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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

はさみさま

作者: アル

 



「ハァ、ハァ……ハッ、ゲホッ!」


 風に揺られ、木々がざわめく。

 その音の隙間を抜けるように、草木の間を縫って走る女が一人。

 半袖のシャツ、ミニスカートを着た女の腕や足には、枝で負った傷が無数にある。ヒールの高い靴はとうの昔に脱げてなくなり、素足のまま無我夢中で走り抜けてきたようだった。

 時折、振り返って後ろを確認するその顔に恐怖が貼り付いている。


「な、んで…! もう、来ないで!!」


 緩く巻かれた長い茶髪は乱れ、濃いメイクは汗と涙で崩れていた。そんなことを気にする暇もなく、既に限界を迎えている足を必死に前へと進める。

 全身の身なりに気を遣っている女からは想像もつかない憐れなその姿を嘲笑うかのように、黒いキャップ帽を被った男が足早に女の後を追っていた。


 灰色に光る瞳は狂気を宿し、口元には笑みを浮かべている。月明かりで照らされた男の手には、鈍く輝く二本の小さな刃が握られていた。


「こうなったのは全部、俺を裏切ったせいだろ? お前が他の男に色目使うからさぁ、こうするしかないじゃん?」


 男の声に怯え、女の体がすくみ上がる。足がもつれてその場に倒れ込み、地面で顔を強く打ち付けた。全身がガタガタと震え、あまりの恐怖に助けを呼ぶ声すら出ない。

 目の前で必死に逃げようともがく姿に、男はますます笑みを強めた。


「これで、お前は俺だけの物だな」


 刃が一層輝き、女へと振り下ろされる。

 金属が重なり合う音が波紋となって辺りに広がり、木々に当たってやがて消えていった。




   * * *




『昨夜未明、伊戸桐神社付近の山中で体をバラバラに切断された遺体が見つかりました。凶器に使用されたのは、驚くべきことに文具用のハサミでした』


『犯人は既に捕まっており、“最初はこらしめるつもりで体に傷を付けたいだけだったが、切れる気がして切った。全身を切り刻んでいる内に楽しくなってバラバラにした。ハサミサマのおかげだ”と供述したため、今後精神鑑定も含めて捜査が行われるそうです』


『全身を切断なんて、恐ろしい事件ですね。骨まで切断されていたそうですが、凶器は刃こぼれ一つなかったと。では、次のニュースです――』



 テレビのアナウンサーが、普段と変わらぬ調子で事件の全貌を知らせる。

 地元のニュースが流れたのを見て、テーブルに味噌汁のお椀を置きながら母親がため息をついた。


「やぁね、この辺の事じゃない。カホ、あんたも気を付けなさいよ」


 自分の娘にそう声をかけ、湯気をくゆらせる味噌汁をズズッとすする。

 カホと呼ばれた少女は喉の奥で「んー」と言いながら、伏し目がちに茶碗の白米を箸先で弄んでいた。一口サイズに丸め、しばらく転がした後に渋々口へと運んでいる。

 そんなカホの食事の様子を、母親は味噌汁のお椀を持ったままジッと見つめていた。


「……ごちそうさま」

「またこんなに残して! あんた前より痩せてるけどダイエットでもしてるの!?」

「勉強のことで頭がいっぱいなの。高校受験の勉強とか、テストのこととか」

「本当に?」


 先程まで食べていた白米は半分以上残され、味噌汁も一口ばかり飲んだだけ。ウインナーや卵焼きなどのおかずには、一切手を付けられていなかった。

 せっかく作った料理を無駄にされてイライラしつつ、娘の発言が本当であるか、母親は半信半疑にカホを見る。カホは何でもないように、ニコッと微笑んで見せた。


「……まぁ、受験生だものね。思春期だろうし、こういうこともあるわよね」


 そう呟きながら、諦めたように息をつく。

 これから母親が処理するであろう朝食の残りにチラリと目を向け、カホは母親にもう一度笑みを見せてソファに置かれたカバンを持ち、まっすぐ玄関へと向かった。


「いってきます!」


 元気な声を残し、扉を閉める。

 朝とは言え決して優しくない日差しを受け、その眩しさに目を細め眉を寄せながら、カホは重い足を引きずるように通学路を歩く。

 先程まで母親に見せた笑顔とは一変し、憂鬱だと言いたげな表情をしている。それは通りすがりのサラリーマンですら心配そうに振り向く程だった。


 十五分歩くと通っている中学校が姿を現し、校門から幾人もの生徒を飲み込んでいる。カホも生徒の流れに逆らうことなく校門を通り過ぎるが、自分のクラスの靴箱に近付くにつれ歩幅が狭くなっていた。


