第三章 ゲーム overcome
僕が目覚めたのは、白い部屋だった。蛍光灯が白々と部屋を照らし楽屋を思わせるが、机などの家具はなく、先ず目についたのは自分の顔の真上にある板だった。
天井に柱で固定されていてその先に尖った杭が見える。自分の上に落ちてこないのは、その板の下がっているところ、つまりシーソーの原理で自分と年の近い少年が座っていたからだった。
少年はとても学生とは思えない陰鬱な顔で俯いていたが、僕が目覚めたと気づくと、シーソーが僕の上に落ちないように板の先端に繋がったロープを、僕のすぐ側の床から飛び出している金属の輪にしゃがみ込んで固定した。先ほどとは打って変わって溌剌とした表情で、ノスタルジックな優しい表情を浮かべる。
このときになってはじめて身動きを取ったところ、同じく床にロープで何重にも巻かれて固定されていることが分かった。
「お前誰。これは何だよ」
どうあがいてもロープは解けなかった。おまけに寸分のずれも許さないように几帳面に巻かれている。
「まだ死ぬには早いと思うけど。どうして君はサイトにいたのかな」
質問には答えず少年は独り言のように問いかけた。サイトと聞いて、すぐにあのサイトだと思い当たる。他人には秘密にしておきたい事項だ。慌てふためいたものの遅かったと自覚した。今更ながら何とか打開策はないかと思い巡らせた。
「そう。君は自ら名乗り出たんだよ。自殺志願者として。あのサイトは俺が作ったんじゃないけど、あそこには本当に死にたがっている人は意外といなかったよ。君以外はね」
「確かに僕は一緒に死んでくれる仲間を探してた。だけど、一緒にだ。こんな、僕一人だけが死ぬようなやり方は嫌だ」
何とも情けない声だと我ながら思って相手の出方に目を見張った。少年は、僕から目を離すとシーソーの固定しているロープを外そうとする。
「待て。それは何だ。まさかそれで殺そうってことじゃ」
顔色一つ変えずに少年は説明した。
「シーソーだよ。昔はみんなやったことがあるんじゃない? あの下に人の顔があったらって思うとちょっと怖いよね。でも、どっちかっていうとねずみ捕りみたいなものだよ。逆シーソーさ、支点は天井にあるから。」
「待てよ、あれは僕の上に落ちてくるのか」
泣き喚くような悲痛な声が出た。
「ちょうど君の顔の上にね。たぶん人相が分からないぐらい潰れるんじゃないかな。あんまり鋭利な杭じゃないから叩き潰す感じになるよ」
「自分のやってることが分かってるのか? あんまりだ。僕は死にたいけど、こんな死に方って」
「じゃあどんな死に方?」
喘ぎながら叫んだ。こんなつもりじゃなかった。
「車で練炭で中毒死するつもりだった。それよりももっといい方法があったかもしれない。できるだけ苦しまず。だから書き込みしたんだ。もっといい方法を知ってる人がいるだろうって」
少年は意味深な微笑を浮かべて側に立った。顔の横に足が来る。
「それは他人任せさ。結局自殺っていうのは自分で自分を殺さないといけない。それが君にはできない」
「ああ、そうだったかもしれない。けど、死が怖くない奴なんているか? 僕は怖くて怖くてたまらない。生きるのも死ぬのもだ! お前なんかが分かるか。いちいち刺さる痛みが。
僕は他の連中と違う。他の奴が耐えられるようなことが耐えられない。何から何までだ。明日、苦手な授業があると思うと眠れなくなる。
そんな単純なことさえ僕には死でもって解決したくなるほど辛い。明日が来なければいいんだ。明日なんてなくなれば」
自分で自分の発言に触発されて泣き面になってしまう、涙を見せまいと堪えた。
「言ってたねサイトで。いじめられたことよりもその方が辛いって」
「お前に何が分かるんだよ。あのサイトを見て同情でもしたってのか?」
「人として生きるのに疲れたって本当?」
「うるさい。人のことに口出しするな」
「どうして? だって俺は匿名は守ってるよ。ネット上だと思って話してよ」
「うるさいだまれ」
「俺が思うに、人としての感情があるだけいいことだと思うよ」
