元公爵令嬢は笑う
わたくしの人生の転機はふたりの男だった。
皮肉った笑みが特徴の嫌な暗殺者。
普段は弱気なくせにいざとなればかっこよく振る舞う商人。
前者は互いを利用しあう関係を築き。
後者はわたくしにとってかけがえのない人だった。
それゆえに前世で考えられないほどに波乱を迎えることになる。
心が折れそうになときもあった。誰にも気づかれなかったのにいつもそばにいた彼女だけは違い何度も救われた。
そう前世。
わたくしは普通の高校生活を送るどこにでもいる女子高生でしたわ。急加速したトラックに轢かれ目の前が真っ暗になったと思えば異世界に赤子として転生してしました。日本語や英語でない知らないこの世界の言語はおもしろく今では自国以外の言語も習得しています。
自由気ままに過ごすうちにもやもやと違和感を感じていたある日のこと。
両親がわたくしの名前を呼んだときにどこかで聞いた名前だと頭に引っかかり、鏡に映る成長した自分の姿を見て思い出したのです。
この世界はゲームだと。
そしてわたくしはライバルキャラの悪役令嬢でヒロインの相手が王太子だと家が没落し国外追放です。他のお相手はそれぞれの婚約者がライバルとなるのですがハーレムを選択するとわたくしがライバルとなります。
ゲームであろうとここは現実です。たくさんの人の思想が絡まりあっている世界でゲームのようになるわけないと楽に構えていましたが現実は非常でした。成長するにあたって我が家が何をしているのかを知ってしまったからです。やめさせようとしましたが逆に反感を買ってしまい家での立場が悪くなるばかりで最悪なことに監視も増えました。
自由に動くこともままならず裏でこそこそと慎重に行動をするしかありませんでしたわ。
ゲームでは長年の汚職、他国と繋がり王家を追い落とす企みがばれてお父様は処刑される。そしてわたくしと弟以外はどうなったか明記されていません。
この世界基準で考えたならば処刑されたか幽閉されてしまうでしょうね。国で絶大な権力を持つ王族に背いたのだものあたりまえよ。
未来が暗いわ。
それに民衆から悪徳貴族と評され、貴族には厄介扱いの我が家。
悪事の証拠を巧妙に隠しているせいで頭の上のたんこぶのように思われています。
わたくし、マリーエント・ノル・シュタットを政治の駒として王太子と婚約させたのは国を掌握しようとお父様が企てたのです。王家にとってはさせたくなかったけれど我が公爵家は強くなり過ぎてしまった。ですので王妃様や王女のお茶会に呼ばれると人の粗探しや嫌がらせも受けましたわ。
ときたま暗殺者が仕向けられるくらいには遊びが過ぎているようですけど。
王家にさえ嫌われてしまうくらいの悪行をしていたのは認めますが何の罪もない幼女に鬱憤を晴らすのは最低だと思いませんの。
何か思惑があるのでしょうがわたくしにはわかりません。未来の王妃を潰そうとする王族達は公爵家を敵にしてもいい正当な理由があるのでしょう。我が家の汚職の証拠を掴んでいるのならなぜ公爵家の力が強くなる前にやらないのか。準備が整うのをまっているのかしら。
例え、王太子と結婚してもわたくしに侮蔑の視線を送る彼と円滑な夫婦生活ができるとは思いませんし敵だらけな未来に希望なんてありません。
絶望し幾度も泣きました。
侍女に八つ当たりや自室に引きこもっていましたがそれでもお父様達は役目をはたせと強要し味方なんていません。
鬱屈した日々を過ごし王妃のお茶会に呼ばれたとある日にわたくしは悪意の視線に耐えきれず途中で逃げ出したのです。
どうせ後から嫌味を言われるだけで処罰をしようとはしないでしょうから。
それが転機になるともしれず。
王太子に似たとてもかわいらしい男の子がいました。
幼い身体を活用し監視の目を盗み人のいない立ち入り禁止区域に指定されている場所で出会ったのです。お茶会より遠く離れ、ひっそりと陰鬱な空気を纏う薄汚れたガラスごしに目が合い、暗くどんよりとした瞳に驚いたものです。
お父様ご用達の拷問部屋にいた囚人がするような絶望し輝きを失った目を小さな子供がしている。そのことに衝撃を受けました。
子供はわたくしを見つめ続けました。何か言うこともなくするわけでもなくじっと覗きこんでくるのです。
しばらくして彼がわたくしの横を指さしつられて振り返ると兵士がうろうろとしていました。わたくしを探している兵士はこちらにまだ気づきません。
わたくしがいると迷惑がかかると思い口を動かしまたくるわと伝えると男の子は首を傾げました。伝わっていませんわね。
そして、図書室にある仕掛け書架から王城の間取りや秘密通路を確認し夜になると会いに行きました。
さすが建国時代から王を支えてきた公爵ね。忠誠や輝かしい功績はもう過去のものですが秘匿されるべき情報が恐ろしいほど集まります。
見つけたのは偶然ですが、お父様は知らないでしょうし伝えるつもりはありません。
兵士に見つからないようにあの場所に戻ってきました。
扉は鍵がかかっておらず薄暗い。シンとした冷えた静けさが肌をさし暗い雰囲気が立ち込めています。必要最低限の家具と丁寧に揃えられたぼろくなっている本が心を締めつけます。
彼はわたくしと会った窓際の椅子に立ち、窓の外を見ていました。
月明かりに煌めく金髪は緩く波打ち腰まで伸び、どこをみているのかわからない虚ろな目が光を遮っている。
消えてしまいそうだと思います。
暗く澱んだ目に心がなぜだか酷く乱され声をあげていた。
「ごきげんよう」
目を瞠りこちらを見る男の子に満足し背筋を正して礼をする。
すると口をもごもごと動かし声にならない呻き声を出す男の子になんとなくわたくしはわかってしまった。
何も与えられず誰とも関われなかったのだと。
「あ……」
「ゆっくりでいいから。わたくしはどこにもいかないわ」
そっと彼を抱きしめる。ほっそりとして冷たい身体は子供のわたくしでも折れてしまいそうで怖かった。
栄養が足りていないほっそりとした腕、手入れをされていない髪の毛はごわごわなのにきている服は立派です。それを見たことがありました。
王太子の服だ。
彼のおさがりを着ている状況を考えればさらに胸が苦しくなる。
弱くて消えてしまいそうな光をなくしてしまわないようにわたくしは毎晩会いにいった。優しく声をかけ必要としているのだと手を握ったりすると徐々に目に輝きが戻ってくるのです。
そして、彼が王太子の双子であること、冷遇されていることを知ります。
この国では双子は凶事とされており生まれた赤子のどちらかを捨てることがある。彼はたぶん王太子の影武者にされて使い捨てられてしまうのでしょう。
そんなことをさせない。
もうわたくしは彼のことを知ってしまった。どんなときにぎこちなく笑うか、本を何度も読みなおしてはキラキラと瞳を輝かす彼を守ってあげたかったのです。
最初は同情だった。
誰にも自分自身を必要とされないことの孤独に共感し慰める。それは己に言っているようなものだったから。
その時から彼に惹かれはじめていたのかもしれない。
部屋に帰るとその男がいた。
「よう。マリーエント様?」
「あなたは」
ハッと息を吸い込んだ。
どうしてここにいるのかしら。暗闇に溶け込む短髪に月のように輝く瞳がおもしろそうに口の端を吊り上げていた。
彼はサブ攻略キャラで暗殺者だ。もしかしてわたくしを殺しに?
