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バレンタイン

作者: 芥屋 葵


渡せるタイミングなんてあるのだろうか、と思いながら出勤前に鞄の中にラッピングされた小箱を入れる。


年甲斐も無く熱に浮かされて心揺らした相手は既婚上司で、何かと理由を作っては話すきっかけや、会うきっかけを作った。


おかげで婚期を逃して両親には口うるさく言われる最近だ。


2月14日は日本の文化では女性から男性に想いを贈る日というわけで、この上ないチャンスなのだ。


なるべくいつも通りに……


「おはようございます」


普段から早めの出社なので、私より先に出社している数人に挨拶を済ませ席に着く。

席から見える上司のデスクはまだ人の気配もないようだった。


「先輩、これ可愛くないですか?」

そう聞いてきたのは後輩、その手には人気店で予約困難なチョコレートがあった。


「わ! どうしたの、これ予約取れないのに!」

「どうですか、食べません?」

「いいの?」

「もちろんです、友チョコ、先輩チョコですよ。でも意外でした。先輩、チョコとかバレンタインに興味あったんですね。仕事人間かと思ってました」

「人気店の商品くらいはわかってるつもりよ」


後輩の言葉に普段の私の評価が見えた気がした。

仕事人間でイベント無視……なるほど。

そして後輩のように人気店のチョコレートを予約してまで買っていない自分が恥ずかしくなって、渡そうか悩んでいたコレも“渡せない”になっていた。


そう物思いに耽ていると、

「おはよう」

聞き慣れた、聞きたかった声が聞こえた。


「おはようございます」

「今日も早いんだね」

たった一言。でも、私にとっては幸せだった。


すぐにデスクに向かった上司を少しだけ目で追いかけ、自分も仕事に入る。


いつも通りに……自分でそう決めていたのに、

呆気なくランチタイムになり、そして呆気なく夕方になった。


朝が早いせいで、この時間はいつも眠気が付き纏うので給湯室でコーヒーを入れるのが日課。


「やっぱり眠いんじゃない?」

その声に反応して振り返るといたずらに笑う大好きな人の姿があった。


「毎日のことなので大丈夫ですよ」

「そう? でもあんまり無理はして欲しくないな」

「優しいんですね」

奥さんにもそんな優しい言葉を毎日囁いているのかな、なんて心のどこかで嘆く自分がいた。


「目の下のクマが週末に酷くなるからね、女の子なのに……ねえ」

またいたずらに笑うけど今度は急に恥ずかしくなった。


「すみません……」

「謝らなくていいんだよ」

そういって私の顔を覗き込んでくるのを止めない。

「あの、あんまり見ないでください」

「どうして?」

「クマありますか? 恥ずかしいんです」

「でもこういう場所じゃないと覗き込めないからなあ、ダメかな?」

「ダメではないですけど」

「じゃあいいじゃない」

呆気なく論破されてしまう。


時間にして2分あるかないかの短い時間であったが私の心拍数と呼吸数を上げるには十分な時間だった。

去り際に、

「今日、鞄の中にあるもの、くれるのを待ってるから」と残して上司は戻っていった。


コーヒーをまだ口にしていないのに、目は完全に醒めたようだった。


まばらに退勤していく人々を横目に、期限の長い仕事をゆっくりと進めて手は動かしている作戦で、残業していますのでお先にお帰りくださいオーラを出せた……かもしれない。


オフィスに残っているのは私一人。そうしているうちに“会議室にいっていた”という上司が戻ってきた。

もうこの空気だけで再び心拍数は増加の一途だ。


「お疲れ様」

「お疲れ様です」

「あの、チョコなんですが、ちょっと自信なくて……今度改めて渡してもいいですか?」

「どうして?」

「そんな高いものでもないし、人気店の予約でもないし、お取り寄せでもないし、なんか申し訳なくて」

「そんなこと気にしてたの?」

「気にしてしまいました」

「朝のこと?」

「なんでもお見通しですね、そうですよ笑ってやってください」

「笑えるね」

グサッと刺さった気がしたけど次いで出た言葉に上司らしさを感じた。

「そんなこと気にして、一喜一憂してる姿が面白くて可愛くてね、ついいじわるしたくなって。こんなおじさんにもそう思ってるなんてね」

「おじさんなんて言わないでくださいよ。8つ上ってくらいですよ」

「8は大きいけどな……でもありがとう、それは僕を思って買ったんでしょ?」

「そうですけど……」

「じゃあ貰うね、ダメ?」

「ダメじゃないです」

断れない言葉を繋いでくるあたり大人の余裕ってやつだし、それにタジタジの自分もいる。


悪いことをしている気持ちは少しはあったが、それ以上にこの時間と関係が好きなので、もう少し盲目で居ようと思った。





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