ep8 大切な青空
遠前が俺の家に飯を食べに来た日の翌日、俺はいつものように一日をスタートさせた。
「学校行きたくねぇなぁ、めんどくせぇ」
こうやっていくらぼやいていても手はドアノブに掛けられていて、足はリビングへと向かっている。一体学校へ行きたいのか行きたくないのかどっちなんだと自分を突っ込みたくなる。まぁでも今日は行かなくてはならない理由があるわけなのだから行くしかない訳だが。
そんな理由ができたのは昨日遠前を送って行っている道中の事。
「そういえばさ、今日の部活はどうだったの?」
遠前は事前に買っていた自分の顔の半分以上はあっただろうシュークリームをいとも容易く平らげていた。もう遠前はフードファイターにでもなればいいのではないだろうかと思う自分がいます。はい、そうですよね、年頃の女子高生さんにそんな事言ってはいけませんよね。気にしているかも知れませんしね。
「部活は夕もサボりでいなかったから結局出来なかったわ」
「あ、そうなんだ。ほんとなんかごめんね?今日休んじゃって。もう明日からは普通にいけるからね!」
ふんっ!と遠前は意気込んで言う。あぁ、多分気にしてないだろうなこれ。遠前の前では食べ過ぎも病み上がりも意味を成さないようであった。
「だろうな。それだけ元気なんだからな」
俺の返答に遠前はむーっ、と怒ったような表情になる。
「なんかその言い方はずるいよ。もしかして私もサボりで休んだと思ってる?」
「いや、そういう訳じゃ無いんだけどさ」
じゃあどういう訳なの?と遠前は聞いてくる。これ正直に答えてもいいのかな?いや、どう間違おうともそれだけ食べてる人が元気じゃない訳がないなんて言えたもんじゃない。月華からも女の子には体重と3サイズだけは何がなんでもどんな状況になろうとも聞いてはいけないと常々言われてるしな。こんなところで月華のアドバイスが訳に立つなんてな。まぁ今日の事はこれに免じて水に流してやるとするか。
「遠前がいつも通りに元気に見えた……だからかな」
「そう……なんだ。それじゃきっとそれは名倉君のお陰だね!」
ニッ、と笑う彼女の顔は少し恥ずかしそうで、でも真っ直ぐな気持ちが伝わってきて、釣られてこっちの顔まで熱くなってしまった。
「ここら辺まででもういいよ。送ってくれてありがと」
遠前の声で、ボーッとしていた意識を取り戻したら、そこは駅の前の交差点。郭公鳥の鳴き声が響き渡る横断歩道には仕事帰りのサラリーマンや学校帰りの学生達がわさわさと群がっていた。
「ん、あぁ、分かった。じゃあな遠前、また明日な」
「うん、また明日!絶対学校来てよね!」
そうして俺と遠前は普通の約束をし、普通に別れた。
そういうことで、一階に降りて洗面所で顔を洗い、その後、食卓に向かうと、食パンと目玉焼きが置いてあった。それを食べてから今度は学校に行く支度をする。親は両方とも朝早くに出勤していて、月華に関しては今週あった創立記念日の休みがゴールデンウィークとの兼ね合いにより今日になったとかでまだ寝ていた訳で、今日は家族の誰とも顔を合わすことなく家を出た。そうしたら何故かいつもよりかなり早く来すぎて暇をもて余すことになり、月華によって俺の朝の時間が減っていたということに気づいた5月2日の朝だった。
そして俺は昼休みにとある人物に連行されることになってしまうのだった。
「それで、なんなのでしょうか山崎朝さん?」
四限目が終わり、さぁ昼飯を食べるかと弁当を開こうとしたらいきなり「杏yんんっ、えっと、名倉君いますか?」なんて言って呼び出すものだから、クラスの女子には冷ややかな目線を浴びせられ、クラスの男子には殺されるんじゃないだろうかというほどに殺気のこもった目で見られたので、断ってクラスに残り、弁当を食べることも出来無くなってしまった俺は、仕方なく朝の誘いに乗ることになってしまった。そして何故か場所は天文部の部室にと注文されたので天文部の部室まで足を運んだら何故か床に正座することを強制させられている始末である。
そうしてなんでこうなっているのかさえも理解できない俺は恐る恐る朝に訊ねてみた訳である。
「少し話があるのよね。杏夜達の部活動に関して」
だろうな!そうでもなきゃわざわざ天文部の部室に連れていけなんて言わないもんな!
