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第二章 ひいら

 待ち合わせ時間はとっくに過ぎている。俺に今できることを全力でやり遂げるという引きしまった思いで十分前に来ただけに拍子抜けだ。


 彼女の正体、しいて言えば彼女のミカエリとその能力について知ることと、彼女が俺達のゲームの計画のことを耳にしているのかということを突き止めなくてはいけない。


 彼女は俺を見つけると、やっほーと気軽に笑った。友達でもないのに急に慣れすぎた感じがする。そして俺よりも先に店に入って何を注文するか聞いてきた。嫌悪感が募り始めて俺は閉口して自分でレジに並んだ。彼女は気にもせず自分も注文し席を取ってくると先に行ってしまった。


 席に着くと彼女はがつがつハンバーガーを食べはじめている。俺はコーラしか頼まなかったので、その食欲を見つめながら一口すすった。彼女はハンバーガーを頬張りながら改めて自己紹介をした。


(よし)()ひいら。氷山女子高等学校の三年。今すっごい忙しいんだ。君にも手伝って欲しいぐらい。体育祭の準備とテストとボランティアでしょ。あとカラオケと、しっかり遊びもね」


 彼女はボランティアを三つもしているそうだ。やはり注意深く聞き入ってしまうのは、ミカエリをボランティアで使っているという点だ。


 そもそもミカエリが慈善活動に使えるということに驚きだ。留学生を迎え入れている高校で、通訳をかねて色々と観光案内をしているらしい。その他数人の留学生の勉強もつきそっている。


 彼女もある程度は英語ができるのだが、分からないところはミカエリがひいらの口を借りて発音するのだとか。もう一つは地震で被災した地域への募金活動を毎週行っているそうだ。


 極めつけは、月に一度だが、海岸の清掃活動だ。ミカエリに全て任すというから驚きだ。自分でも拾うが、ミカエリの大きな口が掃除機のような吸引力で吸い集める。人に見られるといけないので派手にかき集めるときは必ず人のいない隅の方で掃除機のごとく浜辺を一掃するらしい。


 彼女はしゃべるしゃべる。俺が口を挟むことはほとんどない。彼女の生き生きとした話しぶりを聞いていると、とても同年代とは思えなくなってきた。


 彼女が月に何十回と慈善を施している間、俺はと言えば部屋に閉じこもって過去の記憶をまさぐっては憎しみを溜め込むことしかしていない。まず目の輝きが眩しく、目線が合う度に俺は天井や壁を見て反らした。話が過熱してくると苛立ちも募ってきた。


 雲泥の差をまざまざと見せつけられた気がして切なくなったのが悟られないようにコーラで舌を濡らした。


「ミカエリはいつからいるんだ」

「ミカエリって呼ぶんだ。もっといい名前考えてよ。そんな怖い生き物じゃないでしょ?」

「俺がつけたんじゃない」


「じゃあ誰? そっか君の友達もミカエリがいるんだ!」

 大声で騒がれてはたまらないので、俺は冷や汗をかいた。まして早くも悪七のことを悟られてしまったからだ。こうなったら早くゲームのことを聞いたか聞いてないかだけでも突きとめないといけない。


「ねぇ。どこで拾ったの? あたしのフーは公園に捨てられてたの」

 カムは今日は一度も傷口を触りはしないが、悪寒が全身をめぐった。そんなペットみたいに捨てられているわけがない。カムは、気づいたら側にいたのだ。拾ったとかそういうものではないのだ。幽霊みたいに憑いたともいえる。


 ふわふわ漂っていたというのか。(俺のカムは這うが、フーはふわふわ浮いている)

「そう。はじめて見たときびっくりしちゃったけど、かわいかったから持って帰ったの」

 結局ミカエリの出自については分からないが、俺のことを聞かれても困るし、そろそろこっちから話しかけてもいいころだろう。


「昨日は、俺の友達の顔見たんじゃないか? あのとき一緒にいて、あいつもミカエリといるんだ」

「ざーんねんながら見えなかったよ。その人のも見たかったな。君のカムちゃんだってかわいいもん。あ、そうそう忘れないうちにメアド教えてよ」


 携帯のプロフィールを送信し合いながら、なかなか赤外線が繋がらない。いい加減黙らせないと苛々してきた。これは完全にからかわれている。まるでこれではいつも俺のことを嫌っているクラスメイトと同じではないか。


