第二章 暴力の陰影
第二章 暴力の陰影
二十一世紀末。
日本は完全独立から今日に至るまでに、劇的な変化を遂げた。
軍を編成したのもそうだし、核兵器を保有するのもそうだし、憲法の改正もそうだ――それらは全て、国民の生活に多大な影響を与えた。
軍事産業が優先されることによって、財政は悪化、景気も下降した。軍国主義に反対する人間や企業は、徹底的に社会の歯車から外され、結果――貧富の差は拡大する。日本の社会は、軍事に携わる者が優遇され富を得るという排他的な仕組みになった。
そして、犯罪率の爆発的増加。
憲法改正に伴い、徴兵制度が施行された。これにより、男女共に高校卒業後の二年間は軍に入隊することが義務づけられた。すると、訓練のストレスや銃の所持により、若者の銃による犯罪が激増する。政府は治安維持のために、民間人に銃の所持が認められるようにしたが、これが逆効果に働く。日本は銃社会となって、治安は悪化の一途を辿るばかりだ。
年々増え続ける犯罪に警察は対処しきれず、その内――各地で地域の治安を守るために自警団が設立される。焔條政貴が所属する《平和製作団》、通称CPMも、数ある自警団の内の一つだ。
ここまでは二〇八〇年代の出来事である。
二〇九〇年初頭から、日本の軍国主義に反対する者達が集い、組織となった。
それが《自由なる銃弾》、通称BOLだ。
BOLは、軍に関わる成金だけを標的にして襲い、奪った金を貧困に苦しむ人々に分け与えることなどをしていた。その内BOLは義賊としてもてはやされ――主義主張に関係なく、民衆からの支持を得るようになる。
しかし、BOLは軍部の反感を買い、国家転覆を企む国賊として、軍から追われることになり、次第に勢力は弱まっていった。
そして二〇九六年――『大須事件』が起きて、BOLの本隊は全滅する。他県でも同様の事件が起きて、他の部隊も全滅、BOLは消滅した。事件は詳細が全く報道されず、軍部が自分達のやったことを隠蔽したとか、軍が大量殺戮兵器を試験運用したとか、様々な憶測が飛び交った。
今なお『大須事件』の真相は謎に包まれている。
世間的には、事件の真相を知る者は誰もいない。
ただ一人――『大須事件』の生き残りである焔條政貴を除いて。
焔條政貴襲撃事件の翌日、ゴールデンウィーク二日目。
午前十時前に、焔條は自宅を出ていた。その一時間前に、鍛冶原匠からメールが届いていて、BOLが集まるであろう三ヶ所が書いてあった。焔條は地図でその三ヶ所を確認してから、準備を整えて出発したのだ。
「マサキは――」
最初の場所へ向かう道中、ガバメントが訊く。
「いつからCPMに入ったのですか?」
「入団したのは……確か、高校に入学してからだ」
「CPMはその時にできたのですか?」
「いいや。もっと前からあった。最初は本当に小さかったんだけどな。何て言うか、あれ……ボランティアのような。そんな感じだ」
「そうだったのですか?」ガバメントは意外だという風に驚く。「とても、そうには思えませんが。あの建物や統率された人……組織と言ってもおかしくないと思われますが」
「あれは、団長がジャックに代わってからだ。あの人が、CPMを再建した」
焔條はそこで、言いづらそうな、苦い顔をする。
「BOLと同様――CPMも大須事件で壊滅したんだ」
「マサキ……あなたは、大須事件唯一の生き残りであると、一昨日の夜にフレアと名乗る少女が言っていました。それは、本当のことなのですか?」
焔條は沈黙するが、ガバメントの真摯な目を見て、やがて、
「間違いない」
と、絞り出すように応えた。
「CPMとBOLの人が全員死んだ。俺の目の前で、五百二十四人が。……ガバメント。これ以上は訊かないでくれ。俺は、未だにあの事件がトラウマとして残っているんだ」
焔條の手は震えている。それを見てガバメントは「ごめんなさい、マサキ」と謝る。
「いや、いいんだ。ただ……この件は誰も知らないはずなんだ。今日まで、報道では大須事件の生存者は零――全員死亡になっているんだ。つまり、誰も俺があの場にいたことを知らないはずなんだ」
「では、フレアは……」
「どこからその情報を手に入れたのか知らないが、フレアは俺のことを知っていた。そして、BOLと協力して俺の命を狙っている」
「一昨日と昨日の襲撃は、ピンポイントにマサキだけを狙っていましたからね」
家での襲撃、路上での襲撃――それは、意図的というに他ならない。
「フレアがBOLと通じているのは間違いないと言っていい。何の思惑があるのか、策略があるのか……ぶちのめしてから訊いても遅くはないだろう」
「ふふふ。それについては同意します」
ガバメントは笑みを零す。焔條にとっては、フレアは自分の家を滅茶苦茶にした少女なので、笑い事ではない。
自宅から出てしばらく経った頃、焔條とガバメントは、早速一つ目の目的地に着いていた。焔條の家から近い場所だ。CPMからの距離もそう遠くはない。
「ここか。何か……ぼろいな」
「ええ。廃れていると言いますか……寂れていると言いますか」
それは、崩壊寸前の廃墟と言っても過言ではない建物だった。あちこちにツタが絡みついて緑のカーテンを形成しており、老朽化によるヒビもあちこちに走っている。
焔條とガバメントは入口らしき扉の前まで行き、すぐ横の壁に張り付く。
ガバメントは既に拳銃を両手に持ってる。
自分と同じ名を冠するM一九一一――コルト・ガバメントを。
「カウントスリーで行くぞ、ガバメント」
「わかりました。いつでもどうぞ」
既に突入の準備が整っているガバメント。
焔條はゆっくりとドアノブに手をかける。が、開かない。
「……三、二、一――」
焔條は仕方なく扉の前に立って、カウント後に扉を蹴った。
焔條の蹴りの強さか、ただ単に建て付けが悪かっただけなのか――扉は開かずに前方にぶっ飛んでいった。
同時に、ガバメントは疾風の如く建物の中へと這入っていく。焔條もベレッタを構えながら後に続く。しかし、
「……誰も、いませんね」
