした。針そのものがミカエリだ。悪戦苦闘しながらやっと引き上げられた。


 川口も冷や汗をかいていたがそれは恐怖からではない。恐ろしい葛藤を終え、今しがた息を吹き返したように、海面に上がって息を吸うように息をしていた。


 決して大きくは吐き出さず、自分の中で整えられた息は、どこかに影を潜めて平常の心拍数に戻る。目だけが潤って、私の顔を見たときには悲しげな笑みさえ浮かんでいた。だけど、言葉に詰まって、私も何も言えない。彼は今、死んでいたかもしれない。


傍にあった紙切れをつかんで川口が驚いて周りを見回した。

「誰がこれを置いたの? さっきまでなかった」



《このゲームから離脱する簡単な方法は自らを断つ事》



 手紙は川口に宛てられたものだった。これは自殺を迫るものだ。しかも、今このどさくさにまぎれて落ちたのかもしれなかった。


「裏切り者がいるんだ」

諦めたように言う。


「誰も信用できない。一人にさせて」

「ちょっと待って。注射器持ってるのは君だよね?」


 朝月の指摘に川口は押し黙って口を閉ざした。まさか、注射器を持ち出していたのが川口だなんて。しかも、反論しないところ図星のようだ。朝月は何でこの瞬間にこんなことを言うのだろう。知的だがデリカシーがない。


「俺達を信用しないのは仕方ないけどさ。注射器は信用するんだ。中身だって分かったものじゃないよ。犯人は君が自殺志願者だって知ってるんだから。からかってるだけかもしれないよ。現に俺は暗い場所で一人で閉じ込められてたし」

「少しだけ時間をくれよ」


「まあ、止めはしないよ」

 朝月のそっけない態度に腹が立った。

「何で止めないのよ。ほんとに自殺しちゃったらどうすんの」


「言っても聞かないよ。ああいうタイプは。ほら、もう俺達のことなんて見てない。離れて歩いてるだけだよ。あの薬の中身に疑問を抱いただけでも進歩じゃないかな」


 そうだけど心配だった。私の不安を怪訝そうな顔で冷ややかに笑い飛ばして朝月は告げる。


「そういう君は彼を止めて責任取れるの? 彼には彼の悩みがあって、それは彼が解決しないといけない。君に何ができる? 生きるか死ぬかって、大きな問題だよ。


 後数分でけりをつけた方が楽かもしれないって考えたとき、日常の小さなことは全部どうでもよくなるんだ。本当に二択さ。明日のことも見えない。目先には生か死かしかないんだから。初対面の君に、彼は救えない」


 どん底に突き落とされたような気分だった。朝月はまともなことを言っているのかもしれない。あくまで私達は赤の他人で、まだ小一時間の付き合いなのだから。







 モニターには最初の部屋、二つ目のシーソーの部屋。迷路の映像は何個かカメラが別れていて、それぞれ五台のテレビが映している。俺が到着した時点では死体はシーソーで顔を潰された死体だけだったが、今は剛力ふたばの死体が増えた。


 俺が誘拐した一人だ。特に面識はないが、あっさりと殺されてしまった。いや、殺してしまったことになるのだろうか。直接手を下したわけじゃないし、実感もない。


 もう一人、俺が直接誘拐してきたのは、執行だ。顔見知りと言えば、執行と善見ひいらだけだ。悪七は既にいなかったからシーソーの人間が誰なのかも分からない。ただ一つ言えるのは、悪七はゲームを近くまで見に行った。悪七のミカエリはゲームに二匹参戦している。


 俺のカムと違って自分の意志で行動している。どちらも悪七の肩に始終留まる必要がない、悪七いわく上級クラスのミカエリだ。狐の方は氷を自在に操ることが得意なようで、部屋中の氷のトラップはこいつが担当していた。


 悪七の血も必要としていない、今のところは。ゲーム終了後、どうなるかは知らないが。


 俺のカムは落とし穴の罠にだけ送り込んだ。カムは針のような形に変形することを見せてくれた。が、戻って来るなりすぐこれだ。俺の腕は針で刺されて穴だらけだ。ガーゼと包帯をもっとたくさん持ってくればよかった。


 執行をピアノ線の罠にかけてくれたのは悪七だ。女のミカエリだったが、あれ以来お役御免とばかりに出てこない。まあ、執行を裁いてくれただけでも感謝しないと。


 俺は二人を誘拐した後工事現場でぐったりしていたから、指定された場所に運んでから、準備は全く手伝えなかった。思うに、とっくに機械類や、大がかりな仕掛けは済んでいたんだろう。


 執行孝次、あいつは許さない。学校で散々、俺の悪い噂を流している。俺は何もしてないのに。


 あいつは俺そのものが嫌いなんだ。一切話したこともないが、それが返ってお互いに溝を作っているが、俺が口をつぐんでいるのはお前らのせいだ。お前らがいつも見下すような目で校内を歩き回るからいけないんだ。


 俺は関わり合わないように常に目を伏せた。それなのに俺が気に入らないんだ。俺だって気に入らねーよ。陰口ばっか叩きやがって、全部聞こえてんだよ。


 あいつが一人で行動するのは分かっていた。必ず自分から罠にかかるだろう。俺は奴だけでいいんだ。あいつだけだ。あいつだけ見ていればいいんだ。でも、そう言い聞かせてるんだよな。


