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足元と宣誓

 

 プラムを乗せた馬車がアッシュの手引きでサマセット領についた頃には、辺りに夜明け前の霧が立ち込めていた。馬車を降りて活気付く前の下町をしばらく歩いた先の小さな家。アッシュの靴工房は、冷えた革の匂いに満ちていた。



「お嬢様、足元気をつけろよ__あ、その靴」

 アッシュが、プラムの真紅のドレスから覗く、シルク貼りの靴を指差した。

「何かしら」

「左のヒールだけ、少し削れてんな。あんた、歩く時に左に重心が寄りがちだろ。体幹がなってねえ証拠だ」

 プラムは素直に驚いて目を見張った。それは、ダンスの稽古でよく指摘される内容の、まさにそのものだった。

「驚いたわ。……貴方、本当に職人なのね」

「言いたいことはわかるぜ、なんでその職人……早いところ平民の俺が、子爵令嬢様の婚約者なんかに収まってんのか、って話だろ」



 そのまま聞くにはあまりにも不躾で、喉奥に留めておいた疑問をあっさりと言い当てられ、プラムは気まずそうに目を逸らした。

「一昨年だったかな。革じゃなく、帆布を使った靴を試作したんだ。それを商品化するための投資を頼みに、俺はサマセット子爵邸に直談判に行った。正直一度目は追い返されるだろうと思ってたんだけど……ニコラが妙に気に入ってな。『これ、どうやって履くの〜』なんて言って、自分で足入れ始めてな。あれには面食らったぜ」

「……そういうとこあるわよね、あの子」

「快諾どころか、サマセット家の傘下でちゃんと事業化しようってことになってな。そのうちに義兄にいさん……当主に気に入られて、婿に来いって言われてさ。お嬢も満更でもなさそうで、そのまま。……変な話だろ」



 サマセット子爵家について思い返し、プラムは得心する。もとは豪商であった子爵家の領地は、小規模ながらも腕利きの職人を多く抱える手工業の街だ。革や布の加工品を取り扱う事業は一定の財を成しており、領民からの信頼も厚い。

 そしてなにより彼らは、中央貴族としての政争や出世よりも実利を重んじる血統だ。事故で両親を亡くし、その血を継ぐのが兄である当主とニコラだけになった今、不確かな政略結婚でパイプを作るより、平民であっても気骨のある人間を身内に引き入れて家を切り盛りしていく方がよほど合理的だ。



「……昨夜、俺は王宮の通用口で、義兄さんとあいつを待ってた。なのにいつまで経ってもふたりは出てこず、やけに王宮も騒がしくなって……。やっと義兄さんが出てきたと思えば、顔面蒼白で俺を突き飛ばして『ニコラが投獄された』『逃げろ』とだけ言って、屋敷に戻ってった」