「お前にはなさそうだしな。こんなばかげた映画のまねごとなんかしてるくらいだ」
少年はにわかに困った表情を見せてから何事もなかったように笑い出した。
「何がおかしいんだよ。とにかく解け、一体ここはどこなんだ」
「そろそろ時間だ。リョウが着く前に決着つけたいしね」
「リョウ?」
少年は突然ナイフを首に押しつけた。思わずのけぞった。少年の瞳が爛々と輝いているのを見て冷や汗をかいた。片手には、ほどけかけているロープ。
「今から一分以内に自殺して。もちろん手はつかえない。ずっとこうして首にナイフを押さえつけとくから。君はちょっと上体を起こして喉をこするなり押し込むなりして死ぬ努力をしてもらう。
自力で死ねずに時間切れになったら俺がロープを持つ手を離すけど、そのときには上のシーソーの先の杭が顔に刺さるから」
「そんなばかな話があるか! いいか、僕はこんなわけの分からない死に方ごめんだ」
「知ったことじゃない。じゃ、今からスタート」
「ほんと映画の見すぎだな。もっと映画の方がリアルってもんだ。僕は何が悲しくってここにいるか。お前みたいな奴に殺されるためじゃないんだ」
「残り三十秒」
「解け! 自分でやりたいようにやる」
「わがままだね。残り十秒」
もがいても、その場からは動けないがときどき喉に触れたナイフで血が滲む。しかし身体を押し上げるだけのことに恐怖する。紙で切ったぐらいの浅い傷しかできない。血は垂れているが、こすったり押しつけるのは論外だ。仕方なく睨みつける。
「三、二」
少年のカウントダウン。目が天井のシーソーに引き寄せられる。痛みはどれほどだろうと思案するのは既に遅かった。最後の「一」は木霊するように耳に焼きついた。ロープが解ける。蛇が素早く脇を通り抜けるような音が聞こえた。
眩しいより先に、鼻についた異臭に顔をしかめた。何年も洗っていない風呂場のような水の臭い。足首も濡れていて汚らわしかった。
フーはずっと側で浮いていた。起こすでもなくずっと見守っていた。
「ねえフー。ここはどこ?」
フーには首がないから、目をぱちりとさせて何も知らないというとぼけた顔で全身を振った。ミカエリは眠る必要がないので眠らないからずっと起きているはずなのに。フーに記憶がないとしたらフーの身にも何かが起きたに違いなかった。
見回すと近くに同じ年ぐらいの少年と少女がいる。少女が今しがた目覚めたといった顔で目が合った。寝起きのような機嫌の悪い、だみ声でここはどこと尋ねる。それからいきなり振り向いて誰か他にいないかと髪をはためかせる。
「あんた誰。ちょー、何であたし達の邪魔すんのよ。あきのりはどこ行ったの」
少女は立ち上がるなりまた髪を振り乱して周囲を右、左と見渡し再び目を止める。どすの利いた声でがなる。
「マジで何なの。あんたあいつの友達じゃないの? さっきまでコンパしてたでしょ? ここどこよ。あきのりどこにやっちゃったのよ」
「何の話か分からないけど。落ち着いて。ここどこなんだろう」
少女は学生服にアクセサリーを散りばめている。学校から遊びに直行しているタイプだ。ひいら自身もこういう格好をしてみたことがある。
「誰こいつ。こいつもコンパにいなかったよね。ださ」
床に、くの字で倒れている少年を覗き込んで少女は腰に手を当てた。少年は、さらさらした髪に小ざっぱりしたきれいな顔立ちをしているが、眉間にしわを寄せて眠っている。すぐに興味を失った少女は部屋をうろついた。ひいらもつられて壁まで歩む。
四方の壁はコンクリートで天井からは蛍光灯の冷たい光がときどき点滅する。まるで地下駐車場を区切ったような造りだ。無機質な部屋なだけに中央に置かれたプラスチックの箱が目立つ。金属製の古びた扉は一つだけあるが、鍵がかかっていて開かないと少女が卑屈に叫んだ。
「何のまねよこれ。罰ゲーム? あんたほんとに何も知らないの? てか、まずあんた誰なの?」
「私は善見ひいら。あなたこそ誰よ」
「同じ学校じゃないよね。あんたみたいなの知らないから」
