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 午後四時四十四分。

 開けっ放しの窓から差し込む夕日によってオレンジ色に染まる教室。

 窓際の列の前から三番目にある自分の席に体を預けた右室たかむろ悠は自分の胸に手を当てる。手の平に伝わる鼓動は緊張によるストレスによって平時よりも早かった。


「ほんとうに夢じゃないのか」


 現実感が希薄だ。頭はフワフワする癖に心臓は重く苦しい。

 教室の外から野球部の掛け声、吹奏楽部の音を外したトランペット、テニス部がボールを打つ音、が聞こえてくるも、別の世界のことのように思える。


 ガラリ。


 教室の後ろの扉が開く。

 夏服のYシャツを着崩し、髪を茶色に染め、耳にはピアスをしている軽薄そうな青年が入ってきた。彼はこのクラスに在籍する生徒であり右室の友人でもある吉田幸太郎。

 教室に一人残った右室のことが気になって戻ってきたのだろう。


「生きてるか?」

「ああ、まあなんとかな」

「それで右室の一世一代の大勝負の結果はどうだったんだ?」

「それは……」


 五分前のことを思い出すと自然と収まりかけていた鼓動が再び早くなる。

 頬が熱くなり、口から水分が失われる。

 自分一人では信じられないが、ここには吉田がいる。彼の存在が夢でも幻でもなく現実なのだと証明してくれる。

 すると、抑えつつあった感情が体の底からせりあがってきて、


「Yeaaaaaaaaahhhhhhhhhhhhhhhh!!!!!!!!」


 奇声となって外へ出た。

 いやそれは魂の咆哮だった。歓喜の雄たけびが止まらない。

 至近距離からの大声に驚いた吉田は隣の机を巻き込み倒れ床に尻を打った。


「Whooooooooooooo!!!!!!」

「うるせえよ、サンシャインかお前は! びっくりしただろが!」

「ああ、悪い悪い。なあ吉田。俺どうだったと思う?」

「その様子をみれば分かるっての。上手くいったんだろ告白」

「分かっちゃったか」

「これで右室も彼女もちかー。高校卒業まで童貞だと思ってたんだけどな」

「嫌な予想するなよ。俺だってやる時はやるんだ」

「ほう、付き合って間もないのにもうヤることを考えているのか」

「そういう意味じゃなっての」


 二人は笑いあう。


「ほんともう俺明日死んでもいいわ……」

「縁起の悪いこと言うなっての」

「おい、舌打ちすんなって」

「してねーよ。……あ、チャイム。もうこんな時間か。もっと話を聞きたいとこだけどこれからバイトなんだよな」

「じゃあ俺も帰ろうかな」



 時刻は午後五時。

 むかう方角が反対なので校門前で吉田と別れると、右室は自転車のかごにカバン入れ、サドルに跨り、ペダルをこがずに足で地面を蹴ってゆっくりと坂を下っていく。

 右室たちの通う学校は周りの土地よりも高めの丘にある。そのため、学校に向かうには上り坂を登っていかねばならず、朝の通学時間帯は自転車で通う生徒が必死な形相をしてペダルを漕ぐのがお決まりの光景となっている。朝がつらい代わりに帰りは下り坂なので楽だ。ゆるやかな坂はペダルを漕がなくても自転車を都心部へと運んでくれる。

 自転車専用レーンが完備されている国道はスピードに気を付けていれば危険はない。


 片面が崖となっている片側一車線の道を自転車が走る。

 秋を先どる冷たい風が半袖のシャツから伸びる剥き出しの肌を撫でていく。その感覚が右室にはとても心地よかった。地面に縛られた人間がその時だけは空を飛べたような気がするからだ。