「(……今日は…?)」


 自身の名前が書かれた靴箱の扉の前に立ち、カホはゆっくり深呼吸をした。ただ上履きを取り出すだけだと言うのに、戸を開く手は汗が滲み震えている。

 数人の生徒がその様子を不思議そうに眺めていき、その視線を感じてカホは意を決し、ゆっくりと戸を開いた。

 パラパラと落ちてきた砂や落ち葉、鼻をかんだ後のティッシュや飲みかけの紙パックジュース。ゴミ箱状態の中にある汚れた上履きを見て、カホは安堵の息をついた。


「(よかった。今日は生ゴミじゃない)」


 紙ゴミを両手でつかみ、近くのゴミ箱へと落とす。落ち葉はつまんで捨て、砂は手をほうきとちり取りのように使ってできるだけ取った。最後に上履きの汚れを手ではらい、中を充分に確認してから足元に置く。

 これがカホの、学校生活の始まりだった。

 教室に行くと予鈴の五分前だったためか、席についている生徒は少ない。カホの姿を見た者から順にヒソヒソと声を潜め始めた。


「今日も来たぜ、あいつ」

「ほんと、よく来るわね」


 そんな声を聞こえていないふりをし、カホは教室の真ん中にある自分の席の椅子を引いた。

 座る部分が蛍光灯を反射して、テカテカと光っている。それは粘り気を帯びていて、触れれば簡単には取れないということがカホには分かっていた。


「(スティックのり……。画びょうだったら、元の箱に戻せたのに。どうしよう)」


 ふと顔を上げたカホの視界に、ニヤニヤと笑みを浮かべる少女が入ってきた。

 椅子に細工をした張本人であろう少女は、取り巻きの少女数人と話している。


「そんなに学校が好きなら、ずっと椅子にくっついてればいいのよ。あたしって優しくない?」

「ミナ、ちょーウケる。やさし〜」


 それは、カホの耳にも届く声だった。

 わざと聞かせるように喋っているのは明らかで、カホの表情が歪む。涙をこらえるようにグッと唇を噛みながら、カバンからポケットティッシュを取り出して椅子の上に数枚広げ、ゆっくりと腰を下ろした。


「(今までずっと、ミナとは仲良くしてたのに……何でこんなことに……)」


 朝のホームルームは滞りなく終わったが、カホの地獄はまだ始まったばかり。

 机の中には食べかけのおにぎりがあり、いつから置いてあったのかコバエがたかっていた。

 授業中には四方八方から消しカスや消しゴムの欠片が飛んできて、休憩時間になればカバンをひっくり返して教材を床にばらまかれる。カッターやハサミで切り刻まれ、落書きでボロボロになったそれを拾う姿は惨めだ。

 それなのに、誰一人としてカホを擁護する者はいなかった。


「(……やっと、お昼……)」


 トイレの個室で、深く深く息をつく。

 疲れきった表情はとても十五歳には見えず、頬も薄らと痩せこけているようだ。

 カホはいつもここで弁当を食べることもなく、持ち物が全て入ったカバンを誰にも奪われないよう抱え、便座に座っていた。

 チャイムの音が鳴らないことを祈りながら過ごす。しかし、校内で唯一の至福の時間はわずか十分で終わりを告げた。トイレの扉が開かれ、数人の少女が入ってきたのだ。


「ねぇ、何かくさくない?」

「確かに〜」

「くさいもんは掃除しなきゃね」

「めっちゃ優等生発言〜!」


 蛇口から流れる水の音がトイレに響く。

 楽しそうな笑い声とは裏腹に、カホの顔は血の気が引いていた。何が起こるのか想像してしまったカホは、両手を握りしめて足を閉じ背中を丸めて体を縮めている。

 水の音が止んだ直後――。


「ヒッ…!!」


 カホの頭上から大量の水が降ってきた。文字通りバケツをひっくり返した水は、カホの全身をずぶ濡れにするには充分な量。髪や制服からはポタポタと水が垂れ、冷たさがカホの体温を奪っていく。