 実際に執行しか見ていないが、ときどき起きるトラップに肝が冷えているのも確かだ。剛力ふたばが死に、次の部屋では誰が、立ち止まるんだろうか。


 しかし、よくこれだけの人数を誘拐できたな。俺は悪七が掲示板でどんなやり取りをしたか知らない。あいつのことだ、そんな証拠も残さないんだろう。


 でも、どういうわけかトラップの見取り図は今、机の上に親切に置いてある。まあ、片づけもしないといけないしな。今回だいぶカムに血を与えたから、ゲームが終わる頃にはこっちも貧血になっているだろう。


 片づけたらそれこそ、病院行きかもしれない。見取り図を頭に入れてライターで燃やした。証拠隠滅。くすぶった煙の先を眺めていると、すっと白い顔が過ぎった。


 いや、仮面だ。例の狐のミカエリだ。恭しく、それもわざとらしく見えるほどにお辞儀して見せて、悠長で親しげな声をかけられた。

「私はライ様のミカエリのエスです」


「見れば分かる。こんなに上手く喋れるんだな」

 人の立ち振る舞いと変わらないしぐさで、腕を後ろに組む。カムとは大違いだ。それに、エスってドSのSか?

「いえ、心理学でいうところの自我、超自我、エスのエスです。もちろん、名付けたのはライ様ですが」


「フロイトのか」

 と、納得したが、さりげなく心を読まれたことに気づいて、背筋が寒くなった。そういえば、こいつは氷を使うミカエリのようだが。


「言葉を解するミカエリは大勢いますが、自ら話すとなると意志が必要なので。自由意志を持ったミカエリは私だけです」

「女のミカエリは喋らないのか」

「ええ。あれもライ様の命令には絶対服従の格下ですので」


 随分な物言いだな。図が高いっていうか。態度がでかいっていうか。

「私が仮面をつけているのは、ライ様よりも顔が整い過ぎているといけないからです。ライ様は、ああ見えても結構、繊細なんです」


 飼い主に似るっていうことか。様づけで呼ぶのは悪七に対する皮肉に聞こえる。それにしてもこいつ、べらべらお喋りが多い。


「いいのか。こんなところで油売ってて」

 仮にも、控室、監視室、なんとでも呼べる。建設現場の監督室みたいな、蛍光灯も点けず、モニターの明りを頼りに、湯でも沸かすことしかできない、寒々しいコンクリートの部屋。俺も油を売っているが、ミカエリは働いていればいい。


「私は命令に捕らわれないんですよ。代々悪七家に伝わるミカエリは十匹ほどいます。ライ様は実家からミカエリを選んでいつも連れ歩いているんです。私もその一匹ですが。 

 

 私はライ様個人に憑いていますから、ライ様に選んで頂く必要がないんです」

「自由に動けるなら悪七から離れようとは思わないのか」


「好きでいるんですよ。あなたもそうでしょう。悪七ライは人をも引き寄せ、魅せる何かがあるのではないでしょうか。」


 確かに悪七には人だって引きつける何かがある。じゃあカムも俺に憑いた理由があるのか。カムは何で俺に憑いたんだろう。

「何でカムは俺から離れない。まだ下級だからか」


「あなたが呼び寄せたんでしょう。」


 憎悪がカムを招いたのか。猫のカムを殺してカムに成り代わったってのに、俺はカムを使役していることに腹は立たない。思えば猫のカムパネルラは、いつ消えてしまうとも知れない儚い親友という意味で名づけた。


 ザネリを命がけで助けたカムパネルラみたいに俺はなれないから。そのカムパネルラは文字通り消えてしまった、自己犠牲とはいかずに、カムによって殺された。気が狂って道路に飛び出し、車にひかれて死んだ。


 それからカムパネルラが餌をねだって黒い毛をこすりつけてくる代わりに、カムが腕を這うようになった。


 それにしても何故狐のミカエリは俺に色々教えるんだろうか。

「そう怖い顔しないで下さい。私の親切は不服ですか?」


 当たり前だ。ミカエリと話しているんだ。内容によってはこちらの身だって危険かもしれない。幾ら悪七のミカエリだからって俺を襲わないとは限らない。悪七のミカエリだからこそ危険なんじゃないか。それに狐はたった今、命令に捕らわれないと自分で断言した。


「ライに怒られるんじゃないのか? 俺と喋って」

「確かに。ライ様はこういう無駄話はお嫌いでしょうね。だからこそ話すんじゃないですか。あなたと私だけの秘密にすればいいじゃないですか」


 そんなことされたら俺にも責任があるみたいじゃないか。狐と喋ったことを悪七に報告したら怪訝な顔をするに違いない。おまけに狐からも疎まれたりしたらどうなる? とにかくお喋りはこれまでにしよう。俺はカムだけでも手いっぱいなんだ。まだ、血が止まらない。


「安心して下さい。あなたから血は採りませんし。では私もゲームに戻らなくては。ライ様には私と話したことは秘密ですよ」


 そう念を押された。もしかして狐は、俺のことを困らせて面白がっているのか。悪七の秘密主義には手を焼いていたが、本人の口から聞きたかった。もしかして俺じゃなくて、悪七を困らせたくて秘密を暴露しに来たのかもしれない。あいつも苦労してんだな。


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