プロローグ
プロローグ
――お前の掲げる正義は脆弱で、絵空事も甚だしく、あらゆる選択肢を排除する。その正義では誰も救えない。全てを滅ぼす。そう、自分の命も――
それは、ある人の言葉。もうこの世にはいない人が遺した言葉だ。
「……う、うう。くそっ……夢か」
蛍光灯のまぶしい白光が、畳で寝転んでいる焔條政貴の覚醒を促す。まぶしいためなのか周囲を確認するためなのか、焔條は首を左右に動かす。
畳敷きの和室は八畳の広さで、焔條は部屋の中心に置かれている丸い卓袱台に下半身を突っ込ませて寝ていた。卓袱台の奥――部屋の隅に位置するテレビはつけっ放しにされていたらしく、今もニュース番組が流れている。
「ふわ~あ~あ~あ~あ」
だらしなく欠伸をかいて、焔條は体を起こした。寝ぼけ眼でテレビ画面の隅に表示されている時刻を見ると、午前零時に近い時間だった。首を左右に捻って骨を鳴らす。体から響く音を聞きながら、焔條はうたた寝をした経緯を思い出そうとする。
「…………ああ、明日からゴールデンウィーク、だったな。そういえば」
一時とはいえ学業から解放されるのだ、気の一つや二つだって緩む。焔條は、ただ単に疲れ切った週末の体を、終末に近い体を休ませるために寝たのだ。
今年で十七歳の高校二年生とはいえ、焔條の体力は無限ではない。当然疲れるし、休日明けの月曜日だって授業中に眠気が襲ってくるくらいだ。
「でも……どうせ明日はバイトがあるだろうな」
起こした上体を再び寝かせて、天井を仰ぐ。
同時に――
焔條の目の前を銃弾が通過した。
「えっ?」
銃弾が通過する風切り音が聞こえたと思った時には――既に八畳の和室に大量の銃弾が撃ち込まれていた。
「ちょ、嘘だろ!」
次々と、外に繋がる障子を破りながら室内を蹂躙する銃弾――マシンガンの所業であることに、焔條は既に気付いている。
仰向けになっていた体をうつ伏せにして、匍匐前進をする。銃声が大きいことからすぐ近くで撃っているのがわかる。障子の先――庭だろう。
すぐ上を通過する銃弾の嵐を気にしながら、焔條は障子から離れる。そして、テレビが置いてある右端からも離れ、何も無い左端へと移動する。少しでも被弾のリスクを減らすためだ。
何なんだよ、これは! わけわかんねーぞ!
焔條は心中で文句を言う。それでも、一方的に銃撃を受けるという理不尽な状況に立たされながらも、必死に活路を見出そうと思考する。しかし、
「――ぐっ! うわああああああああああああああああ! がっ! ぎぃぃいいい!」
焔條に激痛が走る。
左の上腕に銃弾が当たったのだ。マシンガンの弾が部屋のどこかに跳弾したのだろう、しかし、焔條はそんなことに頭が回らず、ただ襲ってくる痛みを耐えることに必死だった――でなければショックで失神してしまうから。
突如、銃声が止む。まるで、焔條の叫び声が合図だったかのように。焔條が叫んでのたうち回っている時に銃声が止んだのだ、そう考えたっておかしくはない。
焔條はふと気が付き、無事な右手を腰に回した。腰にはホルスターが付けられており、焔條は、そこに収められているものを手に取る。
M一九一一――通称コルト・ガバメント。
アメリカ製の自動拳銃で、45ACPと大口径の銃弾ではあるが、日本でも所持している人は多い。焔條もまた、その内の一人だ。
一発で敵の動きを止めることができる拳銃――らしいが、それでも、その一発を当てなければ意味がない。敵が見えなければ、撃ちようがないのだ。
「……くぅ、はあ……はあ、はあ、はあ」
焔條は右手にガバメントを握り、体をうつ伏せから反転させて、それから体を起こす。左腕の痛みは引かず、左腕と体の一部が流れる血で濡れる。
焔條の正面には、蜂の巣になった障子がある。
その障子にガバメントを向ける――
「動くな!」
前に、その障子が蹴破られて、銃を突きつけられた。それも、マシンガン。
M60――アメリカ製の機関銃で、七・六二ミリのライフル弾を毎分五百発以上で発射する。現代ではほとんど使われることが少ない。時代遅れもいいところ、それを使っているなんて映画の見過ぎだと言える。
しかし、焔條には、やはりそれらを思考する暇や余裕などない。
M60を構えている者が発した声、それは威圧的な台詞とは対照的に高くてかわいらしい少女の声だったからだ。
焔條はその姿を見て、一瞬、思考が止まる。
「銃を捨てて、手を頭の後ろに回しなさい! 死にたかったら無視してもいいわ」
M60を焔條に突きつけているのは、女子高生だった。
白い長袖のセーラー服に膝上十センチ以上の短い紺色のフレアスカート、黒のニーソックスという格好で焔條と向かい合っている。もっとも、少女の上半身にはM60に繋がっている弾薬のベルトが巻き付けられていて、非常に物騒だった。
女子高生――と焔條は判断した。理由は、目の前の少女が着ている制服が、焔條の通う高校のものであるとわかったからだ。
そうでなければ、背が低くて出るところが出ていなくて肌が白い童顔の少女を――女子高生と認識してはいない。
焔條の前にいる少女は、女子中学生と言っていい姿形なのだ。