きっと睨みつけると挑発するように鼻で笑われた。
「未来を変えたくはないか?」
「どういう意味かしら」
「おまえ、転生者だろ」
確信を持った言い方に警戒をする私を嘲笑う。
「俺の一族は運命を見ることができる。どうやら俺はくそな運命に巻き込まれ愚かな行動にでるようだ。許せねえよ。俺の意思は俺のもんだ。運命ごときが邪魔をすんじゃねえってことでおまえの協力が必要だ」
運命。
わたくしが悲嘆する未来を変える?
あれだけ泣き喚いたことだというのにあまり気にならなかった。それより彼のことが思い浮かぶ。
彼の境遇をなんとかできる?
小さな子供が虚ろに窓を見上げている光景が脳裏をかすめあのままにさせてはいけないと憐憫か同情したのか心に決めた。わたくしの運命よりもきっと過酷な彼を救えずに自分の運命を変えようだなんておこがましい。
それができるならなんだってしてやるわ。
「いいわ」
はっきりと告げるとにやりと男の口角があがる。
「俺はアーノルドだ」
「マリーエント・ノル・シュタットよ」
ふたりのあがきが始まった。
「君と世界を見て回りたいんだ」
「とても素敵ですわね」
それが叶えられると思っていたわけでもない。
それでも追い求めてしまう。
無謀な夢を空に描いてしまう。わたくしの行動でどれだけ大切な人に迷惑をかけることになっても止められない。
他の人の思いを踏みにじってもあさましい願いを成し遂げることを誓っているの。
あなただけは助けるから。
「ついてきて、くれるだろ?」
「もちろんよ」
あのころより凛々しく成長した彼はわたくしといる未来が想像できにくかったのか弱々しく返答を求めてくる。
ばかね。
見捨てられた犬みたいに見なくても離れないわよと目を伏せた。
荒れて豆だこができた大きな手をそっと握りしめ、はっきり自分の意思を伝えると彼の背後でふわりと揺れた儚い花のように微笑むことが悲しい。
まだわたくしはあなたが安心して暮らせる未来を造れてないのね。
「無理しないで」
誰からも美しく見える嘘の微笑みに彼は真摯に訴えてくる。
「してないわ」
「そうか」
強がりに口角を上げるとさらに腰を引き寄せられ温かな体温に居心地の良さを感じて瞼を閉じた。
彼だけがわたくしの偽りの笑みに気づく。
それがどれだけ嬉しかったことか。
ただのマリーエントとして見てくれる人は協力者と彼以外にはもういない。血の繋がりのある家族はわたくしを疎い公爵令嬢としてのマリーエントでしか認めてくれないのだ。
家族に人格を否定され人間不信になってしまい、ましてや公爵令嬢としての立場と貴族のしがらみに友でさえも本音が言えず信頼ができない人間になってしまった。
前世の日本人としての常識や本来の性格さえも矯正するかのように言葉や態度で毒を流し込まれ立派な令嬢として完成された仮面と自らの在り方を葛藤し素の自分をだすことに恐怖を感じてしまう。
監視は日常的に行われていた。
今はダリアがわたくしのふりをして授業を受けている。
公爵令嬢として努めているか、王子の婚約者としてふさわしいかなど見られ常に緊張を強いられ気の休まる時は貴重です。
前世の記憶がない本当のマリーエントは何の疑問も持たずに家族の望む公爵令嬢として立派になっていたのでしょうね。
それこそゲームのマリーエントのように。
わたくしという異分子が入ってきてしまったことで狂うシナリオは定められたシナリオにはならずにわたくしと家族の関係みたいに亀裂が入り崩れてしまった。
そもそもわたくしがいることで、アーノルドが自らの占った運命が偽であると気づき攻略キャラの彼のシナリオはすでに本来のシナリオではない。
アーノルドがヒロインと出会って恋に落ちたりはしないでしょう。だって、アーノルドには愛する少女がいますしね。
幼いころから付き纏う貴族としての常識の違和感になれることができず、あがき続けることで公爵令嬢としてはふさわしく、同時に忌避すべきことも身につけれたのは幸運でしょうか。
わたくしを捨ててマリーとして生きる術もあった。
でも、ニールがいたからこそ踏み留まれる。
疲弊する日々に心が砕けそうになっては大切に欠片を集め丁寧に修復する彼等がいなければとっくに諦めていたでしょう。
協力者のアーノルドと侍女のダリア、ニール。
ダリアはアーノルドが連れてきた幼女でわたくしが小さい時から見守ってきたのです。そして侍女として身の回りのことをさせてきました。
わたくしが強引に手元に置けば監視をする護衛や侍女が警戒するでしょう。彼等の目を欺くために癇癪もちの我が儘令嬢を演じ嫌がらせをしてダリアへ害が向かないようにしました。数多い侍女のひとりとして扱い、彼女に気づかれないように施しをしたわ。
自己満足でしょうがダリアに謝ることもできないの。
家族に差別され虐待されていたところをアーノルドが保護し、わたくしが生きる術を教えました。彼女は優秀で様々なことを意欲的に学んできました。引き取るにあたりダリアが貴族であるからには先方に挨拶し金輪際関わるなと書面で脅し、ごほん。快く受け入れてくれましたわ。
その際にダリアを心配する庭師のご老人も引き取りました。
彼女は優秀過ぎました。
許されることではありませんが薄暗いことまでしてるのをわたくしはとめられませんでした。家族が行う唾棄すべき行為の尻拭いまでしてることを最近まで気づかなかったのは失態よ。
むかつくことにアーノルドは俺にふさわしいとか馬鹿なことをほざきやがったので鞭で叩きましたわ。避けられてしまいましたけれど。
ダリアは今、アーノルドと一緒にいます。