誰からの出迎えも歓迎もなく、静寂だけが焔條とガバメントを迎えていた。
「まだわからない。奥も探すぞ」
二人は背中合わせで移動をして、二階建ての廃墟を隅々まで探索する。薄暗くて、ホコリだらけで、不気味だったが――ただそれだけだった。
人の気配は全く感じられない。
「ここはハズレ、か」
やがて、焔條は特に落胆した感じも見せずにつぶやく。
「次はどこにする? ガバメント。あとの二ヶ所は、CPMとは目と鼻の先くらい近い場所と、CPMからちょっと遠い場所だ」
焔條はガバメントに訊いてみる。
その二ヶ所はどちらとも怪しくて、焔條一人では決めかねるのだ。
「そうですね……私としては、陣地を敵前に設置するのは望ましくありません。ですが、その心理を逆手に取って、あえて敵前をアジトにすることも考えられます。しかし、リスクを避けるためには、やはり遠い方がいいかと」
「そうだな。両方ありそうでない。だったらもう、運に任せるしかない。深く考えず――敵のことなんて考えないで自分達の都合で行こう」
「というと?」
「遠くから攻めて、帰りの足で近場に行く。それからCPMに帰るってことで」
焔條は近場から遠くに行ってまた帰るという手間を省くために、遠くの場所を選んだ。
焔條は、本当に自分の都合によって決めた。それをガバメントが否定できるはずもなく――ただ「わかりました」と頷くだけだった。
都市部に近い場所に、一つだけ孤立したような建物がある。
外観がそこまで古くはないものの、周囲を囲む丈の長い雑草が古めかしさを演出している。近付くと、ぼろぼろで見えにくいが、壁に『工業』と書かれているのがわかった。
どこかの工場――だったところらしい。
「……マサキ。人の気配がします。それも大勢の」
ガバメントが突然言う。
焔條は廃工場を見るが、これと言って何かを感じることはない。
「私の感覚は常人のそれとは違います。どうやら、ここで正解のようです」
「はあ~、すごいな。直感ってやつか?」焔條は素直に驚く。「わかった。じゃあ……早速始めるとするか。狭い場所での集団戦ならこっちに分がある」
「そうですね。では、裏口から回りましょう」
焔條はガバメントの提案に頷き、正面から裏に回る。
広い敷地に佇む大きな工場だ――裏から侵入すれば、誰にも気付かれずに済むかもしれない。焔條はそう考える。
裏口はアルミフレームの安っぽい扉で、ガラスが割れていた。
焔條とガバメントは互いに顔を合わせて、何も言わずに頷く。なるべく音を立てないように扉を開けて、工場内に這入る。
工場は薄暗くて、中の様子があまりよく窺えない。と、
「――マサキ!」
ガバメントが叫んだ時にはもう遅かった。
焔條とガバメントに銃口が向けられている。
銃口、銃口、銃口、銃口銃口銃口銃口銃口銃口銃口銃口銃口――前にも後ろにも銃口、右にも左にも銃口、見上げれば上の空間を走る通路にも銃口。
地面以外の全方位から銃口を向けられ、焔條とガバメントはどうすることもできない。
「動くな! 銃を捨てろ!」
「……くそっ! どういうことだ!」
どうして、自分達が訪れることを知っているんだ。
男達の対応は、事前に焔條達が来るのを知っているかのような準備の良さだった。
焔條は忌々しく怒鳴りながら、男に言われるがままにベレッタを地面に置き、遠くへと滑らせる。ガバメントも両手に持つ拳銃を地面に落とす。
男はベレッタを拾うと、焔條を招くように手を振った。焔條とガバメントは歩いて工場の中心辺りに行く。
目が慣れてきて、焔條は男達の姿を観察する。それぞれ服装は違えど、所持武器がAKであることや装備などで、男達が一昨日や昨日のやつらと同じBOLだと推測する。
「殺すな、と俺達はリーダーに命じられている。だから――」
「うぐぅっ!」
焔條は男に腹部を殴られて、膝をつく。
「マサキ!」
ガバメントが心配そうに声をかける。焔條は「大丈夫だ」と言わんばかりに手を挙げて――駆け寄って来そうになったガバメントを止める。
「おとなしくしてるんだな。今からショータイムの始まりだからよ」
焔條とガバメントはロープで体を縛られる。縛り方も何もあったものじゃない、両手を真っ直ぐにしてロープを体に巻きつける、ただのぐるぐる巻きだ。縛られて、地面に座らせられる焔條とガバメント。
大勢いた兵士はみんな外に出て行き、中に残ったのはしゃべっている男を含めて、五人だけだ。
「お前ら……何で俺達が来るのを知ってた? それに、何をするつもりなんだ?」
「昨日俺達のことを嗅ぎつけているやつらがいたもんでな。それに気付いたリーダーは、ここに兵力を配置してお前らを待ち伏せするように言ったんだ。そして……これから別のアジトにいるやつらが、CPMに奇襲を仕掛ける」
「まさか! CPMに近いあそこか!」
男は肩を揺らして笑うだけだった。
「お前は何もできずに、ただ仲間が死ぬのを待つだけだ。くっくっく……、自分の無力を痛感するんだな。それから、リーダーはお前を直々(じきじき)に殺すそうだ」
「そんな……何も、できないなんて」
また、あの日のことを繰り返してしまうのか? そんなのは、嫌だ。早くみんなにこのことを知らせて、自分も助けにいかなくては。
そうは思っていても、動けない焔條――歯を噛み締めて、目をギュッと閉じる。
焔條は、今何もできない自分に悔しがる。
「何もできないなんてことは、ありません!」
気付けば、焔條の横で縛られているはずのガバメントがいなかった。焔條の横には巻かれたロープだけがあった。
そして――ガバメントは男の真横に立っていた。
両手には、同じ名を冠する拳銃が二挺。
「お、女! 何で――ごおぁ!」
男が何かを言う前に、何か行動を起こさせる前に。
ガバメントは拳銃のグリップ底で男のうなじ辺りを殴って、気絶させた。
「くっ、くそぉ……死ねぇ!」
工場に残っている四人の兵士が、ガバメントに向かって一斉にAKの銃口を向ける。
しかし、四人が相手にしているのは、拳銃コルト・ガバメントの九十九神。
