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snow drop

作者: 琥珀ルイ

久しぶりに投稿致します。

 


  スノードロップ:花言葉に「希望」「慰め」といったものがある他に、一部の地域では「あなたの死を望みます」という意味もある。


 *


「ねえ、私が明日死んじゃったらどうする?」

 あの日きみは唐突にそんなことを訊いてきた。吸い込まれてしまいそうなほど深い群青色をした空の下で微笑むきみは、死神か何かなんじゃないかって思ったよ。

「どういうこと? きみは明日死んでしまうの?」

「どうだろう。死ぬかもしれないし、死なないかもしれない」 

  そう彼女はカラカラと口の中のキャンディを転がしながら応えた。

 何を当たり前のことを、と僕は少し呆れながら言った。

「なんだよそれ。そんなの僕だって同じじゃないか」

 すると彼女は「たしかにそうかもね」と眼を細くして無邪気な笑みを浮かべた。

  でもその笑顔は悲しそうでもあった。それにどこか不自然なような気もする、そんな不思議な微笑みだった。だって彼女がこんな風に笑うのはこれが初めてだったから。

 どうしたんだろう。彼女の様子がいつもと違うせいで僕は戸惑っていた。

  彼女の口から冗談話のようなものを聞いたことは、それまで一度もなかったからだ。

  それに彼女は常に何か自分の理想のようなものを見つけるために他人と会話をしているような風があった。自分の考えと異なる意見を持つ者がいると、何故あなたはそう考えるのかと逐一詰問しては自分の中の考えとすり合わせて最適解を導き出そうとする。それが彼女の普段の様子で、周りの生徒からは変わり者扱いをされている。つまり簡単に言えば人付き合いが下手なタイプなのだ。

  そんな彼女と僕がどうやって仲良くなったかというと、ただの偶然という一言に尽きる。

 階段を登っていたら突然上から落ちてきた彼女を受け止めただとか、そんな劇的な出会いがあったわけでもなく、ごく普通な比較的ありがちなきっかけだ。

  僕と彼女は小学生のころ二年間だけ同じクラスだったことがあり、一応顔見知りだった。数回話したことがあるくらいで特別親しかったわけでもないけれど、彼女は当時から目立つ生徒だったので高校の入学式の日に偶然見かけた時、一目見て彼女だと分かった。中学は別々だったけれど、向こうも僕のことを覚えていたらしく再会を懐かしんだ。僕は自分のことを彼女が覚えていてくれたことがなんだか無性に嬉しかった。

  僕は家から少し遠くにある大学附属の私立高校を受験したために、同じ高校に進学する知り合いは誰もいないと思っていた。ゼロから人間関係のスタートだと意気込んではいたけれど、どうやら彼女は中学からここの附属に通っていたらしくゼロからスタートということにはならずに済んだ。そんなこともあって、顔見知りだった僕は彼女とよく一緒にいるようになった。クラスも同じであったことと、彼女にとりわけ仲の良い友人がいなかったことがそれをより一層助長させたのだ。

  そんなわけであの日も放課後に彼女に誘われて海を見に行ったんだ。高校二年の12月7日。今でもはっきりと日付を覚えている。砂浜に腰を下ろして沈んでいく夕焼けを眺めながら、その日の古文の授業が難しかったとか、日本史の先生のウソかホントかわからない話の信憑性を真剣に議論したりとか、お弁当に入っていたにんじんが美味しくなかったとか、一日の振り返りみたいなことをした。僕にだけはこんな風にたわいもない話をしてくれる。この感じを他の生徒と話すときにも自然に出すことが出来れば、きっと人間関係も円滑になるだろうけれど、僕はこの不器用さをとても愛おしく感じていた。