もう自我を保てなくなっていたから。アーノルドと茶番をうち遠ざけました。このままではわたくしの愚かな行為のために彼女に苦労をかけたくないの。
違うわ。
守れるかわからないからこそ怖くて逃がしたの。
どうしても守りたい人のためにあなたを切り捨ててしまった。ごめんなさい。
ニールだけはずっと笑っていてほしいの。
身内贔屓ではありませんがニールは兄の王太子よりも頭の出来がいいと断言できます。
兄の影武者として生かされ、兄と同様の授業を受けていますが環境はまったく違い酷いものです。
洗脳なのでしょう。
いついかなるときも兄を慕い兄のために死ねと教えられ想定外の事態には身代わりになることを強要され教師や侍女にひたすら人格を否定される。
わたくしがいなければ彼は疑問を持たずに兄のために生きる人形として受け入れていたけれどそれが幸せだとは思えない。
それが苦しくてやめたくなることを知っていてもわたくしはやめさせない。
傲慢だわ。
「あなたがいないとわたくしは駄目になってしまうわ。だから消えてしまわないでね」
「マリーがいてこそ僕は僕でいられるんだ。消えるときは一緒だよ。僕は弱い。だけどマリーを守りたい」
滅多に望みを言わないニールが穏やかに噛みしめるように言葉をだす。
何も知らなかった小さいニールではなく様々なことを知る今の彼はいまだ狭い世界にいる。親の刷り込み現象だと否定しては頑なにそれでもかまわないと笑うのです。
「強気ね」
「うん。世界を見るっていう夢をマリーと叶えたいから」
「…」
「必ず守るよ」
それは夢?わたくし?両方なのでしょうね。
返答は泣き笑いのような無様なものになってしまいましたがニールは嬉しそうに口元を緩める。
「君は僕のすべてだけど困らせたいわけじゃない。気持ちに整理がつくまでまってるから…それまで無茶なことをしでかさないで」
それこそ無理よ。
あなたの解放こそわたくしの望むことなのだから。
ゲーム終了まで時間は残されていない。あまり悠長にしていられないわ。
わたくしが動かなければ誰が彼を助けるというのでしょうか。必要最低限の保障はされていただけで何も与えず存在を否定するだけ。
彼を見ていられなかった。
「大丈夫よ」
もう二度とあんな絶望する瞳にはさせない。
ニールが殺される不安を取り除くために王宮を掌握しなければいけない。邪魔な王族には必ず退場させる。これまで酷いことをされてきたしニールに危険なことをさせてきたあの人達にちょっと復讐したい気持ちがある。
王太子を殺しニールを代わりに王にして妻になる計画は綿密に練ったわ。本当は彼にふさわしい女性を勧めたかったけれどニールは拒否する。
罪悪感に苦しめられても、歓喜が胸を躍らす。
あなたは何も心配しなくていいわ。
それにしても牽制なんてどこまで手の内がばれているのやら。兄よりも優秀なニールに隠し事がだんだんと難しくなってきたわね。
この計画を心配し学園にまで姿を見せたときは心臓が止まるかと思いましたわ。
王太子の影武者の他にニールは商人としての顔を持つ。
それはわたくしの公爵家や教会、学園にまで広く活用している。兄に扱き使われる状況を利用し水面下で細々と動いていた数年のうちに貴族や商人にまで人脈が拡げるなんて本当に驚いたわ。成長していく彼が誇らしくて誰もいない寝室で転がったのは恥ずかしい思い出ですけど。
学園のとある一室。
物を搬入する室内の窓から布を被りそっと身を隠すように見ます。おかしな体勢ではありますがわたくしを嗜める人はいません。
「またばかなことをアレはしているのかい?」
「ええ」
外を注視するわたくしを少しだけ呆れの声をだした彼が短く息を吐いている。
気持ちはわからなくもないわ。
女の尻を追いかけている相手に自分のすべてを奪われてきたのだもの最悪でしょうね。
学園に本を搬入するために商人として使っているこの部屋から憩いの中庭がとても見える。この時間はニールしかこないし事務員がくるとしてもまだ早い時間なので密会として使用させてもらっています。
「パフェットがかわいそう」
「彼女と会ったのか」
「いい子、だったわ」
瞼を閉じてあの日のことを思いだす。
「急にお呼び出ししてごめんなさい」
「いいえ!わたしのほうこそ遅くなり申し訳ございません」
最初の出会いは謝罪から始まった。状況が理解できていることにホッとしつつ彼女を見る。かわいらしい顔立ちのヒロイン。全体的に小さいがそれがかえってかわいらしさを惹きたて亜麻色の髪がふわりと揺れる。
「どうしてこんなことになっているのかわからないのです。王太子の婚約者であるマリーエント様にどういえばいいのか」
「充分に理解できているのならそれでいいのです。王太子達には困りましたね」
「こんなことおかしいです!私は何もしてないのにっ」
悲痛の叫びに同情が芽生える。
王太子や他の高位貴族にも言い募られる彼女が不憫でならない。それぞれの婚約者の嫉妬や激怒を抑え表面的に釘を刺すという目的でパフェットと話をしているが、わたくし以外だとさらに怒り狂いますわね。
何もせずに相手から甘く囁かれ、宝石や服などを貢がれる夢のような体験をパフェットは恐ろしく感じているみたい。普通は舞い上がってしまうでしょうに。
「嬉しくないの?」
「王太子や他の皆さんには不敬ですが嬉しくはないです。少しは思いますけど貴族でもないわたしには重くて。…それにわたしには好きな人がいます。彼はわたしが卒業するのをまってくれてるのです」
青ざめていた表情を花が綻ぶような笑みを浮かべるパフェットが眩しかった。
ヒロインに好きな人っていたかしら?
