二人の関係
わいわいと人混みの多い妖猫の村。
そこに目立つ金髪の女性…幽月。
この村を治める当主でもあり、その持前の美貌であっと村中の視線を集める。
美貌という理由もあるが、この村の主であり魔女である幽月に、畏敬を抱いているからだった。
幽月はそんなことを気にも留めず、歩き出す。
「あら、あれは確か…朱濃だったかしら。」
そういうと、茶菓子屋に幽月は向かった。
黒い前髪を前にたらした女性の元へ近付く。
「やっぱり朱濃じゃない。」
「…おや、幽月。」
朱濃はニコリと笑った。
そして団子を頬張りながら、幽月を見る。
「貴方にしては珍しいわね。こっちに来て、こんなお店でお団子を食べてるなんて。」
「そうかのう…。わっち、ここのお店の団子好きでありんすよ。」
「ねえ、暇?朱濃。私、夜桜が居なくて寂しいの。一緒にお酒飲まない?」
「…それはいいのう。よし、主の屋敷へ行こうかの。」
「相変わらずだね。幽月様は。」
木に登りその様子を眺め呟いたのは、鬼屋敷鰍だった。
海兎と同じく、十四歳の忍。長い黒髪を一つに束ねた少年だった。
その隣で薄紫の髪で片目を隠した少年、鬼夜氷鏡が口を開いた。
「…幽月様らしいな。…海兎、何を拗ねておる?」
「別に…。」
「あははっその割には海兎、顔赤くない?幽月様となんかあった?」
鰍が真っ赤な顔になった海兎を、からかうと海兎を眉根を顰めた。
こうして話している間に幽月と朱濃たちが屋敷へと向かう姿を確認し、三人はあとを追うように屋敷へと向かった。
そして二人は幽月の部屋で、昼間といえど酒を飲み始める。
赤い盃になみなみと注がれる酒。次から次へと飲み干し、世間話を肴に二人は話す。
ぼんやりとただ話しながら、女二人で飲むのだった。
*
二人は陽が暮れるまで飲んでいた。
時間も時間で今日はありがとうと告げると朱濃は帰り、幽月は部屋で一人になった。
「ふー…。久しぶりに、朱濃と話して楽しかったわね。…夜桜は、まだ帰って来ないのかしら。」
そう呟くと、幽月は落ち込み一人寂しく酒をまた飲み始めた。
そして酒を飲みながら、歌い始める。
「~♪…何の用よ。海兎。」
酒も入り気分が良かったのだろうが、障子の影を見つけた彼女は歌を止め、その障子の影の主に話し掛けた。
そこにいたのは、忍の海兎だった。
「お邪魔してしまい、申し訳ございません…。」
海兎は頭を深く下げて謝り、それから顔を上げ話を続けた。
「先ほど情報が入ったのですが、狐狸たちの里の方で…」
「もう知ってるわ。それと敬語。まーた敬語なのねぇ、あなたは?」
「でも…」
「でもじゃないわ。貴方は私の忠実な忍・・。僕なのだからちゃんと、命令には従いなさい。」
「はい…。でも幽月様…。」
言い訳をしようとした途端、幽月が口を挿む。
その笑みはなんだか嬉しそうで、その嬉しそうな主人の顔を見て海兎はドキリとする。
「でもじゃないのよ。それと私からも話があるのよ、海兎。」
「話って…?」
「デキちゃったの」
「へ?は、なんですか、できちゃったって?」
「…デキちゃったって言ったら、子供に決まってるじゃない。」
あまりにも衝撃で、海兎は阿呆のように口をぽかんと開いた。
幽月はそんな海兎の様子を見てまたくすくすと笑い始めた。
海兎は事の大きさに気づき、思わず声を荒げ彼女に怒鳴る。
「は?!子供がデキたって嘘だろ!僕はまだ十四歳だぞ!!」
主従関係も忘れ、年の差も忘れ、言葉遣いが荒々しくなる。
「あらあら~…。そんな顔で怒らなくたって…。ええ。本当だわ。貴方は十四歳だけれど、私は立派な大人だもの。やることもやってたんだし、仕方ないんじゃなぁい?」
「でも貴女には…夫も、子供も、いるのに、僕は最低、だ。ど、うしよ、ぼ、ぼく…」
怒りから自己嫌悪に変わり、海兎はその場に座り込んだ。
そして狼狽し、わなわなと震え始める。
「…ごめんなさいね、海兎。ほら気持ちを落ち着かせて。」
幽月は海兎の頭を撫でながら囁いた。
海兎はフラフラとよろめきながら、彼女の手を振り払い幽月の部屋から飛び出すように出ていったのだった。
彼女は彼に振り払われた手を撫で、彼が出て行くのを確認すると、頭を抱え悩み始める。
彼女自身も巫山戯たように告げたが、重くこのことを受け止めていたのだった。
「…ごめんなさい、本当に。あなたにあんな思いをさせて…。私が悪いの、悪いから、なんとかするから…。夜桜に対しても、これは裏切りよね…」
*