 ~#~♪~~@~♪


 近くの商店街から古ぼけた音色のドボルザークの交響曲第9番「新世界より」が風に乗って流れてきた。

 思わず解放感から両手を放しそうになった右室は我に返ってしっかりとハンドルを握る。

 右室はそのメロディーが嫌いだった。どこか陰を帯びた音色を聞いていると心が不安になってしまう。特に今日のような良いことがあった日には殊更聞きたくなかったのだが。

 耳にまとわりつく音を振り払うように右室はペダルを漕ぎスピードをあげる。


 やけにゆっくりと流れているその曲はところどころ音が外れていて少し薄気味悪かった。


「誰もいないな」


 いつの間にか進行方向へむかう車も対向車もそして歩行者もいなくなっていた。

 都心部に繋がるこの道は常に車が行き交い、こんな風に無人になることなんてないんだけどな。

 緩やかなカーブを曲がるもその先に人の気配はない。

 存在するのは自分と自転車と不協和音として耳を犯す「新世界より」。

 地平線に沈みゆく夕日は血のように赤く、心地よかった風は生ぬるさを帯びている。

 自分のいる日常が消えてしまったかのような不安感から自転車を止めようとするが、ハンドルの先にあるブレーキレバーは空を切るようにスカスカとした感触しか返さなかった。


「こんなところで壊れるなよクソが」


 ~&~♪~~%~♪


 自転車は止まらない。メロディーも止まらない。


 ブレーキの故障により徐々にスピードが上がっていく。

 自転車を何とか止めようと足をアスファルトに押し付けるが止まらない。

 靴底が削れ摩擦によるザリザリとした音がするが、平面ならいざしらず、下り坂で速度の乗った自転車を止めることは至難の業だ。


 前を向けばカーブが間近にせまっていた。この道路で一番急なカーブはスピードの乗った自転車では曲がり切れそうにない。このままだと対向車線にはみ出してしまうことになる。


「さっきから車来てないし、これならはみ出しても轢かれることはないかな?」


 その時、右室は視界の端に動く物を見た。

 それは道路の端にあるカーブミラー。鏡の中には黒猫マークの配達トラックが接近してくる光景が映し出されていた。

 一瞬にして血の気が引く右室。


「ッ!!!」


 脳裏には去年、命を落とした学生のニュースがよみがえる。

 あれは去年の夏、当時は専用レーンなどなかったこの道で、学校からの帰る途中で少年が事故にあった。

 暗かったせいもあり車道の端を走っていた少年に気づかなかった車が接触して転倒、後続の車にも轢かれた少年は直視ができない状態だったと聞いた。

 それは高校生になったばかりの右室に強く死というものを印象付けたのだ。

 死神が直前に迫っていた。


「うおおおおおおおおおお」


 減速することを諦めてとっさに自転車から体を投げ出した。


「がはッ」


 体が砕けるかと思う程の衝撃が伝わった。

 そして勢いよくアスファルトの上を転がり体中をすり傷だらけにしてようやく止まる。

 右室が顔を上げると、

 乗り手のいなくなった自転車は、決められたコースを進むかのごとく真っすぐ道路を駆け下りていき、カーブに差し掛かると、曲がり角からやってきたトラックに撥ねられ、引かれ、そしてグシャグシャにひしゃげていた。


 気づけばスピーカーから聞こえる不吉なメロディーは鳴り止んでいた。


「た、助かった……」


 安堵の言葉を漏らす右室にクラクションが鳴らされる。

 振り返るといつの間にか目前まで車が来ていた。

 右室は痛む体に無理をさせて立ち上がると急いで歩道に体を移す。


 自転車を失った右室が自宅にもどる方法は二つ。残り半分ほどの道のりを歩いて帰るかバスに乗るか。

 右室は近くにあるバス停へ向かうことにした。


「次のバスは5時半。あと三分か」


 幸運なことにバスはすぐ来るようだ。

 右室はついさっき死にかけた道を一人で歩く気にはなれなかった。

 バスには運転手の他に乗客がいるし、四方を金属の壁で覆った車は安心感がある。何より外にいれば再び街のスピーカーからあのメロディーが聞こえてきそうで嫌だった。


 やがて、部活帰りの学生を乗せたバスがやってきた。整理券をとってバスに乗り込み後方の空いている席に座った。

 バスには談笑する学生や新聞を読むサラリーマンがいて、さきほどまでいた異様な世界が嘘のように右室も過ごしていた日常そのものだ。安堵のため息をもらすも、さきほどのことを考えるとバスに乗っていても事故が起きるのではないかと不安で仕方なかった。


 右室の心配をよそにバスは順調に進みあっけなく終点へと辿り着く。


 自宅はこの先にある商店街を抜ければすぐだ。

 バスを降りた右室は帰宅に逸る心を抑えながら慎重に周りを確認しながら歩く。

 階段を降りる時は手すりをしっかり握り、横断歩道を渡る時は左右をしっかりと見て、小学生のように手を挙げて渡る。周りの人たちがくすくす笑っていたが気にするだけの余裕はない。