拳銃という武器の概念を超えて神格化された――神と呼ばれる存在なのだ。
人が勝てる相手ではない。
「はああああああああああああああっ!」
ガバメントは咆哮と共に両手に握る拳銃を轟かせる。それは八発の銃声だが――まるでマシンガンを連射したかのような音だった。
ほぼ同時に、金属音と四人のうめき声が聞こえる。四人の手にはAKがなく、バラバラになったAKの残骸が足元に散らばっているだけだ。
焔條は見ていた。
ガバメントは咆哮した瞬間、手元がぶれるほどの速さで両手を動かして、一人に二発の銃弾を放ってAKにだけ当てたのだ。
その早撃ちを。
ガバメントは射撃後、間髪入れずに四人の兵士に襲いかかる。一人を一撃で倒し、目にも止まらぬ速さで次の兵士に飛びかかる。
兵士はあまりの速さに対応しきれず、逃げる間もなく気絶させられる。
そして、五人の兵士は無力化された。
最初の男に攻撃を仕掛けてから、十秒も経っていない。
「……ガバメント。どうやって縄を解いたんだ?」
「言ったじゃないですか。私は任意で姿を消したり現わしたりすることができます。なので、決してマサキの迷惑にはなりません、と」
焔條のもとに駆け寄り、ロープを外しながら言うガバメント。つくづく、ガバメントの強さと恐ろしさを、焔條は実感した。
ロープを外し終えると、
「マサキ。今のあなたには、私がいます」
ガバメントは胸に手を当てて言った。その言葉は焔條の心の奥深くに響き、とても勇気付けられる言葉だった。
「……CPMに戻るぞ! みんなを助けるんだ」
焔條は倒れた男からベレッタを取り返し、腰のホルスターへ戻す。
ガバメントは焔條の言葉に「はい!」と力強く応えた。
廃工場を出てから、焔條政貴は、携帯電話でCPM団長のジャックに連絡を入れた。
ジャックの話によると、どうやらまだ襲撃はされていないとのことだった。
焔條は間に合って良かったという気持ちで安堵して、それから、ジャックにすぐ向かうと伝えて通話を切る。と、すぐさま一一〇番にコールをして、警察に廃工場とCPMに来るよう要請する。
電話を仕舞い、焔條は、少しでも早くCPMに着こうと走り出す。
「……頼む、みんな。少しでもいいから持ち堪えてくれ」
「もうBOLの奇襲作戦は失敗に終わったのです。万全な態勢で迎え撃てば、被害は軽微に済むはずです」
だといいがな、と焔條はつぶやく。
「ガバメント。お前だけ先に行くことはできないのか?」
「申し訳ありません。私は銃なので、持ち主のそばから離れることはできないのです」
「そうか……ならいいんだ」
焔條は道に停めてある自転車を横目で窺う。だが、盗難被害が多い近年では、自転車のロックが二重三重というのも珍しくはない。そのどれもが破壊すら難しい錠ばかりなので――焔條の移動手段は己の足しかない。
「マサキ。CPMにサヤカとタクミはいるのですか?」
「あいつらは、事件があって出かけていない限りいる。だけどあいつらのことを心配する必要はない」
「二人を信頼しているのですね、マサキは」
「信用も信頼もしないさ。ただ、客観的事実を言ったまでだ。心配するこっちの心肺の方が停止しそうなくらい危なっかしいが……あの二人は強い」
ガバメントは「それは心強いですね」と微笑んだ。
それから数キロの道程を走って、焔條がバテた頃――銃声が聞こえてきた。既に戦闘は始まっているようだ。いくつもの銃声が鳴り響き、不協和音を奏でている。
「近いぞ……確かこっちはBOLのアジト側だから――」
「うまくいけば敵を挟み撃ちすることができますね」
「ああ。俺達は後方に控えている兵力を潰すぞ」
「了解です」
「警察の動きは遅いが……あらかじめ連絡を入れたんだ。俺達が鎮圧した後にBOLのやつらを連れて行ってくれる」
そして――焔條達は銃弾がまだ届かない場所で待機をしている集団を発見する。
男達はAKを携えていて、厳しい視線を前方に向けている。焔條達に気付いてはいない――そもそも、後方に敵がいるなんてことは誰も意識しない。
「よう」
焔條は声をかけると同時に、男の首をベレッタのグリップ底で殴りつける。
「誰だ貴様ァ!」
他の兵士が異常に気付くが、叫んだ男はガバメントによって気絶させられる。一人がAKを向けるが、焔條はその前に男の足を撃って転倒させる。
他にも異常を察知した者がいたのか、焔條はガバメントに引っ張られて、防弾のガードレールに身を隠す。
治安を守るため、市民の安全を守るために――銃撃事件が頻発する都市部では、分厚い鉄板で覆われた防弾仕様のガードレールがそこかしこに設置されている。事件が発生しても、ここに身をひそめていれば流れ弾を受ける心配がないからだ。
「……ガバメント。一般市民は?」
「周囲を窺いましたが、誰もいません。昼時でなかったのが幸いです」
「まあ、いたとしても、ガードレールに隠れるように日々言っているんだから、そう被害が出るとは思えないがな」
しかし、と焔條は続ける。
「安全のために設置したとはいえ、それが敵の安全をも確保しているんだからな」
焔條は皮肉をつぶやく。
「条件は同じですよ。私達の安全も確保されているのですから」
背中を付けているガードレールから、鐘のような着弾する音が響く。
「よし……ガバメント。数が数だからな。それに、仲間の命もかかっている。スピード重視で行くぞ。相手の銃を狙う必要はない。手か足を狙って撃て。そして……最悪の場合、殺すことをためらうな」
「最後の言葉にだけは頷けませんね、マサキ。あなたの理想は、争いで失われる命を救いたい。敵味方無く死なせない……ではありませんでしたか?」
「現実は甘くない。そして、俺の理想は甘いものなんだ」
「いいえ、甘いのはあなたの理想ではなく――あなたの意志です」
「なっ……!」
焔條が何かを言う前に、ガバメントはガードレールからその身を躍らせていた。
横断歩道を挟んだ近距離。
ガバメントは、銃撃が収まった一瞬の隙に、距離を一気に詰める。と、ガードレールをムーンサルトに半分ひねりを加えた跳躍で飛び越え、敵の真後ろに着地した。