「ねぇ、天文部には夕も入っているというのは本当なの?」
「え?そのこと?」
俺は意外すぎて思わず声に出してしまう。まぁ意外じゃないことがどんなことかはピンとこないのだが、ただ、この質問だけは、意外だった。だって、
「いや、昨日"夕に連絡するならちゃんと来て部活に顔出してくれ、と伝えておいてくれ"って言っただろう?そこで気付かなかったのかよ」
朝はそこで始めて気づいたのかみるみるうちにそれまでの厳格な表情が崩れ、羞恥に顔が染まっていった。ほんとに気付いてなかったのかよ。朝ってこんなに鈍感だったっけ?
「そ、そんな事はもうどうでもいいでしょ?過ぎた事なのだし」
言葉だけなら何の変哲も無いただの話題を変える言葉なのだが、朝の目はどう考えてみてもそれ以上追及したらどうなるか分かってるでしょうね、というギラギラした目だった。それはもう獲物を狙う猛禽類より怖いんじゃないかというほどに。ほんとに怖ぇよ。
「あぁ、そうだな……。夕は天文部に入ってるよ」
刹那、俺が理解するのが遅れるほどの速さで、俺と朝との物理的距離が近くなっていた。
「どうしてそれをすぐに私に言ってくれなかったの?」
「おーい、名倉君いるー?」
そんな声と共に、ガラガラ、と部室のドアが開けられ、遠前が入ってきた。というかこの状況だと入ってきてしまった、なのだが。なんせ近くなった距離をとろうとそれまでの正座の状態から尻餅をついたような体勢になっている俺と、距離をとられまいと四つん這いになってまで近付こうとしている朝。その状況は端から見て確実に健全な高校生として映らないような光景だろう。あ、これ終わったな、いろいろと。
「えっと……、二人ってそんな関係だったの?」
「違う!」と俺達の声は綺麗に揃うのであった。
それから、俺達は懇切丁寧に何の誤解を生まないようにと慎重に、事の経緯を遠前に話した。また、ここで始めて知ったのだが、遠前と朝は同じクラスで結構仲が良さそうであった。
「ふむふむ。つまり朝ちゃんは名倉君に宮代君の事について質問してたらヒートアップしてあんな事になってたんだね?」
「うん、そういう事」
そして非常に驚きなのは、朝が遠前と話すときはタメ口になってかなり語調が柔らかくなるということだった。朝は夕の前でも殆どそんな感じにはならないので、俺はまだその状況に慣れていなかった。
「で、なんでその事を知りたかったの?」
朝は「えっと……」と少し言葉を濁らせる。
「それは……夕の事をちゃんと視ておかないといけないから………」
そうは言っているものの先程とはまた違った感じで頬を染めている顔を見てしまうと、他意があると感じ取れてしまう。その他意というのが何かは検討が付いているのだが、遠前はどうだろうかと遠前を見てみると、遠前は俺の視線に気づいたのだろうかちょいちょいと手招きをしてきた。ここは一旦こちら側だけで話したいようなのでその意を受け取り遠前に顔を近付ける。
「ねぇねぇ、もしかして朝ちゃんは宮代君の事が好きなのかな?というかそうだよね?この顔は」
やっぱり遠前も分かっていたようだった。
「あぁ、そうだ。朝は俺があいつらに出会ったときから、つまり中一の時くらいからずっと夕に好意を抱いてるんだよ」
「そうだったんだ!?へぇー、朝ちゃん一途なんだねぇ。だったらさ、なんで朝ちゃんは宮代君のことが好きなのかな?」
「あー、そういうのはあいつ誰にも絶対言わないから分からないんだよ。俗に言うデレないツンデレだよあれは」
遠前は俺の言葉に首を傾げる。
「え?ツンデレって何?」
「あー、知らないのか。えっとな………」
「ちょっと、いつまで話をしているの?」
ここで、話題の中心人物がいつまでも続きそうな俺達の話に終止符を打った。
「ま、それは朝を見て感じ取ってくれ」
そうして俺は少し強引に遠前との話に区切りを付け再び朝と対面する。しかし、話を上手く進められるような策が俺には無かった。さてどうしたものか。遠前は何か策を持ってないだろうかと探るために横目でちらっと見てみたが、遠前はスマホで何かしていた。これ恐らくツンデレの意味調べてるんだろう。遠前はあれか、気になる事があると分かるまで気が済まないタイプの人間か。いや、俺達の日常に推理はいらないからね?
