2-6.The iluminate a shadow
The light iluminate a shadow /光は影を照らす
「動かないでください。キーボードには触らず、立ち上がってください。」
誰もいないはずのオフィスに女の声が響いた。
すると明かりがつき、そこには三人の人物がいることが分かった。
うち二人は数日前にシェイブル社に話を聞きに来ていた。
確か、ノックス大佐とエルフォード准将。
立ち上がったまま動けない私に淡々と告げるノックス大佐。
「こうした短絡的な手段はあまり使いたくはなかったのですが、なんせ時間がなかったもので。」
「それで私が一肌脱ぐことになったの…こんばんは、マルガレータ・ニコーさん。」
自分の名前の部分だけ微妙に声質が変化し思い出した。見事にその声を聞くまで分からなかった。
あれほどまでに憎悪し、忘れなどするものかと思っていたのに。
やがて全て仕組まれていたことだと分かっても、何故か抵抗する気にはなれず、黙ってノックス大佐の話に耳を傾けていた。
ニコーは三人目、ケベック・ランドルフの登場とその偽りの正体には驚いた様子を見せたが、それ以外は特に表情を変えることなくノックスの説明を聞いていた。
「お察しの通り、彼女もガーディアンです。ビクトリアス社の人間を装ってピエール・クオリアーノに近づいてもらいました。全てはあなたの尻尾をつかむために。」
「なるほどね。」
「あなたが不正にアクセスしていたビクトリアス社には部下が待機していています。あなたのハッキング行為を全て監視し、ここを特定しました。ハッキングされた後を追うことは難しくても、あらかじめ待ち伏せしていれば正体をつかむことが出来る。あなたがハッカーですね?」
「最近うちのシステムに入って嗅ぎまわっていたのはあなたたちだったのね。」
「なかなか優秀だったでしょう?」
「まんまと罠に嵌められた上に、私に逃げ道は残されてないのね。」
ノックスの問いにニコーは肩をすくめる動作のあと、どこか諦めたような響きで肯定した。
それまで終始黙って様子を眺めていたエルフォードが口を開く。
「一つだけ個人的な疑問を聞いてもいいかな?」
「何かしら?」
「今までの行動から、犯人は慎重で且つ用心深い人物だと分析した。今の今まで我々を手こずらせたのが何よりの証拠だ。正直これは賭けだったし、まさかこんな見え透いた罠に引っかかるとは思っていなかった。だから理解出来ない、あなたのような頭のいい女性が、一体何故?」
「愛する人のためなら何だって出来るの。女はそういう生き物よ。」
男性のあなたにはちょっと分からないかもしれないけど、そういって笑う彼女の顔はどこか寂しそうに見えた。
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愛する人のためなら…そう答えたけれど、それが本当の理由なのか自分でもよく分からない。
彼、ピエール・クオリアーノに出会ったのは、私が広報課にいた時だった。
当時、彼はまだ売り出し中の若手レーサーだった。
あるとき雑誌の密着取材の仕事があって私はシェイブル社の担当者として一緒に仕事をすることになった。
それから何度か仕事が一緒になったり、個人的に食事に行くようになったりした。キラキラした目で夢を語る彼に惹かれた。彼の夢に比べたら私の夢なんてちっぽけなものだったけど、彼は一緒に頑張ろうと言ってくれた。
やがてピエール・クオリアーノは名実ともに国内屈指のレーサーになっていく。でも私は相変わらず平凡なまま。どうしたら彼に追いつけるだろうか、どうしたら彼が振り向いてくれるだろうか。
そして思った。彼のために出来ることならなんでもしよう、と。
事実、彼のためだと思えばどんなことだって出来た。敵対するチームや彼のライバルを陥れるために、必死になって情報を集め、マスコミにリークしたり、それをネタの脅迫したり。
秘書課に異動になってからは、産業スパイの業務とともにもっと有益な情報を集めて彼のチームのため、全ては彼のために動いた。
彼の周りにうろつく邪魔者は全て私が排除してきた。
ミカリーナもその排除すべき邪魔者の一つだった。
でも、いくら頑張っても彼の心を得ることは出来なかった。
心のどこかでは気づいていたのかもしれない。
しかしそれを認めてしまっては、今までやってきたことの意味を失う。
何のためにこの身を汚してきたのか。
私はこれから何を支えに生きればいいのか。
手首に触れる冷たい鉄の感触、両脇に座る制服姿のガーディアン。
今、全て失ったことを悟る。結局何も得ることは出来なかった。
彼の太陽のような笑顔もぬくもりも、私のもとには何もない。
それでも思いのほか気持ちが楽になっていることに気づいた。
私には何も無いけど「もういいでしょ」そう笑う自分がいた。
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「長い一週間だったぁ」
そう言って長いため息をついたのはチャーリーだった。