屈んだ姿勢でガードレールに張り付いている敵に、ガバメントの姿が見えるはずもなく――着地した音を聞いて振り向いた時には、頭に拳銃のグリップ底がぶち込まれていた。
二人がガバメントの両手の拳銃によって沈んだ。
残りの一人はAKをガバメントに向けようとしたところ、後ろ廻し蹴りによって吹き飛ばされた。弾丸のように回転しながら飛ぶ男は、近くのカーブしているガードレールにぶつかって止まる。
「……マサキ。クリアです」
ガバメントは言って、焔條を手招きする。その圧巻の光景に目を奪われていた焔條は、招かれるままにガバメントに近付く。
「私にはあなたの理想を叶えるだけの力があります。ですから、無茶な命令を厭わないでください」
焔條は、ガバメントの強さに可能性を見出していた。
本当に――自分が思い描いた絵空事や綺麗事が通じてしまいそうだな、と。
「…………わかった。お前の好きにしろ。やるべきは俺なんだからな。理想を掲げる俺ができなきゃ話にならない」
「そうです。強い意志は砕けません。そして、磨けばダイヤモンドのように輝きます」
「俺がダイヤモンドなら、ガバメント――お前も俺を削って磨くためのダイヤモンドだ」
「ならば、私に砕かれないように強くあってくださいね」
ガバメントは冗談っぽく笑う。
見る者が弛緩するような、逆に引き締まるような――そんな笑顔を見せた。
焔條はそれに応える代わりに、
「行くぞ。もうCPMは見えているが、前方にいる敵が多過ぎる。蹴散らすぞ」
「了解しました、マサキ」
焔條政貴とガバメント。
二人は銃を手に取り、一直線に敵後方へと突っ込んだ。
それは舞を見ているかのような光景だった。
ガバメントは単身――敵の陣営に突撃し、両手に握る自身と同じ名を冠した拳銃で次々と敵兵士を無力化している。相手の持つ銃を撃ち落とし、接近戦で気絶させる。
俊敏、どころではない。神速と言える速さで敵の懐に潜り込んだり、銃弾を避けたり、時には宙を舞ったり壁を走ったりと――予測不可能な動きを見せて敵を翻弄している。
敵は、陣地のど真ん中で動き回るガバメントに対して、同士撃ちを恐れてかAKを乱射することはなかった。だからと言って接近戦で勝ち目があるわけでもなく、確実に撃つことができる時しか撃たないし、撃ったとしてもガバメントに避けられる。
ガバメントは乱戦や混戦においては無類の強さを誇った。
「何なんだこの甲冑女は! 動きが速過ぎてついていけない!」
「無闇に撃つな! 同士撃ちになる――うぐわっ!」
「相手は女一人だぞ! 怯むな! ええいくそっ! 何で銃弾を避けるんだよ!」
既に敵の本丸と言えるところはガバメントによって死屍累々と言った有様だ――いや、全員気絶しているだけだから失神累々と言った方が適当か。
しかし、阿鼻叫喚であることは確実に言える。
最早CPMに攻撃をしている余裕さえなくなってきたBOL。前線でCPMと戦っている兵士も、後方の惨状を気にしている様子だ。
焔條はその隙に付け込んで、一人ずつ敵兵士を倒していく。焔條の場合、ガバメントのように銃だけを狙うのは無理なので、腕や手に当てることが多い。焔條の持つベレッタはガバメント(拳銃の方)より威力はないので、腕や手が吹き飛ぶことはない。
現実の厳しさを知っているからこその、これでもまだ甘い方だが――焔條政貴なりの、譲歩だった。しかし――
「くそっ! ぞろぞろと出てきやがって……キリがねえぞ」
焔條は八人目を倒したところで、周囲を見回す。
CPMから焔條がいる地点までは五十メートルくらい離れている。
都市部に近いとはいえ広大な土地だ――正面に障害物は無くて見晴らしがいい。BOLは、車を停めてその陰に隠れることでCPMの攻撃から身を守っている。
CPMの土地を囲む門から外に出ると、ビル群や大きな街路が広がっている。BOLは門の前の街路に腰を据えている。もっとも、今はガバメント一人によってしっちゃかめっちゃかにかき回されているが。
「う、うぐぐ……」
と、焔條はその呻き声に胆が冷える。見ると、腕を撃たれて倒れていたはずの八人目の若い男が焔條を見ていた。
「お、お前は……焔條だろ?」
「俺のことを知っているのか?」
「リーダーから、聞いた。お前は……大須事件でCPMとBOL合わせて五百二十四人を皆殺しにした殺人鬼だってな」
「なっ! そんなの嘘だ! 誰だ、そんなデマを流したリーダーとかいうやつは!」
焔條は倒れている男の胸倉をつかんで怒鳴る。男は苦しそうにしながらも、虚勢を張りながら笑う。
「あの娘はお前を殺す。そして、必ずやこの国に革命をもたらしてくれる。彼女こそ我らの希望――」
「《自由なる銃弾》のリーダー――フレア・ブローニングだ!」
「フレア……ブローニング!?」
その名前を聞いて、焔條の心臓が高鳴る。
名前もそうだが、焔條は何より――姓の方を聞いて驚愕している。
焔條が驚いているのをよそに、男は言い終えると同時に気を失った。
男に構わず焔條は思考を巡らす。すると、フレアに抱いていた数々の疑問が、パズルのように記憶の断片と合致していった。
そうか、そういうことだったのか。でも、だったら何で……。
正解を導き出したからこそ、また新たな疑問が生まれる。そして、どんどん自問自答が深みにはまっていき――焔條は、戦場のど真ん中で呆然と突っ立ってしまった。
その無防備な焔條を、当然の如くBOLの兵士が見逃すはずもなく、銃口を向ける。
焔條は全く気付いていない。
兵士が引き金を引く瞬間――鈍い金属音と同時にAKが弾き飛ばされた。
「ぐわあっ!」
そこで焔條はようやく気付いたのか「ハッ!」と間の抜けた声を漏らす。
とっさに、AKを撃ち落とされた男に近付いて殴り倒す。
「俺は……」
そうだ。何を考えているんだ。今は、今ここで起きている戦いに集中するべきだろう。なにボーっと突っ立ってたんだ、馬鹿なのか。
焔條は自分に叱咤する。そして、敵のAKを撃ち落としてくれたであろう幼馴染の狙撃手に感謝する。五十メートル先だがわずかに見える――天凪清華に。