 少女達の明るい声が出ていき、水滴の音が分かるほどの静寂が訪れた。


「ふっ……くぅ……うぅ……」


 水とも涙とも取れぬものが、頬を伝い顎から落ちていく。

 震える両手で顔を覆い、小さく声を上げて泣いた。

 チャイムが鳴ってからもカホはその場から動けず、声を押し殺している。


「(もう、耐えられない……)」


 嗚咽が治まる頃には体はすっかり冷えきり、全身が寒さでガタガタと震えている。

 それでも、瞳の輝きだけは失われていない。

 何かを決意したその瞳のまま、担任にも声をかけず学校を出た。




   * * *




 カホが住む地域には、とある伝承があった。

 朝のニュースで流れていた事件もそれが絡んでいると、カホは分かっている。だからこそ、自宅には向かわず山に向かっていた。

 山中にあるその場所はあまり人が踏み込まず、その存在を知っている者も多くはない。だが、カホは声を上げて泣ける場所を求めて山に足を踏み入れた時、見つけていた。


「ハァ、ハァ……あった…!」


 カホはそれを偶然発見したとき、石の上に作られた小さな木の家だと思っていた。

 けれど、格子状の観音開きの戸を見てすぐに神の住まう、“祠”だと気付く。


「ハァハァ……紙は……ノートでいいか」


 カバンから引っ張り出したノートの裏表紙から、ページをちぎって正方形の紙を作る。ノートとカバンを机代わりにして、ペンを取り出し文字を走らせた。長くはない文を書き終えると、その紙を折って鶴を作る。その方が、想いが伝わる気がしていた。

 筆箱からペン型のハサミを取り出してキャップを外し、祠の戸の前に鶴と一緒に置く。祠の前に膝間づき、両手を合わせて俯いた。


「……は、鋏様、鋏様……どうか、私の願いを叶えてください」


 合掌した手に力がこもる。

 そよ風が木の葉を揺らし、カホの体を撫でていく。

 半乾きとはいえまだ濡れている服が風で冷たさを増し、カホは体を震わせた。風が止むと震えも治まったが、風で葉が揺れる音はまだ聞こえる。

 カホが目を開くと、隣に男が立っていた。


『……今度は、娘か』


 突然現れた男に驚き、声も出せずにいたカホは尻餅を付きながらも後ずさる。けれどそれ以上逃げようとしなかったのは、男の立ち姿があまりにも儚く見えたからだった。

 少しくたびれたような甚平を着て、サラサラと風になびく灰色の短髪は日の光に当たって銀に輝いている。生気のない瞳も灰色で、肌は雪のように白い。

 そして何より、男の向こう側にある木が透けて見えていることに、カホは驚きを隠せなかった。頭の中に直接響くような声にも不安を感じつつ、この男が人間ではないことを悟って恐る恐る口を開く。


「……は、さみ、さま…?」


 カホに目を向け、男は柔らかく微笑んだ。

 

 伝承の内容は、この土地には切る願いならなんでも叶えてくれる糸切りバサミに宿った付喪神様がいる、というもの。しかしそれは、祀られた祠の場所が人目につかない場所にあったため、何十年もの時を経て都市伝説と化していた。 

 

 付喪神の男はカホが折った鶴を手に取り、開いて中の文字に目線を走らせる。内容を理解するためか、目線は何度も右へ左へと往復していた。


『この間、この辺りを走っていった男の願いを暇つぶしの戯れに叶えてやったが、人の肉を切って何が楽しいのか。お前の願いも(はなは)だしい。この二百年でこれだけの量を切りたいと願う者は初めてだ。正気か?』


 紙をカホに見せながらそう呟く。

 カホに迷いはなく、目をそらさずに力強く頷いた。


「クラスメイト全員、三十三人です。お願いします…!」


 地面に手を付き頭を下げたカホを見て、男は再び微笑みながら今度は祠にあるハサミに目を向ける。

 今まで見たことのないハサミの形に目を瞬かせ、手をかざした。


『面妖な鋏だが、充分だ。……この際だ、原因の元も絶つか。ここから出かけるのも何年ぶりだろうか』


 男がハサミをカホに手渡すと、カホの手の中でハサミの刃が微かに光る。明らかに何かの力が宿っているそれを、ギュッと握りしめた。

 人も殺せるほどの力を持つハサミだが、カホにとっては救いの手だ。


『これで、お前が思うモノは切れるだろう。だが、私が手を貸してやれるのは“切る”だけだ。その後の人生を、自ら紡いでいく覚悟はあるか』

「……はい!」


 カホのハッキリとした返事に微笑み、男は祠の裏へと歩いて行く。

 立ち上がって祠の裏側を見た時、もう男の姿はどこにもなかった。


「夢、じゃないよね」


 手の平に収まる程の、ペン型の小さいハサミ。

 いつも使っている道具がいつもと違う輝きを帯びていることに、カホは違和感を覚えつつも小さく笑みを浮かべている。胸の高鳴りすら感じているような、期待の眼差しを向けていた。


