心象
混濁する意識、消えていく手足の感覚と吐き気を催すような不快感を感じた次の瞬間。
烈火の如き少女は誰かの記憶を見た。
雨で濡れたかのように不鮮明なその記憶はどこか懐かしさを感じる少女と孤独な猫のような少女を映した。
その記憶は閉じ込められた怒り、雨に濡れ消えかけている炎だ。
そんな炎の部分は燃え続ける怒りへと置き換えられ雨を焼き闇雲に笛の音を鳴らした。
だがその音を掻き消そうとするように声が聞こえた。
「レミを……返せ!」
殺意の込められた声に少しだけ体が反応して抵抗を示したが本来の体の主が持ち得ない焦げ付くほどの怒りによって無理矢理動かされる。
その怒りをぶつける相手はここにはいないにも関わらず、いく宛のない怒りは音となって獣の爪にぶつかった。
互いに衝撃波に弾かれ距離が開くがミケは続け様に攻撃を繰り出し息継ぎの暇すら与えない。
それは怒りの感情から繰り出されるにしてはあまりにも緻密で冷静な一撃、冷き氷のような獣は確実に少女を追い詰める。
徐々に音が薄れ後一歩で届くと言うところで……
「……っ!」
獣の爪は砕け散り、僅かに残った残響のような音によって遺跡の奥へと吹き飛ばされた。
「…………」
邪魔者は排除し後は黒い獣と共に外に向かって進めばいいだけなのだが……少女は刻み込まれた命令ではなく己の怒りを優先し遺跡の奥へと歩みを進めた。
混濁する意識、消えていく手足の感覚と吐き気を催すような不快感を感じた次の瞬間。
豪雨の如き少女は誰かの記憶を見た。
炎で焦げたかのように欠落したその記憶はどこか懐かしさを感じる少女とその家族と思われる人物達を映した。
その記憶は燃え続ける怒り、灰になることも許されない消えずの炎。
そんな炎の部分は冷え切った炎へと置き換えられ僅かながらも冷静さを取り戻す。
だが怒りを揺り戻すような感情が目の前から飛び込んでくる。
(あれは……)
薄らと開いた目に映ったのは見知らぬ中年の男性とどこかで見た事のある不気味な笑みを携えた男。
中年の男性の方を見ると言い得ない安心感と罪悪感が心を締め付け、不気味な笑みを浮かべる男の方を見ると燃え盛る炎のような熱を感じる。
(行かないと……)
どこへ?と言う問いかけが瞬時に浮かぶがそれに対する答えは見つからない。
ただ何か大切なものを失ってしまったような感覚が雨のように降り注いでくる。
無理矢理体を起こそうとするが体につながったチューブと狭いケースの所為でうまく動けない。
おまけにまるで自分の体じゃないように力が入らずケースを開けることもできない。
すぐに限界が訪れ軽く息を吐きあの時と同じようにただ行く末を見守る。
(あの人は……)
ケースの中から中年の男性を見ると唇を噛み拳を握りしめたままただ立ち尽くしているのが見える。
その姿は情けないものではあったが少女はその姿を見て自嘲的な笑みを浮かべた……ように感じていた。
悲しみにただ押し潰され進めずにいる自分の姿が重なりそんな笑みを浮かべたように感じたようだが実際には安堵の笑みを浮かべていた。
たとえ中身が知らずとも器は受けた恩を忘れない。
片や怒りのままに、片や悲しみのままに動く2人はそれぞれ抵抗する事も出来ずにいる中、必死に抵抗を続ける者がいた。
「はぁはぁ……」
「く、クロネさん……」
「大丈夫よ……」
クロネとベルの攻撃がほとんど通じず2人とは違い疲れた様子すら見せない黒い獣。
攻撃を避けることもなく堂々とした様子で距離を詰め狩りを楽しむように少しずつ追い詰めていく様はまるで人のようにも見える。
この獣にとっては2人などいつでも狩れる相手、格下である事が嫌でもわかるほど実力の差は歴然だ。
「こ、これ以上は……」
「ダメよ……あのバカ猫がなんとかするまではコイツをここで押し留めないと……」
既に三つものからの瓶があたりに転がっているがクロネはさらにもう一つ赤い液体の入った小瓶を取り出す。
「だ、ダメですクロネさん! こ、これ以上は無理です! 撤退しましょう!」
あの赤い液体が具体的にどんなものかはわからないがアレを口にするたびに明らかに疲れが酷くなっているクロネを止めようとベルが叫ぶ。
「全く何がなんだが知らないけど……」
そんなベルの静止する声も無視して一気に瓶の中を飲み干す。
既に体が限界だと訴えかけるように鈍い痛みが走り思わず顔を歪めながら攻撃の構えを取る。
瞬間、レミに向かって行ったミケの表情が脳裏をよぎる。
(いつもはヘラヘラしてるくせに……)
殺意と怒りを隠すこともなくそれでいて機械のように目的を果たそうとする在り方に少しだけ思うところがあるのか歯軋りをしてしまう。
「あー! もう! よくわからないけどムカつくわ! 何がなんでもコイツを倒してあのバカ猫のとこに行くわよ!」