 嫌っているというのではない。無邪気にも人を馬鹿にしているのだ。本人に自覚がないところは違っているが。彼女のは罪がない。だが、それでも俺とは相容れない人間だ。


 この間狩った男を思い出した。隣のクラスとはいえあの男はずっと俺をすれ違い様に嘲笑った。いや、他にも何人かいた。俺が孤立しているからだろうと最初は思っていた。


 もちろんいじめもなかった。いじめられた覚えはない。少しばかり、机が歪んでいたこともあった。きっと誰かが蹴ったに違いないことは明らかだったのだが、他人の机を蹴るやからは何人かいる。そう、それも憎悪の対象だが。


 そこにあったのは尊敬を通り越した、別世界だ。俺は勉強ができた。だのに、尊敬も何もなかった。呆れがあったのだ。俺のことを誰も褒めはしない。褒められたいわけではない。


 ただ誰も俺には敵わないとひがんで、呆れて、勉強なんて馬鹿らしくなって、それがどんどんエスカレートして俺は逆に馬鹿にされたのだ。よく考えればそれは恥だった。どれだけ勉強ができても、孤独なのだ。クラスで何かを取り決めることがあった。委員会だった。候補者は誰もいない。みなやる気がなかった。


 結局誰も手を上げないまま時間だけが過ぎていった。そのうち、みんながどうにでもなれと、俺を推薦しはじめた。俺は馬鹿がつくほど勉強ができるかららしい。


 そんなのはとばっちりだ。俺はまじめと言えるほどではない。みなが不真面目すぎるのだ。いや、はめを外すことをしなかった俺も悪いのかもしれない。そのまま俺が色々と担ぎ上げられた。


 でも、恥が続いた。俺はリーダー格に押し上げられるままにされ、役職だけが一人歩きした。結局俺の提案には誰も乗らない。去年の文化祭の出し物を決めるときだって俺は何をした?


 俺は意見が出るのを待った。誰も出さなかった。で、俺が隣のクラスはこんなことをやってるぞと案を出した。というのも、俺達のクラスは何も決まらず何週間も遅れを取っていた。俺の意見は誰も聞く耳を持たなかった。全く馬鹿げている。


 しまいには、みんな早く家に帰りたくなって、次々に帰りだす。俺はなりたくてなったのではない。みんなが押し上げたただの飾りだ。どこまで行っても飾りだった。


 ますます笑いは広まって、俺はクラス中の笑いの種になった。でもこれはいじめではない。なぜなら、俺は誇りを持って勉強に励んだからだ。周りが愚かなのだ。馬鹿にされて当然の連中だ。なのに、実際は周りが俺を馬鹿にしている。


 どこまでも真剣に取り組む俺を無関心と、無気力が俺を罵倒する。ああ、俺は疲労しているんだ。だって、学校とはどこまでも隷属的で授業にしばられる。


 授業が厄介で、一人でこなせないものがいくつかあるからだ。特に体育。俺はサッカーが好きだったが、誰も俺のパスは受け取らない。というより試合にならないのだ。敵チームも味方チームも。まずほとんど動かない。ボールを蹴ろうとしない。追いかけようとしない。


 走りたいやつに走らせとけばいい。目の前を転がるものなら蹴ってやってもいいという傲慢さ。そして、試合放棄。校庭の隅で隠し持ってきた携帯を触りまくる。


 先生は怒りっぱなしか、無視するかのどちらかの二つのタイプがいて、授業が進むのは無視するタイプの先生のときだけだ。授業もイベントも遅れに遅れる俺のクラスは他のクラスからも馬鹿にされる。


 だが、集中的に冷ややかな目で見られたのは俺なのだ。ほかのクラスも負けず劣らず荒れていたが、俺だけが異質と見られた。そしてあの男は迫害的言葉をかけた。


「勉強できるんだったら、何でこんな学校に来たんだ? 俺達のことどうせバカだって笑ってるんだろう?」


 全くそれはお門違いだ。だが、そう思うように仕向けたのはみんな周りのせいだ。そして、繰り返すが断じていじめはなかった。なぜなら殴られもしないし、ものも取られなかった。