「これでようやく、終わらせられる……」




   * * *




 翌日、カホはハサミをスカートのポケットに忍ばせて家を出た。微かに熱を持っているハサミをスカート越しに触れ、平静を保つために何度も深呼吸をしていた。

 三度目の深呼吸を始めた時、カホの目に同じ制服を着た女生徒の姿が映る。後ろ姿を見て動悸が激しくなったのを感じて、クラスメイトで間違いないと悟った。カホが直接関わったことはないが、イジメられているのを外野から眺めて笑っていた人物だ。


 先程よりも歩調を強くしながら、スカートに手を入れてハサミのキャップを片手で取り、ハサミの持ち手部分を握りしめる。

 その時、クラスメイトとカホの間に線が見えた。


「(え……これは、糸…?)」


 白とも銀とも言えない輝きを宿した糸が、クラスメイトの背中とカホの胸を繋げている。その糸は風に揺れることもなく、横切る通行人が気にする素振りを見せないことから、この糸はカホにしか見えていないようだった。


「(これが、鋏様の力? これを切れば……)」


 ゴクリと喉を鳴らし、糸にハサミの刃をかける。

 けれど、いざその時になると動悸は激しさを増し、カホの息は見る見る内に荒くなっていった。

 一度目をギュッと閉じた後ハサミを持つ手に力を込め、意を決してひと思いに糸を切る。刃が擦れ合わさる金属音の後、糸は切り口からスーっと消えていった。


 震える手に微かに残る、確かな感触。それに戸惑っていたカホだが、ハッとして前を向く。ちょうど、クラスメイトがコンクリートに倒れ込む瞬間だった。全身の力が抜けて重力に従い崩れていく様は、操り人形の糸を切ったかのようだ。

 カホは額に汗を滲ませながら、ゆっくりとクラスメイトに近付く。


「い、息は……死ん、でる…?」


 肩に手を当てたり、口元に手をかざしてみる。

 次第に、カホの頬が緩み始めた。口角が上がり、唇の下から白い歯が覗く。瞳は、鋏様と同じ灰色に光っていた。


「いける、これなら…!」


 周りには人がおらず、カホはすぐにその場を後にする。

 女生徒は体温を保ち横になったままピクリとも動かなかったが、今にも消え入りそうな細い糸が女生徒の胸とカホの背中を繋いでいた。



 それからカホは胸の高揚感を動力に、足早に学校へと向かう。

 口元の笑みは不気味さを漂わせ、校内で別のクラスの同級生達が思わず後ずさって離れていく。教室へ辿り着く頃には、カホの前は生徒達が廊下の端に寄って道ができていた。


「……あ〜、ほんと懲りないね。何しに来たの?」


 教室の後ろ側にある友人の机に腰をかけているミナが、教室に入ってきたカホを見て呆れたように笑った。取り巻きの少女達はカホの様子がいつもと違うことに気付き、訝しげにカホを見つめている。ミナはカホの変化をただの強がりと感じたのか、全く気にも止めていないようだった。


 そんなミナにチラリと目を向けて一瞬悲しげな表情を見せたカホは、唇を噛んで眉間に力を込めて教卓へと向かう。黒板を背にクラスを見回した時には、ミナの表情はイラ立ちを隠せず歪んでいた。

 そんな彼女達の胸から糸が伸び、カホの胸と繋がる。


「何よ。何かやるつもり? 今までの文句を発表でもするんですか〜?」


 ミナの声に、クラスメイト達が笑いをこらえ切れず吹き出した。

 笑い声に包まれる教室の中で、カホだけは冷静な眼差しで皆を見つめている。

 そこでようやく、ミナが気付く。カホの瞳が、灰色に光っていることに。


「……私は……さよならを、言うために……ここに来た」


 その言葉の後、カホは今まで握りしめていたハサミの刃をミナに向けた。ミナの目が驚愕で見開かれ、教室中から笑い声が消えてどよめきが広がる。

 地元で鋏様の噂を知らない人間はいない。そして、先日起きた殺人事件。この後何が起こるのか、全員が容易に想像しただろう。数人の女子は目に涙を浮かべ、男子は応戦するためかペンや定規を手にしている者もいる。