それじゃあ何が必要かと考えてみると、そこでやっと自らの行動に見通しがついた。
「そうだとすると、朝は天文部に入る気はないのか?」
「そんなのそのつもりに決まってるじゃない」
即答だった。俺の言葉に被せてくるくらい速答だった。
「なら入部届はあるのか?」
「今持っている訳では無いけれど教室にはあるわ」
待った。入部届は一人一枚しか普通貰わない。兼部は出来るので入部届も先生に言えばまた貰えるはずだが、とある可能性を考えると、朝もまだどの部活にも所属していない、という事になるのだが………
「朝は何か他の部には入っているのか?」
朝はさも当たり前かのように首を横に振った。
「そんな訳ないでしょう?私は夕と同じ部活に入らなければいけないのだから」
俺の予想はやはり当たっていた。かなりの嘘と建前にまみれているが、要約すれば「夕と同じ部活に入りたい」という事である。って何で俺は推理の真似事みたいな事してるんだろ。まさか推理はやはり必要だったのか!?
そんな俺の思考を遮ったのはどこからともなく鳴った腹の虫だった。あ、そういや俺昼飯食ってなかった。
「それじゃ、もう話はこの辺りでいいか?」
二人は揃って頷く。一人だけやけに激しく頷いていたのは置いておくとして。これで昼飯が食えると思ったのも束の間、俺のささやかな欲望はチャイムという名の鉄槌によって粉々に粉砕された。結局今日の俺の弁当箱は開けられることは無かった。
そして放課後、俺は、先生に叱られても尚寝呆けていたため放置され今も寝ている夕をどうしてやろうかと考えていた。そして結果的には夕の頭を現代文の教科書で叩いてやった。現代文の教科書ってのはそこまで大きさが無く、分厚いためになかなか叩きにくいものでした。
「痛っっっった!何してくれんだよ!」
「お前が寝てるから悪いんだろ……、もう部活行くぞ」
「へ?俺部活なんて入ってたっけ?頭叩かれて忘れちゃったわ」
「あぁそうか。ならお前はあの日ノート運びという重大な仕事をサボり、俺が黙っておいてあげたというのにジュースの一本も奢ってもらえなかったのを朝に言うぞ」
「そうでした俺は天文部に入ってました今思い出しました。だから朝には言わないで下さい!」
こいつは先生とか親とかを脅しに使ってもそんなになびかないのに、何故か朝を使うといとも簡単になびくのである。だからこれを知っている俺と夕の家族は事あるごとに朝の名前を使うのが当たり前のようになっている。
そして、俺達は真っ直ぐ部室へと向かった。鍵は昼休みの時に遠前と朝に渡していて先に部室に行っておいてもらうようにしたため、もう部室にはいるだろう。これは、夕は朝の入部を知らないのでそれをいいことにドッキリを仕掛けてやろうという寸法である。もちろん発案者は俺。
俺達は部室の前に来る。夕が扉を開けたら朝とご対面となる。さぁどうなるか!
ガラガラ、と夕が扉を開ける。部屋の中央には机を4つ合わせた簡易的な大テーブルがあり、遠前と朝が隣り合って座っていた。
「えっ?あ、朝?なんでこんなとこに居んの?」
夕は狐につままれたような驚きが余すとこ無く出ている顔。対して朝はしてやったりという性悪な感じが否めない顔。だがこの両者の顔で結果が良かったか否かはもうこれだけで分かってしまった。
「私も天文部に入ることにしたの」
フフッ、と笑ったその笑みは、まさに"美しい"という形容詞がぴったりのものだった。こんな人から想われてるなんて夕はかなりの勝ち組にいるような気がするのだがなんて野郎だ。
「なんだよー、そうなら早く教えてくれりゃ良かったのに。てか二人は朝が入った事知ってたのか?」
言葉が無くても、特別な事が無くても、"互いが互いの横に居ることの大切さ"それが分かっているような二人の距離は幼馴染の特権なのだろう。それはまるでとても綺麗な透き通った晴天のようで、焦がれるように憧れるものだった。だけど俺はそんなの持っていないから憧れは憧れのままで、いつか、いつかは手に入れたいと伸ばしているその手は掠めることも叶っていなかった。その時の俺はそんな事にすら気づけていないただのガキだった。そんな俺が傍にいる人の大切さに気付けるのはもう少し後の事。
「あぁ、ドッキリ成功だ!」
今回を、今回も読んでくださりありがとうございました