「そうね。私もあなたを見たことないけど。でも同じ状況になってるっていう意味では何か共通のものがあるのかもしれないよ」
ひいらは少女が名乗るのを待った。金髪で、つっけんどんな態度、口はへの字に歪んでいてとても友好的には見えないが、協力するべきだと思った。
「剛力ふたば」
「ふたばっていいね。あだ名はふーちゃんとかがいいな」
「何であんたにあだ名で呼ばれないといけないわけ。てか、ふーちゃんって」
「ここどこなんだろうね。誘拐されたのかな」
ふたばに鼻で笑われたが、ひいらは閉じ込められている状況から何となくホラー映画の趣を思い出した。
「こういう映画流行ってたよね。ソリッドシチュエーションスリラーとか言って。わたしホラー嫌いだけど」
「知らなーい。てか興味ないし」
ひいらはずっと眠っている少年を起すことにした。ふたばに話を聞いても、らちが明かない気がしてきた。
「あのー。すみませーん。もしもしー」
少年は瞼をうっすら開くと半ば諦めた顔で再び目を閉じた。静かな吐息が吐かれ、再び目を覚ましたときは目を細め、苦痛で仕方がないというように顔をしかめ、蛍光灯を避けて俯いた。
ここはどこだという単純な疑問も口に出すのが億劫そうだ。ひいらは遠慮気味になって声を潜めて尋ねた。
「あなたは?」
少年は無表情な人形みたいに口を動かした。思いの外低い声だ。
「今日はよろしくお願いします」
「えっどういうこと。あんた何か知ってんの」
突然ふたばが割って入ったので、戸惑った少年は口をもごもごさせて言葉にならない。
「あたしは早くここから出たいの。知ってること早く言いなさいよ」
「待って。そんなに一気に答えられないよ。まず自己紹介だよ」
ひいらは早々に名乗る。
「はぁ。何様なのあんた」
少年はひいらとふたばのやり取りを見ていながら、何の興味も持たないようにじっとコンクリートの床を見つめている。
「あなたは?」
「ハンドルネームはイク」
「は? 本名名乗れっての。てか初対面でハンドルネーム名乗るとかマジでなんなの」
小馬鹿にされたこともどうでもいいようで、少年はまじめ腐った顔で尋ねる。
「ここはオフ会じゃないの?」
「あんたそういう系? マジうける」
「ちょっとからかったら駄目だよ。それに、おかしいじゃない。あなたはコンパだと思ったんでしょ?」
また少年は口を閉ざしてしまったので、ひいらはしゃがみ込んだ。少年はそもそもずっと座ったままだ。
「イクって呼んだらいい?」
「本名は、川口流」
「オフ会だと思って来たの?」
「そういえば記憶がない。オフ会の予定は今日だったけど。管理人もいないみたいだし」
どこまで根掘り葉掘り聞いたらいいのか戸惑いながらも淡々と会話が続いた。
「管理人も来る予定だったの?」
「まあ」
「何のオフ会だったの」
口を濁した川口は床に置かれているプラスチックの箱にそっと目を落とした。
「そういえばこれ何だろうね」
ひいらが尋ねると早々とふたばが奪い取るようにしてプラスチックの箱を開けた。中には注射器が一本入っていた。それから、ナイフが一つ。その下に紙切れがる。
「ドラッグ? あー怖い」
怖さなど微塵も感じていない声で、最後には腹を抱えて笑い出すふたば。
「ふざけてないで。まだ決まったわけじゃないでしょ」
「何これ手紙じゃん。脅迫状みたい。マジうけるんですけど」
《ゲーム名overcome》
《今日は最期の日になる。脱出を試みてくれてもいいがそれは不可能に近い。君達には死に様を選ぶ権利がある。注射器の意味は川口流が知っている。剛力ふたばの携帯に指示を送ることにする。君のリーダーシップが見たい。
ナイフは誰が使ってくれても構わない。善見ひいら。君は背後のものを使う権利がある。脱出するにはそれぞれが依存するものを躊躇なく断ち切らないといけない。簡単なことだ。最期に一つだけ書き留めるが、裏切り者には気をつけろ》
手紙の下にスマートフォンが隠れていた。今の手紙の内容だとふたばの携帯に何らかの指示が送られてくるらしい。そもそもゲームとは何なのことだか、ひいらには理解できなかった。