「清華……サンキュー」
今自分にできることを、最大限やる。
焔條は自分に言い聞かせ、CPMの建物に向けて、強いては清華に親指を立てる。
「よーし。ガバメントの方は……うわあ、すげえ。絶対に敵に回したくねえな」
敵は同士撃ちを恐れて、ガバメントが高く跳ぶ時にしか撃とうとしない。だが、ガバメントは空中で逆さ向きになりながら両手の拳銃を連射して、敵のAKを撃ち落とすのだ。敵に銃の発射を許しても蝶のようにひらひらと避けるので、どうにもならない。
やっていることは銃を使った醜い戦いなのに――ガバメントの流麗な身のこなし、それに伴ってなびく橙色の髪、一つ一つの細かなところまで美しい。
拳銃から燻ゆる硝煙ですら、ガバメントに彩りを与えるものになってしまう。
神々しささえ感じるほど、どこまでも美しかった。
自分の戦いを放棄してでも、ずっと見ていたくなるほどに。
「あんなの見せられたら、俺も頑張るしかねえだろう」
焔條は自分を奮い立たせ、戦場を駆ける。少しでも早く、一人でも多く敵を無力化させるために。まだまだ、敵はたくさんいる。
その後――焔條は清華の助けも借りながら前線にいる敵の兵士を減らしていく。
最終的に、後方を全滅させたガバメントが、前線にいる焔條の獲物まで奪うという活躍ぶりを見せる。
警察が到着する頃には、警察の仕事がBOLの兵士を運ぶだけになっていた。
戦いが終わり、焔條政貴はガバメント共にCPMに戻る。
ロビーには、天凪清華と鍛冶原匠の二人が出迎えてくれた。
「政貴君。怪我はない? 大丈夫?」
真っ先に駆けつけてくれた清華が、心配そうな眼差しを向ける。
「清華……お前はスコープでずっと覗いてたじゃねえか」
「でも、わたし、どうしても直接会わないと心配になるから……」
前髪から覗く清華の目は、潤んでいた。焔條は、清華が寂しがり屋であることも知っている。なので焔條は、
「ありがとな、清華。おかげで俺は生きていられる」
と言って、清華の頭をぽんぽんと叩いた。
「マサ。今日はいいもん見れたよ。ガバメントの活躍ぶり……想像の遥か上の上をぶっちぎっていた。だって百人以上だぞ? 想像できるか? それを一人で、しかも死者数零だなんて……もう伝説だよ」
「タクミ……お褒めの言葉はありがたいのですが、少々言い過ぎでは?」
「何言ってるんだよ、ガバメントちゃん。こんなの人間にできるわけないじゃない。流石――神だね」
「カジ! この馬鹿!」
饒舌に話していた鍛冶原が、口を滑らせた。
「えっ? ガバメントさんが神って、どういうこと?」
話を聞いていた清華が、首を傾げて訊いてきた。焔條はどうしようか迷った挙句、とりあえず鍛冶原を殴った。それから、考える。
そして――考えてみれば清華にガバメントのことを秘密にしておく必要もないと思い、焔條は清華に話す。
「清華。実はガバメントは……かくかくしかじか……」
「そ、そうだったんですか? す、すごいです……すごいです」
二度同じことを言うくらいすごかったらしい。
「それはともかく……カジ、BOLを調査してたの勘付かれてたぞ。おかげで、ロープで縛られて監禁されたんだぞ」
「まさか! そんな足がつくような真似してないし、誰かにばれるくらい深く探りを入れたわけでもないよ。そんなこと、今まであった?」
焔條は鍛冶原のその問いに、首を縦に振ることができない。
「いよいよ今回の件は、やばいな」
「何言ってるんだよ、マサ。今日でBOLは全員捕まったんでしょ?」
「いいや。これで全員なわけがない。それに、まだBOLをまとめるリーダーが捕まっていないんだ……まだ、終わっていない」
フレア・ブローニングは、ここには来なかった。
焔條政貴を殺すと言っていた彼女。
「ちょっと疑問に思ったんだけど……」
清華が、焔條の言葉によって訪れた静寂を破るように言う。
「昨日以前の事件は、全て軍が関わっている人や企業が被害を受けているけど……昨日の政貴君の襲撃と、今日のCPMの襲撃だけは、BOLのやり方じゃあないよね?」
「ほほう、清華ちゃん。鋭いね。僕も薄々感じていたんだよね」
「お前のは嘘だろ、カジ」
焔條は鍛冶原に突っ込みを入れて黙らせる。
清華の言っていることは、もっともだった。
過去の――『大須事件』以前のBOLは、その行動から義賊と謳われていた。そして、その義賊的行動は最近の事件に多く見られている。
しかし、昨日と今日の事件は、明らかに特定の対象を狙ったものだった。
そう――焔條政貴を殺そうという怨恨目的があるのは確かだ。そして、BOLを使って焔條を殺そうとしたのが、リーダーのフレア・ブローニング。
一昨日の夜に焔條の家を襲撃した、青い髪に碧眼の少女フレア。
会った時に姓を名乗りはしなかったが、確実に同一人物だと言える。
「特に、昨日の事件なんて、政貴君個人を狙ってたよね? それも、一人に対して十人で襲うのっておかしくないかな? おかしいよね?」
清華は確かめるように言い、強調する。
「でも、清華ちゃん。いくら一人と言っても、相手は焔條政貴だよ? 少し記憶力がいい人なら誰もが知っている有名人だ。念には念を、相手が焔條政貴だからこそ、ってね」
鍛冶原は、あえていつも通りの呼び名ではなく、フルネームで焔條を呼んだ。
そして、その言葉が気になったのか、ガバメントが「タクミ」と声をかける。
「マサキだからこそ、というのはどういう意味ですか? まるで、マサキにはそれほどの人数が必要だと言わんばかりではないですか」
「あー、ガバメントちゃんはマサの昔を知らないか。おいおい、マサ。お前、ガバメントちゃんに自分のこと何も言わなかったのか?」
何か責められているような感じで言われて、いい気がしない焔條。
「……何も訊かれなかったからな。それに、俺のことなんて面白くとも何ともない」
「そんなことありません、マサキ。私は是非とも聞きたいです」
「わたしも、聞きたいな。何度聞いても飽きないから」