「あ、足止めすらできないのに倒すなんて無理です! く、クロネさんは状況が見えてなさすぎですよー!」
「その通りですねー流石に今のあなた達でコイツをどうこうするのは厳しいかと」
クロネがヤケクソで攻撃を繰り出そうとした瞬間、そこに割り込むように黒い何かが空を切り黒い獣にぶつかり吹き飛ばす。
「な、何が起きたんですか……?」
吹き飛ばされた黒い獣が呻き声を上げる。
よく見ると黒い獣に黒い剣が深々と突き刺さっているのが見えた。
どうやらさっき凄まじい速度で獣にぶつかったのはこの剣のようだ。
「剣を投擲して攻撃した? でもRのデザイアウェポンでこんな攻撃は……」
「できませんよ? 出来たとしても彼はこう言う力技は使いませんしねー」
剣が飛んできた方から金属の擦れる音と共に声が近づいてくる。
「あなたは……」
音が間近に聞こえた頃、真っ黒な鎧を着た男が闇から姿を現した。
「その度胸は素晴らしいと思いますが状況把握はしっかりしないとダメですよ」
剣を構えたまま苦しそうにうめく黒い獣をじっと見つめる黒騎士。
「だ、誰ですか……あ、Rさんはどこに?」
「ああすみません……今日あなた方と行動を共にしていたのは実は私だったんですよ……まぁRに頼まれての事だったので文句は彼に言って欲しいのですが」
「そんなことより……アンタは一体何者なのよ……王国側の関係者だとは思うけど味方って事でいいのよね?」
クロネ達が苦戦していた黒い獣を一撃で吹き飛ばすような奴が敵になったら今度こそ本当に勝ち目はなくなる。
慎重に距離をとりながら黒い獣と黒い騎士を警戒する。
「私は王国の騎士、フユトです。 ただのNPCで少なくとも今はあなた方の味方ですのでご安心を」
「く、クロネさん……」
「……まぁいいわ……味方なら別にいい……Rが何考えてるかなんて考えるだけ時間の無駄だし……この状況をなんとかできるなら誰でもいいわ……」
所々掠れた声を振り絞るクロネは赤い液体の過剰な摂取でひどい眠気に襲われていた。
「随分辛そうですね……欲望の強度を上げて強制的に力を高める増幅剤を4本も飲んだとは……もう自身の欲に押しつぶされて倒れていてもおかしくないですよ」
霞む視界と意識を無理矢理保ち黒騎士を睨む。
そんなことは誰よりも自分が理解しているクロネは構わず立ち上がり騎士と同じように黒い獣の方に視線を移す。
「……まぁいいでしょう! 元々私が油断したのが原因のようですし今回は見逃しましょう。 ……ベルさん」
「は、はい……」
「あなたも無理はしない方がいい」
「む、無理なんて」
「体の方ではありませんよ……心の方です」
獣から目線は逸らさずにクロネの後ろに立つベルに声をかける。
「こ、こころですか……」
「ええ、あなたは優しい方ですからね……誰かを傷つけないように……いえ自分を守るために……本来の自分を隠して実力を発揮しきれていないようですので忠告をと……ここはあくまでもゲームの中です。 たとえどんな事が起きようともここはゲームの中、なら本来のあなたでいても問題はありません! なにせ夢のようなものですから」
「…………」
ベルの何を知っているのか語りかける黒騎士の方を見るクロネ。
その顔は鎧に覆われて見えない為本当に何を考えているのかわからないが親切心で言っていることはなんとなくわかる。
「デザイアウェポンは欲望の具現化。 ならそれは本来の自分を指し示すものと言っても過言ではありません。 たとえどんな願いを書いたとしても進化の過程でデザイアウェポンは本質に近づいていくものです」
黒騎士の言葉に心当たりがある様子のクロネは自身のデザイアウェポンに目を落とす。
夏のあの戦いで進化した弓はより自分の理想に近づいているのを実感していた。
より確実に痛みを無くし不安をなくし安らかな眠りに誘う。
自分自身が望むような形になっているのは確かだ。
ではベルの武器はどうだろうか?
確かに何度か疑問に思ったことはある。
混沌とはまるで違うベルの在り方はおかしいのだ。
「なので……自由に、そう自由に楽しむべきだと思いますよ」
剣を握り直し体制を低くする黒騎士。
どうやら黒い獣が起き上がり体勢を立て直したようだ。
クロネも黒い騎士に合わせて武器を構える。
「もう少し空気を読んで欲しいものですね」
「はぁはぁ……もう十分よ……だいぶ体調も安定したわ……ベル」
「く、クロネさん……」
「大丈夫よ……私もアイツらも……あんたがどんな奴でも変わることはないから」
優しい微笑みを一瞬浮かべクロネは黒騎士と共に黒い獣へと武器を振るった。
「……わ、私は……」
そんな2人を後ろで見ながらベルは少しだけ考えを巡らす。
暗い海の底、光すら届かない奥底に薄らと光が差し込む。
混沌は僅かな光に向けて水面へと手を伸ばし始めた。