 いつしか俺は学校に行く行かないを問わず口にするのもおぞましい感覚に飲まれた。舌がひりひりする。これほどの絶望はこの世にあってはならないと思えるほどの絶望。いや、絶望というか幻滅だ。履き違えてもらっては困るが、俺は悲しんだわけじゃない。虚しいのだ。


 俺は今すぐにでもこいつらを殺したい。問題はこの「こいつら」というのであって、俺が抱いた激しい痛みをともなう激昂は対象が誰でもいいからぶつけたい爆弾のようなもので、いっそ爆破させてしまいたいけど、ぶくぶく導火線の火は激しくなるのに一向に背中に貼りついて投げられないという状況と同じだ。喉から押し迫る唾液。もう吐露する寸前の憎しみが襲ってくる。


 ああ、こんなにまでこいつらを憎いと思ったことはない。そう、決して誰かに公言できないこの怒りはどこまでも培っていって、どこまでも膨大に増していく。


 もう杯は満たされようとしている。俺の器は限界に近い。こいつらという複数の対象が定まらないままではナイフのかざし方が分からないばかりか、手元が狂って己の喉をも突きかねない。もうそこまできている。この複数の対象が、俺を混沌とした狩りに追い立てる。


「どうしたの?」

 青白い顔でずっと黙っていたのを不審に思ったらしい。

「そうだ、何か見せてくれ。英語とか」


 フーに英語を頼んでみた。だが悪七のミカエリと同じでフーは主である善見ひいらの言うことしか従わない。


「通訳は今、外人さんがいないから無理だけど、そうだ。そのコーラ見てて」

 フーは口を大きく開けて空気を吸い込むとコップが彼女の手の中まで吸い寄せられた。

「便利でしょ。カムちゃんも何かやって見せてよ」


 カムに何かをやらせる義理はないし、これ以上詮索されるのは勘弁だ。だからここら辺で驚かしてやろうと思って、カムに目で合図した。カムは分かったのか分からないのか、とぼけたまぬけ面をして口をごぼごぼ鳴らした。


「分かってる。お・な・かだろ」

 空腹は満たしてやるとも。カムはずっと笑ったような表情のままテーブルを這って、フーと対面した。フーは机から数センチのところで浮かんで、寝ぼけ眼で微笑んでいる。


 ミカエリ同士が握手するとは思えないが、このときほどほがらかな場面はない。もうすぐ握手だと思った瞬間、思ったとおり、カムが真っ先に噛みついた。フーを頭から丸呑みだ。カムはごぼごぼ鳴らしながら、じたばたするフーをもてあそんでぺっと吐き出した。


 善見はかわいげもない、わっと驚いた声で席を立った。フーは額の一本の毛を完全に失ってしまった。返ってすっきりしたではないか。カムは悪気もないが、面白かったという顔をしている。


 もちろん俺もどっと笑ってしまった。

「びっくりした」善見は、ほっとして座りなおした。全く、本気にしていたのだからおかしいったらない。


「カムちゃんひどいよ。フーの前髪なくなったよ」

 冗談半分だったが、これで分かったことがある。俺達がカムに触るのは不可能ではないってことだ。善見のミカエリに触れられたり、線路で突き飛ばしたみたいにミカエリはたまに実体化できる。そして、もう一つ。ミカエリ同士はお互いに触れられるのだ。今、フーを本当に喰うこともできたのだ。


「そうだ。今俺達、ミカエリを使ったゲームしてるんだけど。ひいらも参加してみねぇ?」

 ひいらと馴れ馴れしく呼んでしまったが、ひいらはそれが自然であるように聞いていた。そして、ゲームのことは初耳のようだ。


「まだ今度のは具体的に考え中なんだけどな」

 とにかくもう一度必ず会うことだけを取りつけた。そして早々と話を切り上げて俺は店を出ることにした。ひいらは別れるのがもったいないとばかりに、カラオケに行こうと誘ってきた。これからジュディを連れてくるからとせがんだ。誰だよ、ジュディって。


 振り払って立ち上がると俺は愕然と立ち尽くしてしまった。ひいらの後ろの席のサラリーマンの様子がおかしい。最初は眠っているのかと思ったが、口からよだれがだらだら垂れている。


 ちょうど、さっきカムがフーに噛みついたところから一直線に線を引いてみたらその男性のいる席に届く。背筋が寒くなった。カムはフーではなく、無関係な男性を狩っていた。それをカムは満足気にしているのだ。