ガバメントは興味津々と言った感じで、清華まで乗り気だ。
そして、鍛冶原は言うまでもない。
「決まりだな! よーうし。結構長話になるから……あっ、そうだ。飯食いに行こう、飯……それで、その場でマサのことを話そう」
さあ、行こう行こう、と勝手に話を進めて外に出る鍛冶原。
確かに、事件が終わって現在時刻は十二時半を過ぎている。
焔條は午前中に方々を走り回って、BOLと戦ってと――体力を使い切っていた。なので全身が栄養を求めている状態なのだ。
焔條は食事の誘いを断ることができなかった。
外に出たところで、鍛冶原が焔條に近付いてくる。
「ついでに、あの約束を果たしてもらうよ、マサ」
「馬鹿! あれは成功が前提の約束だ。俺がBOLに待ち伏せ喰らったんだから失敗だ。だから無しだよ」
「冷てーなあ、マサ。結果的に双方共に損害は軽微で済んだんだからいーじゃん」
「お前の失敗がなかったら、ここの建物の通気性が良くならずに済んだんだ」
焔條はCPMのアジト――倉庫のような建物を親指で指す。正面の壁がBOLの銃撃によって蜂の巣になっている。それを見て鍛冶原は苦笑するだけだった。
「頼むよ。これからも色々とサービスするからさ」
「……しょうがねえな。じゃあ約束しろ。銃弾の半額は基本な」
「うーん、微妙なところだけど、うん。これから訪れる幸せを思えば安いものさ」
焔條と鍛冶原の契約が結ばれて、二人は固い握手を交わす。
「マサキ、タクミ。二人で何を話しているのですか?」
ガバメントの問いに、焔條と鍛冶原は示し合わせたように、
「「いや、何でもないよ」」
と、同時に笑みを浮かべながら言った。
同じ言動をする焔條と鍛冶原だが――二人の思惑は全く違うものである。
CPMの近くにあるファミレスで、四人は食事をすることにした。
テーブルを挟んで、片方の席に焔條と鍛冶原が、もう片方にガバメントと清華が座る。
各々が好きなメニューを頼むのだが――
「あれ? ガバメントちゃんは何か食べないの?」
「私のことはどうぞ構わないでください」
ガバメントは何も注文をしなかった。金銭面の問題、ではない。もっと根本的な問題があるから、である。
「ああ、カジ。ガバメントは存在があれだから、食う物も違うんだ」
場所が場所だけに言葉を控える焔條。鍛冶原と清華にも、九十九神である事を口外しないように言ってある。
「えっ……そうなの?」
焔條の言葉に驚きのような焦りのようなどっちつかずの反応をするのは、鍛冶原だ。
そんな鍛冶原に構わず、焔條はズボンのポケットに手を突っ込む。
「……これが、ガバメントの食べ物だ」
焔條は手に握った数発の銃弾を、鍛冶原と清華の二人に見せる。
ガバメントが好むと思われる45ACPを。
「マサ! お前ガバメントちゃんになんてモン食わせてんだ!」
「ほら、ガバメント」
「ありがとうございます。では、お先に……いただきます」
激怒する鍛冶原を無視して、焔條はガバメントに銃弾を与える。銃弾を手に取るガバメントは、そのまま一つを摘まんで口に入れた。
ぼりぼり、と咀嚼する音が外にまで聞こえてくる。
「うおおおおおおおおおおおっ! マジか! ガバメントちゃんが銃弾を、まるでリスがドングリを頬張るかのように食っているううううううううううっ!」
「鍛冶原君、静かにしよう。周りの迷惑になるから。それとも永遠に静かになりたい?」
「ええっ! 何気に怖いよ清華ちゃん! ゴメン静かにするから」
その様子を見て戸惑うガバメント。
次の銃弾を手に取るが、なかなか口に入れづらそうだった。
「ガバメント。カジの馬鹿は放っといて、食べろ」
「そ、そうですか。それならば……」
結局――ガバメントは焔條に諭されて銃弾を口に入れる。よどみなく銃弾を平らげていき、最後の一つになったところで焔條が、
「ちょっと待てくれ」
と言ってガバメントの手を止めさせた。
「どうしたのですか? マサキ」
「いや……その最後の一発、半分だけかじってくれるかな?」
「? いいですけど……」
特に嫌がる素振りも見せず、ガバメントは銃弾の半分をかじった。綺麗な歯型のついた薬莢の一部が、摘まんだガバメントの指に残る。
「せっかくだからここで、カジとの約束を果たそう。BOLのアジトの調査代……ここで支払うぞ、カジ」
「マサキ……それは、昨日提示した条件とやらですか? それが何なのか、教えてくれるのですね」
ガバメントの言葉に、首を縦に振る焔條。
「……マサ。もしかして、嘘だろ?」
表情から血の気が引き、青ざめる鍛冶原。
焔條は鍛冶原に指をさして言う。
「条件は『ガバメントの食べさしをカジに食わせる』だ。だから俺は、ガバメントが一口かじった銃弾をお前に食わせる」
「いやいやいやいや。おかしいおかしい。マサ、僕に銃弾を食べろっていうのか?」
「お前は満面の笑みを浮かべて了承しただろ。そして、お前は細かく条件を付けていない……つまり、ガバメントの食べさしなら何でもいいはずだ」
「ガバメントちゃんが銃弾を食べるなんて聞いてないよ」
「訊かれなかったから言わなかったんだ。訊かないお前が悪い」
焔條は一度、ガバメントを見て言う。
「ガバメント。黙っていてすまない。そして、悪いがその残りの銃弾をカジに渡してくれないか?」
焔條は、鍛冶原に拒絶反応を示したガバメントは気を悪くすると思っていた。
「いいですけど……タクミはいいのですか?」
戸惑いを見せてはいるが、怒っている様子はなかった。それどころか、下心見え見えの鍛冶原を気遣うことを言っている。
「大丈夫だ。多分、あいつは食わない」
焔條は再び鍛冶原の方を向く。
「カジ。せっかくお前が調査を失敗したのにもかかわらず約束を守ってやったんだ。ほら……ありがたく食えよ」
鍛冶原は、ガバメントから食べさしの銃弾を受け取る。
「……ガバメントちゃん。45ACPって、おいしい?」
「はい。とてもおいしいです」
ガバメントは笑みを浮かべて応えた。
「マサ。俺は人類初、銃弾を食べた男として歴史に名を残す!」
