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【なろう版】貴方は翼を失くさない  作者: 鏡野ゆう
番外小話

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たまには地上でのんびりと

『空と彼女と不埒なパイロット』の小話『三沢(みさわ)基地にて』で(やしろ)さんと(ひめ)ちゃんと別れた後の二人の様子です。

 F-35の三沢基地への配備記念式典が終わり、他の幹部達への挨拶をすませた私と雄介(ゆうすけ)さんがハンガーを出ると、懐かしい顔と出くわした。雄介さんが飛行教導隊にいた頃、隊長をしていた日下部(くさかべ)さん。今は退官して民間人になっているけど、空自OB会で役員をされていて、私達も年に何度かお目にかかっていた。


「久し振りだな、榎本(えのもと)、一年ぶりか」

「ご無沙汰しております、日下部隊長」


 雄介さんが敬礼をすると、日下部さんが手を振って笑う。


「隊長と呼ぶのはいい加減によせ。俺はとっくに退官した爺さんだぞ」

「自分にとっては、いつまでも尊敬すべき隊長ですよ」

「コブラの司令に尊敬されるなんて、なんだか恐ろしいな」

「心配いりません。あと少しで自分も年寄り仲間になりますから」

「そう言えば聞いたぞ。退官が延長されたんだって?」


 日下部さんの言葉に、雄介さんが無念そうな顔をする。


「そうなんですよ。これでゆっくりできると思っていたんですが、どこかの狸オヤジのせいで、三年ほど先延ばしだそうです」

「さっさと退官しておいた俺は勝ち組だな」


 そう言って日下部さんが笑うと、雄介さんも楽しそうに笑った。


 初めてお会いしてからもう二十年。日下部さんの頭にも雄介さんの頭にも、それぞれ白いものが目立つようになった。でもこうやって話している二人を見ていると、それ以外はあまり変わっていないように見えるから不思議。


「ちはるさんも久し振りだね、元気そうでなによりだ。次男君、来年度から航空学生なんだよな?」

「お蔭様でなんとか。あとは、それぞれが無事に卒業してくれることを祈るばかりです」

「君達の子供達だ、心配ないだろう」

「だと良いんですけれど」


 母親としては、どちらも自分の目の届かないところで勉強しているから心配だ。私が航学だったころは、うちの父もこんな気分だったのかしらね。


「で、どうだ、今回のあの機体は」


 日下部さんが奥に鎮座している機体を(あご)でさす。


「さて。上の考えることは、我々には理解できないことも多いのでなんとも。海自との連携も深まりそうなので、今までと同じ教導で十分なのかどうかは、まだ未知数ですね」

「それで気心の知れた(やしろ)達を、あっちの飛行隊に送り出したのか?」

「まあそれもありますが、あいつは新しいもの好きなので」


 しばらくして、話をしている雄介さんのこめかみが不自然に動きはじめたのに気がついた。あれは足の痛みが酷くなってきている時の兆候(シグナル)だ。ここに来た時から痛みがあったみたいだし、そろそろ引き上げる潮時かもしれない。


「ねえ、雄介さん。そろそろ、隊長を独占するのはやめておいたほうが良いんじゃないかしら?」


 雄介さんの袖を引っ張りながら横から口を挟む。


「ん?」

「さっきから空幕長が、日下部さんに挨拶したそうな顔でウロウロされているんだけど」


 そっと後ろを指で示した。少し離れた場所では、航空幕僚長の峰岸(みねぎし)空将がチラチラとこちらを見ながら、補佐官と話をしている。さっきから同じ場所でグズクズしているところを見ると、空将も日下部さんと話したいことがあるようだ。


「そうだな。では我々はこれで失礼します」

「すぐ小松(こまつ)に?」

「そうしたいところなんですが、うちの機長が、温泉に入らないと帰らないと言い張ってましてね。こっちで一泊していくことになりそうです」

「それは結構。たまには夫婦水入らずでゆっくりすると良い。ではまた」


 日下部さんは私の顔を見て微笑むと、雄介さんの肩をポンッと叩いて、峰岸空将が立っている場所へと歩いていった。とたんに空幕長が直立不動になって敬礼をする。


「すごいわね。いまだにアグレッサーの隊長として影響力があるなんて」

「そりゃあ戦闘機乗りからしたら、忘れたくても忘れられない、骨身にしみた恐ろしい存在だからな」

「雄介さんも恐れられてる存在なの?」

「さて? 俺はそこまで長く飛んでいたわけじゃないから、どうなんだろうな」


 でも少なくとも、今のアグレッサーの面々は雄介さんのことを尊敬しているし、別の飛行隊にいる風間(かざま)君や沖田(おきた)君も同様だ。みんな、年齢的には雄介さんの教導を受けたことがないのに、本当に不思議。雄介さん曰く、噂話に尾びれ背びれがついたんじゃないのか?ってことだけど、本当のところはどうなんだろう。