 カムは俺の左腕を執拗に指で何度も押さえつけた。また傷が開いたのが分かった。怒り心頭に店を飛び出た。もうひいらなどどうでもいい。人のいない路地まで行って俺はカムにつかみかからんばかりに怒鳴った。


「何で命令してないのに狩ったんだ! しかも赤の他人を。俺の憎んでる対象じゃない! フーでもかじっとけばよかったんだ。フーなら許した。あんなのはミカエリじゃない。分かったな、もう二度とするな! 取り返しがつかないんだぞ」


 カムは反省の色を知らない。まだ腕をさすって血が吹き出ないか、もっとくれないかとねだっている。どろどろの口からかすかに「おなか」と漏れた。


 カムをつねってみても泡ばかりで、叱りつけることもできない。厄介なことになった。この気まぐれな反抗にはどう対処したらいいのだ。


 もっと俺がしっかりしていればこんなことにはならなかった。そう、原因は俺の聡明さが足りないことだ。この点、いつも悪七を頼りたくなる。とにかく冷静になろうと早足で家路についた。しかし、思わぬ出来事は続くものだ。コンビニに差し掛かったとき、クラスの男子が一人たむろしているのが目についた。


「狩集~、さっきのってもしかして彼女?」

 善見ひいらのことだ。さっと顔が真っ赤になるのが自分でも分かった。指の先にまで血がどくどくと流れてきて耳まで熱い。げらげらと笑われた意味は、お前には似合わない。勉強でもしてろという意味に取れた。


 今月の席替で、一番後ろの席になって寝てばかりいるやつだ。先生に机を蹴られても眠り続けたつわものだ。

 その質問には答える価値もない。俺は今日この上ないほど苛立っていたから、カムに喰わせるのはこいつしかいないと思った。同学年の生徒が一人正気を失おうが二人失おうが人数は関係ない。


 悪七の言葉を思い出した。俺は果たしてミカエリがいなかった場合、自分で手を下せるだろうか。下してみせるとも。その気になればいつだって殺せる。


 俺は寛大にそれを延長してやっている。その気になればというのがポイントで自分でも気に入った。だけど、俺はカムを手に入れたんだ。カムがいれば手など汚す必要もない。


 それに汚れもしない。なぜなら俺は悪気はないからだ。間違っているのはどっちだ。俺かその他、全学生か。俺はすでに答えを得ている。俺の敵は全生徒だ。俺はどこまでも従順だった。先生にも、俺を押し上げた連中にもだ。最初から気力も何もない連中が自由意志で徘徊するのが間違っている。


「もっと喰らい尽くせ」

 半ば取り憑くように男を背中から顔面まで覆いつくした黒いやわな物体は、たるんだ皮膚のような柔らかさでもって相手を圧迫しはじめた。


 カムは怒りの伝道者だ。俺の意思は今あの物体を通してあの男に流れ込んでいる。殺したいほどの憎しみをあの男へ流し込み、気が狂うまで逃さない。なに、五分とかからないさ。


 物体が離れたときには、男は魂が抜けたように膝をついた。白目をむいてよだれを垂らしながらそのまま倒れる。

「行くぞ」

 カムは従って俺の肩に飛び移る。



 夜、ゲームの最後の打ち合わせをすることになって、悪七が一人暮らししている高級マンションに行った。室内は一人で住むには広すぎる。おまけに、床は大理石だ。


 俺を案内するなり、ずっと流れているCDを止めた。クラッシクを聴いているイメージだったが、実際コンポから流れていたのは、エレクトロニカで少し意外だった。俺の耳に入ったのを悟るとさりげなく音楽を止める持ち前の秘密主義は徹底している。


 鍋の準備をはじめたのは、俺があまりにも偏食家だから好きな具材を入れられるようにということだそうだ。それにしても踊り食いで食べようと調理してくれて、けっこう豪快だなと思った。俺は鍋にはあまり手をつけずに、宅配で頼んだケンタッキーが来るのを待っている。