唇をぎゅっと噛み、涙を堪えて部屋に戻ったのはいいが、途中、彼女の娘でもあり双子の妹である鈴香ちゃんとすれ違ったけれども、彼女にこの話を聞かれてしまっただろうか。
海兎はずっと悩んでいた。
眠ることもできず、ただひたすらにどうしよう、どうしようと。
胸が締め付けられるような思いに駆られ、そして同僚であり幼馴染でもある鰍と氷鏡に話すか話さないか。
このことを気づかれてはならない。
自室で気配を押し殺しながら、僕は静かに涙を流す。
主従関係。
十四歳という幼さで子を持つという事に、何故か虚しさを覚えた。
主である幽月様を妊娠させた。
夜桜様の妻である幽月様を妊娠させた。
最低だ最低だ最低だ。僕はなんて、最低で馬鹿な男だろう。
そんなことばかり頭に浮かぶ。
気が付いたら瞳からぼろぼろと涙を流し、恥ずかしながらも大声で泣いた。
これからどうすればいいのだろう。
僕は主を愛してる。どうしようもなく愛している。
一目惚れだったんだ。
でも主には大切な夫がいる。
僕なんて要らないだろう。
どうしよう…。
それから僕は一睡もできず、涙を流しながらずっと悩んでいた。
*
翌日、一睡もできなかった海兎が瞼を真っ赤に腫らし、嗚咽を堪えながら鼻水をすすっていると、部屋に氷鏡がやってきた。
「…どうしたのだ、海兎。そんなに泣いて…」
口元の布をずらし、彼は優しく海兎に微笑んだ。
「ひ、きょーくん…」
彼の小さな優しさに海兎はぼろぼろと涙を流し、嗚咽を堪えながらも顔をあげた。
「何があったのかを…我に教えてはくれないだろうか。…鈴香嬢も、貴殿…海兎を心配していたのだぞ」
「す、ずかちゃんが…?ひっくっ…、ね、ねえ…ひきょーくん…。ぼ、ぼくっ…僕はどうしたらいいのかな…」
嗚呼、結局鈴香ちゃんにあの姿を見られてたんだなと思うと僕は頭が重くなった。
そして彼の優しさが嬉しく、ひとりでこの思いを抱くのは辛く、海兎は今までのことを全て話した。
以前から幽月と海兎は恋仲で、幽月は夜桜がいない寂しさを海兎といることで紛らわしていたこと。
一目惚れから、いつしか主人でもあり人妻である彼女に本気になってしまい、二人の間に子供ができたこと。
主従関係でもあり、幽月には夜桜と言う旦那がいる。
それなのに海兎は主人でもあり、人妻でもある幽月を妊娠させたのだ。
彼女が産む・産まないにも限らず、彼が彼女を孕ましたのは事実だった。
そして海兎は現在十四歳である。
妖怪では十三でほとんど元服。種族によっては元服の年齢が多少違うが、鬼の一族ではまだ海兎は元服していないのだった。
海兎は子供。そして相手の幽月は大人。海兎は本気で幽月を愛していた。
愛しているけれど、彼女には大切な夫がいる。
たくさんの葛藤と自責、そして自己嫌悪。
“僕は最低”
“僕は許されないことをしてしまった”
海兎の心は負の感情でいっぱいいっぱいで、こういったことから海兎は泣いていることを全て氷鏡に告げた。
それを聞いた氷鏡は黙って、泣きじゃくる海兎を抱きしめる。
「…海兎、貴殿は辛い思いをしたな。一人で…我は何もできない。だけどずっと我は海兎の味方だ」
“味方”。そう言った言葉を貰えるだけで、今の海兎にとっては救われるものだった。
「あ、りがっと…う」
鼻水と涙で酷い顔になりながらも、笑い顔を作りお礼を言う。
未だに嗚咽が治まらずいると、氷鏡は思いつめた顔をする。
「なあ、海兎。このことを鰍には話したのか?」
そう彼が聞くと海兎は首を横に振った。
思いつめた顔をした氷鏡を見て、海兎はまた泣き始める。
ああ、そう言えばもう一人の幼馴染である鰍には言ってない。
「うっ…ぐ、やっぱ、い、言った、方がいいよね…」
「ああ…。それと、貴殿の…その…子について、幽月様とはちゃんと…話し合ったのか?」
「う、ううん。話してない。僕…なんか、もう、パニックになってそのまま部屋から飛び出しちゃって…」
「そうか…」
「一日、いや、一晩中かな。どうしようって、ここで悩んでた。鰍くんや氷鏡くんに話すべきか…。本当、どうしよう…。や、夜桜様に会う顔がない…」
海兎はそう言うと氷鏡にしがみついた。
彼の忍装束をぎゅうっと握り締める。
彼はそんな海兎を宥める様に抱きしめ、海兎はその腕の中で泣き喚いた。
そんな中自室前の廊下で鰍は偶然にも、二人の会話を聞いてしまった。
鰍も不穏な空気に気づき、海兎の部屋を訪れようとしていたのだった。
しかし、鰍が来たことに二人は気づかない。
鰍は唇を噛み締め、そのままその場を去った。
外は大雨。うるさいくらいに雨が降り続いていた。
その雨は一晩中降り続いた。