第四章 復讐の螺旋
第四章 復讐の螺旋
目が覚めると、見知らぬ白い天井が見えた。
焔條政貴は、視線を動かして周囲の状況を確認する。
そうして、自分が病院のベッドで横になっていることを理解する。
「マサキ……目が覚めましたか」
聞き慣れた声、見慣れた姿――久しぶりなのに、久しぶりでないような感覚。ベッドの横に置かれた椅子に座って焔條に声をかけたのは、ガバメントだった。
ふわりと肩にかかる長さの橙色の髪。焔條に優しく眼差しを向ける目は、オレンジ色に輝いている。透き通るような白い肌で、欧州の女性風の整った顔は、今は笑顔を見せている。
緋色のドレスを着ていて、その上から煌びやかな漆黒の甲冑を身にまとっている。風格漂う騎士のような姿は、相変わらずだった。
トップガン――M一九一一の九十九神、ガバメント。
「……ガバメント。俺は、何日寝てた? 今日は何月何日だ?」
焔條は、自分の精神世界でガバメントから色々と話は聞いている。
いわく――トップガンの復活は、九十九時間必要だと。
ガバメントが現実世界で焔條に声をかけている。ならば、既に県庁でのフレア襲撃から四日と三時間以上は経過しているということになる。
「今日は……五月四日、みどりの日です。マサキのゴールデンウィーク十日目になりますね。そして、入院一週間目」
「あれから……一週間も、俺は意識を失ってたのか。くそっ! あっ、いてて」
「マサキ、無理をしないでください。あなたはM60の銃弾を六発も喰らって重傷なのですよ? 気を失っている間に癒えた傷はたかが知れています。とても動けるような状態ではありません」
焔條は、ガバメントの言葉を無視して上体を起こそうとする。が――失敗して、結局はガバメントに支えてもらう形で起き上がる。
「俺のことなんてどうでもいいんだ! 清華は、清華の容態はどうなんだ!」
詰め寄る焔條に、ガバメントは目を逸らして、口を閉ざしている。
その言いづらそうな様子を見て、焔條はそれを最悪な方向に捉えた。
「ま、まさか! おい、何か言ってくれよ!」
「落ち着いてください、マサキ。いいですか? よく聞いてください」
焔條を引きはがして、ガバメントは焔條の両肩をぐっとつかんだ。
「――サヤカは死んでいません」
焔條の動きが一瞬止まった。ガバメントは一息ついてから続ける。
「サヤカは全身に十発の銃弾を受け、当初は意識不明の重体で面会謝絶でした。ですが、偶然にも……マサキが目を覚ます一時間前にサヤカも意識を取り戻しています」
「えっ? 面会謝絶じゃあ……あっ、そう言えば、ガバメントは姿を消したり現わしたり自在だったな」
「サヤカは生命力の強い女性です……容態はかなり安定しています」
「そうか」
清華が生きていて喜ばしいはずだが――焔條の顔に笑顔はなかった。
「どうしたのですか? マサキ」
「俺のせいで清華が傷付いたことを思うと……悔しくてな。生きているからといって喜んでは駄目なんだ。誰のせいでこうなった! と自分に怒りを感じている」
「サヤカはマサキを庇って傷を負ったのですよ? それは自分の意思で行動した結果です――サヤカは後悔などしていないでしょう」
焔條は天凪清華のことを思い出す。おとなしくて優しい、焔條のそばにいることが多い幼馴染。ドジで不器用だけど、ここぞという時に絶対ミスをしない集中力。いるだけでも場が和んで華やぐ存在。
「マサキが今すべきことは……自分を責めるのではなく、サヤカに感謝をして、サヤカの分まで戦うことではないのですか?」
そうだ。夢の世界でガバメントに言われたばっかりじゃないか。また、同じ過ちを繰り返してしまうところだった。目が覚めたのに、まだ寝ぼけていたなんて。
焔條は目をきつく閉じてから、かっと決心するように見開く。
「……ガバメント、手伝ってくれ」
焔條は足を動かして、ベッドから降りようとする。ガバメントは焔條を止めず、支えるために手を貸す。
「フレアと決着をつけるためにも、明日までにこの体を動かせるようにする!」
「わかりました」
焔條はガバメントの助けを借りて、何とか立ち上がる。一週間も寝ていたからなのか、自分の体が重く感じて、焔條は初めて重力を認識した。
幸いなことに銃弾は足を貫いていないので、立つことに支障はない。改めて周囲を見る――そこで焔條は、この病室が個室であることに初めて気付く。
「ここ……個室なんだ」
「ええ。あなたはさっきまで意識不明のままだったのですよ? それに、あなたは自分の知名度というものを自覚した方がいいですよ」
「昔取った杵柄も、悪くないな」
焔條はゆっくりとした足取りで歩き始める。しかし、足が地面に着いた衝撃で、腰から胸にかけて上半身に痛みが走る。六ヶ所の銃創から疼痛が広がっていく。
「……なあ、ガバメント」
「何でしょう? マサキ」
「もう一週間前になるのか。あの県庁での事件……被害はどれだけ出た?」
「凍城局長と県知事を含めて百二十八人が死亡しました。内訳は――軍と県警が十二人、CPMが六人、BOLが六十四人、一般人が四十六人です」
フレアは、BOLを総動員させて県庁を襲わせた。軍と県警とCPMがこれに応戦し、戦いの中で抗議デモを行っていた一般人が巻き込まれる――ガバメントが言った数字は、事件が激戦の様相を呈していたことと、その悲惨さを物語っていた。
「……そうか」
焔條は歯を食いしばって、一歩、また一歩と足を動かす。その度に痛みが走り、痛みが増していくが――我慢する。
「だったらなおさら、やる気が出るってもんだ。俺は今、フレアをぶっ飛ばしたくてぶっ飛ばしたくてしょうがないんだからな」
ふつふつと、湧き上がる怒りを言葉にする焔條。
「それは、私も同じです。体中を蜂の巣にされて引き下がれません。メアリーに勝たなければ、私はマサキの銃である資格などありませんから」
ガバメントも、静かに闘志を燃やしている。
二人は、フレアとメアリーへの再戦に向けて――第一歩を踏み出した。
翌日、五月五日はこどもの日で、焔條のゴールデンウィークは十一日目になる。
「マサキ……サヤカに声をかけなくてよかったのですか?」
「馬鹿言え。フレアに勝つまで清華に見せる顔なんてない」
焔條政貴は病院を脱走していた。
一日のリハビリで体を動かすのに支障はなくなり、病院に居続ける理由がなくなったからだ。なので、まずい病院の昼食をいただく前に、焔條は行動に出ていた。
ガバメントと共に、焔條はその足で自宅まで戻ることにした。
「腹が減っては戦ができぬ、ってな。まあ、装備を取りに行くついでだけどな。ガバメントも、復活にはそれなりのエネルギーを使ったんじゃないのか?」
「ええ、まあ。銃弾で換算すると三十垓発ほどですが」
「……多いのか少ないのかわからねえ。お前の総量からしたら少ないんだろうけど」
「失ったことに変わりはありません」
「だな。帰ったら45ACPを何ダースでも食わせてやる」
「本当ですか? それは精がついてうれしいです」
ガバメントにとって45ACPは、人間に例えるとどんな食べ物なのだろう。
焔條は、真剣にどうでもいいような疑問を考えていた。
病院から歩いて十数分――ようやく家が見えてくる。
焔條政貴、久しぶりの帰宅である。
「家も随分空けちまったなしな」言って、焔條は玄関から中に這入る。「あー、やっぱ落ち着くな~」
「…………おかえり、とでも言っておこうかしら」
焔條はその声に、その光景に、驚きのあまり心臓が止まりそうになる。
居間には、フレア・ブローニングがいた。
「フレア、てめえ! 土足で俺の家に上がってんじゃねえ!」
「突っ込むところそこですか! マサキ!」
ガバメントはフレアに、両手に持つ拳銃を向ける。そして、気が動転してフレアに叫ぶ焔條に言った。
フレアの横では、既にメアリーが二挺のM60を焔條とガバメントに向けている。
「相変わらずふざけた野郎ね、焔條政貴」
「それは、お前にだけは言われたくない台詞だ。くそっ! どうして俺の家で待ち伏せなんてする? ってか、まず靴を脱げ! 土足で畳を踏むことだけは許さんぞ!」
「あー、うっさいわね。わかったわよ。そこまで言うんなら脱ぐわよ」
何のこだわりがあるのか知らないが、焔條の激怒に、フレアは渋々だが応じた。
フレアは黒のローファーを脱いで玄関に置き、居間に戻ってくる。
焔條は、床や畳があまり汚れていないことにほっとした。少しだけ落ち着きを取り戻して、フレアの出方を窺う。
「……んで、あたしがここにいる理由だっけ? 簡単よ。軍や警察に追われているから。だから、ほとぼりが冷めるまでここに居座っているだけ。まさか、誰もここにいるなんて思わないでしょ」
「ああ、そうだな。だけど、家主が帰ってくることを考えなかったのか?」
焔條は怒りを抑えながら、冷静に努めて話を進める。
しかし、フレアは構わずに、焔條を逆撫でするようなことを言う。
「あんたなんて、てっきり死んだと思ってたのよ。まあ……ニュースで生きていることはわかってたけど、いちいち殺し直すのも面倒だと思ってね。どうせここに帰ってくるのは確実なんだから、のんびり過ごして待ってたのよ」
フレアの気まぐれのおかげで、焔條は無事に入院生活を送ってたというわけだ。
それが、焔條には解せなかった。
「だけどどうして? あんなにも俺のことを殺したがっていたじゃねえか」
「何か、どうでもよくなってきたの。一度あんたを撃ったら、それでスッキリしちゃってね。今まで復讐に駆られて思考が曇ってたんだけど、今考えてたら疑問が次々と出てきたのよ」
フレアの意外な言葉に、焔條は「何だよ、それって」と続きを促す。
「あたしが知った情報に信憑性があるのかな~ってね。だってさ、普通に考えたらわかりそうなものじゃん。あの大須事件――果たして、五百二十四人をたった一人で殺すことができるのか? 唯一の生き残りだからと言ってそいつが犯人なのか? って」
焔條としては「何を今更」と言いたくなるが――フレアがその情報を信じて焔條に襲いかかってきたのも事実だ。
「五百二十四人もの武装した集団を殺すなんて人間業じゃない。そんな業ってトップガンくらいしかできないでしょ? だから、あたしは当初、あんたはトップガンホルダーだと思っていた。そんなやつに正面から戦っては勝てない。じゃあどうする?」
フレアがいきなり焔條を指さして話を振ってきた。しかし、話の流れから、焔條自身の体験から、自然と答えは出てきた。
「……奇襲。それで、俺の家にいきなりM60をぶっ放したのか」
「そうよ。もっとも、運がいいのか悪いのか……当たらなかったんだけどね。でも、中を覗いてみたら、トップガンなんて現れなかった。いい意味での想定外だったから殺せる、と思ったんだけど」
「あの瞬間、いいタイミングでガバメントが現れたな」
「最悪よ。悪い意味での想定外。そのせいで殺しそびれたんだから」
「いや、メアリーを使えよ。いたんだろ?」
焔條が訊くと、フレアは黙ってしまって何も答えない。
すると、M60を構えているメアリーが一笑した。
「フレアが一人で十分だと意気込むものですから、わたくしめは遠くで待機して、健闘を祈っておりました」
「うっさい、メアリー! べらべら必要の無いことをしゃべらないでよ」
フレアは恥ずかしがっている様子で、頬を紅潮させながらメアリーに怒鳴りつける。
そんなワガママな持ち主の言動には慣れているのか、
「失礼しました。自信満々で襲撃したのにもかかわらず尻尾を巻いて逃げ帰ってきた、という状況説明は必要だと感じましたので」
「その余計な一言が必要ないって言うのよ!」
まるで熟練の執事のように、飄々(ひょうひょう)とフレアをかわしている。
「落ち着いてください、フレア。さあ、わたくしめには構わず、話の続きを」
「いらっ!」
フレアは、メアリーの言葉にぶち切れて殴りかかりそうになるが、何とか拳を収める。メアリーを無視することにしたらしく、焔條の方に向く。
「っていうか、座らない? 立ち話する長さの話をするわけじゃないし……家の中だし。ささ、座ろう座ろう。ゆっくり落ち着いて話そ」
「自分の家みたいに言うな! ここは俺の家だぞ! それに、M60を二挺も向けられたらゆっくりもできないし、落ち着いて話をすることもできねえよ」
ガバメントとメアリーが、二挺の拳銃と機関銃を向け合っている。これほど殺伐としていて緊張感が漂う場面もない。
そんな状況で気楽に振る舞うフレアに、焔條は怒りを通り越して呆れている。
「あっそ。まあ、あたしは今そんなにあんたを殺したくないしね」
フレアは手の合図だけで、メアリーに武器を仕舞うように指示を出す。
すると――重厚な二挺のM60が一瞬眩く光り、次の瞬間には消えて無くなっていた。
焔條も目で合図する。
ガバメントは頷くと、両手に持つ自身と同じ名の拳銃を手放した。二挺の拳銃は地面に落ちる前に、光の粉となって霧散していった。
どうやらトップガンが持つ得物は、自在に出現させたり消滅させたりすることができるようだ。
「ハンッ! それじゃあ、続きを話すわよ」
フレアは両トップガンの武装解除を見てから、腰を落として座る。焔條も続けて座り、卓袱台を挟む形となる。ガバメントとメアリーも、お互いの持ち主の隣にそれぞれ座る。
「その後の展開を見ても、疑問は残るわ。まず、あんたを襲撃してから次の日、BOLの兵隊を十人送り込んだわ。そしてその次の日も、あんたを待ち伏せして拘束し、CPMに兵隊を百人以上送り込んだ」
「どれも失敗に終わったけどな。だけど、それに何の疑問が残る?」
「CPMはおろか、BOLの兵隊すら死んでいないからよ。おかしくない? 全員死んだならまだしも、戦いにおいて誰も死なないだなんて」
それは――焔條政貴の正義、理想を、ガバメントが体現した結果だ。
強大な力を持つ、トップガンでしかできない所業。
「あの時は復讐にとり憑かれていたから考えなかったけど、今なら余裕で推理できるわ。最初の襲撃で、焔條政貴に大須事件の大量虐殺ができるほどの実力は無いことがわかる。ならあれはガバメントがやったのか? でも、あたしはこの目で、ガバメントが覚醒する瞬間を目の当たりにした。つまり大須事件当時にガバメントはいない……いたとしても、人を殺さないガバメントに五百二十四人を殺すことができたか疑わしいわ。実力の面ではともかく、動機の面でね。ほら、矛盾だらけ」
「すげえな。何がすげえって、それを今まで考えなかったお前の馬鹿さ加減がすげえ」
「あっ、ちょっとだけ殺意が湧いてきたかも」
焔條の言葉に、フレアは眉をぴくぴくと動かして引きつった笑顔を見せた。
「悪い悪い。いや、それはともかく……それが、今話したことが、もう俺を殺そうとしない理由なのか?」
「それもあるんだけど……何て言うのかな? あたしはまだ十七年しか生きてないけど、でも、多くの戦場を渡って、多くの人間を殺して、多くの人間を見て来たわ。あんたは、嘘をつくのが苦手なタイプね。だって、大須事件のことを話している時のあんたの顔……とても嘘を言っているような顔じゃないもの」
「それだけの理由でか? わからねえぞ。俺はポーカーフェイスで、本当を嘘のように、嘘を本当のようにしゃべれるやつかもしれねえし」
「そう言うやつほど嘘が下手なのよ」
焔條の精一杯の嘘があっさりと見破られた。
「そして、そう言うやつのもとに、ガバメントのような正のトップガンは現れるのよ」
「マサキは、冗談以外で嘘はつきません」
ガバメントにまで太鼓判をもらった焔條だった。
「わかったよ。信じてもらえたなら、六つも風穴開けられた甲斐があったってもんだ」