違和感。
不安と期待にもやもやとします。
もし婚約破棄されてしまえば王太子を殺し王になったニールに嫁げませんもの。ヒロインにはこのままその恋を貫いてもらうわ。
「不躾な質問をしても構わないでしょうか?」
「どうぞ」
「過去にお会いしたことがありませんか?」
「?」
「数年前に小さな湖畔のある森で遊んだと思います。といっても私と幼馴染の男の子がやんちゃしてマリーエント様が笑って、楽しい日々でした」
脳裏に徐々に昔のことが浮かび愕然としました。
家族に疎まれ、使用人をつれひとりで小さな村に滞在したときにヒロインと出会っていたのです。
「まってくれている幼馴染が好きで…他の方は眼中にありません」
わたくしのせいでゲームのヒロインと異なる想いを抱いたからこその違和感だったのね。
「信じるわ」
微笑むと照れながらも嬉しそうにパフェットは笑った。
そう、そのときはまだ正常だったのです。
いまは夢見る少女のように王太子にしなだれかかるパフェットにふつふつとした感情が湧きあがります。
羨ましくて、王太子の隣にいるのはわたくしだと怒る気持ち悪さに胸を押さえつけた。
「わたくしももう駄目だわ。ニール、少しの間だけ離れなさい」
これから王太子に縋りつくだろうわたくしを見られたくなくて言っていた。
「彼女と会ってから意識が支配されていくの。パフェットもそのせいであんなふうに」
「マリーが本当に拒むのなら離れるよ。だからずっとそばにいる。たとえ君が君でなくなろうともいるからひとりで苦しまないで」
「ニール…」
「このままマリーを消させはしない」
自らの両手でわたくしの手を包み真摯に訴えてくる。普段の弱気な表情はどこへやら痛いほど真剣で未来を勝ち取ろうとする輝きを放つ青い瞳。
端正な顔立ち、剣を握る手は節くれだっていて守らなければならない幼い少年の影がなくなりそこには恋をする男がいた。
ハッと目を瞠る。
いつのまにか、あなたは大きくなっていたのね。
小さなあなたをずっと見てきた。
幸せであればいいと思っていた。
いつからかうすうす気づき始めていた。背がわたくしより大きく逞しく、たまに気弱なニールなのかと思うほど強い眼差しと態度に心がざわめき見て見ぬふりをして。
母親ならこんな感情をもつわけない。
ドクン、と心臓が早鐘を打つ。
この感情は知らない。
前世でも恋をしたことのないわたくしはどんな意味を持っているのかを知っていてもどんなことか知らない。
運命に操られるマリーエントの虚ろな恋心は熱のない感情。これは急速に世界が輝き色付いていく。
わたくしは。
ニールが好きなのね。
ストンと心に落ちてきた言葉に納得し、妙に気恥ずかしさを感じて手を振りほどく。
「もう、勝手にしなさい」
そっぽを向いたわたくしをおかしそうに笑うニールに扇で叩き、部屋からでていく間に思考を切り替え冷静に状況を整理しようと息を吸う。
ヒロインと会う前、正確に言えば入学式のときには小さな違和感があった。
徐々にわたくしの感情とは違う、ゲームのマリーエントの感情にじわじわと心が侵食されていくのがわかる。
王太子を忌避する気持ちが好意に変わる瞬間のおぞましさ。
ニールへの気持ちが無くなる恐怖と怒りが立ちどまることを許さない。不安と苛立ちに蝕まれるなか目的だけは失わないように貫く意思があれだけ難しいとは思わなかった。
ふとしたときに王太子へのプレゼントや会いに行こうと考えてしまう偽の恋心を完全には無視できず行動して落胆する。
偽であろうとも感情は感情。
マリーエントの意思もあわさりわたくしでいられる時間が短かった。パフェットが運命に完全に支配されているなかまだ自我を保てるのは幸運ね。
このままでは婚約破棄になってしまう。
これまでしてきたことがすべて水泡に帰すのだけは嫌。無茶なことばかりさせてきたアーノルドやダリアに顔を合わせられないわ。
わたくしは公爵令嬢としてあるまじき行為をしてきました。いえ、人としても批判されることをした覚えはあります。
両親のおかしな金の流れ、法にふれるものの隠蔽や同じ王妃候補を踏み越え立場を確立させたり王太子のうるさい甥や妹、弟の弱みを握ったり罠にかけたりと。
もちろん王や王妃がそれに気づかないわけではなく忌々しげな視線を向けて邪魔しますがわたくしを陥れることもしないのは笑えますわ。
運命なんて叩き伏せてやる。
申し訳ございませんがわたくしのために貴方がたの未来を諦めてもらいますわ。
…本来のマリーエントよりも悪役をしてるわね。
「マリーエント・ノル・シュタット。君との婚約は破棄させてもらう」
「そんなっ」
甲高い悲鳴が卒業式を祝う広間に響き渡る。運命に忠実なマリーエントは胸を引き裂かれるような悲しみを感じわたくしもつらい。
マリーエントはいったい何なのかしら。ゲームの彼女なのか運命の修正なのか自分自身でも測りかねています。
「貴様は私の婚約者としてふさわしくない。そして、パフェットへ嫌がらせをするなどとても許せるものではないが臣下としてもあるまじき行為に国外追放を言いわたす」
ぐら、と視界が揺れる。慌てて無様にならないように足で踏ん張るがいつ崩れ落ちても不思議はない。
嘘よと叫びたい衝動をぐっと堪えさらに微笑む。
微笑みは令嬢としての基本。
無様を晒すなんて公爵家令嬢としてありえませんしマリーエントの気持ちは偽りでしかない。王太子に拒絶されて傷つくのはマリーエントのほう。わたくしも未来が潰されてしまい憤りのあまり震えがとまりませんわ。
「処刑ではないのですね?」
「心優しいパフェットが私に願ったのだ。まだふてぶてしい面の厚さをするか。虫唾が走る」
計画が狂ったわ。
ゲーム通りに進んでしまっている。そうならないために金と権力にものをいわせてきたのに結局は駄目だったと?
意識が遠くなりガラスを隔てている感覚にまたかと落胆した。
これから先はマリーエントが主役。
わたくしは傍観者として成り行きを見ていることしかできない観客。どんなに叫んでも暴れても現実には影響を与えることができなかった。
ヒロインのイベントでは必ず追い出されマリーエントが猛威を振るう。それ以外では感情が常に分かたれて自分の感情が曖昧になっては目的を思いだし律してきた。
怒りで顔を真っ赤にさせたマリーエントのみっともなく声を荒げる様子に王太子と取り巻きが蔑む。
「どういうことですの!わたくしは貴方の隣にふさわしくあり続けましたわ。婚約破棄などと御戯れを」
「至極真面目だ」
(誰からも褒められるわたくしの微笑みをジルウェスト様が嫌悪するなんてどういうことですの!?あの男爵令嬢ごときに謀られているのよっ。誤解をといて差し上げないと)
(詰みよ。マリーエント)
「いささか誤解があるようですわね。嫌がらせなんてかわいらしいものでしょう?貴方の地位に群がるばかりの地に這いつくばるのがお似合いな男爵家の娘に身の程を知らしめただけですのに」
次々と王太子の取り巻きである攻略キャラがいかにわたくしが醜いかを発言し周囲で傍観していた生徒や教師達は様々な反応をする。
とめようとする人はおらず突き刺さる視線に息がしづらい。顔を向けるととたんに目線を逸らす仲のいいクラスメイトに自嘲の笑みを浮かべた。
「度重なる嫌がらせで彼女がどれだけ苦しめられたのかわからないのか!傲慢で我が儘で思いやりのなさは王妃として、いや私の隣にいてほしくはない」
「…っ」
(意味がわからないわ!)