 この時の僕が彼女に抱いていた感情は「恋心」というものなのだろうか。よく分からない。でも、きっとそれに限りなく近いものなんだという気がする。

  僕にだけ見せてくれる顔を他の人たちには見せて欲しくないし、僕にだけしてくれる話を他の人たちにはして欲しくない。

  これは嫉妬だろうか。それとも独占欲か。

  これらは恋心とは別のものなのだろうか。昔の僕にはその辺りが良く分からなかった。

  この気持ちが恋であると分かれば、それは当然のことのように思っただろうし、また別の感情であると分かってもそれで納得していただろう。

  もちろん今となっては、これは間違いなく恋であったのだと断言出来る。

  そうでなければこんな風に彼女のことを回想したりもしない。

  話を戻そう。あの日12月7日の浜辺で彼女の口にした不可解な言葉。

  一通り雑談を終えた後、不意に彼女は立ち上がって数秒間空を見上げた。

  それから三歩ほど進んでくるりと僕の方に振り返った。スカートがふわりと風に舞って白い太腿が顔を見せる。僕はドキッとして顔を逸らした。

  そんな時に言ったのだ。

  なんとも言えないタイミングで。

「ねえ、私が明日死んじゃったらどうする?」

  背中に水平線を背負い、頭には群青色の空を被り、まるでフィクションの中の人物みたいに。

  この刹那、僕は完全に彼女の虜になった。

  魔法にでもかけられたように。

  彼女の周りだけキラキラと光って見えたんだ。

  心を打つ芸術作品みたいなんて言うのは大袈裟かもしれないけれど、それくらいに彼女が僕の中で特別になった瞬間だった。

  だからこの言葉の意味を、脳が深く理解しようとしていなかった。

  単純に意味がわからなかった。

  彼女の姿に見惚れていたせいで肝心の言葉の方を僕は疎かにしてしまったのだ。

  感情に支配されるばかりで脳が正常に動作していなかった。

  だから彼女がその一言を声にするのにどれだけの苦労をしたのかも、その時の僕は知らなかった。

  彼女らしくない発言だと感じていたなら、何故そこで気が付かなかったのだろう。

  僕の返事を聞いたあとの笑顔はやはり悲しみだったのだ。

  彼女はこの次の日、12月8日に本当に死んでしまった。

  あの不可解な会話の後、「そろそろ帰ろうか」と彼女が切り出して僕たちはバスに乗って駅まで行きそこで解散した。

  駅に向かうバスの車内で彼女は一言も言葉を発しなかった。

  次の日になっていつも通り登校すると、彼女の姿はなかった。珍しく遅刻だろうかと思っていた矢先、神妙な面持ちで教室に入ってきた担任からクラスメイトに彼女の死を告げられた。

  突然死だったらしい。

  まるで嘘みたいな話だ。

  いや、嘘ならどれだけよかったか。

  その日夜、人生で初めて涙が枯れるほど泣いた。それ以降、僕は涙を流したことがない。きっとこの日で僕の一生分の涙は流れきってしまったのだ。

  そんな無限に続くかのように思えた夜を越えて、僕は次の日もその次の日も学校には通った。彼女はきっとそれを望んでいると思ったから。だから大学にも進学し、就職もした。きっと彼女はそれを望むだろうから。

  ただそれだけで僕は今日まで生きてきた。女々しく、昔死んでしまった女の子の影を追いながら。いつくかの恋愛もしたけれど、彼女のことを忘れることは叶わなかった。

  今後も僕はこの後悔を一生背負いながら生きていくのだと思う。

  どうしてあの時「好きだ」と言えなかったのか。

  どうしてあの時「好き」という感情に気付けなかったのか。

  10年経った今、僕は再びあの日の海に来ていた。

  日付は12月7日。頭上には群青色の空が広がっている。眼前には果てしない水平線が伸びていて、自然と足がそちらへと吸い寄せられてしまう。一歩、また一歩と歩みを進める度に、彼女との日々が脳内で走馬灯のように写し出される。

  今更どうしてここに足を運んでいるのか自分でもよく分からない。

  ただ呼ばれた気がしたんだ。

  気が付けば腰のあたりまで海水に浸っている。それでも足は歩みを止めない。

  もうこのまま海に溶けてしまいたい。

  僕はもう疲れたんだ。もう一度きみ会いたいよ。

  この海の深く深く真っ暗なところまで落ちていけばきみは待っていてくれるのだろうか。

  水位が胸のあたりにまで差し掛かった時だった。

  何か缶のようなものが波に揺られて正面から流れてきた。目線を動かしてその物体を見ると、「サクマ式ドロップス」と書かれていた。それを目にした瞬間僕は反射的に水中から手を引き上げ、やっとの思いで缶を手に取った。

 無意識的に足を止めてその缶を見つめる。塗装が所々剥げ落ち錆び付いたそれを眺めながら、しばらく懐かしい気持ちに浸った。

  これは彼女がいつも持ち歩いていたキャンディだったからだ。僕は以前に「なんで袋入りのじゃなくて、わざわざ缶に入ったのを持ち歩いてるの?」と彼女に訊いたことがある。すると彼女は「振るとカランっていい音がするからこの入れ物が好きなんだ」と語っていた。

 それだけの理由?と思ったけれど、それは彼女らしくもあった。自分の中に強いこだわりを持っているのが彼女の特徴なのだ。だから僕は「たしかに心が落ち着く良い音だ」と言ったのだった。

  僕がこの質問をして以来、毎日下校の時に一粒ドロップをくれるようになった。どうやら彼女はハッカ味が苦手らしく、僕はハッカ処理の役目を負わされていた。もちろんハッカが全てなくなってからは、他の味も食べさせてくれた。でもいちご味は絶対にくれなかった。これもまた彼女のこだわりなんだろう。

  そんな回想が頭の中を駆け巡っていたせいで、ドロップの空き缶以外の景色がまるで視界に入っていなかった。

  缶の上に何かが落ちてくるのに気が付いてふと顔を上げると、白い粒が上空から降り注いでいた。

「雪だ」と不意に口から声が漏れていた。それからもう一度「雪」と心の中で唱える。

  雪、そうそれは大切なきみの名前。

  美しくも儚いイメージが似合うきみにはぴったりの名前だ。

  ゆらゆらと海に向かって落下してくる雪は、ハッカドロップの欠片のように見えなくもない。

  そうかドロップ、と思った。

  僕の手元にはドロップの空き缶。

  僕の頭上には降り注ぐ雪。

  ドロップとスノー。

  スノードロップ。

  なんだか駄洒落のようで馬鹿馬鹿しい。

  でもこのタイミングでスノードロップなんて何の因果だろう。


 ――ああそうか。

  なんだか全てが分かった気がした。

  迎えに来てくれたんだね。

  すごく待たせてしまったけどようやくまた会えるね。


  久しぶり――雪。



 

最後まで読んで頂きありがとうございます。

洒落のようで真面目な作品です。

実はこの作品はしばらく前に書いていたものなのですが、これを読んでくださった方の中には、執筆当時の私が誰の作品に影響されてこの作品を書き始めたか分かった方もいるかもしれませんね。

改めて続きを書く際に自分で読み返してみて、前半の表現やキャラクター設定からそんなことをひしひしと感じました。

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