焔條は肩を竦めて嘯いてみせる。
しかしそこで、フレアは「でも」と言う。
「改めて、話を聞かせてもらうわ。あの日、一体何が起こったのか。大須事件唯一の生き残りってのが本当なら……話しなさい」
「ああ、いいぜ。――と、言いたいところだが」
その時、焔條のお腹が空腹を知らせるように弱々しく鳴った。
「病院のまずい飯を食う前に脱走してきたから、今まで何も食べていないんだ。フレア、俺が飯を作ってからでいいか?」
「構わないわ。あたしは人の食事を邪魔してまで話を聞きたくはない。ついでにあたしの分まで作ってちょうだい」
「てめえ! 人の家に不法侵入と不法滞在しておいて、飯まで食うつもりか!」
「だってあたしが作れるの……カップ麺だけだもん。まあ、この家って大量のカップ麺があるから、今まで食べ物には困らなかったけどね」
焔條は一人暮らしで、家は親戚の別荘を借りたものだ。今はCPMのバイトでお金を稼いでいるが、お金に余裕がないということはない。
焔條は、かつて名を馳せた英雄的存在だ。お礼と称して――あらゆるところからお金をもらったり食べ物をもらったりしている。大量のカップ麺は、当時その会社のCMに出演した折に何年分贈呈するとか言われ、今でも月に一箱送られてくるのだ。
焔條はフレアの言葉に嫌な予感がして、すぐに台所へと向かった。
「うおおおおおおおおおおっ! カップ麺の空容器が山積みに! フレア! てめえ一体何個食ったんだよ!」
台所の悲惨な荒れようを見て、焔條は頭を抱えて叫んでいた。しかしフレアはどこ吹く風で、「ハンッ!」と鼻を鳴らした。
「有り余っているんだからいいじゃないの。逆に、賞味期限が切れるまでに食べてあげたあたしに感謝すべきよ」
「タダ飯食らいを正当化するな! せめて『ごちそうさまでした』くらい言え!」
「冗談じゃないわ。自分で作ったカップ麺にそんなこと言う? 誰かの手作り料理ならばともかく。あたしに『ごちそうさまでした』って言わせたいなら料理を作りなさい」
「結局作れって言いたいのかよ!」
焔條は諦めて、台所に散らばるカップ麺の空容器を片付けるところから始めた。
調理を始めて数十分が経ち、現在午後十二時二十分。
家にある肉や野菜は冷蔵庫で真空保存されていたので、一週間放っておいても鮮度は保たれていた。それらを炒めて味噌で味付けをして――味噌野菜炒めの完成である。
炊飯ジャーでお米を炊き、インスタントのお吸い物を作る。
焔條は、あれほど嫌がっていたのにもかかわらず、フレアの分まで作っていた。
「お、おおお。まさか、焔條政貴が料理できるなんて」
フレアは、焔條の料理の出来栄えを見てたじろいだ。
「一人暮らししてりゃあ、自然と身につく。つーかよ、フレア。俺の名前をフルネームで呼ぶの面倒臭くねえか?」
「ん? ああ、それもそうね。じゃあ、政貴。食べながら話しでも聞こうかしら」
「……何か偉そうで腹が立つ」
焔條はつぶやきながら、卓袱台の前に座って箸を取る。
フレアは既に箸を持って、律義にも焔條を待っていた。
「「いただきます」」
声を揃えて言い、二人は料理に箸を伸ばす。
ちなみに――ガバメントとメアリーは別メニューである。両者の前には皿が一つあるだけで、その上に乗せられた銃弾が45ACPか七・六二ミリNATO弾かの違いがあるだけだ。
ガバメントとメアリーも「いただきます」と言って、銃弾を手に取って食べる。
フレアは一口食べると、箸を止めた。
「ぐっ……ケチのつけようもないおいしさ。それが無性に悔しい」
「たかが野菜炒めだぞ。ったく」
腹立たしく言いながらも、フレアの食は進む一方だ。その内――抵抗がなくなったのか「おいしい」と口ずさむようになり、笑みを零している。
焔條は食べながら、少しずつ『大須事件』のことについて話していく。
フレアも箸を動かす手は止めずに、焔條の話を、合いの手を入れながら聞いている。
たまに出てくる姉の『ニーナ』のことになると、止まったりもする。が、それも一瞬のことで、すぐにご飯を口に入れて咀嚼する。それはまるで――焔條の言葉から伝わる姉の『ニーナ』を噛み締めているようにも見えた。
午後一時を過ぎた頃に、昼食と話は終わった。
「……ごちそうさま」
フレアは静かに手を合わせて、そう言った。
「そして、ありがと。話を聞けてよかったわ。姉の死の真相が、あんたが県庁で言ってたことの謎が……全てわかった。そして、あんたの甘さも」
険がなくて穏やかだったフレアの表情が、一変して厳しいものになる。
「ああ? 俺のどこが甘いって言うんだよ」
「あんたの優柔不断が五百二十四人を死なせたのよ。あんたがどっちかに入ってどっちかに和睦なり何なりすればよかったじゃない。戦争を止められなかったら、あんたが戦争に参加してどちらかに勝利をもたらせばよかったことでしょ? そうすれば五百二十四人も死なずに済んだ。半数は死ななかったかもしれない」
「俺は、そんなことは望まない。あの時だって、誰も死なずに済んだ方法があったはずだ……一人でも多くの人を救えた方法があったはずなんだ」
「戦場は人が死ぬ場所よ。それは、人類がお互い争うようになってから、今の今まで全く変化してない。むしろ人や兵器が増えて悪化したと言ってもいい。でもね、これは自然の摂理と言ってもいいのよ。人口が爆発的に増加したんだから、人間を爆発的に殺傷させる兵器を作る。何らおかしくないわ」
「何を狂ったこと言ってんだ! おかしいのはてめえだろう!」
「あたし、おかしなこと言ってる? 人間が死ななきゃ、地球は人間で埋め尽くされて、資源も何も無くなるわよ? あんた、生態系の絶妙なバランスを知ってる? ピラミッドの基部には草木があって、その上にそれを餌にする草食動物がいて、ピラミッドの頂点には草食動物を餌にする肉食動物がいる。この三つの内どれを取っても生態系は崩れるわ。草木が無くなれば草食動物が飢えで死に絶え、肉食動物も食べる動物がいなくて、死ぬ。草食動物がいなくなれば、当然肉食動物は絶滅。生物がいなくなって、草木だけ残るわ。肉食動物がいなくなれば、草食動物が爆発的に増加。草木が根こそぎ食べ尽くされて――結果的に草食動物もいつかは死ぬ。この理論、本当はもっと複雑だけどね」
フレアは肩を竦めて一息つく。
「でも……これだけは言えるわ。あんたが望む人間が戦争で死なない世界ってのは、肉食動物がいない生態系ピラミッドと同じよ。天敵である戦争がなくなることで人口の増加は超絶的に増加し、人間は全ての資源を喰らい尽くす。動植物の一切も残さずね。そうすると待っているのは破滅のみよ」
「そんなのわからねえだろうが。ただの推論極論だ」
「ええ、そうね。だけど、この理論を間違っていると言える? だって、この理論を否定するってことは、戦争で人が死ぬことを肯定しているってことになるわよ」
「ぐっ、ううう……」
「ほらね。あんたはちっぽけな理想しか持っていない。目先の命だけを考えている。その先を見ようとしない。自分の正義が将来、世界に何をもたらすのか考えていない。あんた……周囲の命を救って、それで達成感を得て自己満足したいだけじゃないの?」
「フレア。私の持ち主をこれ以上侮辱するのは許しません」
焔條が何も言い返せずにいると、ガバメントが口を挟んだ。言われ放題で悔しいのか、橙色の瞳を光らせてフレアを睨みつける。
「政貴。あんたが理想を実現するためには、絶対にガバメントを使わざるを得ないだろうけど……あの程度の実力じゃあねえ」
フレアはガバメントを蔑むように言う。それは、ガバメントが一度メアリーに倒されたから言えることだろう。負けたことは事実なのだから。
「ガバメントが、理想を実現させる力を持っていない、弱いやつだと言いたいのか?」
焔條はフレアの言い方が気に食わず、突っかかる。
「そんな風に聞こえた? 別にそういうつもりで言ったわけじゃないんだけどね」
「じゃあ、フレア。ガバメントとメアリーを戦わせてくれ」
「何が『じゃあ』でメアリーとガバメントを戦わせなきゃいけないのよ」
焔條の急な要求に、呆れ顔で返すフレア。
「ガバメントが、俺の理想を実現するためのトップガンたり得る存在かどうか。その証明のためにも戦わせたいんだ」
「何だか、自分勝手な言い分ね。あたしがその戦いを受ける理由はないわ」
フレアが要求を断るのは想定内だと言わんばかりに、焔條は笑みを浮かべる。
「そうか。まあ……対戦を受けるも断るも勝手だよ。メアリーは、不意討ちをしなければガバメントを倒せないトップガンって位置付けするだけだ」
「何ですって!」
「誠に遺憾です。事実が何一つ述べられておりません。即刻訂正を願います」
焔條の安い挑発に、しかし――フレアとメアリーは乗ってしまった。
フレアは、M60のトップガンであるメアリーに絶対的な自信を持っている。そして、何より信頼できる相棒だと思っている。
メアリーも、自らの強さに揺るぎない自信を持っている。そして、フレアのM60である誇りを胸に強くあろうと思っている。
焔條の一言は、それら全てを侮辱されたに等しいのだろう。もちろん、焔條はフレアの性格を踏まえた上でそう言って、戦わざるを得ない状況へと引きずり込んだのだ。
そして、冷静に対処するかと思われたメアリーですら釣られる結果になった。これは、焔條の思惑の外だが、決して悪い方向ではない。
「ならどうする? ガバメント対メアリー、やってくれるか?」
「調子に乗ってんじゃないわよ! 後悔しても遅いんだからね!」
易々と戦いに乗るフレア。メアリーも同意するように頷く。
「じゃあ決まりだな」
「待ちなさい! 政貴、あんたタダで戦えると思う? あたしが戦いを受けてあげるんだから、その見返りがないとね」
「見返り? フレア、お前は何が望みだ?」
「ガバメントが勝った場合は、何も無し。メアリーが勝った場合は、あんたの命」
「――ッ!?」
「それ以外では戦いを行わない。すぐにここから立ち去るわ」
「……いいだろう。それで再戦してくれるって言うなら、安いもんだ」
焔條は一瞬面食らったものの、フレアの条件を呑むことにした。
「せっかく拾った命を無駄にしちゃっていいの?」
「何寝ぼけたこと言ってんだ、フレア。俺はガバメントを信じている。ここでガバメントが負けるならば、俺の正義は実現できない。ならばこの先生きていてもしょうがない……今が死に時だというまでだ」
「潔いっていうのか、後先考えない馬鹿っていうのか……」
フレアは呆れた様子で首を横に振って言う。
「これで戦うことは決まったけど……どうするの? 今ここでやる?」
「これ以上家を荒らされたら堪らない。それに、トップガン同士で戦ったらこの家がなくなるだろう。ちょうど、おあつらえ向きな場所がある」
「おあつらえ向きな場所?」
焔條が立ち上がったのを見て、フレアも立ち上がりながら訊き返す。
「まあ、ついてくればわかる」
焔條は場所を明言することはせず、黙って玄関に向かう。
「遠い場所だったら嫌なんだけど」
「近い場所さ」
玄関から外へ出て、焔條は裏を回って庭に向かう。
そこには、破壊されたままの部屋が見えた。フレアの襲撃に遭い、ガバメントと出会った部屋。庭の木には銃弾が撃ち込まれた跡があり、地面にも多く見られる。
日本庭園を通り過ぎて、広大な荒れ地がある場所へと焔條は足を向ける。それについていくフレア、ガバメント、メアリー。
「……ここだ。この場所で戦ってもらう」
焔條は、荒野と日本庭園の境目辺りに進んでから足を止め、そう言った。
「こんなところで戦うの? しかも、銃弾から身を守る遮蔽物すらないわよ」
「トップガン同士の戦いに遮蔽物が必要とは思えないがな」
言いながら、焔條はしゃがみ、地面に転がっている大きめの岩に触れる。
「? 何しているの、政貴?」
焔條はフレアの問いに応えず、岩の上半分をつかんで持ち上げようとする。と、まるで箱のように岩の上半分が簡単に取れた。
それに驚いたフレアは、岩の中を覗く。中は四角く凹んでいて、色分けされている四角いスイッチが無数に並べられていた。
「何って、舞台のセッティングに決まっているだろう」
焔條は言って、その多くあるスイッチの中の一つを押した。すると、焔條達のすぐ近くから古臭い機械の作動音が響く。その時、地面に穴が開いて中から何かがせり上がってきた。それは――ガラスのケースだった。四畳半くらいの広さに、高さが三メートルくらいの立方体に近い大きさのケース。
ガラスケースの中を見ると、椅子がいくつか並べてある。
「これってもしかして……観覧席、ってやつ?」
「ご名答だ、フレア。つっても、見りゃあわかるけどな。俺とお前は、ここでゆっくりと……ガバメントとメアリーの戦いを見るんだ」
「ハンッ! 面白いじゃないの。だけど、このガラス部屋って安全なの?」
フレアが近くまで寄っていき、ガラスをノックして言う。
「全面防弾ガラスさ。それも、対戦車ライフルだって防げるやつだ」
「トップガンの基準がそれに当てはまるかどうかは、あやしいところだけどね」
フレアが冗談交じりに不安を煽るようなことを言う。
「いいわ。さっさと始めましょう。じゃあ……メアリー、絶対勝ちなさいよ。けっちょんけちょんにして、引導を渡してやるんだから」
焔條は『けちょんけちょん』と言うやつを初めて見たので、驚いている。これから行うことを思えば、その言葉はあまりにも場違いだ。
「承知しました、フレア。いつも通り勝利をあなたに差し上げます」
「それは決定事項よ。さあ、行きなさい」
激励を送ったフレアは、真っ先にガラスのケースへと這入る。
「マサキ……」
と、今まで沈黙を続けていたガバメントが、悲愴な表情を見せていた。
「ど、どうしたんだ、ガバメント?」
「何故、あんな約束をしたのですか? あまりにも割に合いません。自分の命を賭けるだなんて……馬鹿げています」
「そうか? 俺達はあいつらに一回負けて死んだも同然だ。本来なら相手にすらされない――これでも破格の条件だよ。それで、俺の心配をするくらいだったら俺のために勝て。俺はお前に命を預けているんだから」
「でも、やはり命を賭す必要があるのですか?」
「ある。俺の正義はお前無くしては実現できない。だけど、ここでお前がメアリーに負けるようであれば、この先多くの命を失う。それじゃあ意味がない。理想を現実に昇華させるには、勝たなければいけないんだ」
ガバメントは言葉を失った。今自分の前にいるのは、半端な気持ちで戦いに臨んでいた焔條政貴ではない。決意を固め、一切の迷いを排して吹っ切れた正義の気持ち。ミクロではなくマクロで先を見据えている考え方。
ああ、半端な気持ちを持っていたのは、自分の方だったのか。
焔條の言葉に、ガバメントはそう思った。
「……わかりました、マサキ。あなたの命、必ずやお守りします。そして、マサキの銃に相応しい戦いをお見せしましょう」
ガバメントは。
オレンジ色に輝く目を焔條に向け――凛とした声で高らかに言った。
焔條はその言葉を聞いて頷く。
「お前の力を存分に見せてくれ。んでもって、無事に帰ってこい!」
そう言って焔條はガバメントを送り出し、ガラスケースの中に這入った。
荒野のほぼ中央には、既にメアリーがM60を両手に持って待ち構えていた。
漆黒のスーツ姿に、エメラルドグリーンのショートボブ、髪と同じ色の目。細身と言える体に不釣り合いな二挺のM60――異常にして異形のトップガンに相応しい。
ガバメントの手には、いつの間にか二挺の拳銃が握られている。自身と同じ名を冠する――M一九一一、通称コルト・ガバメントを。
