聖女と『嘘』
フローラは震える左手で、しかしゆっくりと確実に、一文字ずつ真実を刻んでいった。
『アメリア様は、私たちが「嘘」を吐くことを、病気だと思っていらっしゃいます。だから、誰も嘘や隠し事をできないように、慈愛として(・・・・・)呪いをかけたのです』
プラムはその一文に、背筋が凍るような違和感を覚えた。
『最初は、皆、納得していました。聖女に仕える身として、清廉であることは誇りでしたから。でも、彼女の「正しさ」は、日に日に激化した』
フローラは喉の痣をかきむしるようにして、次の一文を綴る。
『アメリア様は、わざと私たちの目の前で、大切にしていた茶器を割り、泥靴で床を汚し、理由もなく頬を打ち据え__そして、涙を浮かべてこう仰るのです。「……今、私を悪く思ったでしょう?」と』
「……なんですって?」
『「いいえ」と答えれば、術が発動します。たとえ心の中の、ほんの一瞬の不快感であっても、彼女の術はそれを「不忠な嘘」として検知し、私たちの喉を焼くのです。彼女はそして、涙ながらに仰るのです。「嘘を吐くから痛いのよ。その上、主人を悪く思うなど、なんて横柄で失礼な人間」……と』
アメリアにとって、これは虐待ではないのだ。
「嘘や隠し事は正しくない」を曲解して、魔術という絶対的な力で相手に強制しているだけ。彼女は本気で、自分が相手を「教育」していると信じ込んでいる。
「……自分に都合の悪い感情をすべて『悪』と定義して、排除しているのね。彼女の周りには、彼女を肯定する『鏡』以外、何も存在してはいけないのだわ」
確かに、嘘も隠し事も良いことではない。しかし__貴族社会に生きていれば特に、目の前の人間に直接悪感情をあらわにしないことや、余計な混乱を避けるために口を噤むことは、ある種処世術であり、思いやりである。相手のためを思った優しい嘘や隠し事すら、四角四面の「正しさ」で塗り潰すそのおぞましさに、プラムは寒気すら覚えた。
フローラは続ける。
『一週間前の夜会の隅で、ニコラ様が、私の首元に隠した火傷の痕に気づいてくださいました。あの方は、私の傷を見て、救いの手を差し伸べてくださったのです』
プラムの脳裏に、お節介で余計なことにすら首を突っ込みがちな親友の顔が浮かぶ。
『別室で、筆談で話しました。私は腕を折られていたので、このような汚い字でしたが、ニコラ様が齟齬のないように書きうつしてくださいました。……そこに、トリスタン様が通りかかったのです』
「……あれが?」
プラムの声が、一段と低くなる。
『トリスタン様は、私たちの話を聞いて、酷く憤ってくださいました。「騎士として、このような蛮行は見過ごせない」「僕が後ろ盾になり、必ず陛下や殿下へ報告しよう」と。だからニコラ様は、書き上げたばかりの告発状を、希望を込めて彼に託したのです』
そこまで読み、プラムは思わず乾いた笑みをもらした。彼女には、元婚約者の浅ましい思考回路が手に取るように理解できてしまった。
「……なるほどね。あの男、最初から『両天秤』にかけていたのよ」
プラムの言葉に、アッシュが鋭い視線を向ける。
「どういうことだ」
「トリスタンは卑怯者よ。自分から矢面に立つ勇気はないけれど、常に自分が一番得をする場所を探している。……彼はその紙を『切り札』として懐に入れた。もしアメリアの悪行が露呈して彼女が失脚する流れになれば、自分は『真実を暴いた正義の騎士』として振る舞うつもりだった。……けれど」
プラムは、作業台に置かれた革裁ち包丁を、指先で静かに弾いた。
「風向きが悪いと見るや、彼はその紙をアメリアへの『献上品』に変えたのね。ニコラを主犯に仕立て上げ、彼女を売ることで、自分だけは聖女のお気に入りという安全圏に居座り続けた。……最初から、ニコラを守る気なんて微塵もなかった。ただ、自分の出世と保身のために、彼女の善意を利用したのよ」
プラムの瞳は、もはや怒りを通り越して、絶対的な「処刑者」のそれへと変貌していた。
「……そして、その告発はアメリアにとって、都合の悪い事実だったのでしょう。だから、全てを知るニコラを葬った。その文書が綴られた意図や経緯を無視して『ニコラが書いた』という、動かぬ事実だけを公にして」
震えるフローラの肩を、アッシュが無言で抱き寄せる。その拳は白くなるほど握りしめられていた。
「アッシュ。……ニコラを救い出すだけじゃ、足りないわよね」
アッシュは怒りで眉間に深い皺を刻み込んだまま、無言で頷いた。
「あの偽の聖女も、卑怯者の騎士も、必ず殺してやるわ。……事実を並べるチェスが随分お好きなようだから__乗って差し上げましょう。きっと、足元で這いつくばらせてやるわ」
次回、ざまぁ!!!!
デュエルスタンバイ!!