 おそらく当主は、自らの身に及ぶ危険を承知の上で、一瞬の隙を突いてアッシュに警告しに来たのだ……平民である彼を逃がす、それだけのために。



「あんたの言ったとおりだ」

 工房の奥、小さな木製のドアに手をかけながら、アッシュは続ける。

「俺には頭も権力もない。あるのはこの身ひとつの、ただの平民だ。さっきはカッとなったが……自力でニコラを連れ出せたと言われれば、正直疑わしい」

 アッシュがドアを開け、プラムを中へと促す。無数の革素材や靴の木型が無造作に並んだその小部屋の奥には__酷く痩せた、真っ白な肌に黒髪の少女がぺたりと座っていた。

「聖女んとこの侍女だよ。喉を魔術で焼かれてるのと、利き手の骨を折られてる。ニコラが見つけて連れてきたんだ。今回の件と、関係があるんだろ」



 不意に、アッシュの瞳が暗く光った。

「だがな、俺たちにアンタを信じられると思うか?」

 しまった、と思った頃には、プラムは部屋の角に追い込まれていた。アッシュの手には、いつの間に手にしたのだろうか、鋭利そうな革断ち包丁が握られている。

「おっしゃる通り、アンタの駒になる他に、捨て殴り込むくらいしか、今の俺にニコラを助ける手立てはない。だからこうやって、手の内も明かした……だがな」


 プラムは聡明で、魔法の才も貴族子女としての教養も申し分ない、箱入りの侯爵令嬢だ__直接的な命の危険などとは縁遠い、箱入りの侯爵令嬢なのだ。

「あんたをこのまま帰して、もし告発でもされたら、その時こそ俺たちは終わりだ。特に俺は平民だ、良くて晒し首だろうよ。プラム・アプリシア侯爵令嬢……あんたが裏切らないという『担保』を、俺たちに差し出せるか?」



 突きつけられた革裁ち包丁の冷気よりも、アッシュの射抜くような視線の方が鋭かった。

 プラムは、自分が「裏切り」を疑われたことに一瞬、烈火のような怒りを覚えた。だが、すぐに理性がそれを塗りつぶす。平民である彼が、侯爵家の看板を背負う自分を信じられないのは当然の防衛本能だ。

 プラムは静かに、しかし威圧感を持って一歩踏み出した。

「紙とペンを頂戴」

 アッシュが怪訝そうに眉を寄せたが、プラムの圧に押され、作業台の端にある紙束と羽ペンを差し出した。

 プラムは流れるような所作で、迷いなくペンを走らせる。そこに綴られたのは、高潔な侯爵令嬢が書いたとは思えぬ、醜悪なまでの呪詛と陰謀の記録だった。



『アメリアは聖女の皮を被った詐欺師であり、その存在自体が王国の汚辱である。私は彼女を失脚させるため、サマセット家を駒として使い、証拠を捏造してでも彼女を断頭台へ送るつもりだ。王太子アルバーンの盲目を利用し、私こそがこの国の影の支配者となる――』



「……なっ、おい、あんた……!」

 書き終えた紙をアッシュに放り投げ、プラムは冷ややかに微笑んだ。

「私が貴方を裏切ったら、これを持って陳情すればいいわ。私がこんなものを街にばら撒いていて、権力を盾にそこの侍女もろとも脅されていた、とでも言えばいい。そうすれば私はめでたく、ニコラと結託して聖女を貶めようとして__ニコラが捕まって分が悪くなったから貴方を売った世紀の大悪女になる。貴方が平民だからこそ、説得力も増すでしょう」



 アッシュは手の中の紙とプラムの顔を交互に見て、一瞬面食らったように呆然とし__やがて、喉の奥から、くつくつと絞り出すような笑いを漏らした。

「はっ……! 見え透いた罠に引っかかるようなバカ令嬢かと思ったが、成程面白い女だ。これ、普段から思ってないと書けないだろ。とんだ毒婦だな」

 アッシュは乱暴に包丁を置き、その紙を大切に胸ポケットへ仕舞い込んだ。



プラムは改めて、顛末を怯えながら見つめている少女に近寄る。

「……貴女が、例の『行方不明の侍女』フローラね」

 プラムの問いに、フローラは声の出ない喉を必死に震わせ、縋るような瞳でプラムを見つめた。その瞳には、恐怖と、そしてそれ以上の切実な「問い」が宿っている。

 プラムは、彼女が何を求めているかを瞬時に悟り、昨晩の断罪劇の一部始終を語った。

「……ニコラ・サマセットは、昨夜の夜会で捕まったわ。貴女を洗脳し、『アメリア様を貶める怪文書』を捏造した罪で、いま、沈黙の塔に幽閉されている」

 フローラの顔から、みるみる血色が引いていく。彼女は絶望に顔を曇らせながらも、ガタガタと震える手でテーブルの上の紙とペンを掴んだ。利き手ではない左手で、紙を引き裂きそうなほどの筆圧で、彼女は必死に文字を書き殴る。

『あれはトリスタン様が書くように言った言葉です』

 ミミズがのたくったような、歪な文字。書き終えた紙をプラムに突き出す彼女の瞳からは、大粒の涙が溢れ出していた。

昨日更新し忘れたので、2話連続で載せちゃう

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