両トップガンの対決は、これが二度目。
一度目は、対決と言っていいのか疑問に感じるほど圧倒的に、メアリーの弾幕によってガバメントが瞬殺された。しかし、だからと言って結果がイコール互いの実力差なのかどうかは、それもまた疑問だ。
勝負の世界――ましてや戦争となれば、生き残った者が勝者となる。過程など問題ではない。結果だけが求められる世界なのだ。なので、権謀術策で戦おうが勝てば官軍、正々堂々と戦おうが負ければ賊軍になる。
戦争での勝敗は、フレアとメアリーの勝ちという形で既に決着している。
しかし――敗者の焔條政貴とガバメントは生き残っている。ならば、メアリーの凶弾に倒れた天凪清華のためにも戦う必要がある。仇を取って先に進むためにも。
そしてガバメントは、焔條の理想を実現するためにも、焔條と歩む正義の道のためにも――戦って勝たければならない。
その強い意志を胸に秘めて、メアリーに対峙している。
「……わたくしめは、あの不意討ちで勝ったつもりはありません」
先に口を開いたのは、メアリーだった。
「だからと言って、尋常に勝負したところで負けるつもりもないのですが」
「それは傲慢というものですよ、メアリー。真剣勝負において絶対という言葉は無い」
「では……銃ならば絶対という言葉はあるということですね」
「柔軟な発想ですね。重厚なあなたにしては」
ガバメントの言葉を聞いて、メアリーが「ふふふ」と笑みを漏らす。
「何をおっしゃります。わたくしめよりあなたの方が口径は太いのですよ?」
「あなたの火薬量には負けますよ。そして、重量も」
「それは、銃としてわたくしめに負けていることを自ら仰っているのですか?」
「銃弾だけで優劣を決めるとは、浅薄な考え方ですね、メアリー」
「それもそうですね。ですがどうでしょう? 銃弾で優劣は決まらないにしても……銃では、わたくしめの方が上なのは明らかではないかと」
「拳銃では機関銃に勝てないと? そもそも用途が違う銃だというのに、何を基準にして言ってるのやら……理解に苦しみます」
「そうですか。ならば――」
メアリーは二挺のM60の銃口をガバメントに向けて、狙いを定めた。
「その体に理解させてあげましょう!」
言うと同時に、メアリーはM60の引き金を両方引いた。
二挺のM60による重奏が響き、線を引くように、連なる銃弾はガバメントに向かう。
しかし、ガバメントはこれを瞬時に一足で横に避ける。と同時に、二挺の拳銃でもって反撃に出る。数発の銃弾がメアリーに襲いかかり、銃口を横に向けることでガバメントを捉えようとしたメアリーの動きを抑える形になった。
ガバメントが放った銃弾を避けたことで、一瞬だがM60の射撃が止む。
一瞬――しかしそれは、トップガンにとっては長くも思える時間だ。
メアリーとの間にあった十メートル強の距離を、ガバメントはその一瞬で詰める。
「機関銃の弱点はその機動性の低さ! 懐に潜られては何もできない!」
「はあああああああああああああっ!」
零距離から銃弾を撃ち込むはずだったガバメントだが――突如、メアリーの咆哮と共に吹き飛ばされた。
「うっ、ぐううう……」
ガバメントは飛ばされながらも、空中で姿勢を整えて、地面に這いつくばるように両手両足で着地する。
「甘くってよ、ガバメント。接近戦なら銃の重たいわたくしめが不利だと思っているかもしれませんが……M60は我が手足も同然。自由に使えなければ意味がありません」
そう――ガバメントがメアリーによって吹き飛ばされたのは、メアリーが懐に潜られた瞬間、M60の銃身でガバメントを薙いだからだ。
全長一メートル強、重量十キロ強の機関銃を、片手で振り回したというのだ。
「……なるほど。私の認識が甘かったです。ならば、それ以上に速く動かなくてはなりません――ね!」
言い終えると同時に、ガバメントは横に飛ぶ。再び始まったメアリーの銃撃を避けるために。飛んで、すぐに拳銃で牽制をする。
メアリーもサイドステップでその銃弾を避け――ガバメントの移動経路をなぞるようにM60を薙ぐ。その動きは速く、すぐにガバメントを捉えそうなものだが、これがなかなか追い付かない。
M60の銃口を対象に向けることは速い。いくら逃げていてもいつかは当たる。しかし、それは視界に対象がいればの話だ。視界の外に対象いたら狙いを定めるも何もない。
「くうう……全く。ちょこまかとしていて小賢しいものです」
ガバメントは、巧みにメアリーの銃撃を避けている。否――視界から逃れているのだ。目にも止まらぬ速さはトップガンの中では普通なのだが、そのメアリーにとっても、ガバメントの動きは目にも止まらぬ速さなのだ。それでいて規則性がなく、常に予測不可能でトリッキーな動きをしてくる。
右に行ったと思えばあり得ない切り返しで左に跳躍して。左に跳躍したかと思えばあり得ない切り返しで右に跳躍する――のを読んで先んじて右を向こうとしたら、さらに左へ加速して。いきなり地面を這うような低い姿勢で突っ込んできて、かと思いきや急に上へジャンプをする。
右に左に、上に下に、ガバメントはメアリーを翻弄している。
もちろん動きの一つ一つに隙は生まれるが、その度に拳銃でメアリーを撃つことにより――その隙を付け込まれないようにしている。
メアリーも一方的に攻めているようだが、決め手がなくて厳しい。ガバメントの動きに隙があるのはわかるが、そのタイミングで銃弾が送られる。それを避けるためチャンスを逸してしまうのだ。
M60を両手に持っているので、ガバメントを挟むように撃ったりもした。しかし、そのことを踏まえての、この結果なのだ。
そして――ガバメントもまた同じだ。一回に銃撃できる弾数は限られており、基本的に避けることを重視している。牽制するのが精一杯なのだ。
「ちっい……ぴったりと背中につかれているみたいで、全然振り切れない」
両者は拮抗状態になっている。
仮にメアリーが攻撃に集中しようものなら、それでガバメントに銃弾が当たるかもしれない。しかし、ガバメントが放つ45ACP弾の威力を軽んじることはできない。かすっただけでもかなりの衝撃を受けるし、直撃すれば無事では済まない。さらに、避けながらの銃撃にもかかわらず、ガバメントの狙いは正確なのだ。回避することを怠ると、直撃する危険がある。
ガバメントも、無理に攻撃を仕掛けることはできる。できるのだが、メアリーのM60は二挺で多方向から襲いかかってくる。一発でも多く撃ったり、一瞬でも長く狙いを定めようとしたりすれば――たちまち蜂の巣にされてしまう。
互いに遠くから撃ち合い避け合いをすることしかできずにいた。
聞こえるのは、ガバメントとメアリーが奏でる銃声のオーケストラ。
観客は、トップガンの持ち主である焔條政貴とフレア・ブローニング。
二人は少し離れた防弾ガラスのケースで、戦いを眺めている。
トップガン同士の――人智を超えた銃撃戦を。
「あたし、久しぶりにメアリーの本気を見た気がする」
透明なガラスケースの中、フレアが誰に言うでもなくつぶやいた。
「いえ……その時だって、実は本気じゃなかったのかもしれない」
「それは、俺も同感だ。俺が見た限りで、ガバメントがあんな人間離れした動きをしたのは初めてだ」
焔條もフレアの言葉に頷いてつぶやく。二人の視線は真っ直ぐに、ある一点を見ていた――ガバメントとメアリーが戦っている場所だ。
ともすれば瞬きすら忘れてしまいそうになるほど、二人は戦いを見ている。
ガバメントとメアリーの銃撃戦は、それほどすさまじいのだ。
ただの撃ち合いをしているのに、ただの殺し合いをしているのに――それを忘れさせるほど美しい。轟々(ごうごう)しいほどに神々しく感じてしまう。
互いに撃ち合い、互いに避け合う。両者の銃弾はなかなか相手を捉えない。
その光景は、あたかも殺陣を演じているのではと思わせるほど、他者を魅せつける。
その銃劇に、焔條とフレアは心を撃ち抜かれたのだ。
「これが、トップガン同士の戦い」
「……ああ、もうダメ。目が疲れちゃう」
フレアが声を上げて、ぴったりとガラスに付けていた体を離す。指の甲で両目をこすりながら、ガラスケースの中に備えられている椅子へ腰かけた。
「確かにな。危ういながらも、両者実力は均衡していると言っていい」
焔條も、目をギュッと閉じたり開いたり、親指と人差し指で目を揉んだりする。
フレアと同様一歩下がり、あと一つしかない、フレアの隣の椅子に座った。
ガラスの透明度は高く、そこからでも十分にガバメントとメアリーの戦いを拝める。
「ハンッ! 何を言っているの? ハンドガンがマシンガンに勝てると思って? 見なさいよ……ガバメントは防戦一方。その内ジリ貧になって弾が当たるわ」
「それが人間同士の戦いだったらな。トップガンにジリ貧って言葉が存在するかな?」
「さあね。でも、弾切れを起こさないことは確実ね。だったらこの戦い、多く弾を発射するM60が性能的に勝つんじゃない」
「それだけで勝敗を決めるなよ。それに、性能面で言ったらM60はジャムりやすいという問題があるだろう。信頼性で言ったら長く使われているガバメントの方が上だぜ」
焔條の言葉におかしなところでもあったのか、フレアは「ぷっ」と吹き出したと思ったら、堰を切ったかのように、
「あっははははははははははははははははははははははははははは!」
と思いっきり焔條を見下すように爆笑した。
「おい、どうした? 何がおかしい」
焔條は怪訝に思い、フレアに訊く。笑った時の余韻なのか「はー、はー」と息を漏らし――少ししてから応える。
「いや、あんたって何も知らないんだなって思ってさ。別に、馬鹿にしているわけじゃあないわ。阿呆にしているだけよ」
「阿呆にしているって何だよ! 一緒じゃねえか!」
「しょうがないっちゃあしょうがないんだけどね……だってあんた、トップガンが覚醒してからまだ日が経ってないでしょう? あたしがこの家に襲撃した時だから……大体十日前かな?」
「ああ。一週間は入院してたから、共に過ごした時間で言えば四日もないな」
「でもね、その間にガバメントの戦っている姿を何回も見たことがあるはずよ。それでも気付かないとなると……鈍感って言わざるを得ないわ」
「何故だ?」
「あんたさっきM60は信頼性に欠けるみたいなこと言っていたわよね?」
「そうだ。事実を言ったまでだ」
「でもそれは……実銃に限ったことであって、トップガンに同じことは言えないのよ」
「トップガンは、違うとでも言いたいのか?」
「そうよ。トップガン以上に信頼性の高い兵器は存在しないわ。たとえどんなに信頼性の低い武器であっても、トップガンになれば関係なくなるのよ」
焔條は首を傾げており、フレアが言いたいことを測りかねている。「どうしてだ?」と、焔條は先を促す。
「トップガンは銃弾が無限に近いという魅力的な部分に目が引かれがちかもしれないけど……真の価値は、トップガンが扱う銃は決してトラブルを起こさないことにあるわ」
「トラブル?」
「銃が壊れることはないし、そして誤作動も起こさない。つまり――暴発、不発、ジャムなどがないのよ。撃ち続けて銃身が焼けることもないんだから驚きよね」
「そんな……いや、でも確かに。さっきからガバメントとメアリーの戦いを見ているが、メアリーの二挺あるM60は、今の今まで二挺ともジャムを起こしていない。とっくに焼き切れているはずなのに、戦闘開始からずーっと撃ち続けていやがる! なるほど。信頼性なんて言葉、トップガンには無意味ってことか」
「そうよ。そして気付いた? あたしのメアリーが有利だってこと」
「ああ、嫌でも気付かされる。トップガンになることによって、マシンガンの弱点であるリロードの長さはもちろん、信頼性の低さも全て無くなる! ジャムしないという点で、オートマチックハンドガンも有利に働くことは同じだが……マシンガンと比べて得られる利点が違い過ぎる」
「わかっているじゃないの、政貴。じゃあ死ぬ覚悟はもうできたわね」
「まだ気が早いぞ! 勝負がつくまで諦める気なんてないんだからな」
フレアはシニカルな笑みを浮かべて、焔條を見つめる。
「ねえ、政貴。あんた、つまらない正義や理想のためにここで死んでいいの?」
「何だよ、藪から棒に。蛇も鬼も出て来ねえぞ」
「あたし達が所有しているトップガン……この存在に、意味を見出したことってない?」
「存在の意味? まあ、確かにあるかないかと言ったら、あるな。でも意味というより、疑問だな。物に宿る神……日本で言うところの九十九神。そんなのが存在しているなら、もっと多く見かけると思うんだけど」
「でしょう? あたしのメアリーは何年か前に覚醒したんだけど、それ以来トップガンを見たのってほんの数回しかないのよ。しかも、色々調べたんだけど――」
フレアは一度、言葉を切る。
「世界中で確認されているトップガンって、全てが武器なのよ」
「武器? じゃあ、日用品とかそういった物のトップガンはいないってことなのか?」
「ええ。あたしが知っている限りでは、ね。これは、ただ単にまだ見つかっていないだけなのか、それとも偶然なのか、はたまた意味があるのか」
「……フレアはトップガンになる物が武器だけということに、何かしら意味があると思っているのか?」
「まあね。確証もないし模範解答もない問題だけど……暇潰しに議論してみる?」
それは、断ろうが大して気にしないと言った風な誘いだった。
しかし焔條は、フレアの物言いから、既に何らかの持論のようなものを持っているのではと感じた。なので「いいぜ」と了承する。
「じゃあ、フレア。お前はこの偶然とも言われかねんトップガンの存在に、どんな意味を見出したんだ?」
「うん。あたしはね……トップガンの出現は、予兆だと思っているわ」
焔條は「予兆?」となぞるように訊き返す。
「食事の時の話……覚えてる? 世界の在りようを生態系ピラミッドに例えた話よ。人が増え過ぎないように戦争があり、戦争で人が死ぬのは必然である、と」
「あの無茶苦茶な理論な」
「でも――世界のバランスは崩れているわ。だって、最近は戦争や紛争が世界各地で行われているとはいえ、そこまで大きく悪化はしない。死者数もたかが知れている。それに、核兵器に対する条約などもより一層厳しくなって、今じゃあどこの国も使わないわ」
「戦争で大勢の人が死なないようにするためだ。平和に向かってていいだろう」
「だから、あのピラミッドの話よ。人間を間引きするための上位存在である兵器を無くしでもしたら……中間層の人間が爆発的に増加するわ。そうすると、最下層の動物や資源が全部搾取されてしまうのよ? それは、後々人類の滅亡に繋がる」
「人類の英知がそんな風になるまで気付かないはずがない」
「技術面ばかり成長して、人間の本質はまるで変わってない。そんな人類が気付けるわけないでしょ。だから、人口増加が爆発的になる前に間引きする必要があるのよ。故に――戦争は必要だわ。さらに、殺戮兵器も必要となってくる」
「それがトップガンに関係ある話なのか? それに、予兆ってのも何なのかまだ聞いていないぞ」
焔條は溜息をつき、肩を竦めて言う。
「関係ある。まず、トップガンの覚醒が武器に限ったこと。そして、弱点がない圧倒的な信頼性と火力。これはもう、兵器と言っても過言ではないわ」
だから、とフレアは続ける。
「トップガンは――人類を減らすために神が与えしものじゃないのかな」
神という存在を焔條政貴は信じていない。だが、ガバメントと初めて会った時、彼女は自分のことをそんな風に言った。物に宿る神――九十九神と。