「それで? 宿はとれてるのか?」

「もちろん。その辺は抜かりはないわよ。ちゃんと許可もとってあるし、二、三日ぐらい司令がいなくても、但馬(たじま)君達ならうまくさばけるでしょ?」


 但馬君は今年、昇任して三佐になっていた。そして航空戦術教導団の司令部付になった笠原さんに代わって、今年の夏から飛行隊の隊長を任されている。


「あいつと沢霧(さわぎり)だったら、一週間ぐらい俺がいなくても平気そうだな」

「でも、あまりほったらかしにしてると、但馬君が()ねて隊長をおりちゃうんじゃ?」

「あー、それはある得るか」


 この人事でも色々と上と下とで駆け引きがあったようで、但馬君は隊長任命の内示にいつもの微笑みを浮かべながら、榎本司令が残るならお受けしますと言ったとか言わなかったとか。


 お蔭で雄介さんは「横田(よこた)くんだりまで行かなくてすむ」と喜んでいるけど、三年後、雄介さんが退官したら但馬君がどうするのか、今から心配だ。その辺のこと雄介さんはわかっているのかしら?



+++++



 タクシーがとまったのは、落ち着いたたたずまいの旅館。見た目は古き良き時代の旅館だけど、中は結構近代的で部屋もとても素敵な、(ゆう)さん一押しのお宿だ。


「よく調べたな。こっちに来ることが決まったのは、まだ二週間前だぞ?」

「二週間もあれば余裕よ。今はインターネットという便利なものがあるでしょ?」

「それだけか?」


 車を降りながら雄介さんが笑った。


「もちろん、ここのことは優さんに聞いたのよ。口コミだけじゃあてにならないし、彼女なら確かな情報を持っていると思って」

「なるほど。これでまた、葛城(かつらぎ)に頭が上がらなくなるってわけだな」

「私と優さんの交流に、葛城さんは関係ないと思うけど」

「だったら良いんだが、あいつのことだ、自分の手柄のように、あれこれ偉そうに言ってくるんじゃないのか」


 雄介さんはそう言って笑う。


「でも感謝するなら、葛城さんにじゃなくて優さんにしてよね? ここを紹介してくれたのは、間違いなく彼女なんだから」

「はいはい、わかりましたよ、機長殿」


 旅館のハッピを着た男性が出てきて、私達の荷物を持ってくれた。そして入口では、着物を着た女将さんが私達を出迎えてくれている。


「ようこそお越しくださいました、榎本様。お待ちしておりました」

「お世話になります。いきなりこんななりしてお邪魔してしまって、すみません」


 こんななりとは制服のこと。最近はそれなりに理解もあるけど、温泉旅館に自衛官の制服姿の二人って、やっぱり不釣り合いよね。


「いえいえ。うちのスタッフにも制服好きな子がおりますから。きっとお二人のお姿を拝見したら喜ぶと思いますよ」


 そう言いながら女将さんは、私達を部屋に案内してくれた。


 お部屋は半露天風呂がついている和室。大浴場でのんびりしたいという気持ちもあるにはあるけれど、義足の雄介さんにはそれができない。本人は別に片足がないことは気にしてないんだけれど、お風呂場って滑りやすいし周囲のことを考えると、そうもいかないのが現実だった。そのあたりを相談したら、優さんがここを勧めてくれて、部屋をとってくれたのだ。


 お部屋に案内されると、さっそく窮屈な制服の上着を脱いでハンガーにかける。雄介さんはそのまま座椅子に落ち着くと、お茶をいれつつお茶菓子を物色しはじめた。


「いいお部屋ね。次に来る時は、ひなたも一緒につれてきて連泊しない?」

「そうだな」


 座椅子に座った雄介さんが、私の呼びかけに答える。いつもよりちょっと気のない返事。それに本人は気づいていないようだけど、義足の膝のあたりを無意識にさすっている。あの仕草をするってことは、よほど痛むってことだ。やっぱりこの寒さがいけないのよね。