(世界の中心は自分と思ってるマリーエントが王妃になれなさそうだとわたくしも同意よ)
「多くの生徒や教師にも権力を振るい学園を我がもの顔で使う身勝手さは我慢ならない」
わたくしのときは必要ならば立場を使わせてもらいました。それに比べてマリーエントはいつもふんぞり返って殴りたいほどだったわ。
マリーエントがだいたい悪いのですけどどっちもどっちですわね。
「そして、パフェットの服や教科書を切り刻みさらに罵詈雑言を放ち、か弱い少女を階段から突き落とすとは何事だ!」
「あの娘が貴方に色目を使うからいけないのですわ!わたくしは何も悪いことはしておりませんっ」
(王太子との邪魔をする娘を叩きのめすのが楽しいのですもの。わたくしの役に立てて光栄だと思いなさいよ。そうよ、わたくしは何も悪くないわ)
(階段から突き落とした?あ、ああ!やられましたわ!マリーエント、あなたわたくしの記憶を消しましたわね)
(うるさいのよ、あなたは!)
いつのまにかわたくしに知られずに勝手なことをしていたみたい。
愚かよマリーエント。
わたくしと会話している間もきれいに結った髪を振り乱し王太子にどれだけパフェットが悪女なのかを力説しているが言葉が上滑りし聞くに堪えないと顔を歪めている。
ほとんどマリーエントの自業自得よ。
「腐った性根をしておるな貴様は」
「どうしてそんなことをおっしゃるのです。わたくしのことを想っているのでしょう?」
「最初に会ったときから今までそのように想ったことなどない。貴様の理解できない頭に怖気が走る」
(嘘よどうしてっ。わたくしはジルウェスト様をお慕いしているの。どうしてわたくしにも想っていただけないのよ)
(相手も同じ気持ちだと思うのは傲慢よ)
「すべてあの娘が悪いのっ。ジルウェスト様に取り入ってわたくしを悪く言ったのはおまえね!この売女めがっ」
(あの女さえいなければ!)
(やめなさい!ああもうっ最悪)
とめようとするものの身体はすり抜け何もできず歯を食いしばりました。
マリーエントははしたなく大きく足をひろげパフェットへ走る。
邪魔のない一直線の道は終わりを告げる。決められた役にそってマリーエントは忠実にゲーム通りに行動をする。
手に持った緻密な模様を描くお気に入りの扇を激情のままに振り下ろすものの王太子の取り巻連中にとめられ逆に返り打ちにあう。
「無様だな」
「…っ」
公爵令嬢として花よ蝶よと大事に育てられてきた設定のマリーエントは床に拘束される痛みで声がだせない。
これまでなの?
じわ、と涙が頬を伝い顔を俯かせた。どうやらマリーエントの出番は終わり意気消沈しているのがわかる。
ニールにたくさんの楽しい思い出を作らせてあげたかった。
友人も地位も国を失い胸に残るのは後悔。愛する男を幸せにしたかったという気持ち。
そんなときに聞こえるはずのない男の声が聞こえてきた。
(マリー、それでいいのか?)
(…アーノルド?)
(終わりにはしたくないだろ)
まだできることがあるの?
諦めなくていいの?
笑った気がした。
「わたくしは王太子のことを愛しています」
(わたくしはニールのことを愛しています)
やはりまだマリーエントの影響で都合のいい言葉しか口からでません。
アーニーが何らかの方法で接触し、わたくしにまだできることがあると言うのです。運命をかき回すついでに苛立ちをぶつけましょうか。
「パフェット。あなたの心はどこにあるのです?」
にやにやとわたくしを見ていた彼女はその呼びかけにだんだんと表情が歪む。目だけは強く輝いて本来の彼女の意思を感じさせる。腰を引き寄せる腕に向ける手は震えながらもゆっくりと外していく。身体の支配を取り戻そうとあなたは頑張っていたのですね。
「なにを言ってるんですか!彼をあなたよりも愛しているのは私です」
(もう、なんで違うことを言ってるの!本当にわたしが愛してるのはあいつです」
「あなたのことなどどうでもいいのよ。わたくしこそあの方を愛しているのですから」
(あなたには心底同情するわ。わたくしも愛する人はいますから)
なぜか、パフェットの心の声が聞こえてくたことでずいぶん怒っているのがわかります。
アーノルドも聞こえてるのかしら?ここにいるということはダリアも茶番を見ているのでしょうね。彼女にはこんな醜い姿を晒したくなかったわ。
『わたくし、わたしが好きなのは』
『―――ッ』
それは言葉にならず心の中で叫ぶ。
言いあいをしているがこれがわたくしたちが本当に言いたかったこと。互いの求める相手を思いのままにぶつけあう。
それで状況が変わるわけでもなく、伝えたい相手には届かない。空虚な茶番劇がそこにはあった。認識できるものは当事者とアーノルドだけという。
こっぱずかしい愛の告白にアーノルドは渋い表情で溜息を吐く。
必死な乙女の告白にその態度なんてあとで覚えていなさいよ。
これまでのけじめとしてやっておかなければ今後の気持ちをはっきりと確かめられないと思ったからしたのです。
運命による支配はまだ続く。わたくしは国外追放されるまでですがパフェットは結婚式まで身動きができないでしょう。
好きな人と共にいられるどころか違う男と歩まなければならない彼女をどうにかしてあげたい。
結婚式ができない状態、いえ、国そのものを壊してしまえばいい。
心がふっきれましたわ。
こうなれば完膚なきまでに国を無くしてしまえば運命通りにはいかないもの。アーノルドに言わせるとわたくしは世界の異分子で存在するだけで影響を与える存在らしい。
経験上、前世での知識を活用しこの世界のバランスを壊さない程度に扱うのが難しいのよね。
「パフェット…私もそなたを愛している。もう少しだけまっていてくれ。すぐにマリーエントを追い出す」
甘く囁く王太子はわたくしに向き合うと憎悪のこもった目で睨みつけてくる。
「貴様は他国とよりにもよって隣国と繋がっているそうだな。この通り証拠もある。言い逃れはできないぞ」
最近見たことのある羊皮紙に凍りついた。
あれはニールが欲しいと言ったからあげた物の流れを記した紙。王太子の影である彼なら容易に渡すことが可能だ。
それが示すのはわたくしの失脚。
ニールが裏切った?
誰よりも彼を見てきたわたくしが気持ちを間違えるわけがないわ。
ではどうして?
国を動かす優秀さを持つ彼は気持ちの上でも王になる未来を忌避してはいなかったのにこの土壇場でわたくしに何も言わずに行動するほどこの国が嫌だった?