ここにいる全員がそうだろう。文脈は不穏な流れで、ひいらの脳に刺激を送っている。すぐにピンときた言葉があったからだ。
《君の背後のものを使う権利がある》という部分。明らかにこの手紙を書いた主はフーのことを知っている。フーが見える人物はこの前出会ったばかりの狩集リョウぐらいしかいない。
まさか、私達を誘拐したのは狩集リョウ? そういえば、ゲームがどうとか言っていたような。
「ちょっとあたしのスマホに何してくれたのよ。画面固まってんじゃん」
スマホの画面にはドアの絵が描かれている。それはこの部屋の扉とそっくりだ。
「それ、指示なんじゃない?」
「嘘。一方的に送りつけてくるわけ? 電話もかけられないし。あーもー、あたしのスマホ」
何度も指で画面をスライドさせようとしたりタッチしたりするが反応はない。
ひいらはこの部屋のドアの方を見て、もう一度開けようとしたが外から鍵がかかっているのは変わらない。
「ねぇ注射器って。川口君に聞けば分かるって」
川口はさっきから俯き加減であまり私達に関わりたくなさそうにしていた。そっと歩み寄っても半歩下がるオーラが出ている。
「頼むから教えて。私達ずっと出られないかもしれないんだよ」
川口は目を反らしながら、言葉は床に落ちるように零れた。
「あれはきっと毒か、安楽死の薬だと思う」
「はぁ。何であんたがそんなこと分かんのよ」
ひいらはふたばとの間に立ってゆっくり川口に尋ねた。川口はたじろいでいた。
「それは。たぶん、僕が使う分だと思ったから」
顔を覗き込むのはひいらにも躊躇われた。川口は泣いていないが、今にも消え入りそうな声で呟いたからだ。しばらくひいらは言葉に困った。後ろではふたばがさっきからスマートフォンの復旧に手こずっている。電源すら落ちないようだ。画面は、以前ドアを示したままだ。
「練炭自殺する予定だった」
「オフ会で?」
「そう。予定が変わったんだと思った。準備は掲示板の管理人がするって言ってたから。まあ、一方的に殺されるだけだとしても構わないけど」
平然と、明日の天気の話をするみたいに自分の命を軽く話した川口に、ふたばがそっぽを向いて腕を組む。
「ばっかみたい。死にたい奴はさっさと死ねばいいのよ。自分でできないから他人と馴れ合うなんてかっこ悪いって思わない? 普通」
その瞬間、川口の目が鈍く光った。歯噛みこそしないが無言の闘争が起こったのをひいらは垣間見た気がした。
「ほんと、どうしてくれんのよ。あたしたちまで巻き込まれたのよ」
ふたばがイライラとスマートフォンをタッチしていると、突然スマートフォンからノックが聞こえた。
「ちょっと見せて」
「何よ」
スマートフォンの画面の中のドアが開いた。
「そのスマホ、もしかしてハッキングされてるんじゃない? 遠隔操作できるって聞いたことあるよ」
そのとき、本当にドアがどんどん鳴った。蹴り開かれた勢いで開いた。少年が、前のめりにつんのめりながら膝をつく。我ながら驚いた顔で部屋に人がいるのを見渡すと泣きべそをかきながら声を震わせた。
「た、助けてーな隣の部屋に来てーや」
頭はくしゃくしゃで、ひどいくせ毛。眠たそうな瞼。少しふっくらした体つき。服もよれよれで、どことなく頼りなげな雰囲気の少年だ。
やはりというべきか、同じ年ぐらいだ。学生ばかりが意図的に集められている。ただ少年は少しばかり老けて見えるふしがあった。第一印象はかなり悪かった。だが、必死の形相にひいらも何かがあったことを瞬時に悟った。
悲鳴が聞こえてきた。隣の部屋に飛び込むと、同じような白い部屋に血が塗り広がっていた。
天井からシーソーのようなものが伸び、顔面を潰された少年の死体がある。こちらはもう手遅れだ。
叫んでいるのは、壁を背に身動きが取れなくなっている少年だ。身体に巻きつけられているのはピアノ線で、それが次第にぎりぎりと少年の身体に食い込んでいく。
腕、足はもちろん背中や腹からも血が流れ出ている。既に袖はちぎれていて、最悪、五体がばらばらに切断されてしまう。
「手伝ってーや」