「……最後に、聞きたいことが、あるの……ねぇ、ミナ」

「な、何よ…!」


 強気な態度でカホを睨むが、その手は微かに震えている。自身が一番に手を下されると察している恐怖に、必死に耐えているようだった。

 ミナと離れているカホにはそれが分からず、ただ悲しげに目を細める。


「去年まで……一緒に遊んだり、仲が良かったよね。何で私に、酷いことしたの…?」

「ハハッ、呆れた……そんなことも分かんないの!?」


 突然の大声に、カホの肩がビクリと震える。

 ミナの顔は怒りで赤く染まり、手は震えていたが力強く握りしめられていた。


「そりゃ分かんないよね! あんたはずっと! 幸せそうだったから!!」

「私が…?」

「どうせ最期なら、教えてあげる。三年になってすぐの時、私は進路のことで悩んでたことをあんたに相談した。その時あんたは何て言った!?」

「……一緒の、学校に――」

「そうよ!! 父親がクズなせいで母さんが病気で入院してるのに、あんたは簡単に“一緒に行こう”って言ったんだよ!! 高校に行くお金もない、中卒で働くことも考えなきゃいけない、母さんを一人にできないって悩んでたのに!! その時に、あんたが私のことなんか何も考えてないって分かったんだ。せめて、一緒に悩んで欲しかった。あんたなんか、友達でも何でもなかった!! この、裏切り者!!」


 ミナの目から大粒の涙が零れる。

 今まで溜め込まれていた感情を吐き出され、カホは驚きのあまり声も出せなかった。


「先に裏切ったのは……私……」


 声に出して反芻すると、手から少しずつ力が抜けていく。

 目の焦点が合わず俯くと、カホは目の前が光っていることに気付いた。光を放っているのは、今にも手から零れ落ちてしまいそうなハサミの刃。

 強い意志を持ってここに立っていることを思い出したカホは、再びクラスメイトに目を向ける。

 カホの瞳が、灰色の強い輝きを宿していた。


「……ごめんね。でも、もう決めたの」


 イジメに加担した者、傍観者を決め込んで見て見ぬふりをしていた者、手は出さず笑って見ていた者。教室にいるクラスメイト全員の糸が交わる部分がカホのすぐそばにあり、そこに開いた刃を当てる。

 自分達に刃を向けられたと思っている生徒達が、一人、また一人と悲鳴や怒号を上げた。


「嫌、嫌だ! 死にたくない!!」

「俺達は何もしてねぇだろ!? 関係ねぇだろうが!!」


 ミナだけは覚悟を決めたのか、怒りを込めてカホを睨みつける。

 それとは裏腹に、カホは微笑んでいた。穏やかな表情で、灰色の瞳から涙を流しながら。


「みんな、さよなら」



――……シャキンッ




   * * *




 数ヶ月後、カホは朝日の差し込む窓を見上げていた。窓枠の左から右へ、桜の花びらが風に乗ってヒラヒラと流れていく。その様子を眺めつつ、今では着慣れた服の胸元を掴み、深く息を吐いた。

 祠を訪れてハサミを手にした日を思い出し、微笑みを浮かべた時。


「――!」


 窓の向こうから叫ぶ声が聞こえてくる。

 外を見ると同じ服を着た人物が手を振っていて、それに応えてカホも手を振った。


「……カホ〜! ミナちゃんが来たわよ!」

「はーい!」


 母親の声に応えつつ、勉強机に置かれた真新しいカバンを手に、カホは自分の部屋から出る。

 玄関を開ければ笑顔のミナが立っていて、カホも笑みを浮かべた。


「おはよ、カホ」

「うん。おはよう、ミナ」


 同じカバン、同じ制服。二人は高校生になっていた。


 カホがハサミを使ったあの日、予鈴と共に教室に来た担任は、あまりの光景に腰を抜かした。クラスにいた生徒のほぼ全員が床に倒れて気を失い、ただ一人カホだけが、教卓で立ちすくみ虚ろな目をして涙を流していたのだ。