オフィスにはノックスとエルフォードの姿はなく、まだ戻ってきていないようだった。
双子は二人そろってだらんとデスクに伏している。
「もうへとへとだよ。長い休みがほしいな。」
「ビクターは特に疲れただろう。この一週間で体重何キロ落ちたんだ?」
自分しか知らないと思っていたことをプレストンに聞かれて、驚いたように飛び上がる。
「何で知ってるの?」
「大佐が言ってた。」
「まじか。バレてないと思ってたのに、また心配かけちゃったかな。」
「心配させとけばいいんだよ。なんだかんだ言って、准将も大佐もそういうのが好きなんだから。」
落ち込むことないぞ、そう言ってデスクに伏したままの癖のある茶色の髪の毛をぐちゃぐちゃと撫でる。
暫くするとプレストンはタバコを吸いにオフィスを出た。
「チャーリー、僕ら少しは役に立てたのかな。」
「三人に比べたら全然だけど、やっと同じ舞台に立てたような気がするなぁ。」
「この一週間追い込むところまで追い込んだけど、今の僕じゃやっぱりあの人たちには敵わなかった。でも僕はいつか追いついてみせるよ。」
「でも追い込むのはいいけど、風呂には入れ、飯もちゃんと食え。」
「今度から気をつけるよ。」
「今度ってなんだよ」
「今度は今度だよ。あ、でもそうそうあることじゃないか。」
オフィスには双子たちの笑い声が響いていた。
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事件解決から数日後、
ところ変わってここは組織犯罪捜査課第3班、通称サイバー班
そこにはエルフォードを先頭に双子がサイバー班と向かい合っていた。最初にここに来た時のように遠目から眺めるようにして立つ、プレストンも見える。
「以上のように、パソコン遠隔操作による情報漏洩事件は解決しました。」
珍しく無駄が一切無い淡々とした口調でエルフォードがこの事件の概要と結末を語った。
「まさか、本当に一週間で解決するとは。」
信じられないという表情のジオールとその部下たち。
「まさかではありませんよ、これが事実です。」
唖然とするジオール准将とその部下たち。
「さてお約束の件ですが、」
そう切り出したエルフォードにジオールの顔が苦々しげに歪む。
「それなんだけどさ、謝罪とかどうでもいいんだ、僕。」
そう言って一週間前とはまるで別人のような堂々とした態度で、ビクターはジオールの前に進み出る。エルフォードはわずかに笑って一歩後ろに下がった。
「僕がしたことは消えないし、変わることじゃない。でもいつか誰にも文句をつけさせないくらい僕は強くなって見せる。それまでは誰に何を言われても耐えてみせる。僕は負けない。」
そこまで言ってふと後ろを振り向くと、いつの間にかやって来たノックスを含めたエルフォード班の皆がいた。
それを確認し一瞬安心したような顔をし、改めて昂然とした態度でジオールとサイバー班を見る。
「でもこのまま帰るのは癪だから、あの機器一式をエルフォード班に下さい。」
「は?」
そう言って指差す先には、サイバー班で捜査や情報解析に使用しているパソコンだった。
ビクターの突然の提案に皆驚く。
「この前から思っていたんだ、うちのオフィスにあればいいのになぁって。あ、本当は個人的な興味からなんだけどね。でも絶対役に立つからさ、だからボス、いいでしょ?」
「そうだね、ジオール准将が良いとおっしゃるならうちは構わないよ。」
まるでおもちゃをねだる子供とそれを聞く親のように見える二人の姿に、エルフォード班は笑うしか無かった。
「そんなこと通るはずがないだろう。あれはうちが誇る最新鋭の機器だ、そう易々と渡さない。」
聞く耳を持たないジオールの反応は至極当然であるが、彼の場合、相手が悪かった。
「…なら今ここで土下座します?」
サイバー班が誇る最新鋭の機器と、自らのプライド。
両者を天秤にかけることになるジオールには、エルフォードのその一言は悪魔の囁きに聞こえたに違いない。
「分かった…あとで届けさせる。」
「良かった。サイバー班は物分かりの良い上司をお持ちで、うらやましいですね。」
そう言い残してサイバー班を後にするエルフォードとその部下たち。
「貴様ら、覚えていろよ。」
聞こえるか聞こえないか位の音量で呟いたジオールの言葉はノックスの耳には届いていた。
「さぁ、それはどうでしょうか。次に会うときにはあなたのこと忘れているかもしれません。」
「それはどういう意味だ。」
「『元サイバー班の班長だった、』と言われても、すぐには思い出せないかもしれません、という意味です。」
それだけ言い残してノックスは皆の後を追って、サイバー班を出て行った。
それから暫くして組織犯罪捜査課第3班のジオール准将が急な人事異動で、事実上左遷されたという話題で局内が持ち切りの頃、
エルフォード班のオフィスにサイバー班から大きな荷物が届いた。
荷物を開けてはしゃぐビクターの姿に、やはりおもちゃを買ってもらった子供のようだと、皆は笑うのだった。
shadowシリーズ完結です。
あ、この小説はまだ続きますので、どうか御贔屓に。