全員が硬直してしまったが、わなわなと震えて駆け込んで来た少年を筆頭に、何とか指を這わす。ひいらも我に返って駆け寄ろうとしたが、壁の少年の隣にあるものを見て留まった。
フーと同じ生物だ。ピアノ線を握ってきつく縛りつけているのは女性のような身体の生物だ。全身が水色に輝いていて、霊のような透明感。下半身が蛇で、顔はのっぺらぼうだが、鼻筋はあって、髪もある。
「フーあれを止めて」
フーはすぐさま女性のミカエリに体当たりしたが、片手で止められた。まるで見えない壁でもあるかのようにフーは反動で吹き飛んだ。
「フー!」
思わず叫んでしまって、少年が必死の形相で怒鳴った。
「俺一人やったら無理やて」
ふたばはと言えば完全にすくみあがってしまって、その場から動かない。くせ毛の少年の指は無理にピアノ線に食い下がるから血まみれだった。
何か道具はないかと部屋を見渡すと、中央のシーソーの近くに箱が置いてある。中にはニッパーがあった。なんて都合のいいことだろう。
「これ使って」
だけど、ひいらの力では無理だった。それに、ピアノ線と少年の身体の隙間はない。刃が入らない。少年は依然、悲鳴を上げる。食いしばった歯茎から血が出ている。
「だめ。入らない」
「時間がないで」
少年の身体から流れ出る血の量は留まらない。本当に切断されてしまう。
「ごめんね」
もう手段なんて選んでいられない。少年の皮膚ごと切るしかない。ひいらは汗ばんだニッパーを握りなおす。ピアノ線と一緒に、せめて痛くないようにと祈りながら腕の皮膚ごと切る。その瞬間、少年がのけ反る。血走った目で睨まれた。
「ごめん! ほんとごめん」
こちらも半泣き状態になりながら、反対側の腕も肉をつまむように切る。ピアノ線がパチンと弾けると、血肉も飛び散る。
だが、二箇所ぐらいではピアノ線は複雑に絡んでいて緩みもしない。一番やりたくない部分だが、胴も同じ要領で切らないといけない。もうこの頃には内心、拝んでいた。無我夢中だった。
少年には悪いが悲鳴は聞いていられなかった。どこまでも作業的だった。耳から脳裏まで焼きつく。手はずっと震えている。真冬にかじかんでいるときより酷い。
やっとピアノ線が解けた。女性のミカエリは突然霧のように消えた。少年は痛みと恐怖からか、どうと倒れるかと思うと、顔を真っ赤にして、額にはしわを寄せ、居合わせた全員を、憎悪の眼で睨み倒した。
私は駆け寄ってあれこれ謝ったり、とめどなく溢れてくる血をどうしたものか、あくせくしていたが、少年は一息つくと、突然立ち上がり、後ろに下がっていたくせ毛の少年まで歩み寄って突き飛ばした。
「てめー何でもっと早く助けねぇ」
「う、うちは精一杯やったで」
「や、やめてよ。みんな必死だったんだよ」
ひいらは涙を堪えながら叫んだ。だが、血まみれの少年は醜く頬を歪めて、いやらしく笑った。
「ああ。礼を言わきゃな。こんな酷いあり様にしてくれてありがとよ」
少年はいきなり殴ろうとした。恐怖のあまり身動きできなかった。フーが間に入ってこなかったら、もっと痛かったかな。クッションの役割を果たして、床に転んだときには頬が少しじんじんする程度だった。
まさか、殴られるとは思わなかったから、震えが止まらない。女子を殴るなんて最低だ。いつもなら口を突いて叫んだところだけど、さっきのピアノ線事件で、まだ身体が震えている。
「喧嘩はあかんで」
くせ毛の少年は逃げ腰でぼそぼそと伝えた。たった今助かったばかりの少年はまだ怒りの対象が必要らしく苛立たしげに部屋を闊歩した。
「俺は出て行くからな」
血まみれの少年は隣の部屋に向った。部屋の扉から顔だけ覗かせていた川口を見つけると突き飛ばして行ってしまった。あっちの部屋にも出口はない。
「何かやばいよ、ここ」
ふたばがぶっきらぼうに言った。肌寒さを感じたように腕を抱える。
くせ毛の少年はシーソーを見上げて絶句している。
「ゲームや」
「あなた知ってるの?」
しまったーと、大げさに息を飲んで少年は黙った。
「自己紹介まだやったな。うちはヤマや。ほら、知ってるやろ。yamachan_san21ってIDや」