「ねえ、甘いものを食べたい気持ちはわかるけど、せめてコートと上着だけでも脱がない?」

「ん……」


 再び気のない返事が返ってくる。


「ねえ、雄介さん。そのまま食べたら最中(もなか)のくずが制服につくから、食べるの待って」

「ん」

「お薬は持って来てるの?」

「ん?」


 そこでやっと顔をあげて私を見た。


「なんでもないような顔をしてもダメよ。式典の時から痛みがあったのは、わかってるんだから。お薬、カバンの中に入れてきた?」

「……ああ、持ってきてる。それは心配ない。なにか腹に入れてからでないと薬は飲めないからな」


 そう言いながら最中(もなか)をほおばる。


「お薬飲んだら温まってきたら? 目の前にお風呂があるんだもの。入らなきゃもったいないわ」


 部屋の障子をあけると、ガラス窓の向こうはお庭ではなく、露天風呂になっていた。浴室は総ヒノキ作りで、ドアを開けて中をのぞきこむと、独特の香りが漂っている。そして外に面している窓からは、綺麗なお庭が見えるようになっていた。


「すごいわね。お部屋と隣接してるのに湿気が気にならないんなんて」

「もともとホテルも旅館も、空調が効きすぎて乾燥しがちだから、ちょうど良いのかもな」

「ガラスも二重になってるみたいよ」


 お風呂の中に手を入れてみる。熱すぎず温すぎずいいお湯加減だ。


 浴槽の縁は低くはなくて、立ったまま腰かけられるぐらいの高さ。その横には縁と同じ高さのベンチが設置されていて、これなら雄介さんでも無理なく出入りができるはずだ。さすが、優さん。細かいところまでチェックできてる。


「さすが優さんお勧めだわね。バリアフリーで段差がないところはよく見るけど、こんなふうに腰掛けてそのまま浴槽に入ることができるお風呂なんて、なかなかないもの」


 しかも他にも椅子やハンモックまで設置されていて、外を眺めながら、ノンビリと温泉を楽しむことができるようになっていた。


「ねえ、先に入ったら? 冷えて痛むのもあるんだろうし、温まったほうが良いわよ?」

「ちはるはどうするんだ?」

「私? 私は大浴場も気になってるのよね」

「なんだ、内風呂を使わない気なのか」

「今は一人でゆっくり浸かる時間をあげるって言ってるの。そっちを使うのは、ご飯を食べてからでも良いかなって」


 私の言葉に、雄介さんは少しだけがっかりしたような表情を見せた。


「せっかく夫婦水入らずの温泉宿なのに」

「私は痛む足の方を心配してるのに」

「……」

「……」


 お互いに、考えてることがてんでんばらばらみたいね、今日の私達。


「そりゃあ仲居さんは、お夕飯まではまだ時間がありますから、温泉に浸かってゆっくりすごしてくださいねとは言っていたけれど……」


 雄介さんの顔をみながら考える。


「とにかく、制服を放り出すのは良くないと思うの」

「それはそうだ」

「それから雄介さんは、先に痛み止めを飲むべきだと思うの。痛むのに痛み止めを飲まないで我慢するのは、馬鹿げてるから」

「わかった。じゃあ風呂に入るまでに、やるべきことを先に片づけよう」



+++



「そう言えば……」

「ん?」


 三十分後、私達は並んでお風呂に浸かりながら、お庭を眺めていた。


「お父さんがね、すごくカッコいい義足をみつけたんだって。で、あれを雄介さんに試してほしいって」


 とたんに雄介さんが笑い出す。


「まったくお義父さんときたら、相変わらずだな」

「最近、工房に3Dプリンターが導入されたらしくてね。自分の好きにデザインをしちゃってるらしいのよね」


 お父さんの新しい物好きにも困ったものだわと溜め息をついた。


「まあ同じ使うなら、見た目もカッコいいほうが良いが、そうなると俺なんかより、若い子に試してもらったほうが良いんじゃないか?」

「そうは言ってるんだけどね」


 椅子の上に置かれている雄介さんの義足。あれも父が義足メーカーと協力して作ったものだ。私にはよくわからないけど、航空機の姿勢制御システムを応用したマイコンが組み込まれているらしく、より自然に歩けるように工夫されたものらしい。そんなわけで雄介さんは、義足人生の半分以上を父が作った義足ですごしていた。


「俺の義足を試すのは、やっぱり雄介君でないとって言って、聞かないらしいのよ」


 雄介さんは、お父さんのテストパイロットじゃないんだから、いい加減にしてって何度も言ってるのに、まったく聞き入れてもらえない。しかも雄介さんがそれに付き合うものだから、最近はますます手に負えない。母も、よくもまあこんな年寄りの道楽に付き合い続けてるわよねって、いつも感心していた。