つらくて服の上から胸辺りを押さえこみました。
「マリーエント、他国と通じるとは我が国の公爵令嬢として恥ずべき行為であり追って沙汰を言い渡す。衛兵、ひっ捕らえよ」
「…やっぱり流れに逆らえなかった。…………ごめんなさい」
いろいろとしてきたが婚約破棄に変化を与えることはできなかった。
気弱な青年の表情を思いだし唇を血がにじむほど噛む。
他国と通じていたのは王家が外交を疎かにしていたからわたくしがやらなけばならなかったのではないの。将来の王妃としてこの国の外交官と頭を下げたからいままでどおりにできているというのに王家のやつらはふざけてるわ。
戦争を回避しようとして奮闘していただけですのに。
隣国とは仲よくしてくださる方達がいて繋がっていますわ。
それでもこの国の不利になることはしておりません。
わたくしのことを信用をしてくださらないのはすでに受け入れていますがどれだけ悪役令嬢として見られているのでしょうか。
どれだけ傷つけられればいいの。
つらくても耐えることしかできない。
大筋の流れに逆らえないくらい運命は強固で厄介だわ。
わたくしとマリーエントのこれ以上ない醜聞で卒業祝いを台無しにしたことを謝ろうとするも衛兵に腕を掴まれ強制的に連れ出されてしまう。
ニール。
あなたに無性に会いたいわ。
これからは未知。
運命でさえ関与しないわたくしの未来。これまでしたことを考えれば追っ手が放たれているでしょう。
家族はわたくしを見捨てている。アーニーは今後を嗤うだけで教えてはくれなかった。互いを利用してきた間柄で好意を持っていてくれると思う。だけど王太子に疎まれて価値のなくなった女を冷徹な暗殺者は助けにきてくれるのかしら。
うーん。前世の知識がある限り今は大丈夫、よね。
ガタガタと揺れていた馬車がピタリと止まった。
アーノルドが来てくれると思えばそれほど不安はない。
彼は攻略キャラなだけあって優秀で戦いにおいては他を寄せ付けないほど強くて安心します。
乱暴に外に出されるよりか自分で出たほうがましだと扉を開けて鬱蒼と茂る暗い森の地面に足を降ろす。
「あなたがたの目的を一応聞いておきましょうか」
「まだ余裕があるのか。さすが王太子を裏切る性悪女だな」
「言い訳はしませんわ」
「王太子の命により貴様を殺す」
視界の効かない暗闇を銀の煌めきが切り裂いて護衛だった男の凶刃を防ぐ。黒の外套を翻し金の瞳がひたとわたくしを捉え嗤う。
「ダリア。マリーを頼む」
「はい」
可憐な声に耳を疑った。
どうしてあなたがここにいるの、ダリア。
「お姉様。申し訳ありませんが目を閉じていてください」
あっというまに細い腕でわたくしを狙う男の首を切るダリアの洗練された動きに目を奪われ、瞳を揺らす彼女に納得してしまった。
声が震えてないかしら?
「…ありがとう」
「感謝は不要ですお姉様。大丈夫ですか」
「ええ」
慣れた死体を見ていつもは何も思わないが今は違う。
わたくしの罪。
人を殺すのは慣れている様子のダリアに胸が苦しい。
不安そうにわたくしを見るダリアに慌てて微笑む。それにほっと安堵の息を吐く彼女を冷静に観察すれば状況は察せる。
不幸な気配はなくて前より雰囲気が柔らかくなった気がする。ダリアをアーノルドの元へ行かせて正解だったみたいね。
猛獣をうまく扱っているようで嬉しいわ。
「見苦しいものをお見せしました。さあ、こちらにおいでください」
「ダリア。それはわたしが悪いのです。あなたの罪はわたしの罪。わたしを罵っても蔑んでもいいわ」
「これは私の罪なのです。後悔はしていませんわ」
わたくしのせいであなたの白い手を血で染めさせていたのね。
苦い微笑みにぐっと八つ当たりしたい衝動を抑える。どうりで計画が進みやすくなったり要人が事故にあったりとわたくしに有利な出来事があったわけね。
「ごめんなさい」
まっすぐに見つめるダリアから顔を逸らさず精一杯の謝罪をする。公爵令嬢が侍女に頭を下げるのはありえないが彼女にはしなければならなった。
ダリアは自分の罪と言ったが彼女にそうさせてしまったのはわたくし。逃げては駄目。真摯に向き合わなければもう彼女の前に立てないでしょう。
あなたに支えられてばかりではいけないわ。
ダリアの首には見慣れない物がある。
黒のチョーカーに藍色の宝石がキラリと月光を反射し存在を主張していた。
アーノルドが口説き落としたのね。さっそく自分のものだと周囲に知らしめるあたり子供みたい。
いちおう確認しておきましょう。
「どうしてあなたが?」
「助けにきました。アーニーからの伝言でマリーエント公爵令嬢はたったいま死亡しおまえはどこぞの娘だ。好きに生きろと」
「アーノルド…」
なんて言えばいいのかわからず目を伏せる。
アーノルドはわたくしの死を偽装しこの国でも生きられるようにした。公爵令嬢ではなく市井に暮らす大勢のひとりとして。
運命の支配からの脱却はこの国からでないといけないので一旦はでます。愛する土地との永久の別れにならなくてよかった。
感謝するわ。アーノルド。
たくさんのことを教えられて教え合って、言いあう日々を瞬時に思い出す。
いつでもダリアの話は欠かさなかった。ふたりの共通点であり慈しんできた彼女の成長を互いに祝い、運命に屈しかけては彼女のおかげで心が救われたか。
もうわたくしに救いは必要ありません。
あなたから預かった少女は返します。
「あなたには我が儘なことも酷いこともたくさんしてきたわ。ごめんなさい。許さなくてもいいし働いたお金を今後、謝礼として払うわ」
「しなくていいです。わたくしはお姉様が大好きですしいろいろなことを経験できましたもの」
「ダリア…」
なんていい子なの。罪悪感に押しつぶされそうだわ。
アーノルドにはもったいない。
ただのマリーとして働くとしても生活費を抜くと微々たる金額でしょうがダリアに必ず受け取らせます。いままで迷惑ばかりかけてきたから自己満足でもしたいの。
それに綺麗な手を血に染めてしまった罪は贖わなくては。
「お姉様の気持ちはとっくにわかっていますわ。わたくしは貴方の約束だけが頼りでした」
約束。
それはダリアを縛る鎖。
いくら家族に疎まれ、いい子でいれば愛情をくれると健気に慕っていた小さな彼女はなくした感情に新しい人物を想うことで心の均衡を保っていた。
わたくしではない。
その約束をしたのはアーノルドだ。たぶん、新しい環境に慣れさせるためにわたくしを使ったに違いない。
罪悪感を隠してはっきりと向き合う。
約束を利用してきたわたくしは鎖を外す責任があるもの。