「また自殺掲示板のオフ会?」
ふたばの小馬鹿にした言い草にヤマと名乗る少年は、かっとなる。鼻を上に向けて、くせ毛を振り乱して怒る。
「あほか。誰が自殺掲示板なんか。ネット対戦のオフ会かと思ったんや」
「それってゲームの?」
ひいらはやっと腰を上げた。震えは収まっていた。
「ちょっと何であんたさっきからでしゃばってくるの? あたしがしゃべってるでしょ」
ふたばは、いちいちうるさいと、内心思ったけれども、緊急事態なんだから仕方がないか。
ヤマは不快だともろに顔に出している。
「ゲーマーの何が悪いんや。ほんま人を下に見とる奴は嫌いやわ」
「待って。みんな落ち着こうよ」
フー。私にもっと力があればいいのに。だって、協力しないとここからは出られないよ。
恐怖と裏腹にひいらは奮い立った。何がそうさせたのか分からない。いつものリーダーシップとも少し違う。何が起こっているのか知りたかった。まだこれから何かが起こる気がする。
「カメラがついてる」
冷静を保とうとして、部屋を隅々まで見た。天井の隅にカメラがあった。もしかしたら各部屋にあるのかも。
「スマホもリアルタイムで遠隔操作されてる。犯人は私達を見てる」
そして、再びシーソーの下敷きになっている死体を見やる。
「あれも犠牲者なんやろな」
目の前のことに必死で今まで考えられなかったが、被害者は顔を潰されている。むごい死に方だ。
「こりゃ、あれやで。グロ系でいくか。推理系でいくか」
「え?」
突然何を言いだしているのか分からない。
「ゲームやとしたらやで。グロをメインに持ってくるか。それともアイテムとか使ってやな、推理しながら脱出する謎解きタイプもあるやろ。まあ両方入ってるゲームもええんやけどうちは、謎解きの方が好きやわ。ま、それは置いといて、問題はゲームやとしたらルールがあるはずやってことやけど」
「それならさっき手紙があったよ。あっちの部屋に」
わざとらしい思案顔でヤマは聞いてきた。
「あんたらはどこで目覚めたんや? あっちか」
そのとき、壁をがんがん叩く音が聞こえた。さっきの少年はまだ怒りが収まらないらしい。力づくで壁を壊そうとしているようだ。
「いい加減にしときや。自分も怪我しとんやろ」
ヤマが声をかけて最初の部屋に戻った。連れられるようにぞろぞろと、みんな続く。
「うるせー」
「みんな名前聞かせてーや。俺名前覚えるの下手やねん。ゲームやったらいけんねんけど」
「執行君だよ。執行孝次」
突然、川口が言った。
「てめーどこで知った」
「手紙」
二つ目の部屋でニッパーが入っていた箱の中から取り出されたという手紙。さっきニッパーを手にしてすぐ作業に入ったので気づかなかった。川口は案外冷静にものごとを見ていたのだ。
「執行孝次には、悔い改めさせるって書いてたよ」
執行のような男なら色んなことを恨まれている気がする。それを指摘した川口もさっきまでのもの静かな態度とは一変して射抜くような目をしている。初対面とはいえ、ここに敵対関係のようなものが自然にできつつあった。
「悔い改めさせるって物騒な言い方」
手紙には脱出の糸口になりそうなものは書かれていなかった。箱には底の方に懐中電灯があった。これを使うときがあるのだろう。だとして、何を試しているのだろう。
本当にゲーム感覚で行われているのだろうか。若者ばかりを対象に何かの実験? いや、ひいらの脳裏にはやはり狩集リョウの残像が浮かぶ。悪そうな人には見えなかったのに。
でも、学生が犯人なら、学生ばかりのゲームをするのも納得がいく。
「役に立ちそうなのはこれだけかよ」
執行がナイフを手にした。そうだ、一番危険な人物に渡してはいけなかった。ナイフなんて物騒だから無意識に最初の箱に置きっぱなしだった。注射器も置いたままだ。いや、消えている。誰かが知らない間に取ったんだ。
「それ、危ないからやめとこうよ」
またお前かというような目で見られた。また頬がじんじん痛みだした気がした。
「ほっとけ」
執行はナイフをちらつかせながら一人で部屋を出て行った。