セーラー服と機関銃なんて、映画じゃあるまいし。しかし、M60なんて規格外だぞ。普通は手に持って撃たねえ。そんなことするのは元特殊部隊で筋肉モリモリマッチョマンの変態だけだ。
「…………」
焔條は呆然としている。しかし、M60の銃口が自身に向けられているのに気付き、言われる通りにガバメントを畳の上に置いて、両手を頭の後ろに回す。焔條は、緩慢な動作で時間を稼ぎ、少女を探る。
少女の髪は、サファイアに近い鮮やかな青色だった。左右一つずつ、後ろを二つ結んでいて、フォーステールと言った方がいいのか、ツインツインテールと言った方がいいのか――見たこともない髪型になっていた。
そして、髪の色と同じ色の目。青い髪に碧眼。それは、この上なく際立っていて、綺麗だった。それが余計に見た目の年齢をわからなくしている。判断を狂わせる。
それよりも――
あの青い目……あの人に似ている。いや、まさか、な。
少女の青い目に見覚えがある焔條は、昔の記憶を探っていて、まともな思考ができていない。頭にもやがかかっているかのように。
少女は焔條を睨みつけて「ハンッ!」と鼻を鳴らした。空いている片手の指先で、頭のテールの一つをくりくりと回すようにいじっている。
「呆気ないわね。本当に呆気ない。肩すかしもいいところ。何の感慨も湧かないわ。ねえ……訊いてもいい? あんた、本当に焔條政貴?」
少女の台詞を聞いて、焔條の中で浮かぶ疑問の数々。
どうして名前を知っているんだ? それより、あの言い草……ここにいることを確信しているかのような口振りだった。じゃあ、何で自分を目の前にしながら、あの質問をするんだ? わからない。
「ああ、そうだ」質問に答えてから、焔條は続ける。「どうしてそんなことを訊く?」
「あんたが本物の焔條政貴だったら、こんなに弱っちいはずないもの。あたしはこの一年で色々調べたんだから、知っているよ。焔條政貴は――」
「――『大須事件』において唯一の生き残りだということを」
「!?」
焔條は息をのんだ。少女の口からその事件が語られるとは思いもよらなかったからだ。焔條は混乱する。その取り乱しようは、まるで門外不出の禁忌を他人に知られたような、そんな驚きを含んでいた。
「な、何で、そのことを……事件の真相は、極秘のはずだ」
焔條は得体の知れない少女に言う。体中が嫌な汗で濡れまくっていても、胃が上下逆転しそうなほどに気持ち悪くても。
「何よその驚きようは。もしかして、あんた本当に焔條政貴? ハンッ! だったらいいわ。あんた、とにかく死んで」
少女の声が、冷たく放たれた。
M60の銃口が、焔條の体の中心に真っ直ぐ向けられている。
「待て! どうして俺が殺されなくちゃいけないんだ!」
「うるさい! あんたは、殺されて当然の人間なのよ!」
聞く耳持たずといった感じで、少女はM60の引き金に指をかける。
死にたくない。まだやり残したことが、やってすらいないことがある。生きたい――と焔條は思った。
その瞬間――焔條は橙色の炎に包まれた。
しかし、肌を焦がし全てを焼き尽くす炎の熱を焔條が感じることはなかった。それは焔條の前にいる少女も同じらしく、引き金を引く瞬間に怯んだのか、仰け反った姿勢から、横目で様子を窺っていた。
その炎は、焔條と少女のちょうど真ん中辺りにある――畳に置いたガバメントを中心に溢れ出ていた。炎に触れているのに、熱を感じない。
これは、幻覚、なのか。
「ううう、何なのよ! この炎は!」
焔條が炎の出現に戸惑っていると、少女が叫び出した。目の前をちらつく炎を払おうとしても、その手は空を切るばかりだ。
しかし、幻覚というのなら、この直後の出来事こそ、まさしくそれに相応しい。
畳に置いてあるガバメントが宙に浮いたのだ。
「えっ?」
拳銃が一人でに浮き上がる、そんな光景を目にして、焔條の思考が停止しする。
ガバメントの動きが止まる。
すると――辺り一面に広がった橙色の炎が、ガバメントに集まった。集結し、集約し、収斂する。炎はガバメントを囲むように渦をなし、拳銃のシルエットが完全に隠されてしまった。ただ橙の渦が焔條と少女の間にできている。
「な、な、な……」
何だこれは、という言葉が出せないほど、焔條は驚いている。空いた口が塞がらず、ただただ絶句して、状況の推移を見守るしかなかった。
しかし、それも一瞬のこと――ガバメントを包んでいた炎が一気に爆散して、焔條と少女を包む。焔條は目がくらんで一時的に視界が真っ白になる。
「うわああああああ!」
「きゃああああああ!」
焔條と少女が叫ぶ。
何がどうなってんだ、と焔條は半ばパニックになる。しかし驚いたことに、爆炎で見えないはず視界が、はっきりとそれを映していた。
まるでそれは、橙色の炎が具現化したかのような。
少女が――一人。
M60を持った少女とはまた別の、少女が一人、焔條を見ていた。
「――血液と火薬、肉体と弾丸、魂と銃――ここに、契約は結ばれました」
橙色の少女は、凛とした声で、力強く言う。視線は射抜くような鋭さを見せて、焔條を見据えている。
「私の名はガバメント。――この身は、あなたの銃となりましょう」
その言葉が――
ゴールデンウィークの始まりであり、
日常の終わりだった。