 そのわずか数十秒後、生徒達は一斉に目を覚ます。

 皆口々に「いったい何があったんだ?」と首をかしげた。

 その中で、ミナはカホの姿を見て駆け寄る。


「何かあったの…?」

「……ミナ……ミナ!」


 カホに抱きつかれ、ミナは目を見開きながらもカホをなだめるために背中をポンポンと叩く。

 その行動がカホの涙腺を更に緩め、大粒の涙を零しながらミナの腕をつかんだ。


「私、これから頑張るから…! だから、また……友達に…!!」

「カホ……」


 カホが涙を流す理由が、ミナには分からない。

 ミナやクラスメイト達の中でカホの存在は、イジメの対象ではなく、ただのクラスメイトになっていたのだ。

 ミナの記憶も、イジメの原因となった喧嘩をした日を境に距離を置いていただけ、と改竄(かいざん)されていた。


「それにしてもさ、さすがカホだよね」

「何のこと?」

「授業真面目に聞いて受験勉強も頑張ってたし、カホに勉強を手伝ってもらえてすごく助かった」

「それは……ミナがいてくれたから頑張れたんだよ。一人だったら……確実に、今の高校には行けなかった」


 山の中を歩きながら、カホはバツが悪そうに笑っていた。時折こんな表情をするカホを不思議に感じながらも、ミナは隣を歩く。

 しばらくして、二人の前に祠が現れた。


「カホが行きたがってた祠ってこれ?」

「うん。ごめんね、今日は朝早く出ようって言って」

「全然平気! 昨日の内に母さんに言っといたから、朝ご飯も弁当もバッチリ!」


 グッと親指を立てて誇らしげに笑うミナ。

 それを見てカホは嬉しそうに笑いながら、制服のポケットからある物を取り出す。ノートの切れ端で作られた、折り鶴だ。


「何それ?」

「んー……これはお礼の手紙、かな。今までの私とお別れできたから」

「へ〜。ここの神様のおかげで?」

「……うん。私の人生が変わるくらいの願い事が叶ったよ」


 折り鶴を祠の前置き、カホは手を合わせる。

 真剣なその様子を見て、ミナも隣で同じように手を合わせた。


「ミナ?」

「よく分かんないけどさ、カホの願いを叶えてくれてありがとうございますって言っといた」

「……そっか」

「母さんの病気が治ったのも、父さんのギャンブルとか酒癖がなくなったのも、カホとまた仲良くなれてからだったし。関係あったらいいな、って思って」


 照れながらそう言うミナは風に揺れる木の葉を見つめていて、カホの目に涙が浮かんでいたことを知らない。

 その涙が思わず零れそうになるのをこらえて、手の甲で拭いながらカホは微笑んだ。


「そういえば、お母さんが変なこと言っててさ。知らない男の人が来て、古いハサミで空中の何かを切って出ていった夢を見たんだって。神様だったのかな」

「うん、そうかもしれないね」

「カホが私の願い事も一緒にお願いしてくれたの?」

「ミナが幸せになりますようにって、ずっと想ってたよ」


 カホの脳裏に、いつしかの情景が浮かび上がる。

 道端で転んで膝から血を流すカホに、駆け寄って手持ちの絆創膏を貼ってくれるミナの姿。「お気に入りのキャラクターだから、いつも持ち歩いていたの」と。その瞬間、カホの目にはミナが輝いて見えていた。

 何年も前の出来事をまるで昨日のことのように、カホは何度も何度も思い出していた。


「そうなんだ! カホとまた仲良くなれてよかった」

「何か恥ずかしいよ。そろそろ学校行こうか」

「そうだね。遅刻したら怒られるし!」

「一緒に来てくれてありがとね」

「何言ってんの! 親友の頼みは何だって聞くんだから!」


 カホの腕に自分の腕を絡ませてミナは笑う。ミナの手を握って、カホも満面の笑みを浮かべた。二人の楽しそうな声が木々に反射して、山彦のようにいつまでも響いていく。

 その声が遠ざかる祠では、付喪神の男が折り鶴を手に微笑んでいた。


『上手くいったか。糸は切れるが、結ぶこともできるものだ。やはり私は、人の肉よりも糸を切る方が性に合っている』


 祠の戸を開いたそこには、錆の目立つ糸切りバサミが置いてあった。

 懐から折り鶴を取り出し、糸切りバサミの前に二羽を隣同士に並べる。


『イジメの対象からただの他人に変わり、そこから友人関係を新たに築くのも楽ではなかっただろう。娘の努力の賜物だな』


 祠を満足そうに見つめ、男はスゥと姿を消した。


 その後、祠に折り鶴を捧げて願いが叶ったという話が広まった。

 人斬り鋏ではなく、どんな悪縁も切って繋ぎ直せる“縁結びの鋏様”として。

 噂に便乗して、「彼氏と別れて新しい出会いが欲しい」などの願い事を書いた折り鶴を置きに来る女子生徒達が後を絶たなかった。



――クラスメイトとの悪縁をお切りください

  私にもう一度

  縁を結び直すチャンスをください




end

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