「あんなやつほっといた方がええ。こんな密室で振り回されたらかなわんわ。うちも目光らせとくから離れときや」
頼もしい言葉にひいらはほっと胸を撫で下ろした気分だった。人は見かけによらずとはこのことだろう。
「シーソーの部屋はどこも開かないのかな?」
「いや、分からん。まだ調べてへんわ。くそ、あいつあっち行きよったやんか」
ヤマが追いかけていく。
「もう変なやつばっか。何でここにいるわけ。スマホ直らないし。うざいんですけど。今度は何。またドアの絵?」
ひいらはふたばのスマホを覗き込んだ。鬱陶しく思われてもかまわない、それどころではないから。扉は最初の部屋の扉ではない。隣の部屋のドアの絵だ。風船のマークが飛んできた。
ドアを風船がすり抜ける。まさか、これはフーのことではないのだろうか。フーを使って、隣の部屋のドアは開くということなのか。やはり犯人はフーのことを熟知している。背中のフーがにっこり笑った気がする。
「携帯借りるね」
「ちょ、あんた何よ。あんたリーダーじゃないでしょ」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ」
「だって手紙に書いてあったじゃん」
「鵜呑みにしたらだめだよ」
ふたばはむきになってマスカラのきつい目を細めてスマホをひったくった。
「さっきからむかつくんだけど。だいたい、こんなゲームあたしはやりたくないの。さっさとここから出たいわけ。あんたみたいに人を巻き込むやり方むかつくんだよ!」
巻き込んでいるつもりはなかった。そんなこと自覚したことなかった。協力したかっただけなのに。もしかしていつもキャサリンも私のことをうざいと思っているんだろうか。
「行こうよ。善見さん。何か見つけたんでしょ」
川口が小声で励ましてくれた。微笑みこそしないが、そっと連れ立って歩いてくれた。
後ろでふたばが鼻を鳴らしたのが聞こえた。何だか惨めになってきたが、こんなつまらないことで、うじうじしていてもはじまらない。
シーソーの部屋の奥にあった黒い扉は、執行がまた体当たりしていた。やはり鍵がかかっているらしい。諦めて戻って来た。
「見てんじゃねぇよ」
フーに開けることができるだろうか。フーの可能性は無限大だ。だけど、私は知っている。フーはどうでもいいことには手を貸してくれるが、私が本当に願っていることには代償を求める。
「フー開けてきて」
それでも、私はここから出たい。みんなのためだ。私が出たいのか。それとも誰かのために開けるのか。扉の前に立ち尽くす。
ドアをフーがすり抜ける。軽い金属の回転音、扉が開いた音がする。腕に走る痛み。腕が切られた。ああ、もう何年ぶりだろう、こんなことになるのは。
「え、開いたの?」
いつの間に来ていたのか、ふたばが傍に駆け寄ったが、薄気味悪いものを感じて口をすぼめた。川口も目を丸くしている。説明のつかないまま、中に入った。一滴落ちた、血を見られたかもしれない。
冷気が流れ込んできた。三つ目の部屋は真っ暗だった。だから懐中電灯がいるのか。足を踏み入れてすぐに立ち止まった。霜だ。懐中電灯を中に突き出すと、氷の剣山が見えた。
天井にはつらら、床からは針の山のように氷が突き出ている。漆黒の部屋にきらきら光っている。そのコントラストの中にあえぐ一人の少年が浮かび上がった。どこをどう進んでいいのか分からず腕や足が氷に切られて出血している。
「そこを動かないで」
少年は乱れた呼吸をして立ち止まった。過呼吸のように息を弾ませている。出血のほかにどこか悪いところがありそうだ。
少年は震えて、後ずさった、その拍子にまた氷の剣山を踏みつける。叫んだと思ったらバランスを崩し、後ろに倒れる。肩を剣山が貫通する。悶絶する声と、何度も助けを呼ぶ声が部屋に反響する。ひいらは慎重に黒の部屋に分け入った。
「じっとしてて」
少年に辿り着くのは一苦労だった。懐中電灯で照らし出されていても足場のほとんどが氷だ。滑っただけで肩を壁から伸びる氷でひっかいた。