 恥ずかしさも生きていなければ感じることができないのだ。


 カラスが鳴いている。

 夕方だから当たり前のことであるがやけに多い。電線にびっしりと並んでいた。

 電線からあふれたカラスは空を羽ばたき旋回している。

 そのカラスたちは自分をじっと見ている気がしたので、なるべく上を見ないようにして歩く。

 そこでふと、カラスたちの絶え間ない鳴き声がどこかあのメロディーを思わせたので、右室はハタと立ち止まると、


 ガシャン


 植木鉢が空から落ちてきた。

 硬質な音と共に道路に打ち付けられた植木鉢は壊れ、鉢の部分がくだけ、中に収められていた土が辺りに散らばっている。

 呆然と上を見ると、民家の二階の窓の柵に落ちてきた植木鉢と同じ物が数個ならんで掛けられており、それをカラスがつついていた。

 右室が止まらず歩いていたならば直撃していたかもしれない。

 地面に打ち捨てられた植木鉢は、頭から血を流し横たわる自分自身のように思えた。

 やはり自分は死神に狙われているのだ。

 右室はそれまでの慎重さをかなぐり捨てて走る。警戒していても防ぐことは出来ないと理解したからだ。一分一秒でも早く安心の出来る自宅に帰りたかった。


「どうしたの、その恰好」


 全身ボロボロの姿に驚く母親に、自転車でこけたと説明し、食欲がないからと夕食を食べずに自分の部屋へと向かい、布団を頭から被り体を抱えるようにしてうずくまり目を閉じる。

 今日のことを思い出すと体が自然と震えてしまう。少なくとも二度死にかけたのだ。

 今日は最良の日となるはずだったのにどうしてこんなことに。

 右室は神に祈る。

 全てが嘘であり、朝になれば死の危険などない穏やかな日常に戻ることを。



 目が覚めると右室は知らない場所にいた。

 恐ろしいほどに暗く何もない空間。そこにぽつりと右室は立っていた。


「これは夢か?」


 その判断がまったくつかない。

 おかしなことばかり続いたので、何が現実なのかの感覚が分からなくなっていた。


 右室が立ちすくんでいると、空間の一角がスポットライトを浴びたように明るくなった。

 光の中には椅子に座った一人の女がいる。


「あの、あなたは?」

「哀れな子羊よ。哀れなことにあなたは死にました。しかし嘆くことはありません。あなたには別の世界で生きる権利があります」

「何を言ってるんだ。俺は死んでない。死にかけたが死んではいない」

「おかしいですね。とっくに死んでる運命なのに」


 ちょっと待っててください、今調べますからと、手元の資料をめくる女。


「チッ、なーんだ生き残っちゃったんですか? もうこういう時サクッと死ぬのがお約束でしょう? せっかくお決まりのトラックを用意してあげたのに」


 舌打ちし憤慨したように腰に手を当てて文句を言う女。

 この女が何者かここがどこかはさっぱりと分からないが、ひとつだけ分かったことがあった。それは、


「もしかして、今日起こった全ての異常はお前が原因なのか?」

「もちろんですよ。これでも女神ですから地上に干渉することなんてちょちょいのちょいです。それにしてもあなたが生き残るのは想定外ですよ。せっかく決めセリフまで用意して練習していたのに」


 女は胸に両手を合わせると、あなたは死にました、と先ほど右室にかけた死亡宣告をそらんじてみせる。


「あんたは神さまなのか? だったら助けてくれよ。俺は死にたくない。別の世界になんて行きたくない。今が幸せなんだ。だから殺さないでくれ」

「ダメです。だってもう予定に入っているんですから。向こう先の神とも魂の贈与を約束してますし、それを反故にすると私が困っちゃうんですよ」


 必死の右室の訴えを聞き入れるつもりないようだ。


「なんで俺なんだよ……」

「だって幸せな人間を見るとむかつくじゃないですか」

「は? それだけ……で?」

「仕方ありません。今日のところは帰ってもらいますから、明日はしっかり死んでくださいね。同じ手口だとまた避けられそうなので新しい殺し方を用意しますから楽しみにしててください」


 女神は無慈悲な宣告を下す。

 右室の意識は闇の底へと落ちていった。

なろうといえば転生ですよね。

タイトルはただのダジャレですごめんなさい。『井』はイの他にセイと読めますので、テンセイ=丼。あと主人公にも仕込みが……わかった人にはなろう主の称号を。

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