ならばこの場合、フレアの言った神とは何なのだろうか。
「人間が増え過ぎている。これから人を減らすぞ……と、神が警告しているのかもしれないわ。そして、トップガンの出現はその予兆」
「トップガンが人を滅ぼすみたいなこと……あり得ねえよ。現に、ガバメントはこれまで一人も殺さなかった」
「それはあんたが命令しているからでしょ? ガバメントだってあんたに命令されたなら人を殺すはずよ。でも、あんたがそれをしなかっただけ」
「馬鹿馬鹿しい。大体、トップガンの一人や二人で戦争が変わるとでも思うのか?」
「思うわ。トップガンの一騎当千の強さを、あんたは嫌というほど見てきたはずよ。人間離れした身体能力、トラブルの起きない銃、無限の弾数。何より、死んでもまた九十九時間後に生き返るっていうのがイカしてるわ」
「確かに……銃弾を避けたり、両手に重機関銃持ったり。どれも人間業じゃないな」
今なお、ガバメントとメアリーの戦いは続いている。撃ちつ撃たれつ、避けつ避けられつ――攻防は続いている。
殺し合いのはずなのに、まるで舞でも踊っているかのような美しさだ。二人の周りだけ光り輝いて見える。否――比喩でも何でもなく、本当に光り輝いているのだ。
「あの光は……」
焔條は気付く。互いに撃ち合っている時に排出された薬莢が、地面に落ちる前に光の粉となって霧散していることを。
故に、ガバメントとメアリーの周囲だけ光が舞って輝いているように見えるのだ。
「不思議よね。銃の全部が全部、トップガンが自ら作っているんだから。薬莢も硝煙も、銃も弾も、何もかもすぐに消えて無くなる。暗殺や完全犯罪にすごく有効じゃない?」
「対人、対集団なら最強であることは認める」
「でもね、トップガンの存在は必ず戦争を変えるわよ。地上はほぼ制圧できるし、多分、戦闘機も落とせると思うから制空権も確保できるし」
「やったことねえからできないとは言わねえけどよ……」
「トップガンが戦場に投入されたら、相手方はどうしようもなくなるわ。いずれ大量破壊兵器を使わざるを得なくなる。だけどそれを使ったら他国も同じように使ってくるようになって……最終的にどこもかしこも核兵器を使ってくるわ」
「それじゃあ、第三次世界大戦に発展しかねない!」
「そして、人口は大幅に減少。ひょっとしたら滅亡しちゃうかもしれない。でも、それが神の思し召しかもしれないわ」
「ふざけんな。人間ごと地球の自然や資源まで破壊されちまうぞ」
「人間は既に自然や環境を破壊している。だから一度滅んだ方がいい――っていう思想を持っているやつが、世界には少なからずいるわ」
話が広がり過ぎていまいちピンとこない焔條ではあるが、もしかしたら、近い将来そうなるかもしれないと思うと、笑い飛ばせない話だった。
「あたしは、トップガンの存在の意味を、そう解釈しているわ」
そう言って、フレアは自分の話に区切りをつけた。
「次は、政貴の番よ」
フレアは手をひらりと振って、焔條に言う。
「俺か。俺は……まだ、ガバメントとの付き合いは短い。それに、他のトップガンだってメアリーしか見ていない。だから、よくわからない」
「あっそう」
「でも――トップガンの存在を悪い方向に考えたくはない。トップガンを悪用することはしちゃいけないと思うんだ。あまりにも力が強大過ぎるから」
「じゃあ、あんたはどうしたいの?」
「使い方次第で世界を滅ぼすことが可能なら、その逆――世界を救うことも可能なはず。だから俺は、ガバメントとその道を進みたいんだ。俺の正義や理想は、俺一人では実現できない。失敗して、大勢の人を亡くした」
「…………」
「だけど、ガバメントの力があれば、あながち夢でも絵空事でもないんじゃないのか……ガバメントと共に歩めば、実現できるかもしれない。そう思ったんだ」
「まるで砂糖と蜂蜜を煮て絡めたかのような甘さね。よくもまあ、ガバメントもこんな甘ちゃんの言うこと聞くわね」
「違うぞ、フレア。あいつは最初から、人を殺す意志を持っていない。むしろその甘さを捨てようとした俺を、ガバメントは叱ってくれた。弱気になっていた俺を、あいつは勇気付けてくれたんだ」
はあん、とフレアは呆れるような表情を見せる。
「だから俺はこう考える。トップガンは――その人の希望ではないかと」
「はあ? 希望? 何それ」
「その人が希い、望むもの。深層心理に隠された希望の具現化。こうありたい、または、こんな人がそばにいて欲しい。その姿が、トップガンじゃないのかと思うんだ」
「何か……軍事関係ほったらかしてセンチメンタルっぽいこと言うわね」
「そうか? じゃあ、その面から言うか。トップガンの十割が武器っていうのは、戦場で一番意識するのは武器だろう? そして、死を意識した時に人間は感情が溢れる。それがトップガンの覚醒の契機になりはしないか?」
「うーん。一理あるっちゃあ一理あるわね」
「俺はここでお前に襲撃された時、急に未練が溢れたんだ。まだやり残したことがある、と。そして、生きたいと思った瞬間にガバメントが覚醒した」
「あー、あたしもそんなもんなのかな。深く考えたことなかったけど」
顎に手を当てて、昔を思い出して考えている風のフレア。
「だけどねー、何か納得いかないな。メアリーがあたしの理想像だなんて到底思えないわ――だってあいつむかつくし」
「お前はガキか。それに、深層心理なんて自分でも自覚ができないからわからねえだろ。現にそう思ってても、絶対に馬が合わないなんてことはないよな?」
「うっ……まあ、そうだけど」
フレアは反論ができず、素直に認める。
「その人の足りない部分を補完するって意味もあるかもな。お前はすぐ怒るし、お淑やかじゃない。で、お前に無い部分が全部メアリーにはある」
「うっさい! あんたに言われる筋合いはないわ! この馬鹿! 馬鹿って言ったやつが馬鹿――って言ったやつが馬鹿なんだからね!」
「フレア、落ち着け! 先読みし過ぎて意味不明になってるぞ!」
「あーっもーっ! むかつくっ! この話題お終い! 政貴、何か面白いこと言って」
「最悪な無茶振りしやがった!」
「あんたのファッションいじってやるわ。Tシャツに迷彩柄のズボンってセンス無いわね……ミリタリーファッション気取ってんの?」
「これは戦闘服だ! それ言ったら、フレアなんて俺の学校の制服姿じゃねえか! この家の襲撃時も、県庁の襲撃時も、今も――何で制服着て戦場にいるんだよ!」
「はあ!? あたしの勝手でしょ! 他の服よりこっちの方が動きやすいからよ。それに、この姿なら街中でも不自然じゃないしね」
フレアの言い分は理に適ったものであった。
確かに制服姿なら、誰にも怪しまれずに街中を歩ける。部活か何かは知らないが、土日でも制服を着た生徒を見かけることは多い。
「くそっ。何でフレアはこんな風に育ってんだ。ニーナさんは慈悲深くて優しかったぞ。小さい頃に躾けてもらわなかったのか?」
「あたしは小さい頃に家出して、それ以来姉とは会ってないわ。てゆーか、誰だってそうだと思うけど……家族と比べられるのが一番むかつくんだけど」
「俺もそうだぜ。だから言ったんだよ」
「陰湿ね……」
「二度も奇襲を仕掛けてきた人間の言葉とは思えんね」
「何ですって!」
フレアが焔條に喰ってかかろうとした時――ガンッ! とすさまじい衝撃音がガラスのケース内に響き渡った。思わず、フレアは浮かしかけていた腰を椅子に落とす。
見ると、ガバメントとメアリーがいる方向のガラスに無数のヒビが走っている。流れ弾であることを気付くのに、焔條とフレアは少し時間を要した。
流れ弾は次々とガラスに当たる。しかし、狭い範囲でガラスが白くなるだけで収まり、ガバメントとメアリーの戦いが見えなくなるほどではない。
「あ~、びっくりした。でも、強度は確かなものね」
「だろう? それよりも、戦いは動いたのか?」
焔條とフレアは雑談に花を咲かせていたために、肝心なガバメントとメアリーの戦いをおざなりに見てしまっていたのだ。
フレアはともかく、焔條政貴は自身の命運がかかっているというのに。
二人は、トップガン二人の戦いを見るのに集中する。
ガバメントとメアリーの銃撃戦は、均衡を保ってはいるが、違った様相になっていた。
遠くから撃っては避けて撃っては避けての銃撃戦ではなく。
あれから――ガバメントは、メアリーの銃弾を避けながら隙を見つけては撃っていた。そして、微々たるものだがメアリーに近付いているのだ。
大きく動いたのは、メアリーがガバメントの動きに気付いた時だ。その気付いたという隙をついて、ガバメントは一気にメアリーの近く――手を伸ばせば触れられる距離にまで接近した。
マシンガンの弱点の一つ――接近戦での弱さ。
しかし、それは普通の話だ。トップガンのメアリーは、両手に持つM60を手足のように自在に動かすことができる。始めにガバメントがメアリーの懐に潜り込んだ際は、M60の横薙ぎによって吹き飛ばされたのだ。
だが、それも知ってしまえば何てことはない。それでもなお――ガバメントは接近戦に持ち込む。
近接格闘において、拳銃のトップガンであるガバメントの右に出る者はいない。
メアリーは接近戦ができないわけではないが、決して強い部類ではないのだ。
「くうっ……しつこいですね。離れてください、このぉ」
「いくらしつこいと言われようが、離れるわけにはいきません」
メアリーがM60を振り回す。しかし、いかにメアリーがM60を手足のように動かせると言っても、全長一メートル強の銃身には、手足にはある関節がない。
どうしても、その攻撃は直線的になってしまう。
対してガバメントは、全長一メートル強の腕こそないものの、素早さがある。
一挺十キロ強のM60と違って、M一九一一はその九分の一くらいだ。その分――M60の打撃には重量分の威力が備わっている。ただそれも、当たればの話だ。
ガバメントは振りかざされるM60をひらりひらりとかわし、銃弾を撃ち込んでいる。
だが、メアリーはその銃弾を紙一重で避けている。避けながら、ガバメントから距離を取る。
メアリーのM60は、ガバメントが近過ぎて撃てない。撃てばそれが隙となって殺られてしまう。だからこそ距離を取るのだが、撃つ前にガバメントが距離を詰めてくる。
さっきまでの、メアリーが撃ってガバメントが避けながら反撃という展開とは真逆だ。ガバメントが撃ってメアリーが避けながら反撃のチャンスを窺うという展開。メアリーが一発も撃てない分、かなりガバメントが有利な展開と言える。
「一度わたくしめに負けたあなたが、勝てると思っているの?」
「一度負けたからこそ勝つのです。勝たなければ、私は先に進めない!」
目まぐるしく交錯する中、ガバメントとメアリーは言い合う。まるで言葉も銃弾の一つと言わんばかりに。
「あなたは何故戦う? そんなにも持ち主が大切なのですか?」
「愚問ですね。私とマサキには正義があり、目指すべき理想があります。しかしメアリー……あなたには何がある? あなたこそ、戦う理由があるのか!」
「わたくしめはメアリーに尽くせればそれでいいのですよ。フレアの意のままに、わたくしめは銃として動くだけです。フレアが殺せと言えば……老若男女誰であろうと容赦無く撃ち殺す。それが、銃なのです」
「それでは私達の意味が無い! メアリー、それはただの無機質な銃と何ら変わりないではありませんか。私達は、銃であっても銃のままあってはいけない!」
「何を仰っているのですか? 理解しかねます。まるで意味不明です」
メアリーは眉をひそめて、訝しむように言う。
「トップガンとは兵器であって、それ以外に何の意味もありません」
「ならば……あなたの考える頭と意見を言う口は、どうして付いてるのですか。フレアの言うことを聞いて撃つだけなら、そんな余分なパーツは必要ないでしょう!」
「そんなこと……」
メアリーに言われても、わかるわけがない。トップガンという存在に、何故肉体が与えられているのか――その理由など。
「銃は使い方次第で善にも悪にもなれる。そして、人間は完全ではありません。だから、銃の使い方を間違える恐れがある。車には事故を未然に防ぐためのセイフティがいくつも存在しますが……残念ながら、銃には存在しません」
「それがどうしたというのです?」
「ならば私達が、持ち主の過ちを気付いて、道を踏み外す前に、正しく導いてあげるべきなのです」
「そう決めつけるべきではありません。あなたはあなた、わたくしめはわたくしめです。人間がそうであるように、トップガンだって個性はある。善と悪がある。共存は不可能であり、思想や主義主張を矯正するのは――強制するのは手前勝手というものですよ」
「個人の尊重はします。が、やっていいことと悪いことの区別は付けなくてはいけません……人殺しが正義という人達は、その考え自体が間違っている」
「わからないですね。とても、現実と向き合っているとは思えない思想です。今時のヒーロー物でも悪は倒すがセオリーなのですよ。そして、誰彼死ぬことは確実」
「そんなことは、嫌というほど承知している」
ガバメントは、歯を噛み締めてから続ける。
「人間は必ず死ぬ。ですが――私は一人でも多く、戦争で死ぬ人命を無くしていきたい。私は銃を、人を殺す道具ではなく、人を救う道具として使っていく」
「世迷い言ですね。聞けば聞くほど度し難いです。そんなにも大言壮語するならば、証明していただきたいものですね」
「言われずとも、証明しましょう。メアリー……あなたを倒して!」
ガバメントはメアリーの頭に向けて撃つが、突如、メアリーの姿が消えた。
「やれるものならね!」
ガバメントに頭を撃ち抜かれそうになった時、メアリーは両手に持つM60を地面に突き立てた。そして、頭を後ろに逸らすことで銃弾を避ける。と同時に――左足を振り上げてガバメントの顎を蹴り、右足で腹部に前蹴りを繰り出して吹き飛ばした。
メアリーはそのままバク宙をして、音もなく華麗に着地を決める。
「がはっ!」
ガバメントは体がくの字になって、遠くに飛ばされた。
メアリーは着地と同時に地面に刺したM60を引き抜いて、飛ばされているガバメントに向けて撃った。
ぶっ飛んでいるガバメントに、容赦無くライフル弾の追撃が襲いかかる。
空中にいては、銃弾を避けることができない。
「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
ガバメントの悲痛な叫び声が聞こえる。
メアリーはその声を聞いて、勝利を確信した。蜂の巣になって瀕死になっているか――既に死んで跡形も無く消え去っているか。
メアリーは一、二歩進んでから止まり、ガバメントの様子を窺う。十数メートル先を見ると。
ガバメントは生きていた。
「……どうして? あの体勢から銃弾を避けることなんて不可能なはず」
片膝を付いて、息苦しそうに肩を上下させて呼吸を整えているガバメント。だが、その両手にあるはずの拳銃が無い。
「空中でも体を捻らせればある程度は銃弾を避けることができます」
そう言ってから、ガバメントは何も持っていない手の平をメアリーに見せる。
「あとの銃弾は、拳銃で受け止めたのです」
それで拳銃は駄目になりましたけどね、と言って、手から新たな拳銃を二挺出す。
「そんな馬鹿な」
メアリーは驚きのあまり、そんなありきたりな台詞しか出なかった。
しかし、それも無理からぬ話しである。
いくらトップガンと言えど、ガバメントのやった避け方は異常なのだ。