少年の肩に刺さった氷はつかんでも折れない。抱き起こす形で引き抜いた。飛び出た鮮血で周囲の氷が染まる。目の下にくまのある少年は落ち着きのない声で言った。
「助けて、早くここから出たい」
「うん」
次の部屋に向う扉があった。この建物は一直線に繋がっているのかもしれない。
「また手紙があったよ」
川口が氷の剣山に吊るされていた箱を持ってきた。今回は手紙だけだが、内容はこの少年に向けられたもののようだ。
《朝月レンは暗闇に慣れなければ暗殺はほど遠い》
「今度は何の掲示板のオフ会なのよ」
ふたばがスマホに目を落としながら興味なさそうに独り言を言った。この、状況で自分のスマホのことばかり気にしているのか。
少年の名は朝月レン。オフ会の予定はなかったが、あちこちの掲示板を荒らしているのだそうだ。それよりも早くこの部屋から出たいということなので慌てて次の部屋に向った。
ちょうどそのとき、懐中電灯の電池が切れた。もうお役ご免といったところか。鍵はかかっていなかった。視界が開けると白い廊下に出た。一息ついた朝月は腰を下ろして深く息をする。ヤマが萌えキャラのハンカチをそっと差し出してきて、朝月の肩の傷にあてがった。
「暗所恐怖症なんだ。皮肉なものだよ。復讐掲示板でちょっと煽ってやっただけなのに」
暗所恐怖症だから、ずっと落ち着きがなかったのか。それに、今度は復讐掲示板が出て来た。犯人はネット上で私たちを選んでいる。でも必ずしもそうじゃない。
ひいらにはネット上に書き込みをした覚えがない。ふたばのようにネット上の擬似的な生活とは縁がなさそうな人もいる。いや、ふたばも例外じゃないかも。ふたばはスマホの虜だ。じゃあ執行は?
執行のことはよく分からない。不機嫌なままずっとついてきているが、今大人しくしているのは状況を把握するためだろう。本当は何をやらかしているか分かったものじゃない。
でも、私達が何をしたのか? 悪いことをしているわけじゃない。仮に一つや二つ悪い行いをしているとしてもこんなゲームで人を殺そうとするなんて。
「掲示板では何を話したの?」
少しでも私たちの共通点を見つけたかった。もしかしたらそんなものはないのかもしれないけど。
「天皇って殺したら死刑になるんだよねって話とか、どうやったら交通機関のシステムをハッキングできるかとか。まあ冗談みたいなもんだよ。気にしないで」
悪気のあるような顔ではない。寧ろ爽やかにさえ見えるその顔は、優等生にも見えた。目のくまが疲れた面影を見せるだけだ。
「復讐掲示板って、誰かを殺す話とか普通に出るけど、俺みたいに天皇を狙ってるやつはいなかったよ。天皇ってのが邪魔だとか、天皇って殺したら死刑になる。それでも厭わないとか書いたら本気にした奴がいてさ」
それはどっちにも取れる発言だった。本気にされるような話し方をしたのか、本当に本気にしているのを悟られたのか。犯罪者に会ったことはないけど、直感でこの人は危険だと思った。
目つきも悪いわけではない。ただ心の空虚が見えた気がした。初対面で恥ずかしげもなく、胸が痛むわけでもなく、己のやましい部分をさらけ出す。そして私達の反応を見て楽しんでいる。
「くだらねぇ。しかも天皇暗殺とか」
一人でうろついていた執行が絡んできた。ややこしいことになる。朝月は目を細めただけで何も言わなかったが心の中では嘲笑しているのが目に見えた気がした。この二人は危険人物だが全くベクトルが違う。
「君はナイフを持ってるけど。具体的な人殺しの方法を考えたことないでしょ?」
「やめて。それ以上あの人に言わないで」
執行を刺激するのはまずいと思って朝月レンに訴えたのは、執行よりは話が分かると思ったからだ。確信はないが、頭に血が昇って先に手が出ることはないだろう。
「そうだね。君は助けてくれた。言うとおりにするよ。ここがどこでどんな状況なのか分からないしね。誰に着いていけばいい?」
その言葉にもう一人反応した。
「あたしあたし。ほらスマホがあっちだってやじるしが出てる」
朝月はひいらに支えられた肩をふりほどいて、一人で歩くよと言った。