「!やっぱりそうだったのね。…よく聞いて。私はあなたと約束したことはないわ」
「わかっています」
ダリアを縛っていた鎖がちぎれた証に彼女ははっきりと頷く。
良かったわ。
心残りが消えて自然に微笑む。
がさ、と茂みが揺れて黒影が月光に映し出される。
やっぱりあなたはいたのね。
「ニール」
「怒ってる?」
「あたりまえよ」
慣れた様子でわたくしの手をひく彼に促され近くに隠されていた馬車へと乗り込んだ。少しの間、ニールとダリアが何かを話して笑う。
馬車が走りだすとダリアは他の令嬢に引けをとらないほど美しく礼をして送り出してくれた。
また、会いましょう。
今度はただのマリーエントとして。さようなら最愛の侍女。
アーノルドは昔を思い出す。
祖母は類いまれなる才を持った占い師だった。
特殊な一族に生まれた俺も祖母には勝てないが優秀な占い師だ。占ったことは必ずあたるのを利用し薄暗い世界へと足を踏み入れた。
移ろいゆく世界を放浪しつつ小銭稼ぎに占う生活にうんざりしたからだ。一カ所に留まらない理由は占いの正確さゆえに政治に利用されないため隠れて過ごすからだ。
変わった一族だが俺についてはそれも運命だと寛容に受け入れてくれたので暗殺者として生きることになった。
しかし、占い師にはやってはいけない誓いがある。
同じ出来事を2度と占ってはいけない。
未来を変えても大きな流れには逆らえないからだ。小さなことを変えることはできるが後々に避けようもないより最悪な未来を引き寄せてしまう。
個人の力量の差異が大きいので誤って伝わらせないためでもある。
まだ子供だったときに誓いを破る者がいた。
一生幽閉されることになった女は金目当てに王族を占った。その王族はすでに祖母が占っており俺をいつもそばに置いていた。
祖母からはいろいろなことを教えてもらった。孫ではあるが祖母は容易に近づけないほど最高位の人物でなぜ親身になってくれるのだろうと疑問だったが今ならばわかる。
マリーを知ってしまえば。
転生者はこの世界の影響を受けない。
つまり世界の理を見る占いができない。運命にも存在するだけで影響を与えてしまう。マリーは前世の過去と恐ろしいほどの知識があり利用価値が高かった。
まさか俺自身の運命が胸糞悪い張りぼてのもので、本来の運命があることを知ってしまった。
本来の運命はわからないが偽のは嫌なくらい鮮明に見えた。
祖母はそれがわかっていたから俺にさまざまな技術や教えを授けてくれた。頑なに真の運命を教えてくれなかったがそれでいいといまなら思える。
心置きなくやれるからな。
王宮に忍び込んだときに調べた結果、祖母が調べた王族の占いは消されており誓いを破った女の占いを信じているようで苦笑の笑みが浮かぶ。
生まれてくる王子は双子で富と災いをもたらすだろうと。
富の王子は将来、婚約破棄をしさらなる福を呼び寄せ幸せになる。
災いの王子は死す。
この国は双子は凶事とされている。災いの王子を排除するのは明白だ。
その通りにいけばこの国は繁栄を約束されたも同然だがうまくいくわけないだろ。
俺に喧嘩を売ったんだ。
完膚なきまでに叩きつぶしてやるよ。
なんで俺が心の弱さをつかれ天真爛漫な明るい少女に骨抜きにならねえといけねえんだ。
王族は兄を富とし弟の王子を影武者として育て婚約破棄後に殺す予定だ。
兄は婚約破棄が決定しているので助長する目障りな貴族の令嬢、マリーエントを婚約者と選んだ。
やつらにとってはその時点で終わってたんだよ。
一応マリーを気に入ってるしダリアを悲しませたくなかったからな。
ニールに暗殺や裏の事情、戦いを学ばせた。マリーのためにと寝る時間を削り、怪我をしても一生懸命に打ち込み今では王宮の騎士にも引けをとらない強さを手に入れている。
イライラしたときなんか思いっきり叩きのめして楽しかったなあ。
さて、今後マリーはどうするか。あんなにダリアが気にかけるのはうっとおしいから早く退場し幸せそうにしてろ。
今日は何を作ろうか。ダリアは肉が好きだから豪華にやろう。
俺のダリアが心置きなく過ごせるならば。
この国で盛大に暴れてやるさ。マリー、ニール。
移動する馬車に揺られ対面に座る気弱そうなニールはわたくしに顔をむけず気まずそうに窓の景色を見ていた。
「どうしてこんなことをしたの」
怒りを滲ませて睨みつければ彼は目線を下げてたどたどしく思ってもみないことを言われ眉を顰めた。
「運命を僕は信じていない」
はっきりとわたくしを見据え断言する。
「こうなってしまったのはすでに仕組まれた出来事。やつら、王家が僕らの生まれた日に占った結果に沿おうと権力を振りかざしただけだ。いくらマリーが足掻いてもそれ以前に絶対的な優先度で物事が動いていたのだから変えることはできはしない。おかげで僕らの望む結末を手繰り寄せることができていいじゃないか」
「知っていたのね」
「昔から」
ダリアのときもだけど知られてはならないと思っていた相手が知っていたことに肩が脱力する。
わたくしはマリーエントと同じく愚かね。
ニールには家族が王太子の輝かしい統治のために弟の彼を犠牲にしたなんて知られたくなかった。
これまでずいぶん傷つけられてきたのにまた深い傷を負い悲しんで欲しくなかったの。
「王に成り代わりたくなかった?」
「王や平民になろうがどうでもいい。このまま王になってもマリーは自然に笑えないだろ」
「え?」
「僕に見せてくれた明るい笑顔をする君は幸せそうだ。心情を隠す微笑みで周囲を威嚇し敵だらけの王宮を渡り歩かせて僕が嬉しいと思うのかい?僕のためにマリーを犠牲にはさせない」
真剣にわたくしの両手を握り、青い瞳が熱を灯し訴えてくる。
じわ、と涙に視界がぼやけて冷えていた心が温かく満たされていく。
「あなたはなにをしたのかわかってるの。故郷を失ったのよ?わたくし達の憩いの場所も好きなお店も景色ももう行けれないかもしれませんわ」
「寂しいけど…僕にとっては大事な場所は守り通したつもりだ」
珍しく頬を染めて語気を強める彼がいつもと違って強気に見えて心臓が跳ねた。透き通る瞳はわたくしを捉えその熱い視線に眩暈をおこしそうだ。
「どこだっていいだろ。君がいれば。マリーに嫌味を言わない、嫌なことをされずいつも素の顔で笑えるそんな場所を手にいれたかった」
矢継ぎ早に次々と言う。
興奮してるのか表情豊かに饒舌に話す。
「王宮はだめだ。いつもマリーは息をしづらそうで悪く言われるたびに相手を殺してやりたかったんだ。悪巧みを考える君は輝いて楽しそうだけど広い世界を語る君も同じくらい眩しくて羨ましいと思えた」