ガバメントが銃弾を放った瞬間、メアリーはガバメントの視界から消えていた。銃弾を避けながらのバク宙二段蹴りで、ガバメントは動揺しているはずである。にもかかわらず――間髪入れず繰り出されたM60の掃射に、体を捻って、どうしても避けられない弾は拳銃で受ける。
そんな百分の一、千分の一秒単位の精密さが要求される動きを、ガバメントはやってのけた。
「それではまるで、銃弾が見えているようなものではないですか!」
「見えている……と言うべきなのでしょうか? 私も自分のしたことに驚いている」
ガバメントは、無傷とは言えない。ところどころM60の銃弾がかすって、皮膚が切れている。が、それだけで済んでいるといっていい。
ガバメントは、メアリーに蹴り飛ばされてM60による追撃が来ると思った時――時間がゆっくりと進む感覚になり、光が、ぼうっと見えたのだ。ガバメントは半ば本能で、その光を避けるように体を捻った。すると、その光と同じ場所に銃弾が飛んで来たのだ。同じようにして、拳銃をその光にかざしたら、銃弾が当たり、拳銃に衝撃が走った。
そんなこんなで、ガバメントはM60の弾幕から逃れられたのだ。
あの時はとっさのことで判断ができませんでしたが。
もしあの光をはっきりと認識することができれば……。
ガバメントはうっすらとだが、その謎の感覚に勝機があると予感する。
立ち上がり、メアリーの攻撃に備えて集中力を高め――
「さあ! まだ戦いは終わっていません!」
と、自らを鼓舞するように声を上げた。
「はあ……まあいいでしょう。どの道、わたくしめは、あなたを引き離すことができたのですから。二度と近付けさせません」
メアリーは、頭の中の数々の疑問を退かせた。ただの偶然だと思い込ませて、結果だけを受け止めて、ただ目の前にいるガバメントを撃ち殺すことだけを考える。
両手に持つM60を構えて、照準を合わせる前に引き金を引いた。
撃ちながら照準を合わせる方が手っ取り早いからだ。
ガバメントは、銃口が向くよりも速く動く。一歩一歩を飛ぶように踏み込み、常人では出せれないスピードで移動する。
メアリーの周りを、円を描くように疾走するガバメント。
撃つメアリーに、避けるガバメント――それは、最初の形勢に戻ったと言える。
しかし、心境的に、ガバメントはそう思わなかった。
メアリーに蹴り飛ばされて銃撃を受けた時から、目に映る景色が一変しているのだ。
走りながら、避けながら、撃ちながら。
ガバメントはその劇的な変化を、徐々に実感していった。
「あと、もう少し。決定的なきっかけを……確信を得たい」
そうつぶやき、ガバメントはメアリーに向かって撃つ。数発の銃弾は避けられるが、それによって生まれる隙は、無視できるほど小さくはない。
その間に、ガバメントは思考する。今自分の身に何が起ころうとしているのか、向き合い、知ろうとしている。
もやもやとした光が銃弾の軌道だということは確認した。今も、無数の光が向かってくるの見ている。間違いない。
ただ、これではまだ足りない、とガバメントは思う。
銃弾の軌道が前もって可視化できるというのは、確かに心強い。しかし、それだけでは戦局を打開できないと感じ取っている。
二挺のM60から繰り出される弾幕は、たとえ軌道が見えていても体がついていけない。体が人間のサイズである以上、どうしても無理があるのだ。
「……ハッ!」
ガバメントは、メアリーに向かって拳銃を撃っている時に、気付いた。
早撃ちしていて気付かなかったが、自身の銃口からも、光が出ているのだ。
それはまるでレーザーポインターのように。M60の銃弾の軌道と違ってもやもやとしていなくて、ハッキリとした一本の線だった。
ガバメントは、試しに数発の銃弾を放つ。すると――がぎぃん、と金属同士が衝突する鈍い音が聞こえた。
「ふふふ。銃弾同士が衝突するなんて、珍しいことも起こるのですね。ただ、あなたの銃弾がわたくしのもとに届かないとは……不運極まりませんね」
銃弾同士の衝突――それは珍しいが、決して起きないということではない。しかし、それは偶然の産物でしか起こり得ないのだ。
メアリーはそんな風に言っているが、ガバメントは違った。
確実なる確証を手に入れたと言っていい。
ガバメントが撃った数発の銃弾の内、メアリーの銃弾と接触した銃弾だけ――直前に、光の接触があった。光が触れ合い、その光だけがそこで止まっている。それを、ほんの一瞬だけ見ていた。
今度は、ガバメントが拳銃の位置を調節して、斜めから当てるようにする。と――鏡に当てたかのように光が屈折して、互いが違う方向へと向いていた。
刹那と言ってもいいくらい早く、銃弾の光は移り変わる。
ガバメントは、うまくその光が屈折する瞬間を狙って撃った。
がぎぃん、と鈍い金属音が響き、同時に、一つの銃弾が地面に着弾するのが見えた。
「……よし」
ガバメントは何度か銃弾をぶつけていき――偶然の産物である銃弾同士の衝突を、偶然でも何でもなく、自らが起こせるようになった。
「どういうことでしょう? やたら銃弾同士が当たりますね」
メアリーはつぶやき、ガバメントが撃ってきた銃弾を避ける。そして、照準を合わせよとした時。
――ガバメントは、その場で立ち止まっていた。仁王立ちしていて、一歩も動こうとする気配がなかった。
メアリーは、その観念したかにも捉えられるガバメントの行動を不思議に思い、引き金から指を離す。戦いが始まってからほとんど止むことのなかった両者の銃声が――ここに来て初めて止んだ。
世界が止まったかのような静寂が、ガバメントとメアリーを包む。
「……どうしたというのです? ガバメント、何故止まるのですか?」
メアリーの声音には、勝負を放棄したガバメントに対する憤りが含まれていた。
訊かれたガバメントは「それは――」と応える。
「私の勝利が決定されたからです」
堂々と、凛とした声ではっきりと言った。
メアリーは、ガバメントが一瞬何を言ったのかわからず「は?」と漏らす。
「何を言うかと思えば……いっそ清々しいほどの虚勢ですね」
メアリーは嘲笑しながら言う。
自分が有利な立場にいる――その自信の表れが出ているようだ。それ故、ガバメントの言葉は妄言にしか聞こえなかったのであろう。
「別に、私は虚勢のつもりで言ったのではないですが」
「ならば、何の根拠もないハッタリか、もしくはブラフですね」
「ハッタリでもブラフでもありません。ただ、これから起こる結果を事前に言ったまでです」
ガバメントの、この期に及んでの余裕は、メアリーをさらに苛立たせる。
メアリーはM60を構え、ガバメントは自身と同じ名の拳銃を構えた。
「……わかりました。では、先に逝ってあなたの持ち主を迎える準備でもなさるといいでしょう!」
その言葉が口火となり、両者の銃が同時に火を噴き、唸りを上げる。
正面からの撃ち合い。
M60とM一九一一では、まるで連射速度が違う。比べ物にならないくらい圧倒的な差がある。
にもかかわらず――ガバメントはその場を一歩も動いていない。ただひたすら、両手に握る拳銃を細かく動かして撃っているだけだ。
それなのに、銃弾はガバメントに当たるどころか、服にかすりもしていない。
その異常に、メアリーは撃ち始めた時から気付いていた。
銃声に混じって金属音が聞こえる。それも連続で、間断無く、ガバメントとメアリーの間で鳴り響いている。
「何ですかこれは? どうしてわたくしの弾が当たらないのです?」
「私には、視えているのですよ。あなたの銃弾が」
ガバメントとメアリーは、銃声轟く中、しゃべっている。まるで、銃声などBGMだと言わんばかりに。
「視えている? ですが、視えたからと言って何ができるというの」
「わかりませんか? 避けることはもちろんのこと、銃弾を当てて撃ち落とすことも可能なのです」
「撃ち落とすって……一体何発連射されていると思っているの!」
「そうですね。一発一発撃ち落としていてはらちが明かない。ですが――跳弾、を使えばどうでしょう? あなたの銃弾に私の銃弾を当てて跳弾させる。二つの銃弾がまた二つの銃弾にぶつかり跳弾する。四つが八つ、八つが十六、十六が三十二……跳弾が続けば続くほど、倍々になって弾かれていく。実際一発でそんなことはできませんが、私の拳銃でもメアリー程ではないにしろ、それなりに連射はできます」
「そんな……跳弾? わたくしの銃弾を使って、わたくしの銃弾の軌道を変えた?」
ガバメントの言葉に、メアリーは信じられないという風につぶやく。
「ですが! そんな芸当、できるはずがない! トップガンだからと言って――」
「トップガンだから、できるのではないですか? 人間に実現不可能なことを実現させるのがトップガンでしょう?」
「しかし、連続で跳弾させるのにどれだけ緻密な計算が必要か。それを、銃弾が飛んでくるまでの一瞬にも満たない時間で行うことなど、不可能な業です」
「トップガンに不可能な業があるかどうかはわかりませんが……私のこの目が、この業を可能にさせたのです」
「目? その橙の目に、何かあるというのですか? もったいぶらずに教えなさい!」
感情の波があまりないメアリーが、苛立ちを隠さずに怒鳴る。
「もったいぶるつもりはないのですが……この目で見る世界は、実にゆっくりと動いています。まるでスローモーション映像のように。さらに、弾道が見えるのですよ、光の線となって。それをなぞるように、後から銃弾が通過する。それで、私の銃からも光が出ていて、銃口を向けると光がぶつかって屈折するのです。銃口を少しでも動かせば光の位置は移動して、別の光に当たると、また屈折する」
「その光が、銃弾の通る道だというのですか? 馬鹿な。ガバメント、あなたのその目、一歩先の未来を見ているではありませんか!」
「一歩先の未来、とは違います。恐らくは、予測の可視化だと私は思うのです。つまり、銃弾が来るであろう位置や跳弾によって進むであろう進路が、常に光となって見えている……と」
「その目で視ているからこそ、わたくしの銃弾を逸らして、弾いて、当たらないようにすることができるのか。こうも容易く!」
「いえ。簡単なことではありません。さっきから神経が――というよりエネルギー自体が削られています。長期的にこの目を使用することはできないようですね。そもそも、この目の使用を止める方法が私にはわからない。何せ、ついさっき発現したばかりの能力ですから」
別段深刻そうでもなく、仕方なさそうにガバメントは言う。
「ですから……早々に決着とさせてもらいます」
始めはガバメントの目の力に圧倒されていたメアリーだが、そこで考える。
たとえ跳弾を操ろうと、先を予測していようと……ガバメントは防戦一方じゃないか。一向に、こちらに銃弾が来ないではないか。そうだ。攻めているのはこちらなのだ。
メアリーは、にやりと不敵な笑みを見せた。
「ふふふ。その目の素晴らしさは認めましょう。ですが、ガバメント。あなたはわたくしの銃撃を防ぐので精一杯ではありませんか。攻めなければ、わたくしに勝つことなどできない」
メアリーはそこで、初めて動きを見せる。これまでの、たまに来るガバメントの銃弾を避ける動作ではなく――射撃地点を変えるための移動。
動かずに撃ち続けると、連射される銃弾と銃弾との距離が近くなってしまう。銃弾との間隔が密になると、跳弾されやすくなる恐れがある。より多くの弾が跳弾に巻き込まれれば、ガバメントの思うつぼだ。
故にメアリーは、積極的な動きを見せることにした。
撃ちながら動くことで、同じ地点に多くの銃弾が集まるのを防ぐ。これにより、ガバメントが放つ銃弾一発によって弾かれるメアリーの銃弾の数が減るという仕組みだ。
そして、ガバメントの銃弾の軌道予測は、視覚によって行われる。
つまり、移動することで視界に映る情報量を少なくするのだ。これでは、いくらガバメントと言えど軌道を計算するのは困難なはずだ。
ガバメントの目をもってすれば守勢を維持することはできるかもしれないが――攻勢に回ることは不可能だと言っていいだろう。
「なるほど……確かに、攻めなければ勝てないですね」
ガバメントを中心に円周運動をするメアリー。撃ってくる銃弾を、跳弾によって何とか防いではいるが――メアリーの思惑通り、跳弾しにくくなっているのは事実だ。
「防ぐのも難しくなってきたのでは? ガバメント」
「これしきのことでは、何も変わりはありませんよ、メアリー」
強気なことを言っているが、何も変わらないわけがない。
銃弾の位置や速度、跳弾の方向に加えて、メアリーの移動まで計算に入れなければいけないのだ。必然、防ぐことしかできなくなる。
メアリーの射撃を止めさせるために、至近距離まで接近するという手もある。しかし、隙の無い今の状況で飛び込むのは危険だし、距離が近くなる分、銃弾を視る時間も少なくなる。致命傷は避けれても、無傷での接近は難しい。
せめて、メアリーの位置が固定されればやりやすいのですが。どうやって、メアリーの足を止めさせるべきか。
考えを巡らせていると、ガバメントはあることに気付いて、すぐに動いた。
「これならどうですか!」
「なっ……ガバメント。あなたって人は」
反時計回りに移動するメアリーに対して――ガバメントは同じように反時計回りの円周運動を始めたのだ。後ろにつくわけではなく、対面するように。時計でいう三時と九時、六時と十二時という位置で。
ぴったりと息が合っているかのように、二人はその位置関係のままぐるぐる回り続けている。
「私の方から、あなたとの位置関係を固定することにしました。メアリー。どれだけ動き回ろうと、この位置関係は崩させませんよ」
「くっ……」
そう。ぴったりと息が合って移動しているのではなく、ガバメントがメアリーの動きに合わせて移動しているのだ。
フットワークの軽さなら、ガバメントの方がメアリーより数段上になる。
言わば、メアリーをガバメントの土俵に上がらせたということだ。
それができたのも、相手の持ち味である銃撃戦を、ガバメントは目の力によって封じたからである。
少しでも自分の有利な状況に持って来させようと動いたメアリーだが、それが、自らの首を絞めることになったのだ。
徐々に、金属音が増えていく。それは、跳弾する回数が増えているということ。
メアリーは、その音が自分に近付いてくるのを感じている。それ即ち、詰みやチェックメイトが近付いているということ。
「何故……これほど弾を撃ち込んでいるというのに、当たらないの!」
ガバメントは応えない。代わりに、
「メアリー。あなたと戦えて、よかった。おかげで私は強くなれました」
と、感謝の言葉を述べた。
それを聞いたメアリーは、急に足を止める。
「わたくしは、フレアのために負けるわけにはいかない!」
すると、二挺のM60を撃ち続けたまま、メアリーは咆哮を上げ、ガバメントに向かって走り出した。
ガバメントは下がって距離を取ることはせず――立ち止まったまま、両手に持つ自身の名を冠した拳銃を撃ち続ける。
「あなたのおかげで、私は新たな力を習得することができました。銃弾の軌道を目視し、跳弾させることで自分と相手の銃弾を自在に操り、銃撃戦を支配する能力――」
「私はこれを《統治する弾眼》と名付けましょう」
ガバメントの銃弾は、M60の弾幕の中を跳弾しながら進み――メアリーを貫いた。
「うっ……ぐふっ!」
十発近く喰らったメアリーはその場で両膝をつき、吐血した。M60を手放し、
「ふ、フレ、ア……。フレア!」
両手を広げて高く上げ、天を仰ぎながらメアリーは叫ぶ。