大袈裟なことを言って、鍛冶原はガバメントの食べかけの銃弾を口に入れる。
「はわわ……食べた。鍛冶原君が銃弾を食べた」
清華は口に手を当てて驚いている。焔條も、まさか食べるとは思っていなかったので、鍛冶原の蛮行に素直に驚く。
「………………」
鍛冶原は口を動かしてはいるものの、ガバメントのように銃弾を噛み砕く音が聞こえない。たまに、ガキッと変な音がするだけだ。
「おい、カジ。無理すんな。吐きたいなら吐け」
見ていられなかった。焔條は堪らず言うが、鍛冶原からの返事はない。
代わりに、ごくん、と飲み込む音が聞こえた。
「……何て言うのかな? うん、不思議な味だったよ」
鍛冶原の顔色は悪く、今にも吐きたそうな顔をしている。ガバメントを自分の言葉で傷つけまいと思っているのだろうか。
「そうですか。ではまた今度食べますか?」
「う、うん。また今度ね、ガバメントちゃん。予定空くかどうかわからないけど……」
ガバメントに言われて、素直に断ることができない鍛冶原であった。
焔條としては、欲張った鍛冶原を懲らしめることができたので満足する。
そうこうしている内に、ガバメント以外の三人が頼んだ食事が運ばれてきた。
焔條はハンバーグとチキンとソーセージの三種盛りにライスのセット。
鍛冶原はマルゲリータとエビのドリア。
清華はカルボナーラ。
お腹が空いている焔條は、早速鉄板の上で音を立てている肉を食べ始める。
「あっ、忘れてた。今日はマサのことについて話すんだったな」
「そういえば、清華。お前のM24の調子はどうだ?」
「ふえっ? あっ……サヤカスタムのこと? うん、ばっちりだよ。今日だって一ミリのズレもなかった。ばっちり」
「おい、マサ! 話を逸らそうとしない! 清華ちゃんも乗っちゃ駄目だよ」
焔條は「チッ」と舌打ちをする。饒舌な鍛冶原が相手では、流石に話を引き延ばすのは無理があったようだ。
ちなみに――M24とは清華が愛用している狙撃銃のことだ。清華は大部分を自分で改造しており、オリジナルの数倍の性能を誇っている。清華は自分が手掛けたM24にかなりの愛着を持っているらしく、『サヤカスタム』と名付けているくらいだ。
「そうです。私はマサキのことをもっと知りたい。そのためには是非ともマサキの昔話を聞きたいです」
「ほらほら。ガバメントちゃんが聞きたいって言ってんだからさ」
いやに乗り気なガバメント。それに乗っかって言う鍛冶原は若干うっとうしいと焔條は感じた。「勝手にしろ」と焔條は食べることに集中する。
「マサは自分のことを言いたがらないんだよね。まあ、堂々と自慢話するよりはよっぽどいいんだけどね」
「それについては同感です。謙虚で驕らない姿勢は素晴らしいですよ、マサキ」
「別に大したことをした覚えもないし、過去の栄光だよ」
「謙遜なさらず、誇りに思ってもいいはずですよ」
否定をしてもガバメントには意味がないと思った焔條は、弁解を諦めた。
「じゃあまず何から話すべきかな。あっ、でも僕は高校からマサと知り合って、それ以前はニュースとかの知識しかないからね。清華ちゃんの方が詳しいよね?」
清華は、口にあるカルボナーラを飲み込んでから頷いた。
「政貴君は……一言で言うなら天才だよ。小学生の頃からエアガンで遊んでいてね。それで、WSGのジュニア部門で日本代表チームのエースだったの」
「サヤカ……WSGとは何のことですか?」
「あっ、ご、ごめんなさい、ガバメントさん。えっと……WSGは、ワールドサバイバルゲームの略称です」
「模擬戦闘のようなものさ」説明が苦手な清華に代わって、鍛冶原が言う。「元々サバイバルゲームは日本発祥でね。どんどん世界中に広がって、いつしか競技として年に一回世界大会まで開催されるくらいにまで発展したんだ。様々なルールとシチュエーションがあって、兵士としての総合力が試されるんだ」
「なるほど。大体わかりました。サヤカ、続きを」
「あれ? 僕って説明係なの……」
ガバメントにぞんざいな扱いをされて、途方に暮れる鍛冶原。恐らくガバメントは意識していない。清華も、言われるままに続きを話す。
「えっと、それでね……チームの成績も良かったんだけど、政貴君は個人の記録がずば抜けていたの。団体戦では常に最多撃退数をマークしていたし、個人戦ではバトルロイヤル部門を、十歳から十四歳まで、五連覇したんだよ」
「世界の舞台で五連覇ですか!? 想像を絶する素晴らしさですね」
「ジュニア部門の制限……十歳から十七歳まで、ジャック団長は八連覇してる」
ガバメントが驚いているところ、焔條がぼそりと言う。
まるで、自分がやったことは大したことではないと言う風に。
「そんな……確かにジャックもすごいですが、それでも、マサキのすごさに変わりはありません。もっと、自分に自信を持ってください」
「そうだよ。政貴君は稀代の少年兵って言われてたんだから。それで、一番印象に残ったのは……十三歳の時かな。新聞の一面を飾ったんだよ」
「それはまた……このままでは賛辞の言葉が尽きてしまいますね。それはともかく、それはどのような内容なのですか?」
「ある時――この都市部でテロ事件が起きたの。人質を取ってお金を要求するっていう。政貴君は一人でテロリスト達と戦って、事件を解決したんだ」
「あの時は外からの助けもあった」
焔條は清華の言い方が気に入らなかったのか、食事する手を休めずに言う。
「でも中で戦ったのは政貴君だよ」
「そうだぞ、マサ。あのニュースを見た時、『ダイ・ハード』かよ! んでお前はジョン・マクレーンか! って僕は思ったんだ」
「お前の当時の心境なんて知るか」
焔條からすれば既に過去の出来事であるが、弱冠十三歳の少年が初めての実戦で、テロ事件を解決したのだ――当時の焔條は英雄ともてはやされて、国や県から表彰を受けたくらいだ。
「立派だったのですね、マサキは。では、その後は――」
「ガバメントちゃん。それを訊くのはちょっと……」
ガバメントが言いかけたところで、鍛冶原が止める。戸惑うガバメントに、清華が顔を近付けて耳打ちする。