知らなかった。
わたくしのことをそんなふうに思ってくれていたなんて。好きとはよく言われたけれど彼に似合わない過激さに驚いてしまう。
「世界を見たいって…わたくしが原因だったの?」
「僕も見て回りたい気持ちはあるよ。でも遠くを見つめていたマリーのほうが強く望んでいたんじゃないかな」
「わたくしのことはどうでもよいのです!あなたは好きに生きていいのよ。傲慢だけど我が儘に自由気ままに誰にも縛られない未来を与えたかった」
「その気持ちは嬉しいよ。でも、マリーのいる未来こそ僕の望む未来だ」
今度こそ涙を抑えることができなかった。
「嬉しくて、っごめんなさい」
涙でみっともない顔を俯かせ嗚咽を漏らすとニールが優しく抱きしめて静かに小さく心情を吐露する。
「この感情のきっかけはマリーがバカ王太子と踊っていたとき。周りがお似合いだとかうるさくてマリーが美しく着飾ってるのに瞳に映すのはどうして僕じゃないんだろうって。ヤツじゃなく僕を見てほしい苛立ちに嫉妬なんだと気づいて呆然としたよ。いままではマリーを母親のように思っていたから驚いたんだ」
母親の振りをしていたものね。小さな頃から本を読み聞かせたり前世のときの笑い話や遊びをしていたわ。
王太子とは婚約者だったから踊っただけ。そうでなければ拒否していたわよ。
「お願いだ。これからも一緒にいてほしいなんてずうずうしいことは言わない。今だけは国外まで大人しく連れ去られてくれ」
馬車の揺れにかき消されそうなほどか弱い声はしっかりと耳に聞こえていた。
恋心を自覚して一番聞きたかった言葉だったから。
広い背中を抱きしめ返しぎゅっと手に力を入れて幼い子供に言うように柔らかい響きを込めて伝える。
「今だけは、ではなくずーっと一緒にいましょう。ね?」
「マリー!」
勢いよく肩に手を置かれ少しだけ離されたと認識すると同時に額に軽く何かがふれてニールの顔が遠ざかる。
さっきのって。
パッと犬が元気に尻尾を振るように顔を輝かせてニールは再び抱きしめてきた。
きっと、わたくしは今真っ赤になっているでしょうね。彼に見られなくて良かったわ。
もうっ恥ずかしい。
この胸の高鳴りがどうか彼に知られていませんように。
隣国の城の一室。広い机を紙に埋もれて突っ伏す青年と資料を持つ少女がいた。
「まだかかりそう?」
「終わらない…助けてマリー」
「仕方ないわね。ささっとやっちゃいましょう」
ぐったりする青年は若干涙目でわたしを見る。犬耳がついている幻影が頭に浮かびふふっと笑いが漏れた。
上機嫌だと思ったのかそばにきたわたしに抱きつき、ストレス発散なのかじゃれてくる。くすぐったくなる感情のままについ甘やかしてしまう。
「戦後処理はもう嫌だ。マリーとどこかに行きたい」
「これはわたし達がしなければならないことよ。終われば旅ができるのだから頑張りましょう」
婚約破棄から1年がたつ。
馬車に揺れてニールと国外へでるとパキン、と何かが壊れる音がして身体が軽くなった気がしました。心の奥にずっとあった重しが除かれてぽっかりと穴が開いてしまったよう。
不安でしたがその穴をニールがいらないというくらい満たしてくれて温かくて幸せです。
運命に操られるマリーエントはいない。
これからはわたしの時間。
わたくしのいた国、レテイルはパフェットが貧困街で炊き出しをしたり舞踏会を何回も開いては、宝石やドレスを所構わず買い占めて財政を圧迫させていた。甘い言葉しかいわない悪徳貴族には優遇し厳しいことをいう善良な貴族は取り締まらせる暴挙に国は混乱し国民は貧窮に苦しみ国外に出る者も続出した。
隣国とレテイルは仲が悪く、虎視眈々と狙っていた隣国が民を救う名目で侵略しあっというまに国を落すことができました。
わたくしがこれまで何がおきても大丈夫なように広い人脈をつくっていてよかったわ。王宮の見取り図や隠し通路、貴族には投降の準備、商人には物流、騎士団には国民に被害がでないように調整の文を送り裏でニールと暗躍しましたの。
王太子の影だった彼は指示が的確で凛々しいその姿を王として見たかったなとすこしだけ残念に思う。
そして、レテイルは敗北した。
瓦解しかけていた国には騎士が少なく無理やり徴兵した寄せ集めの傭兵や農民をこの日のために準備してきた隣国に勝てるわけがなかった。
兵の質、量も装備も兵量も違いすぎたのだ。
決定的だったのがあいつ。
嬉々としてアーノルドが隣国の兵士として自国の兵を屠るその様子に黒の死神だと噂されていたのよね。そこにダリアもいて危ないことをさせるなとアーノルドに説教したわ。
圧倒的な戦力にレテイルは降伏し積りに積もった民衆の怒りに王太子と婚約者は処刑され、ようやく国が落ち着きを取り戻しつつある。
「いま彼女はどうしているのかしらね」
「幼馴染と穏やかに過ごしてるんじゃないかな」
婚約者だったパフェットが処刑されたと民衆は思っているが実は生きている。背格好の似た死刑囚をパフェットそっくりに化粧をし身代わりにさせたのだ。これを知るのは数少ない一部の者だけ。
わたくしが隣国にパフェットを紹介しスパイとなることを了承した彼女は内部からレテイルの崩壊を促した。
見返りは運命からの脱却。幼馴染と故郷で暮らしたいと切に訴えそれが叶えられているだろう。
そして、わたくし達は隣国に忠誠を誓い商人として生きることになった。
国の仕事に関わらせたかったと友人の王女に言われたが断ったからだ。王太子にそっくりなニールに恨みを持つ者がいる可能性もあるし王家の血を引くことで余計な波をたたせたくない。
ニールは人の目がある場所には黒く髪を染め目深にフードを被るのが習慣になっていた。そのことに悲しさを覚える。
王太子を知らない遠い場所でなら隠さなくていい。太陽を反射する黄金の髪を晒し素の顔でいられるだろう。
「ひゃっ」
「マリーは頑張りすぎだよ。目の下に隈ができてる。疲れたし休憩しよう」
ニールが自身の両膝にわたくしを座らせ腕を絡ませてくる。驚きに見上げるわたくしに悪戯が成功した笑みを浮かべ頭を撫でられた。
「子供じゃありませんのよ」
「うん。いつも僕がされてるから今度は逆にしてみたんだ」
「慣れませんわね。楽しい?」
「とても」
わたくしって愛されてるわね。
ニールには頭脳も運動も勝てませんでしたわ。だけど、愛情だけはあなたより深いわよ。
市井で生きる活気のいい人達みたいに歯を見せて元公爵令嬢は笑う。
「大好きよ、ニール」
サイドストーリーとしてダリアとアーノルドの短編があります。