そして、糸が切れたかのように、背中から地面に仰向けで倒れた。
壮絶なトップガン同士の神の領域とも言える銃撃戦は、こうして幕を閉じた。
最後に生き残ったのは、焔條政貴のトップガン――ガバメント。
少し離れた場所にあるガラスのケースで、トップガンの持ち主、焔條政貴とフレア・ブローニングは、決着の瞬間を見ていた。
「……終わった。ガバメントが勝ったんだ」
「そうね。そして、メアリーが負けたわね」
今まで張り詰めていた緊張の糸が切れたのか、二人は気が抜けたように言う。
「あたし……最後に、メアリーの叫びが聞こえてきた気がするの」
「それは、気のせいじゃねえよ」
ガラスのケース内は防弾仕様であり、ガラスが厚いため外の音が聞こえにくい。
焔條とフレアからは、ガバメントとメアリーの会話は聞こえない。聞こえてくるのは、精々銃声くらいだろう。
だが、メアリーの最後の叫びは、フレアはもちろん、焔條にも届いた。
「行こうぜ、フレア。メアリーはまだ消えていない」
「わかったわ」
二人は重厚なガラスの扉から、ケースの外へと出る。少し歩いていくと、ガバメントとメアリーが死闘を演じた荒れ地に辿り着いた。
地面はどこもかしこも穴だらけになっている。全て、銃弾が地面を穿った跡だろう――まるで、この荒れ地一帯を剣山で突き刺したような有様だ。
その荒れ地の中心にガバメントは立っていて、焔條の方を向いている。
焔條は、近くで見るその姿に、自然と安堵した。
「ガバメント」
焔條が声をかけると「マサキ」と返ってきた。
「お前が勝ってくれてよかった。おかげで俺は、死なずに済んだんだからな」
「約束しましたから。私は、マサキの銃に相応しい戦いをすると」
「そうだな。一瞬ひやりとする場面もいくつかあったけど……実にお前らしいよ。持ち主冥利に尽きる」
焔條は、ガバメントに対する賛辞と感謝が尽きなかったが、まずは手を出した。
それが何を意味するのか理解したガバメントは、
「お褒めの言葉、ありがたくいただきます、マサキ」
と言って手を出し、焔條の握手の求めに応じた。
「詳しい話は後で聞くことにして……今は、こっちだな」
焔條は手を離して、フレアとメアリーの方を向く。倒れているメアリーのそばに座っているフレア。湿っぽい会話がされていると思って焔條が黙っていると、
「なーに『いつも通り勝利をあなたに差し上げます』とか言っといて負けてるの? この馬鹿メアリー。すごくだっさいわよ」
死人に鞭を打つように辛辣な言葉を投げかけるフレア。
慰める気持ちの欠片も無い、鬼のような非情である。
「返す言葉も、釈明も、申し訳も……ありません。わたくしは、あなたの言葉を甘んじて受けましょう」
「いい心がけね。でも、それであたしが許すと思っているの! あんたはあたしのトップガン……あたしの許可なく負けて死ぬんじゃないわよ」
「無茶を仰る。戦争は、誰もが勝って誰もが負けるものでしょう」
「ハンッ! 確かに、トップガン同士の戦いで負けるなって言う方が無茶か。それなら、あたしも甘かったってことね」
「フレア……次は、次こそは負けません」
「甘いこと言ってんじゃないわよ、メアリー。次からは負けません、でしょ」
「……かしこまりました」
「九十九時間後にはしっかりとこの戦いの説明をしてもらうからね。んでもって説教よ。わかったらさっさと死んで蘇りなさい」
「お厳しいですね、フレア。しかし、それでこそ、わたくしの持ち主……」
言い終えると、メアリーの体がぼうっと光り、一瞬で光と共に消えていった。
何も残さず、そこにはただメアリーがいた空間だけが寂しく空いている。
メアリーを看取ったフレアはゆっくりとした動作で立ち上がるが、その視線は、未だにメアリーが倒れていた場所を見ている。
「ねえ、政貴」
「ん? どうした、フレア」
「あんたは一度、ガバメントが四日間いなくなったでしょ? あの時、どんな感じだったのかしら?」
フレアはしんみりとした表情をしていたので、焔條は茶化す気にもなれなかった。
「俺は、一週間も意識不明だった。目が覚めれば既にガバメントがいた。そして……意識不明だった時も、夢の中に現れた。だから、どうってことはなかった」
「……そう。あたしは、過去に一度メアリーがいなくなったわ。たったの四日間だけなのに、四週間にも思えたの。すごく長いって感じた」
「そうか」
「二度目なのに、どうも慣れないね。だって、七年間も共に生きてきたんだから。何か、喪失感が大きい。これから四日間一人で過ごすとなると、寂しいわ」
フレアは訥々(とつとつ)と語る。その内容から、どれだけフレアとメアリーの間に深い信頼関係があるのかが窺えた。
次にフレアは、焔條の横にいるガバメントに視線を送った。
「ガバメント」
「何でしょうか、フレア」
「メアリーとあんたを戦わせてよかったと思っているわ。あいつ最近調子に乗っていたし……何より、トップガンは一度死んで蘇ってくるとパワーアップするらしいから」
「驚きましたね。それは初耳です」
「おい、俺も初耳だぞ。何だよ、その主人公体質みたいな特性は?」
思わず口を挟んでフレアに訊いてしまう焔條。
「そんなの知らないわよ。だって、メアリーって昔はM60の二挺機関銃なんてハリウッド映画も真似しない常識外れ、やってないんだもの。ちゃんと両手で一挺のM60を使っていたのよ。それで、接近戦にもセオリー通り弱かったわ。それが、たった一度死んで蘇ってきたら――現在のレベルになってた」
「それならば、私にも心当たりがあります」
そこでガバメントは、はたから見ていた二人にあの戦いの中で発現した能力についての説明をした。
「……というわけです。ですからフレアの言うことはあながち間違っていない」
ガバメントの能力の話に、焔條とフレアは、トップガンのパワーアップの真偽そっちのけで聞き入っていた。
「うん、どうやらそうみたいだな。でも、そうか。遠くからはあまり見えなかったけど、メアリーの銃弾がお前を避けていくように見えたのは、そういう原理だったのか」
「一瞬魔法かと思ったくらいよ。だけど、メアリーが勝てるわけないわ。そんなにもぶっ飛んだ能力が相手じゃあね」
「でもよ……それだと、メアリーが帰ってきたら以前よりもっと強くなっているってことだろ? 二度と戦いたくねえな」
「あたしだってもうゴメンよ。それに、やる気もないし」
フレアは面倒臭そうに手をひらひらと振って言う。
「あーあ。これからどうしよっかな。とりあえず、お腹減った」
「だからどうした」
「もう日が暮れかけているし、晩御飯作って」
「ふざけんな! まだここにいるつもりかよ! 一週間も居座っといて。大体……自分の家じゃなくて何でここにるんだよ」
「言わなかったっけ? あたしが家出少女だっての」
「それで通るか! 自活しろ、自活」
「何よ、一晩くらい泊めてくれたっていいじゃない! あんたがそんなにも冷徹で冷酷な人間だとは思わなかった。いいわいいわ。出ていくわよ」
怒鳴り散らして、フレアは踵を返すと、さっさと歩き出していく。
そこで、ガバメントが「マサキ」と声をかけてきた。
「もう少し考えてください」
「ガバメント。一体何を考えろと?」
「メアリーがいない今、フレアは一人なのですよ? 武器もろくに持たせず一人にさせるのは危険ではありませんか。それに、フレアだってメアリーを一時的に失って寂しいはずです。今一度、考え直してくれませんか?」
「…………」
焔條は、ガバメントに言われた通り、一度考える。
フレアは、小さい頃に家出したと言っていた。そして、七年前からメアリーと共に生きているとも。ならば、銃と持ち主以上の親しい関係と言っても何らおかしくはない。
そこで、焔條はふと思い出す。
昼食を食べている時、フレアは笑っていた。料理に文句をつけながらも、ちゃんと残さず食べて。ニーナさんの話を聞く時も、昔を懐かしむように笑みを浮かべていた。
何故だか焔條には――フレアが団欒を楽しんでいるようにも見えたのだ。
そして、BOLのアジトなり何なり当てがありそうなものを、わざわざ焔條の家に泊めてくれと頼むフレアの真意。
焔條は、自分の愚かしさに今更気付いてしまった。
一人暮らしをしている自分も、それを求める時くらいあるじゃないか。
「――フレア!」
焔條は、立ち去ろうとするフレアを呼び止める。
その声に反応して、フレアは立ち止った。振り向いて「何よ?」と、不機嫌な目つきで睨みながら言う。
「やっぱり、一晩くらいなら泊めてやってもいいぞ」
「……はは。さっきあれだけ拒絶しておいて。どっちなのよ」
「断ってもよかったんだけどな。どうやら俺の性分が許さなかったらしい」
よく言うわ、とフレアは呆れた様子で言い、焔條の前まで歩く。すると、急に焔條を指さした。
「いい? あたしは一人でも一夜を過ごせるプランが既にあったわ。だけどあんたがどうしてもあたしを泊めたいって言うんだから、その好意を無下にするのも忍びないと思って泊まってあげるのよ。勘違いしないで!」
フレアはまくし立てるように言い終えると――「ハンッ!」と鼻を鳴らし、腕を組んでそっぽを向いた。
焔條は、フレアの素直な性格に笑ってしまう。それを見たフレアは、
「な、何よ! 何がおかしいっていうの? ぶっ飛ばすわよ、政貴!」
と、顔を赤らめながら激怒した。
「いやあ、悪い悪い。何にもおかしくはないよ」
なだめようとする焔條だが、笑うのは止めていない。
それを見て、フレアの怒りのボルテージはさらに上がっていくことになるのだが。
焔條は構わず笑っている。
「とりあえず、飯にするか。できるまで待ってろよ」
「言われなくてもそうするわ。客人に手伝いをさせるつもり?」
「お前、自分の立場をわかってんのかよ……」
焔條は呆れながら言って、家に戻ろうと歩き出す。フレアもそれについていき、最後にガバメントがその後ろにつく。
「政貴、何作るつもりなの? 別にうまければ何でもいいんだけど」
「だったら訊くなよ。まあ……お楽しみに、ってやつだ」
それもそうね、とフレアは口元を緩めた。
一時間後のほどよい時間に、晩御飯は完成した。焔條は、卓袱台に出来上がった料理を運ぶ。皿ではなく鍋だ。
「うわわっ! 何これ? うどんが茶色い!」
「何だよ、味噌煮込みうどんも知らねえのかよ。うまいぞ」
ぐつぐつと言っている鍋の中では、うどん、鶏肉、ねぎ、人参、しいたけ、油揚げなどの具材が茶褐色の味噌で染まっている。
「昼食もそうだけど……味噌を使う料理が多くない?」
「否定はしないが、何が悪い。味噌は料理における『さしすせそ』でも末席に座しているんだぞ。つまり調味料の中でナンバーワンなんだ」
「よくわかんないんだけど、あんたの言っていることが必ずしも事実じゃないってことはわかるわ」
「味噌があれば、嫌いな野菜だって食べられるようになるんだぜ。つーか、味噌はどんな野菜にかけても合うし、うまい」
「どんな野菜にも? じゃあ、スイカとかイチゴとかメロンにかけてもうまいの?」
「野菜として分類されているがその三つ違う! 一般的に果物として食べれているやつは駄目だ!」
そこだけはどうしても否定する焔條だった。
「でも、絶対体に悪い気がする。寿命を縮める行為に他ならない」
フレアは唖然とした様子で言うが、焔條は気にも留めていない。
「戦場で生きているやつが後先を考えるとでも思っているのか?」
むしろ開き直るように、いっそ清々しく言った。
「まあ、いいわ。個人の好みに口出しなんてしない。早く食べましょ」
「ああ、そうだな。こうしている間にも冷めちまう」
焔條はそう言って、一つだけ例外があることに気付いた。
焔條の隣にいる、ガバメント。彼女は別メニューだ。訊いたところ、人間の食事も食べられないことはないのだが――エネルギー量が少ないという。ご飯を一キロ食べても銃弾一発程度にしかならないとか。その割に45ACP一発食べると千発分のエネルギーになるというのだから、トップガンの体はわけがわからない。
今回の戦いで《統治する弾眼》とかいう能力を使ったために、エネルギーの消費が半端じゃなかったとか。それ抜きでも、ガバメントはメアリーとのリベンジマッチに勝った。なので焔條は大盤振る舞いをして、どんぶり一杯の45ACPを出した。
普段冷静なガバメントが、笑みを浮かべてよだれを垂らしている。
「どうやら我慢できないのはフレアだけじゃあなさそうだしな」
「何を言っているのですか、マサキ。持ち主より早く食事に手を付けることなどしません……いつまでも我慢できます」
「ガバメント……よだれを拭いてから言え。説得力がねえぞ」
「いいじゃないの、政貴。これはガバメントの祝勝会でもあるんだから」
「お前のトップガンがやられたってのによく言えるな……んじゃあ――」
焔條とガバメントとフレアは手を合わせて、いただきます、と声を揃えて言った。
フレアは待ち切れなかったのか、早速箸で鍋からうどんをお椀に移す。
「そう言えば、フレア。お前、何で箸が使えるんだ?」
焔條は、その当たり前にふと疑問を感じた。昼食の時にも、日本人と何ら変わりのない箸捌きを見せていたので、焔條は気付かなかったのだ。
「ん? ああ、確かメアリーに教えてもらったのよ。便利だからって」
「メアリーが箸の使い方を? ガバメントもそうだけど、なーんか、トップガンの知識量ってどれだけあるのかわからねえよな」
ガバメントを見ると――右手でどんぶりを持ち、左手で銃弾を一つずつ箸で摘まんでは口に運んでいる。
「そうよね。そこはまだ解明されていないようだけど……少なくともタイムスリップして現代に来たサムライのようなリアクションはないわ」
「基準があるのかわからねえけど、コミュニケーションに支障がない程度の常識を備えているのは確かだ」
「ねえ、ガバメント。あんたどうして箸の使い方知ってんの?」
フレアが、折角だからと本人に訊いた。
ガバメントは箸とフレアを交互に見て、戸惑っている。
「と言われましても……始めからこうである、そういうものだという観念がありまして。その質問は、あなたはどうやって歩いているのか、と訊かれるようなものなのです」
「うーん。そう言われちゃうとお終いなんだけどね。でも、そんなものなんだ」
「現世に覚醒する段階で、世界の知識が与えられているということなのか?」
焔條が考えながら憶測をつぶやくが、明確な解答は出ない。
「もう、そんなことどうだっていいでしょ」
フレアはどうでもいいような感じで言い、お椀に移したうどんをすする。
「うっ……おいひい。硬めのうどんがひっかりとした歯応えを出ひれ、噛めば噛むほほに味噌のスープの味が口中に溢へるわ」
「リポーターばりのコメントを出してもらって悪いが……食いながらしゃべるな」
焔條が言ってもフレアは聞かず、どんどんと箸を進めていく。うどんをすすって、咀嚼し、飲み込む。その度に「うまいわ」とか「ん~」とつぶやきながら顔を綻ばせている。
ガバメントは銃弾をぼりぼりと音を立てながらも、しかし、静かな所作で食べていく。
焔條もうどんを食していくが、フレアがあまりにもおいしそうに食べているので、どうしてもそっちの方に目が行ってしまう。
その視線を感じ取ったのか、フレアは焔條を見る。すると、はっと何かに気付いたのか――目を見開いた。
「ちょっ、政貴! あたしはこの味噌煮込みうどんがうまいって言っただけで、あんたの料理の腕を褒めているわけじゃないんだからね! 食に感謝はしても……あんたに感謝はしないわ!」
「勝手に言っておいて何故俺に当たる!?」
