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悪役令嬢と『婚約者』



 夜会の熱気が嘘のように、バルコニーの空気は凍てついていた。

「プラム、ごめんよ、機嫌を直して__」

 トリスタンは、その緑色の瞳で縋るようにしてプラムの緋色の瞳を見つめる。その手は情けなく震えながら、プラムのドレスの袖を掴もうとしていた。

 プラムはその手を扇子で思い切り叩き落とし、大声で叫んだ。



「汚らわしい。その手で私に触れないで」

「プラム……?」

「婚約者の友人を陥れるような真似をしておいて、機嫌を直せですって?__そもそも、あの不自然な断罪劇は何?ニコラがそんなことをする人間ではないことを、あなたはよく知っているはずよ」

 トリスタンは顔を引きつらせ、しどろもどろになって答える。

「アメリア様の権能を知っているだろう!実際に、あの文書は彼女が書いたものなんだ__だから僕は、家を守るために動いただけで……」

「ええ、そうね。貴方は自分の地位を守るために、友と__騎士としての誇りを売った」

「売ってなんか……!僕は……僕は悪くない。アメリア様の権能は正しいし……怖いんだ。プラムも知っているだろう、あの力は」

「呆れた」



 プラムは一歩踏み出し、なおも言い訳を続けようとする彼の顎を扇子の先で強引に上向かせた。冷え切ったプラムの目線を受け、トリスタンはひゅ、と喉を鳴らす。

「トリスタン・イグレイン。今この瞬間、貴方との婚約を破棄させていただきます。明日には父から正式な書状が行くわ。……ニコラが今宵被った泥は、いつか必ず貴方たちに啜らせてあげる」

 腰を抜かしてその場に倒れ込んだトリスタンを一瞥もせず、プラムはくるりと背を向けて歩き始めた。背後でメアリーが、音もなくプラムの肩にショールをかける。

「お嬢様、お見事でした」

「……まずは、帰りましょう。やることが山積みですもの」



 馬車での帰り道、月明かりに照らされて、王宮の北側にそびえる『沈黙の塔』が窓硝子に映る。ニコラは今、この塔に幽閉されている。

 衛兵たちに乱雑に扱われて、それでも健気に笑いながら、会場を後にしたニコラを思い出す。__必ず助けてあげるから、せめて今は、ニコラが寒くありませんように。

 祈りながら目を閉じかけた時、プラムは周囲がやけに騒がしいことに気が付いた。



「止めて」

 馬車を降り、影に紛れて塔の裏門へ近づくと、そこには地獄のような光景が広がっていた。十数人の警備兵が、血を流して昏倒している。その中心に、一人の青年が立っていた。

「クソ、硬い結界術だな」

「何をしているの、貴方!反逆罪で殺されるわよ!」

「死ぬ?いいさ、別に。どのみちこの結界を破って助け出さなきゃ、ニコラは死ぬんだ。あのクソバカお嬢__俺を置いて先立つような真似してみろ。追っかけて地獄でもういっぺん殺してやるってんだ」

「貴方__ニコラを、知っているの」

「あ?あんたこそ、ニコラの何だよ」

「私は__」



 その時、王宮の方角から無数の松明の光が迫ってきた。騒ぎを聞きつけた増援の騎士団だろう。

 重装備の兵士たちがわらわらと集まりはじめた__その時。プラムは、わざとらしく大きく扇子を開いて、群衆の前に躍り出た。

「何の騒ぎかしら」

「アプリシア侯爵令嬢……!? なぜ、このような場所に」

「我が婚約者であり、騎士団長であるトリスタンに会っていた帰りよ。あ(・)ん(・)な(・)こ(・)と(・)があったからには、これから数日は塔に泊まりがけで、ろくに話もできないでしょうから……いけない?」

 まぁ、明日には破棄する婚約だけど。心の中でそう呟きながらプラムは、困惑する兵士たちが顔を見合わせた隙に、青年に逃げるよう視線で伝える。



「失礼いたしました。しかし、警備兵が倒されており……」

「あれまあ、そうなの?そういえば、先ほど馬車に乗る時、北の方角に怪しい人影を見かけたわ。引き止めて悪かったわね」

「いえ。情報をありがとうございます!」



 騎士団が北へ駆けてていき、辺りにもとの静寂が広がる。青年は剣を鞘に収めすらせず、プラムに一歩近づいた。

「まだいたの?逃げた方がよかったのに」

「……余計な真似だよ、お貴族様。あそこにニコラがいるんだ。邪魔するなら、アンタも消す」

「わかったわ。あなた、ニコラを愛しているのね」

「わかったような口を!」

 青年の手が、私の喉元に伸びる。だが、私は一歩も引かなかった。

「どこぞの馬の骨かも知らないけれど、消せるものならやってみなさい。一生ニコラに会えなくなってもいいなら」

 プラムは青年の胸ぐらを掴み返し、その冷え切った瞳を至近距離で睨みつけた。

「だから、連れ出そうとしたんだろうが!」

「今、彼女を連れ出せば、ニコラは一生『脱獄囚』として追われる。……それでいいの?」

 彼の動きが止まる。プラムは続けた。



「友を、家を、誇りを捨てて逃げ出すなんて、彼女が一番嫌う行為よ。そんな風にして逃げ出した先で、ニコラは笑って生きていけるような人間じゃないわ。貴方はそれを知っていて?今逃げられたとして、その呵責に耐えられなくなったら__その時こそ本当に、貴方、二度とニコラに会えなくなるわよ」

「……じゃあ、どうしろって言うんだよ!お前は何様だ!お貴族様が知ったような講釈を垂れるなよ!お前に、お前に何ができるんだよ!」



 狂気と悲しみを孕んだ濃紺の瞳をじっと目返し、プラムは毅然と答える。

「順番に答えるわ。私はアプリシア侯爵家__いえ、ニコラの親友、プラムよ。私なら、ニコラを誰も文句の言えない、正規の手段で救い出せる」

 プラムはの胸ぐらから手を離し、そして青年に差し出した。

「貴方には力があるけど、見たところ、頭はいまひとつでしょう。それになにより、権力が足りない。私はその逆。……ニコラを救うために、私の『駒』になりなさい」

 青年はしばし沈黙し__それから、自嘲気味に笑った。

「……アッシュ。サマセット子爵領の工場(こうば)の職人で__ニコラの婚約者だ」

「交渉成立ね、アッシュ」


 アッシュが差し出した右手は血で汚れていたが、プラムは構わず握り返した。いつしか夜は更け、空が少しずつ白み始めていた。

ちょっとタイトル変更。

次回、事件の全貌へ。

よろしくお願いします。

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