「あのね……政貴君が十四歳の時に『大須事件』が起きたの。そこで政貴君は知り合いを何人か亡くしちゃって……」
目を見開くガバメント。そして、彼女の表情が後悔の色に変わる。
「マサキ……その、申し訳ありません」
「謝る必要なんてない、ガバメント。それに、こそこそ話すことでもない。俺はショックでやる気なくして、軍関係の学校のスカウトを蹴って今の高校に入ったんだ。それから、CPMに入団した」
焔條は気にする様子もなく、ただ淡々と歴史書を読むように言った。
「まあ、CPMを再建したのはジャック団長だけど、でも――そのそばで常にマサが戦場で活躍していたのも事実だ。二年のブランクがまるで感じられないくらいに」
「ブランクはある。CPMに入って一年近く経った今でも……まだ全盛期のそれとは比べものにならないくらい弱い。だから、みんなの足を引っ張っている」
「そこは助け合いだよ、政貴君。わたし達だって政貴君に頼りっぱなしのところもあるんだから、お互い様」
みんなから褒められるのは悪くないが、褒められ過ぎるとこそばゆくなる。何を言っても謙遜と取られるので、焔條は調子が狂う。堪らず、話を変えようとする。
「俺のことなんてそれくらいでいいだろう。今を考えようぜ。そもそも、BOLのことを話してただろう? 昨日今日の事件を話そうぜ」
「つーっても、マサ。昨日の襲撃事件でマサに対して十人が送られてきたことに関して、ガバメントの疑問に応えるための話だったんだぞ」
「そうですね。おかげで、疑問は解決されました。話を聞く限りでは確かに、ブランクがあるとはいえマサキ相手に十人とは少ないと思いますね」
少しの間放置された疑問がようやく解決して、納得するガバメント。
何はともあれ――ようやく現状に戻すことができてほっとする焔條。
「政貴君は人気者だからね」
「銃撃されるほどの人気なんていらねえ!」
「でもな……誰かに恨みを買うことなんてしたか?」
焔條は鍛冶原の問いかけに肩を竦める。そして「品切れになるほどな」と半笑いしながら言った。
「でも、今日の事件はCPMを狙ったものだったよね?」
「いや、違うぞ、清華。俺はBOLのアジトに攻め入ろうとして、逆に待ち伏せされた。拘束されて、BOLの一人に『お前はCPMを潰してから殺す』と言われたんだ。つまり――今日の事件も俺に対する恨みからだ」
「BOLに狙われている、か。大丈夫かよ、マサ。ひょっとしたら……家にいる時に夜襲されるかもしれんぞ」
それならもう一昨日の夜に体験している、とは言えない焔條。それも、BOLリーダーと見られるフレア直々にだ。まだ言わない方がいい。
「心配ない。ガバメントもいることだし」
「任せてください、マサキ。寝ずの番など余裕です」
それはそれで悪い気がするが――ガバメントは特別だ。
食事や睡眠を必要としないと言っているのだから、構わないだろう。
「しかし、今日の戦闘で百五十人余りが捕まったんだ。壊滅とは言わないまでも、流石に大打撃と言っていいだろう。やれることも限られてくると思うけどな……」
マルゲリータの一片をかじりながら、鍛冶原は楽観的なことを言う。
焔條は素直に頷けない。まだフレアが捕まっていないのだから。家に直接襲撃を仕掛けてくるフレアが、何もせずに引き下がるとは思えない。
「警戒する以外に、対処は無いか……」
今のところフレアの所在もわからないため、焔條は落胆するようにつぶやく。
「大体、こんな忙しい時期に事件が起こるなんて迷惑なんだよ」
「鍛冶原君。それって明日のこと? でも……こんな立て続けに事件が起きたら、中止になると思うな、わたしは」
清華の言葉に、焔條は引っ掛かるところがあったのか、頭を捻る。
「ん? カジ、明日って何かあった?」
「スケジュールを気にしないとは大物だね、マサは。確か、午後にそのことについて会議を開くらしい」
「そうか……じゃあ、ジャックが説明してくれるだろう。それまではのんびりと食事でもしながらくつろごう」
焔條は盛り合わせのフライドポテトをフォークで突き刺し、口に入れる。
「……その会議って、何時からだったっけ?」
ちらりと腕時計を見ながら、清華が囁くように言う。
「いやだねー、清華ちゃんまでど忘れしたの? 何時って、午後二時からだよ。今が一時四十分だから……あれ? どうしよう。あと二十分しかない!」
「馬鹿野郎、カジ! 長話のし過ぎだ! ここからCPMまで十分はかかるんだぞ!」
「諦めるな、マサ! あと十分後までにこの店を出ればいいんだ!」
「でも……話に夢中で、まだご飯が食べ切れていないよ」
焔條と鍛冶原は、清華に言われてテーブルを見る。
三人が注文した料理は、半分は食べられているが、半分はまだ残っている。
「……急げ! かき込むんだ! ジャックに何言われるかわからねえぞ!」
焔條は慌てて冷めた肉を食べる。
「政貴君。行儀が悪いよ。ゆっくり食べないと体に悪いんだから」
清華は早く食べることができないのか、ゆっくりとパスタをフォークでくるくると巻いて、口に運ぶ。
焔條と鍛冶原も間に合わないことは薄々気付いている。それでも――大幅な遅刻だけは避けなければいけないという思いはあるのだ。
その後、三人は必死に残りを完食して、CPMに向かった。
ただ――健闘むなしく、三人は会議に遅刻した。
焔條と鍛冶原と清華にジャックの怒号が降り注いだことは、言うまでもない。
ちなみに、ガバメントは三人がCPMに着く少し前には姿を消していて、会議室に飛ぶことでギリギリ遅刻を免れた。それはガバメントの行動範囲内での行為だ。
話を聞きたいと言ったのはガバメントなので、会議後に焔條は責任を追及するが、
「遅刻の原因は、マサキ達が食事を早く済ませなかったからでしょう?」
私は関係ありません、とガバメントはそう締めくくる。
ガバメントの言っていることは正しい。だからこそ、言おうと思ったこと全てが言い訳がましく感じて――焔條は言い返せなかった。