「俺がこうやって不自由なく動き回れるのは、お義父さんのお蔭だしな。それに最後にイーグルを飛ばせたのも、この義足のお蔭だ」

「だけど、小松にまで押し掛けるのは、いくらなんでもやりすぎ」

「そのうち小松の司令が、その義足にうちのエンブレムをつけろって言ってくるかもしれないな」

「笑いごとじゃないってば」


 呑気に笑っている雄介さんを小突く。


「お義父さんの年になっても、そうやって才能を()かせる職場があって幸せじゃないか。しかもそれが誰かのためになっているんだから」

「それはそうだけど、いくらなんでもやりすぎよ」


 父は退官してから、その技術屋としての知識を買われて、ある義足メーカーに再就職した。片足のままだとぶっ飛ばせないからだと言いながら、足を失くした雄介さんのことを、人一倍気にかけていたことはわかっていたからなにも言わなかったけれど、まさかここまでのめり込んじゃうなんて。恐るべし技術屋の情熱、といったところだ。


「こっちのことは気にするな。お義父さんも元自衛官だ、そのへんの匙加減(さじかげん)はちゃんとわかってるから」

「ダメな時はダメってちゃんと言ってね?」

「わかってるよ」


 雄介さんはそう言いながら、お湯の中でのびをした。眉間のシワも消えている。ということは、薬と温泉のお蔭で痛みが引いてきたってことだ。


「ん? どうした?」


 私が顔を見ているのに気がついたのか、首をかしげた。


「ここのね、シワが消えたなって」


 眉毛と眉毛の間を指でさす。


「お陰様で。もしかして、そのために温泉宿をとったのか?」

「そんなことないわよ。私も雄介さんもずっと働きづめなんだもの、たまには寄り道したって良いじゃない?って思っただけ」

「ありがとう」

「どういたしまして」


 そこで雄介さんが急になにか思いついたらしく、目を見開きながら私のことを見つめた。


「ちはる?」

「なに?」

「さっき、二、三日って言ったよな?」

「あら、いまさらね。てっきりあそこで理解したと思ってたんだけど」


 無邪気を装って見つめかえす。


「おい、俺は真面目に聞いてるんだぞ」

「心配なくても大丈夫よ。司令が行方知れずになったって、但馬君達が大騒ぎしながら、三沢に押し掛けてくることはないから」


 この二週間は宿を探すことより、二人の休暇を確保するためのスケジュール調整と、各方面への根回しに時間を割いたことは私だけの秘密だ。もちろんそれには但馬君や風間君、それからそれぞれの基地司令の協力があったことは言うまでもない。


「ああそれからもちろん、小牧(こまき)の輸送隊が飛びませんなんてこともないから安心して。私がいなくても、ちゃんと飛ばしてくれる心強い副機長がいるんだから」

「なら良いんだが」


 そこでやっと、雄介さんは少しだけ肩の力を抜いた。


「もしかして、休暇を二日もとったことを気に病んでるの?」

「そんなことはないが。そうか、二日もこっちにいられるんなら……」


 あ、その顔、なにか余計なことを思いついたわよね?


「まさか、三沢基地の飛行隊の技量を確かめたいとか言わないわよね? それは休暇とは言わないんだけど」

「だったら二人っきりで二日間ここにこもるか? そうなったらやることは一つなんだが」


 雄介さんがニヤッと笑った。そ、それはそれで困るかも。


「昼間は三沢基地に行ったほうが平和だろ?」

「……それって平和なの?」

「平和だろ? 別に俺はここに一日中こもってても良いんだぞ? やることはそれなりにあるんだから」


 そう言いながら、私のことを引き寄せて意地悪く笑う。


「あーもう! わかったわよ、わかった! 明日の昼間は三沢基地ね。せっかくここまで来たのに、まさか逆戻りすることになるなんて」

「なんだよ。どうせ帰りは三沢からだろ」

「そうだけど、まさか二往復もすることになるとは思わなかったの! あっちの基地司令への連絡は、雄介さんがしてよね!」

「了解しました、機長」


 もう……本当にコブラの司令は仕事熱心なんだから。



 とは言え、私達が休暇なことには変わらない。おいしいご飯を食べてのんびり温泉につかって、二人で遅くまでベッドでお喋りしてその他もろもろ。久し振りに夫婦だけの時間をすごすことができた。


 でも、三沢基地の飛行隊のパイロットさん達には申し訳なかったかしらね。教導群の司令がいきなりやってきて、自分達の飛行訓練を視察していったんだもの。


 次に雄介さんを休暇で連れ出す時は、観光地が盛りだくさんなところを選んで、基地に顔を出したいなんてことを言わせないようにしなきゃ。

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