「何でだろう、絶対に認めたくない。おいしいけど、あんたの腕は認めたくないわ」
「偏屈な言い分だな。じゃあ勝手に黙って食べればいいだろう」
「じろじろ見られたら食べられるものも食べられなくなるでしょ! 馬鹿!」
それもそうだな、と焔條は反省して自分の食事に集中する。フレアもガバメントも黙々と食べており、食卓は一気に静かになった。
どことなく気まずくて、間が持たないと思った焔條。なので、かねてから疑問に思っていたこと、言う機会を逸していたことについて訊くことにした。
「なあ、フレア」
食事する手を止めることなく、フレアは「何?」と返す。
「今回の一連の騒動で気になっていることがあるんだが……訊いていいか?」
「あたしに答えられることなら」
「じゃあ、まずは大須事件のことだ。あの事件は、詳しい内容をハッキリと伝えられず、何もかもが謎だらけの事件だ。恐らく報道規制がされたいた。生存者は零で、あの場にいた俺はいない者扱いされたんだ。なのにフレア。何でお前は、最初から俺のことを知っていたんだ?」
「大須事件の全ては、ある人から教えてもらったわ」
名前は知らないけどね、と加えて言い、しいたけをかじるフレア。
「何で俺の家の場所を知っていたんだ?」
「あんたの家の場所は、ある人から教えてもらったわ。他にも、あんたが家を出る時間も教えてもらったから、兵隊を十人送ったし……それに、CPMの動きとかもね。県庁の時だって事前に知ったわ」
「またある人か。んじゃあ、俺の友人がBOLのアジトを嗅ぎ回ってたんだけど……何でばれた?」
「それは、たまたま姿を消していたメアリーが怪しいやつを見つけたからよ」
なるほど、と焔條は納得した。たとえ鍛冶原が足のつかない調査をしようと、姿の見えないトップガンには通用しないということだったのだ。いつか鍛冶原と会う時には色々と謝っておかないとな、と焔條は思った。
焔條は気を取り直して、フレアに質問する。
「でもよ。そもそも何で今なんだ? 大須事件が起きてニーナさんが亡くなったのは三年前だ。その三年間、お前は何で俺に復讐をしなかったんだ?」
あの時なら――死ねと言われればすぐにでも死ねた。フレアが復讐に来たというなら、甘んじて命を差し出した。
なのに、『大須事件』やBOLの存在が人々の記憶から薄れかけている現在。
どうして今更復讐をするんだ、と問いたくなる。
「その理由を話すとなると、長くなるわよ。それでもいい? 政貴」
「そんなこと言っている時間があるなら話し始めろよ」
「何か苛つく言い方ね……まあ、いいわ。まず、その三年というタイムラグの原因はね、あたしの家庭環境よ。あたしの家庭のことは、姉からも聞いているんじゃない?」
「大まかなことしか聞いていない」
「あっそ。じゃあ詳しく話してあげるわ。ありがたく思いなさい」
フレアは偉そうに言ってから、話を続ける。
「あたしと姉はアメリカで生まれたの。だけど、あたしの親父は単身赴任で日本にいて、滅多に家に帰らなかったわ。親父の顔がどんな風だったのか忘れたくらいよ」
「へえ、日本に単身赴任? 一体どんな仕事なんだ?」
「知らないわよ。あたしが小さい頃の話だし、母もあまり教えてくれなかったわ」
「まあ、仕方がないな」
「それで、両親は十年前に離婚した。何が原因だったのか知らないけど、アメリカの離婚率って七十パーセント超えているから何ら不思議なことでもないんだけどね」
「よくありがちな話だな。それから?」
「母はその二年後に再婚したけど、あたしはそれが気に入らなくて即家出したわ」
「随分大胆な行動だな。十年前の二年後だから今から八年前になるんだろ? 九歳でその行動力は驚いたな」
「ハンッ! 所詮は子供の反抗心よ。ただ親を困らせたかっただけ。でも、家出してふらついていたら誰かに拉致されてソ連まで連れて行かれたわ。んで――脱走しようと必死になって、たまたまそいつらが持ってたM60をあたしが手にした瞬間、メアリーが覚醒したのよ」
「それが……メアリーとの出会い。七年前の出来事だってのか?」
「ええ。そっからほぼユーラシア大陸横断みたいな真似事して、あちこちの戦場で傭兵として金を稼いで生きてきたわ。全部メアリーのおかげと言ってもいいんだけどね」
「壮絶過ぎて何も言えねえ!」
本当かどうかも疑わしく思える話に、焔條は他に言葉が見つからなかった。
「戦場にいて世界の情報をあまり得られないあたしは、大須事件の翌年、ある人からその情報を得たわ。姉が死んだことも」
「今言ったある人ってのは、さっき言ったある人と同一人物か?」
「そうよ。何で姉が日本にいるのかわからなかったけど、それを聞いて、あたしは日本に飛んだわ。姉の復讐のために」
「まさか、お前の言っているある人に吹き込まれたのか? 嘘の情報を」
「だってあの事件って、何故か極秘扱いされているんだもの。恐らく、日本では警視庁のトップクラスか、政府の閣僚クラスしか知らないわ。海外でもKGBかCIAの一部くらいしか知らないでしょ。それに疑っても詮ないし、何より……あの時は藁にもすがる思いだったのよ」
焔條はフレアの言葉から、姉妹の仲の良さを察する。与えられた情報を疑うこともせず――日本までやってきたことも、BOLを再結成してまで焔條を殺そうとしたことも。
全ては、姉であるニーナのために。
全てを擲ってもでもいいくらいに、フレアがニーナを慕っていたことがわかる。
「だけど、あたしは単身で挑む自信が無かったわ。だってその当時はあんたのことを五百二十四人殺しの殺人鬼だと勘違いしてたから。そのためにも、あたしはBOLを再建したわ。初代リーダーである姉の名前を借りて」
「じゃあ、俺はお前の勘違いで命拾いしたのか……」
焔條は運命の悪戯とも呼べる偶然を感じて、複雑な心境だった。
「今年、あたしは十七歳になったわ。そして、あたしの姉が亡くなった歳もまた十七歳。だから今年に復讐をするのがいいと思ったのよ。ちょうどBOLもまとまって、政貴に関する情報も多く手に入ったしね。そして、決行に移った」
「……それが、あの日の深夜か」
「最初の掃射で殺そうと思ったのに……仕留め損ねた挙句にトップガンの覚醒。大失敗もいいところ。ま、それで諦めるあたしじゃなかったけどね」
「俺は誤解が解けたからよかったよ。真相話しても『だが殺す』って言うんじゃあ洒落にならないからな」
「復讐はまた復讐を生み、負の螺旋がいつまでも続くのよ。トップガンは取り返しがつくけど、人間はつかない。だからあたしは、ここで復讐の螺旋を断つのよ」
「いいことだ。ただ、俺の体に風穴を開ける前に気付いてほしかったがな」
一笑して、焔條は咳払いをする。
「フレアは、お前が言ってるある人に会ったことってあるのか?」
「最初に一度だけね。それ以後はケータイで連絡を取っていたわ。でも、どうして?」
「俺やCPMの情報を流すってことは……CPM内に内通者がいるかもしれない。お前の言う特徴の中に、俺の知っているやつがいるかもしれないから、聞きたいんだ」
「んーと……背は高かったわね。で、いかにもアメリカ人って感じのブロンドの髪に碧眼よ。ガタイもよかった気がするわ」
「…………」
焔條は考える。しかし、CPM内に外国人は多数いるし、そう言った特徴のやつも腐るほどいるので、なかなか特定に至らない。
そこはしらみ潰しでやるしかないな、と焔條は結論付けて、話を変える。
「なあ、フレア。姉の復讐が空回りに終わった今、お前はこれからどうするんだ?」
焔條の言葉に眉をひそめるフレアは、考え込むように黙ってから、
「復讐ついでにやっておきたいことがあったわ。それは、親父に会うことよ」
と、険しい表情を浮かべて言った。
「それは……単身赴任でこっちにいるっていう、顔も忘れちまった最初の親父?」
「そうよ。だからあたしは、明日から父親探しをするわ」
食事が終わったのか、フレアは箸を置いてからそう言った。焔條も味噌煮込みうどんを食べ終えたので箸を置き「何のために?」とフレアに訊いた。
「あたしと姉を放って仕事をしていた親父は、今どこで何をしているのか気になってね。ぶち殺したい気持ちもあるけど、まずは話してみないとさ。熱くなって先に行動すると、誤解したまま傷付けてしまいそうだから」
「それはどうしようが勝手だけどよ……当てはあるのか?」
「この県内にいるってところまでは把握しているわ。ただ、そこからどうしても絞り込むのが難しいのよ。やっぱり顔を覚えていないっていうのは痛いわ」
焔條はそこで、ある疑問を感じた。
「フレア。顔を覚えていなくっても、親父の名前くらいわかるだろう? それで聞き込みしたりはしたのか?」
「もちろんよ。だけど全然引っかからないわ」
「ふうん……ちなみに、親父の名前は?」
「あたしの親父は――ジェイク・ガルランドよ」
「……知らねえ」
焔條の記憶の名簿に、その名前は載っていなかった。
「でしょうね。わかったらあたしに教えて」
期待しているわけではないが一応、という感じでフレアは焔條に言った。
こうして。
焔條の家の襲撃から端を発して、一連の事件に発展し多くの人間を巻き込んだ――焔條政貴とフレア・ブローニングの長きにわたる戦いは終わりを告げた。
しかし。
フレアには父親探しという明日が始まり。
焔條には騒動の事後処理という明日が続いている。
フレア・ブローニングとの戦いが終結した翌日、ゴールデンウィーク十二日目。
焔條政貴は、病院のとある一室にいた。ベッドの脇にあるパイプ椅子に座り、膝に肘を置いて前傾姿勢をとる。その隣に、ガバメントは佇む。
「見舞いに来たけど……思ったよりも元気そうだな、清華」
「う、うん。心配掛けてごめんね、政貴君。もう大丈夫だよ。明日には退院できるって」
焔條は、清華の言葉を受けてほっと胸を撫で下ろす。
天凪清華――ベッドで横になっている彼女は、焔條を庇ってメアリーの凶弾を受けた。六発受けた焔條よりも多い、十発である。病院に運ばれた時は意識不明の重体だったが、奇跡的に臓器類に損傷はなく、傷さえ治れば退院だという。
「清華……すまん。お前をこんな目に遭わせて。何て詫びたらいいのか」
「政貴君が謝る必要はないよ。だって、わたしが政貴君を守りたかったから。でも、結局政貴君にも当たっちゃったんだから失敗なんだけどね」
「でも、あれで俺は死なずに済んだ。だから感謝もしてる……ありがとう、清華」
「えへへ。どういたしまして」
「ちゃんと、お前の敵討ちはしておいた」
「えっ!? あの女の子達、殺しちゃったの!」
「いやいや、殺してないって。フレアってやつとは話し合いで解決したし、メアリーってやつはトップガンだから」
「と、とっぷがん?」
清華は、聞き慣れない単語に首を傾げた。無理もない。フレアとメアリーのこと、それにトップガンのことについて、清華にはわからないはずだ。
焔條はゆっくりと、時間の許す限り昨日のことを清華に話した。清華は時折、笑ったり驚いたりしながら話を聞いている。全てを話し終えると、
「へえ~。そうだったんだ」
と、感嘆した。正直で素直な感想である。
ちなみに、フレアは病室には来ていない。清華を撃ったトップガンの持ち主が見舞いに訪れるというのもおかしな話だが――そもそも所在すらわからないのだ。
フレアは、焔條が朝起きた時には既に家から姿を消していた。最後のあいさつも、置き手紙も、何にも痕跡を残さずに。
父親を探すために出かけたのか、と焔條は思い、慌てることもなくフレアの出立を受け入れた。
まだメアリーの復活まで時間はあるが、フレアなら一人でも大丈夫だろう。
焔條は特に心配することもなく、自分がやるべきことに専念した。
それが――清華の見舞い、そして戦勝報告だ。
「……清華。そんなに笑ってどうしたんだ?」
焔條は、話し終わっても笑みを零している清華を不思議に思い、問いかける。
「うん。何だかね、政貴君の話を聞いていると、そのフレアさんとメアリーさんに会ってみたいなって思って」
「変わってるな、清華は。お前の体に十個の風穴開けたやつらだぞ?」
「政貴君、それは過ぎたことだよ。現に政貴君だってフレアさんを殺さなかったでしょ? 一度砲火を交えれば、それはもう強敵だよ。強敵と書いて『とも』」
「古ッ! いつの時代の言葉だ!」
フレアに怒鳴られておどおどする清華――何だか想像に難くないな。だからこそ、あの二人は会わせたくない。
ふとそう考えた焔條だった。
「はあ……何にしても、お前が生きていてよかったよ、清華」
「ありがとうね、政貴君。それに、ガバメントさん」
急に言われて、ガバメントは戸惑いの表情を見せる。
「私に礼を言われましても……私は、特に何もしていません」
「何を言っているんですか。政貴君と一緒に戦って、政貴君を守っているじゃないですか……すごく立派ですよ。これからも、政貴君を守ってあげてください」
お前は俺の母親か、とは雰囲気的に言えないので心の中で突っ込む焔條。
「私はマサキの銃ですから、何度死のうが守り抜きます。お任せを、サヤカ」
自信たっぷりに言うガバメントを見て、清華は満足したように笑みを浮かべる。
「……じゃあ、清華。俺はCPMに行くから。今度会うときは、学校だな」
「そうだね。か、必ず元気になって学校に来るよ」
手を上げて拳を握り、元気さをアピールする清華。
「サヤカ。しっかりと休養してください。そして……こちらこそお礼を言いたい。ありがとう、サヤカ。あの時、政貴を庇ってくれて」
「そんな……でも、わたしは守り切れなかったよ」
「自分に自信を持ってください、サヤカ。あなたは強いです」
清華はガバメントに真っ直ぐ見つめられて、顔を真っ赤にしている。
焔條は椅子から立ち上がって「またな」と、ガバメントは「お大事に」と別れの言葉を言う。
それに清華は「うん、またね」と笑顔で応えた。
清華の病室を出て、焔條とガバメントは歩く。病院の時計を見ると、午後二時を回っていた。外に出て、消毒液臭い病院の空気から解放された焔條は、一つ深呼吸をする。
「マサキ。CPMにはどういった用件で?」
「ん? まあ、事件の報告がてらちょっとな」
焔條の含みのある言い方に、ガバメントは訝しむ。
それでもそれを訊くことはせず、先に歩く焔條の後をガバメントはついていった。
焔條政貴は、久しぶりにCPMを訪れる――実に九日振りだ。
団員達に心配され、たくさん声をかけられる。それに応えながら建物に這入ると、誰かが近付いてきて、
「うわあああ! 久しぶりだね、ガバメントたん! 僕はさみしぱみゅ!」
ガバメントに突っ込んだ瞬間――かかと落としで迎撃された。
「ああ! マサキ、申し訳ありません。またつい」
「ガバメント。謝る必要なんて毛頭ないから。むしろこのまま地球の裏側までめり込ませていいぞ」
「何を言っているんだ、マサ。久しぶりだな、死に損なったか」
かかと落としのダメージが無いのか、すぐに立ち上がり、鍛冶原匠は焔條にあいさつをする。
「俺は昔からついてないけど、悪運は強い方だからな」
「そうだね。昔っから死なない男だよね、マサは。で、今日は何しに来たの?」
「復帰のあいさつってやつだ。これからジャック団長にも会うつもりだ。ああ、そうだ。一週間以上ここを空けてたんだけど……何かあったか?」
「いや、特に何も。県庁の事件は酷かったけど、いつまでも沈んでられない。責任はほとんど軍と県警が負ったし、BOLはほぼ全滅。生きてるやつもリーダーの名前を言わないんだとさ。全てが謎のまま事件は終わったんだ。だから、もうみんな前を見ている」
