2-5.Catch a shadow
Catch a shadow /影を捕らえる
唐突にその疑問を投げかけたのはノックスだった。
「同じ事務所のアイドルのことは全く触れられていないわね。」
「確かに。あそこの事務所は他にもアイドルを抱えているはずだし。」
「そういえば、なんでミカリーナだけなんだろう?」
ノックスの疑問が発端となり、チャーリーに新たな考えが浮かぶ。
「あ!そうだ、ピエール・クオリアーノ!」
「ピエール・クオリアーノってコルロ・グランプリのチャンピオン?」
それはつい先日国内有数のモーターレースのチャンピオンとなった男の名前だった。
ピエール・クオリアーノはシェイブル社のモーターカーチームの所属である。
そしてミカリーナとは恋人関係にあった。
「それで、今回の事件と何かつながりがあるかもしれないと?」
「うん。関係ないかな?」
「少し調べてみるか。」
エルフォードの言葉を聞いて、ノックスとプレストンが立ち上がる。
「では早速。」
「明日の報告をお楽しみに。」
僕らも行くよと、立ち上がろうとする双子をノックスが制する。
「チャーリーとビクターは座ってなさい。ここに来たばかりなんだから。」
それでもなおも自分たちも行こうとする双子たち。
「ツインズには僕に付き合ってもらうよ。」
「准将に付き合うより捜査のほうがずっと楽だ。」
笑いながらプレストンは先に出たノックスを追い、店を後にした。
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翌日、ノックスとプレストンの報告で事件は思わぬ展開を見せる。
「マルガレータ・ニコー。現在秘書課に所属していますが、前は広報課にいました。その時にクオリアーノと出会っています。恋人かどうかはわかりませんが、親しげに話す様子が目撃されています。」
「顔立ちは地味だけど、ちゃんと見ると美人だね、彼女。」
「外見もさることながら、この若さで秘書課の課長に就ているらしく、中々仕事の出来る人みたいですよ。」
「でも彼女とハッキングにどんな関係があるの?」
「ビクターの疑問も尤もね。でもひとつ気になっていたことがあるの。」
皆がノックスの言葉に耳を傾ける。
「秘書課には雑費として多額の経費が計上されていることが分かってた。最初は裏金の線も考えていたのだけれど、もしかしたらそうでもないかと思って。」
「その根拠は?」
「勘です。」
「「え?」」
「勘?」
「まぁそんなことだろうと思ったよ。」
「悪いですか?」
「いや、悪くないよ。続けて。」
冷静で理論的なノックスらしからぬ根拠とそれに対するエルフォードの反応に驚いたプレストンと双子は、黙ってやりとりを聞いているしかなかった。
「まず秘書課の空気に違和感を覚えたことがひとつ。まるで警戒心がなくて、余裕があった。探られて困ることがないか、それともバレないという自信があるか。いずれにしろ裏金作りに加担している様子ではないと判断しました。それから秘書課ならある程度、秘密裏に且つ自由に動くことが出来るんじゃないかと思って。」
「ふむ、確かめてみるか。」
そう言ったエルフォードの目には一切疑いはなく、どこか楽しんでいる様子さえ見られた。
こんな表情を見せるときは、自信を持っているときだと知っている彼の部下たちは、何かしらの策があるのではと期待をする。
「しかし時間がありません。」
その言葉に双子もプレストンも期待が萎んでいく。
「そこなんだよな。」
暫しの沈黙の後、口を開いたのはノックスだった。
「考えがあります。」
「たぶん、それしか方法はない。」
その後、指示を聞いてプレストンと双子はオフィスを後にし、残されたのはエルフォードとノックスだった。
「あとは頼むよ。」
「何言っているんですか?班長も行くんですよ。」
「それだけは勘弁してくれ。」
「一週間なんて無茶を言った罰よ。」
「まだ根に持っているのか、お前は。」
「否定はしないわ。」
「…仕方ないか。」
ノックスとエルフォードがやってきたのは開発部のケベック・ランドルフのところだった。
「というわけなの。お願い出来るのはベッキーしかいないの。」
ランドルフの方は協力する気はあるが、いつも憎まれ口ばかり叩くエルフォードに仕返しするチャンスと思い、悪戯心が湧く。
「事情は分かったわ。でも班長さんの意見はどうなのかしら?」
「どうもなにも、こういうことに1番適しているのはお前だろ。」
「そうかしら。私に出来ることなんて、あるかしらね?」
「…」
ランドルフがわざとはぐらかしているのは火を見るよりも明らかではあるが、意地を張って頼むと言いたくないエルフォード。
しかしこのままでは埒が明かないと、ノックスがエルフォードの背を押す。
「デルタ。」
「…お前にしか頼めない。」
「そこまで言われちゃ断れないわね。」
苦々しい顔をするエルフォードと晴れ晴れした顔のランドルフに、ノックスは苦笑いするしかなかった。
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シェイブル社,秘書課
「エミリー、ペリーリ社の案件はどうなりましたか?」
「交渉中ですが、もう間も無く契約頂けるかと。」
この会話を第三者が聞いても何の変哲もない報告に聞こえるだろうが、彼女の報告は、間も無くペリーリ社の企業秘密ともいえる技術が手に入るというものだった。
この部署は表ではシェイブル社の秘書課となっているが、その裏で産業スパイとして各社の機密情報を集めている。
その業務はCEOから直接指示があり、社内では一部の人間しか知らない。
「私は3時から専務に随行して、モーターカー部門に行きますので、後はよろしくお願いしますね。」
「専務は随分サーキットにご執心なのですね。」
「毎回指名される課長は大変ですね。」
「専務は暇だろうけど、課長はお忙しいのにね。」
そう口々に言い笑う部下たち。仕事ですからね、そう言い残して部屋を後にする。
あの子たちは知らない。私が専務をサーキットに行くよう仕向けていることも、その目的が私の個人的な事情からだということも。
その日のサーキット場には見慣れない女性の姿があった。
「あの方は?」
「ピエールが専属モデルを務めるスポーツウェアの新しい担当者ですよ。」
目線の先にはピエールのそばに立つブロンドの女性。鼻筋の通った顔立ちに、華やかな雰囲気を持つ女性だった。
2人の様子を眺めていると、その彼女と目が合い、こちらに近づいてきた。
「初めまして。ビクトリアス社のレベッカ・リードです。」
「私は、」
「シェイブル社のマルガレータ・ニコーさん、ですよね?ピエールからお話は伺っています。」
そう艶やかに笑う目の前の彼女に、「どんな悪口を吹き込まれました?」と冗談と笑みで返す。
果たしてその時の私は上手く笑えていただろうか。
心の中では腹立たしさと悔しさでいっぱいで、それをどうにかして表に出さないようにする事で精一杯だった。
終業時間後、皆がいなくなるのを待ち、作業に移る。
「馴れ馴れしく名前を呼ぶなんて、許せない。レベッカ・リード、許さない。」
あの時のあの女の目は、自分が優位にあると信じている、勝ち誇った目だった。
「ピエールはあんたなんかに渡さない。あんたもあの女のように、」