「さっきのCDは?」

「昔友達が貸してくれた」

 悪七のじゃないのか。返さないのかと尋ねると、わざとらしく困った顔をして引越しちゃったからと言う。「宅配で送ってやれよ」と、言いつつどこまで本当か、怪しんだ。

「そういえばどうだったの? 手は汚せないだろ。簡単には」


 世間話でもするように悪七は話題をそらした。

「いや、俺はできる」

 関心したような面持ちで微笑する悪七。

「だいたい何で知ってるんだよ。見てたのか?」

「直接見たわけじゃないけどね」


「ミカエリか?」

 俺のカムは俺の側から離れられない。正確には目の届く範囲といったところだ。悪七のミカエリも悪七の肩に留まっていることが多いが、もしかしたら離れられるのかもしれない。

「そうだね。でも、こいつじゃないよ」


 まだ身がぴくぴく痙攣しているエビをさっと湯通ししながら、悪七は目を細めた。答える気がなさそうだし、おまけに他のことを考えている。赤く染まって動かなくなったエビをしげしげと眺めながらタレに浸している。


 そのうち二人とも寡黙になった。広いリビングにこうして黙り込んでいると居心地が悪い。両親は地方に大きな家をかまえる由緒正しい家だとか。そのため悪七には決められた婚約者が生まれたときから決まっているらしい。


「ひいらもゲームの参加者に加えるのか?」

 インターホンが鳴った。ケンタッキーだ。悪七がオートロックを解除する。戻ってくると鍋の火を緩めて、タコを入れはじめた。足が鍋から出ようとすると容赦なくはしでつまんで火力の強い箇所にねじ込む。


「ひいらって呼ぶんだ?」

 少しばかり驚きの眼差しで微笑んだ。ケンタッキーの人が最上階まで上がってきたので悪七が玄関を開けてやる。チキンが運ばれてくると俺は早速、皿にも乗せずにかぶりついた。


 そうだ。俺はひいらなんてどうだっていいんだ。覚悟はできてるんだ。カムが俺の腕をかじりはじめた。一瞬、驚いたがいつものことだ。今日も一仕事終わった後だからな。


「おいしい?」

 俺に聞いたのかカムに聞いたのか分からない一言だ。俺もカムも口を動かすのに必死だ。

頬にまでチキンが飛び散る。

「そうだな。俺はきっとお前より悪いやつかもな」


 悪七は眉をひそめた。悪七のことを悪いやつというニュアンスは無関心なようだ。

 頭に閃いた単語は鎖。俺は縛られてる。爽快感に。紙一重で、爽快感を欲するあまりに飢えてるんだ。その爽快感ってのがまた、普通のそれと違って人の上に立つものだ。狩っていると、自分がすごいって思えてくる。


 今まで卑屈だった精神が解放される瞬間だ。俺はどこまでも自由で、どこまでも強いって意識できる。そう強さだ。何よりも俺を輝かせてくれるものがある。


 俺にとっての、勝利は虐げられた精神からの解放で、この上なく自分に酔うことなんだ。誰に対しての勝利でもない。魂を吸い尽くすごとく人が倒れる瞬間に得られるのは、俺が強者になったという快感だ。それだ。今はただそれだけが欲しい。


 俺はガリガリの身体と堆肥した自意識でできていて、ただ心と身体が一致しないんだ。本当はボクサーのような頑強な姿でいたい。


 だから着る服も黒から赤に変えて、どこまでも強さを目指した。だけど、それは見た目だけだ。運動もほどほどにしか続かないし、スポーツ観戦は好きだけど、スポーツをやるわけじゃない。


 狩りさえできればいい。ただそれだけあれば何もいらない。必要なのは俺が強いって自覚できる瞬間と陶酔。そのわずか数分の作業のために全神経捧げる。数分の為に二十四時間待ち続ける。

 

 朝起きて最初に感じるのは狩りまでまだ十二時間以上あるという絶望。危うく学校生活を放り出しかねない。食事の時間さえ疎ましいから狩りの前に何かを口にすることはあまりない。だけど狩りのことを考えると食が進む。


「ミカエリがいる善見ひいらがどんな活躍をするのか気になるね」

 悪七はひいらのことを快く思っていない。ゲームに巻き込む時点で明らかだ。俺はもっとひいらのことが知りたいと思っていた矢先なのに。

「明日夜の十二時だな?」


「そう。カメラはもう所定の位置に設置してるから、俺達はモニター室で見てればいいだけ。参加者はリョウが気絶させてきて」

 俺は度肝を抜かれて、危うくチキンの軟骨で歯の噛み合わせが上手くいかず、ぐきっと舌を噛んだ。


「俺がかよ」

「カムがいるでしょ。カムを育ててあげれば、得意分野の許容範囲になると思うよ」

「誰を?」


「ネットで呼び集める。リョウが連れてきて倉庫にでも入れといて。郊外にもう使われていない倉庫があってね。買い取り手もないらしくて施錠もされてない。もちろん新しい錠を買って今は戸締りもしっかりしてるよ。買い物は俺が直接行ったわけじゃないから足もつかない。安心しなよ」