「……そうか。でも、それでいい。前を向いて強くなれば、いつかは報われる」
「だといいけどね。僕達はそれを信じて戦っているんだから」
「そうだな。じゃあ、これからもよろしく頼むぜ、銃工のカジ。とりあえず45ACPを十ダース七割引きで」
「馬鹿! 半額って約束じゃなかったのか?」
「半額は基本、つまり最低条件だ。そっから色を付ければ最大タダだけど、今回に限って七割で手を打ってやったんだよ」
「そんな暴論が通るの? いくらなんでも僕を舐めていないか? マサ」
焔條の無茶な物言いに、流石の鍛冶原も怒る。
「どうしても駄目ですか? タクミ」
「えっ? 何言ってんだよ、ガバメントちゃん。タダに決まっているだろ」
ガバメントが言うと、一秒もせず十割引きを決定した鍛冶原だった。
「じゃあ後で取りに来るから。用意しておいてくれ」
焔條はにやにやしながら鍛冶原の肩を叩いて、別れを告げる。
「マサ。ガバメントちゃんは卑怯だよ。ああ言われると断れないよ」
鍛冶原は、嬉しそうな悲しそうな小声で焔條に言った。
「うん、俺もそう思う。45ACP以外は、定価にしてやるよ」
助かる、と鍛冶原は感謝の言葉で焔條を見送った。
鍛冶原と別れた焔條とガバメントは、二階にある団長室へと向かう。階段を上り、いくつかある会議室とは離れた場所にある一室の前まで行く。
焔條がノックをすると「這入れ」とジャックから返事が来た。
それを確認してから、焔條は「失礼します」と言って扉を開け、室内に這入る。
「……何だ、焔條じゃないか、久しぶりだな。怪我はもういいのか?」
部屋の中央――執務机に座るジャックが、焔條を見て喜ばしそうに言う。
「はい。おかげ様で。明日からでも復帰はできます」
「そう焦るな。お前のゴールデンウィークは明日までだろう? だったら、明日は休みでいいさ。お前は連日の戦いで疲れている。兵士にとって休養も仕事の内だ」
「そうですか。では、ありがたくそうさせていただきます」
「それで……今日ここに来た目的は? 何の用もなく来たわけではないだろう?」
ジャックは書類に目を通しながら焔條に言う。実際、焔條を見たのは、部屋に這入った瞬間だけだ。
「はい。今日は、BOLが起こした一連の騒動についての報告と……それに関連するいいニュースと悪いニュースを伝えようと思いまして」
「ふむ。作業をしながらでいいなら聞こう」
「では始めに……十一日前、俺は午前十一時くらいに十人のBOLの兵士に襲撃されました。その翌日の午前十時くらいにCPMが襲撃を受けて、その次の日の午後二時には県庁への襲撃がありました。この三つの事件は連続で行われていますが……共通点がBOLの犯行であること以外何もないです」
「確かにそうだが、それはBOLが無差別に連続事件を起こしただけだろう?」
「それはあり得ません。何故なら、BOLは義賊的集団だからです。あの三つの事件だけは、BOLが行うとはとても思えません」
「BOLは大須事件で一度壊滅している。再結成して考え方が変わったんだろ」
「どうでしょうか? あの三つの事件が起こる以前は、全ての事件がBOLのやり口――軍に関わる成金だけを標的にして金品を奪い、貧困に苦しむ人々に分け与えるというものだった。だから、三つの事件が起こる以前は、BOLとして活動していたのですよ」
「どうにも焔條の言いたいことがわからんな。ハッキリ言ったらどうなんだ」
ジャックは回りくどい焔條の説明に嫌気がさしたのか、書類から焔條に目を向け、声を荒げて言った。
「つまり……三つの事件だけ目的が違うのですよ。無差別でも何でもなく、三つの事件には共通する標的がいたのです」
「BOLの犯行である以外に、何か共通するものが……。何だそれは?」
「やつら……いや、あいつの狙いは、俺一人だったんですよ。これは自意識過剰でも何でもなく、事実ですよ」
「お前が狙われていた? 一体どういうことだ?」
「それを説明するために、俺は今まで他言していないことを話します。実は、最初の事件の十一時間前――午前零時に、俺は自宅を襲撃されました」
「何故、報告しなかったんだ?」
「個人的な問題だったので、自分で解決しようと思いましてね」
ジャックは目を細めて睨んでくるが、焔條は構わずに続ける。
「それはともかく……その時俺を殺そうとしたのが、フレアと名乗る少女でした」
「前にその名を俺に訊いたな。それは、そのことだったのか」
「まあ、そうですね。その時は何とか乗り切りましたけど、後に三つの事件が待っています。その三つ共に、俺はBOLに命を狙われました。そして、県庁ではフレアと再会して……そこでフレアに殺されかけたんですよ」
「そうか……そのフレアとかいう少女は何者なんだ?」
「未だに捕まっていない、BOLのリーダーですよ。だから、BOLの信念を曲げてまでBOLを動かして、俺を殺すよう仕向けることができた」
「ふむ……だが、フレアとかいう少女はどうしてそこまでしてお前を殺そうとする?」
「フレアは俺のことを仇だと思っていたようです。それも……大須事件で亡くなった姉の仇であると。おかしいですよね? 何が起こったのかもわからないし、生存者は零という謎の事件。なのに、フレアは俺が大須事件の生き残りだと言って、だからお前が五百二十四人を殺した、なんて決めつけられたんですよ? 言いがかりも甚だしい」
焔條は身振り手振りをして大袈裟に言った。
「どうしてそんな答えに辿り着くのか……フレアを馬鹿だと思っていました」
「…………」
「だけど――フレアは馬鹿じゃあなかった」
焔條は続ける。
「俺が病院から抜け出して家に帰ると……そこにはフレアがいた。ほとぼりが冷めるまで隠れるつもりだったのでしょう。そこで俺はフレアと戦って、勝ちました。でも殺してはいません。それで、俺と話している内に誤解は解けました。フレアは認識を改めて、俺が仇ではないことをわかってくれたのです」
事実が相当省略されており、ねじ曲がってはいるが――間違っていなければいい。
「そんなことが……。じゃあ、その後はどうしたんだ?」
「フレアと話し合っている内に、今回の一連の騒動について色々と話してくれましてね。そこで――最初に言ったいいニュースと悪いニュースが手に入りました。団長は、どちらから聞きたいですか?」
「……いい方から聞こう」
「いい方のニュースは、BOLはもう活動をしないということです。リーダーのフレアは俺を殺すためだけに、BOLを再建したといいます。なので……俺への誤解が解けた今となっては、何もしないそうです」
「リーダーがいなければ、BOLの残党は烏合の衆か」
ジャックは思案するように俯いて、すぐに顔を上げる。
「じゃあ、悪いニュースは何だ?」
「この一連の騒動……フレアは、俺の家の場所や俺の行動と、CPMの動きを知り過ぎている。常に先手を取られています。どうしてなのか? フレアは、ある人に俺やCPMの情報をもらっていたと言います。つまり――CPMに内通者がいるんです」
「何だと? それは本当のことなのか?」
「ええ。それも、かなりの情報網を持っていると思われます。恐らく……警視庁のトップクラスか、政府でも閣僚クラスか、KGBやCIAの一部の者か」
「何故そうだと言える? お前のことやCPMの情報では、程度が低い」
「そうですね。ですがフレアは、普通では手に入るはずの無い情報まで持っていたのです……極秘情報を。それは、俺が大須事件の生き残りであるということです」
「焔條、お前さっき否定してたはずじゃあ……」
「否定はしてません。俺が否定したのは五百二十四人を殺したことです。実は、当時俺はあの現場にいました。普通の人は知りませんが、これは事実です。そして、事実を悪い方に曲げて……つまり、俺が犯人であるとフレアに伝えたのですよ。その内通者は」
「だが、何でそんな必要があるんだ?」
「それはわかりません。その内通者に訊いてみなければ。ひょっとしたら、その内通者も大須事件で誰か大切な人を亡くしたのかもしれません」
「つまり……やり場のない怒りを生き残ったお前にぶつけようとしたとか?」
「そうですね。実際フレアも、俺が五百二十四人殺したなんて馬鹿なことを途中まで信じていたようです。理屈なんて関係ないんですね、きっと。だけど、その内通者は俺に恨みがあると仮定しても、自分で殺そうと思わずに、フレアに俺を殺させようと仕向けた」
「それが本当だとしたら、狡猾な手段だと言わざるを得ないな」
「結局は失敗に終わったのですがね。ただ、俺としては、どうしても許せないんですよ。その間違った情報のせいで何人もの人間が死んで、傷付いたことに。それでも平気でいられる内通者に」
焔條は怒気をはらませた声で言う。ジャックは「落ち着け、焔條」となだめ、
「それに、内通者の正体だってわからないだろう」
と続けた。
「それがそうとも言えません。内通者は……ジャック・ガーランド。あなたです」
突然、焔條はジャックに指をさして、言った。
唐突な指名に、不穏な空気が一気に凍りついた。必然、焔條にそう言われたジャックの顔つきも険しくなる。
「口を慎め。当てずっぽうで言うと冗談では済まないぞ、焔條」
どすの利いた低い声で言い、焔條を睨みつけるジャック。
「当てずっぽうでも適当でもありません。ちゃんと根拠はありますよ。あなたは――」
「フレア・ブローニングの父親だから」
「…………」
「そして、大須事件で亡くなったフレアの姉ニーナの父親でもある」
「何を言うかと思えば……俺が内通者だと言う根拠もまた、根拠の無い妄言じゃないか」
「根拠無しに言うわけがないじゃないですか。そうもムキに否定すると、図星を突かれているようにも見えますよ?」
「馬鹿を言え。ならば聞こうじゃないか。焔條の言う根拠とやらを」
ジャックは鼻で笑い、肩を竦めて焔條に話をするよう促す。
「ではまず……フレアの話によると、その内通者の容姿は背が高くてガタイがよく、ブロンドの髪に碧眼だと言っています。それは、団長の容姿と合致しています」
「がっはっは。焔條、そんな曖昧な特徴、アメリカ人じゃあたくさんいるぞ?」
「まあ、もちろんです。フレアが知っている内通者の情報はこれだけなので、まだ決めつけることはできません。では、ここで話を変えます」
「何の話をするつもりだ?」
「フレアの話です。彼女が昨日、俺に話してくれたことです。フレアは姉の復讐のために日本に来たのですが……もう一つ、ついでにということで父親を探していたんです」
「父親を?」
「ええ。自分と姉を放って仕事をしている父親のツラを見たいとか言ってました。どうも単身赴任で日本に滞在しているのだとか。しかも父親の仕事を母親から聞かされたことがないと言います。娘が顔を憶えていないほど謎の父親。どういうことなのか?」
何も答えないジャックを見つつ、焔條は続ける。
「そして、内通者がフレアに与える情報というのも、かなり高度なものです。が……大須事件において俺を姉の仇だという風に仕向けるのは、どうもおかしいです。フレアの父親とフレアに情報を与えた内通者がそれぞれ抱える謎。それを解くカギは何なのか?」
「…………」
「ジャック、あなたはCIAの人ですよね? CIAの中には、家族にすら自分の仕事を言うことができない者もいるらしいじゃないですか? あなたはその一人なのでしょう? だから、フレアは父親の仕事を知らない。何故なら母親も知らないのだから。そして……CIAなら大須事件のことを知ることができる。もちろん、俺があの場所にいて、生存者であるということも知っていた。故に、フレアに大須事件の情報を与えることができたんだ」
「ふむ……だが、今の話では内通者がフレアに情報を与える動機がないぞ?」
「あなたも結局、怒りの矛先を俺にぶつけただけでしょう? フレアと同様、ニーナさんを失ったのが悲しかったんですよね? だから……ニーナさんの妹であるフレアに復讐をしてもらおうと、素性を隠して内通者になった。大須事件で生き残った俺を、どうしても消すために」
「それで終わりか? それがお前の言う根拠か?」
「最後に一つ、フレアは父親の名前を言ってました……ジェイク・ガルランド。これは、あなたの本名でしょう? ジャック・ガーランドは偽名で、ただ単に《Jack Garland》の発音を変えただけの名前ですね。フレアは、両親は離婚したとも言ってました。だから、姓が違っていてもおかしくありませんし。さあ、これで残弾は零です。これでもあなたがフレアの父親であること、そして、フレアに情報を流した内通者であること……それらを否定するのならば、もう知りません。俺をクビにでも死体にでもして結構です」
焔條は肩を竦めて、ジャックの出方を窺う。と――ジャックは「ふう」と息を吐いて、焔條を見る。
「……お前の勝ちだ、焔條。何もかもが、ケチのつけようのない完璧な推理だ」
今まで緊張していた焔條は、ここで初めて溜息をついて気を緩めた。
「俺は、娘のことが大好きだ」
ジャックは、拳を力強く握り締めて言う。
「愛している。だから、妻と離婚した後も度々顔を見に行った。フレアが家出した時は、必死になって探し続けた。日本に妻とニーナが来た時は、陰ながら見守っていた。なのに……大須事件でニーナは死んだ」
「団長。あんたが怒りと悲しみでまともな判断ができず、ただ一人生き残った俺を憎む気持ちはわからなくもないです。ですが、何故自ら俺を殺そうとせず、娘のフレアにさせようとしたのですか? 自分の手を汚さず、娘に復讐を押し付けたのですよ?」
「わかっている。ただあの時、偶然にもイギリスでフレアを見つけたんだ。声をかけるが……フレアは俺の顔を憶えていなかった。だから俺は、素性を伏せて、大須事件のことを話した。すると、フレアはその場で復讐を決意したのだ」
「だから、フレアに任せたっていうのか?」
「父親として、娘の意思を尊重したかった。フレアが復讐を望まないのだったら俺が殺るつもりだった。ただ、誰であろうニーナの妹、フレアがそれを望んだのだ」
「フレアは家出した後、傭兵として世界を渡り歩いていた。だから人をたくさん殺したんだと思う。だけど、娘が人を殺すのを知っていてそれを止めないのは間違っている。父親として、一人の人間として、間違っている」
「俺には、どうすることもできなかった。何もできなかった……」
ジャックは震える声で言う。目には、今にも零れそうなほど涙が溜まっていた。
「団長。俺には、あなたに掛ける言葉はない。これは家族の問題だ。俺はフレアにあなたのことを言うつもりはない。あなたが自らフレアに正体を明かすか――それともこのまま黙っているのか。ご自身で決めてください」
「お前は、俺をどうするつもりなんだ? 俺は内通者だぞ?」
「あなたは、娘に口を滑らせただけじゃないですか。些細なこととは言えませんが、俺は告発するつもりはありません。あなたは曲がりなりにもCPMの団長です。団員の誰もが信頼している。今は、一連の事件で全員が不安と悲しみでバラバラになっています。団長であるあなたは、CPMを一つにまとめ上げなければなりません。せめて、安定して落ち着いてから……自らの進退を決めてください」
「……すまない、焔條」
座ったままで、ジャックは深々と頭を下げる。
「話は以上です。俺は、これで失礼します」
焔條は一礼をして踵を返す。そのまま扉を開けて、部屋を出る。
これ以上の言葉はいらない。あとは、団長次第だ。
焔條はそう思いながら団長室の扉を閉めて、歩き出す。
背後から慟哭が聞こえたが――焔條は振り返らずにその場を去った。