「監禁って誘拐じゃねぇか」

 更なる衝撃に打たれて唾が飛ばんばかりに叫んだ。

 口をぱくぱくさせて満足している腹の膨れたミカエリを見つめた。こいつにそんな大それたことをやらせるなんて考えたこともなかった。


「明日まで泊っていってくれてもいいけど、どうする? 狩りは今日中にやってもらわないといけないから。一応そのつもりで鍋にしたんだけど」


 俺はやっと鍋に手をつけはじめた。それでも野菜には手を伸ばさず同じく踊り食いを堪能しようとしたが、一口で飽き飽きしてしまった。眠気に襲われ始めて仮眠を取った。


 神経が高ぶっているのに、たまにあっさりと眠れることがある。心配ごとが多すぎるとどうでもよくなるのと同じだ。鍋の匂いがたまに目を覚まさせて悪七が食器を洗い始める姿がときどき垣間見えた。


 深夜一時の狩りは盛大にやった。まるで、大量殺人に手を染めた感覚だ。実際には二人襲っただけだ。フードで顔を隠して、人通りの少ないところですれ違っただけだ。カムは俺の肩から相手の肩へ手を伸ばしただけで生気を吸い取った。


 目撃証言はあるはずがない。すれ違って勝手に倒れるだけだ。そして、もう一人は別の場所で悪七に呼び出されていたのか、ベンチに座っていたところを通り過ぎざまに襲った。後は、所定の場所へ運ぶだけ。車は盗難車を悪七が用意してくれていた。


 運転はゲームでやったことがあるから何とかなる。倉庫まで運んで後は悪七と合流するだけだったが、トラブル発生だ。カムが必要以上にせがんで来た。


 こんなに興奮したカムを見るのははじめてで、爪を早くも突き立てられた。ここで血を落として証拠にでもなったら大変だから、近くの工事現場に駆け込んだ。深夜、こんなところに人が来るはずがない。しばらく地面にうずくまった。


 今回はゲームのために気絶ですませなければいけなかった。それが高度な命令でリスクがあろうとは思いもよらなかった。カムは「狂気」だ。狂わせることなく気絶ですませるのがカムにとっては高度な命令と取られたのだ。今夜の餌付けは大変な目にあった。


 骨まで砕かれたと思った。それほどの痛みだった。一瞬もんどり打って、叫びそうになったが、歯を食いしばって、しっかり腕を押さえた。カムは当然の権利のように満足げに舌なめずりをした。


 今まで舌なんてなかったのにいつの間に生えたんだ! トカゲみたいな長い舌だった。その舌で俺のうなじを撫でた。満喫した顔をほころばせて、まだ何か言い足りない喜悦があるらしい。一瞬ぞっとして、脳裏にこれまでどうしても閃かなかったような疑問が浮かんだ。


 俺はこいつの主か、奴隷か? どちらがどちらを養っているのかも分からない。俺は満足しているはずなのに。これまでだってそうしてきた。


 だがこのときになって、死んでしまった黒猫のカムパネルラを思い出した。初めてカムを抱いたとき、同じ漆黒の身体のカムパネルラと別のものであると認識できなかったのが不思議だ。そこに不吉を予感し、そこに闇を見た。俺が欲しかったものとは黒ければよかったのか。


 カムを撫でてやった。俺の愛撫には構わず、カムはするすると首に絡みついてきた。心なしか、前より大きくなったようだ。尻尾も伸びて先が二股に分かれている。


 その蛇の舌みたいな尾が、また俺の首筋をつけ狙う。何度も撫でて血管がここにあるのを確かめるように押さえつけては引き伸ばす。医者が注射前に腕を叩いて血管を浮き彫りにする動作に似ている。実際に撫でられたぐらいで血管が浮き出るかは知らないがしだいに、寒気がして固く身を縮めていた。悪七に「やった」とメールを打つ手が震えた。


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